そして、わたしはあの子をつれて逃げた。
噴き出る炎の所為で、すぐに追手は現れた。
ただ刀を持っているだけ、ただ弓を構えているだけの、烏合の衆みたいなもの、だけれど。殺意だけは、本物だ。
しかたがないからなぎ払ったその時、彼女の浮かべる顔をなんと言えばいいのだろう。
失望のような、怯えの様な。そんなものが浮かんでいたら、良かったのに。
ああ優しくなんてなかったと、そういうふうに思ってくれれば良かったのに。
「…ごめんね、藍」
「鈴様、なにを」
「私の所為で、悲しいんだな」
違う、あなたのせいじゃない。
すべては、わたしの所為で。嘘をついていたのは、いつだってわたしで―――
―――なら、間違っていたのも、わたしだったのだろうか。
8 years ago 3
間違っていたのだろうか、と。
凍えていく体温に、落ちてくる涙に、滲む意識の端で呟く。
たくさん嘘をついてきた。
思えば、諦めたと言いながら、多くを恨んだ。期待していないと言いながら、アレを一瞬信じた。恨むといいながら、いつかと思った。いつかあの男にも大切なものができたら。
できたら、この子のことを、きっと。
助けてくれると思い続けて、間違いで。
どうしよもないから、あれを斬って。
でも、それだって、きっと。この子のためじゃなくて、ホントは、わたしが、ただ。
ただ憎かっただけで、ひとを殺したくせに、この子に抱きしめられて。
千切れる思考の端で、ふと思う。ぼんやりと、気付く。
恨んでもなにも幸せにはならなかったのに、触れられただけで、こんなにも、と。
だから、横たわったまま、手を伸ばす。何度も触れた頬を、撫でる。
それだけで幸せになる。
それだけが幸せだった。
だから。
「どうか」
あれの面影を宿した顔、あれとまったく違う、やわらかな頬。他の誰とも違うそれが、濡れている。泣いている。
ああでも、この子の母は、こんな風に泣いていたことがあった。あの人は、助かったかしら。助かって、いつかこの子に会えればいいのに。無理、だろうけれど。
思う間に、手を握りしめられる。驚くほど強い力に、この子の成長を感じて。それなのに、不安で。
だって、駄目ねえ、あなたは。もう、一緒にいられないのに、そんなにも。
ひたひたと迫る死の感覚とは違う恐怖が、ちらりと頭をかすめる。未練が、かすめる。
でも、わたしは。愛しいこの子に、もう、なにもできやしないから。
最後にひとつ、呪いを送る。
母がわたしに最後に願った言葉と同じ、呪いを。
「幸せに」
その言葉が、どれだけひとを縛るか知っている。
苦しくて、一人で生きていく事実がどれだけ痛んで、それでも。
死ねなくなる、呪いを。
「生きて、ね」
わたしの、可愛い。大切な。
大切な、あなた。
あなたもいつか、会えるはずだから、誰かに。ねえ。どうか。
どうか、どうか。
憎み、諦め、執着、そんな暗いもので、その眼を曇らせることなき生を、どうか。
歩んでくれたら、いい。
―――藍、と。
わたしを呼ぶ声を、最後まで聞いた気がした。
2012/01/18