地面を強く揺るがせる地震の後―――その、2、3日もしないうち。
 声を殺して泣きじゃくる声に目が覚めて、そうして。
 月に向かってうなだれる、あの子を見た。
「………あい?」
 ぽろぽろと、ぼろぼろと、涙と共にこぼれる声は、酷く頼りない。
 頼りないと言うのに、彼女は顔をそむける。
 昔から頼りないあの子がいつの間にか身につけた、逃げの仕草。
 それでも、ひどく頼りない、その姿。
「鈴様……」
 何を見たんですか。
 問いかけると、数度頭をふられる。
 そうして、ひどく拒否される。
 けれど、それも一瞬。頭を撫ぜて、もう一度呼ぶ。
「鈴様」
 それが。契機。
 なにかをこらえるようだった顔が、さらに歪む。
 泣きじゃくる声はすぐに大声になった。

8 years ago 2

 泣きじゃくりながら、彼女は言う。顔をあげぬまま、ひどく暗い声で。
「夢を、見た。
 この間の、地震。
 ……私の所為って、言ってる人達。納得して、ない」
 とぎれとぎれの、意味もなさないその言葉。
 けれど、その意味は、痛いほど伝わってくる。
 いいえ、本当は。言葉なんてなくても、分かってた。
 幾人かの人間が死んだ、先日の地震。この里に降り立った、災い。
 それを払う名目でいためつけられるのが、この子だから。
「いつもと同じじゃ、納得して、くれない……」
 血を流して、眠り続けて。
 それだけでは、気に召さない日が来ることなど、知っていたから。驚かない。
「……助けて」
 それでも、ちくりと胸が痛むのは。たぶん、別れが近い所為。
 それに、きっと。
 こんな時に頼るものがわたししかいないこの子が、哀れな所為。
「助けて、藍……」
 だから、黙って抱きしめて、背中を撫ぜる。
 助けますとも、あなたは。あなただけは。
「鈴様」
「うん」
「あなたは絶対に私が守ります」
「…うん…」
 固かった背中から、ほんの少しこわばりが消える。それでも、顔があげられることはない。くぐもった声だけが、とぎれとぎれに続く。
「あのね、藍」
 ぎゅ、と背中に回った手の力が強くなる。強く、すがられた。
「ずっと、一緒にいてくれる……?」
 かたかたと震える手のひらを感じながら、わたしも抱きしめる手に力を込める。
「ええ。ずっと、あなたを守ります。
 だから、逃げますよ、次の朝です。夜の森は冷えますから、少しは暖かい恰好して、待っていてくださいね」
 こくん、と頷く頭を、再度撫でる。
 黙ったまま、ぐっと力をこめる、その頭が上がることのないように。
 今この顔を、決してこの子にみせないように。


 ずっと、用意をしてきた。
 逃げるために、逃がすために。
 この里には、外から侵入してくるものがいないようにと、結界が張ってある。
 少し細工をすれば、中から出れなくなることも容易となる、結界が。
 里と里を囲む森の境界と、あの男がまつ屋敷とに、そんな術がかけてある。
 だから、ずっとその二つに細工をしていた。
 気付かれないように、ゆっくりと。最後に仕上げれば、術が完成するように。
 足止めだけ考えれば、それで充分。
 あとは、普通の街にいってしまえばいい。
 そして、あの子を逃がせればいい。最後にわたしがあの里のことを告発すれば、全てが終わる。
 でも。
 告発しただけじゃ、たぶん。あの里の人間は、誰ひとり死にやしないのだろう。
 里を解体することは、できるだろう。でも、投獄だって、叶うかどうか、分からないんだから。
 だから。
 だから、わたしは、どうしても。
 どうしても。口の中だけでそう繰り返しながら、鉄の塊を撫でる。古びた、単なる鉄の塊。殴ればそれなりに対象を痛めつけることはできるかもしれないけれど、殺める前に折れるであろう、塊。
 鉄に寝かせたそれを撫ぜながら、小さく呪を紡ぐ。
 しばしそれを続ければ、ゆるく光をまとった鉄の塊は、一振りの刃に代わる。魔力とクズ鉄でつくりだした、急ごしらえの刀。きちんと打った刀には劣るが、別に構わない。人一人。ただ一人だけに、たえてくれればいいのだから。
「………」
 あの子を、守ると言った。ずっと守ると、何度も言ってきた。
 それを嘘にするための刃を持って、わたしは黙って彼女と暮らした家を後にした。

 そうして、行く先など。たったひとつ。
 通い慣れた部屋の中で、わたしは笑う。おかしくもかなしくもない。なにもない、笑い。単なる筋肉の痙攣。
 それをずっとわたしに見せてきた男は、わたしの訪れに驚かなかった。
「…わたしは、あんたを殺さなきゃいけないのよ」
「恨み、か?」
 宣言しても、何も変わらない。おかしそうに嗤って、つまらなそうに目を細める。
 いつも通りの男は、刀をつきつけられても、なにも、驚かなかった。
 ただ突きつけられた問いかけに答えずにいれば、耳が痛くなるほどの静寂。
 深夜にしても静かすぎるのは、この部屋の壁が分厚い所為、だけではない。
「…そうかもね」
 きっと、先の地震で、この里の者たちが疲れている証。沈んでいる、証。
 なによりも。疲れて、たまった鬱屈が、あの子に向かう兆し。
 だからわたしは頷いて、一旦刃をひく。収めないまま、ひっさげる。
「それに、あんた、生きてたら、あの子に嫌がらせを続けるでしょう」
「さあ。あの娘が生きようが死のうが関係ない。…だが、お前には続けるな」
「じゃあ、同じじゃない」
「ああ。同じなんだろうな」
 言い切られる。いつものように、薄い笑みを刷いたまま。
 ああ、本当に。
 本当に、あんたという男は。
 下げていた刀を、両腕で握る。そうして、告げる。
「『あんただけはわたしが絶対に殺してやる』その言葉、叶えに来た」
「そうか」
「剣くらい抜きなさい。…温室育ちの御曹司が、素手でわたしを止めれる気なの」
「温室育ちの御曹司に飼われていた使用人がよく吠えるな」
 からん、と剣が抜かれた鞘が落ちる。
 寝台に立てかけられていた剣を抜いて、奴は小さく鼻を鳴らした。
「…そうだな。私も、今回も口先だけなら、お前を殺す気でやろうか」
「最初から口だけじゃないわよ」
 退屈そうに嗤うこいつは、分かっていたのだろう。
 錯覚だけど、冷めたけれど。
 確かにこいつを信じていた一瞬があってしまったことを。
 寒くて、辛くて。悲しくて。そんな時に差し出された手に、一瞬。一瞬だけ、全てをゆだねたくなったことを。
 でも、違う。今までこんな半端でいたのは、それが理由じゃない。
「わたしは、あんたを後悔させたかった。同じ思いを味あわせてやりたかった。苦しめたかった。
 でもあんた、いつまでも変わらなかったわね」
 何も変わらず、なににもこだわらず。ただ好き勝手にふるまい続けた。
 なら、しかたないじゃない。
 どうせ死んでも死ななくても同じだと、そんな風に思っているんでしょうけれど。そのまま殺したら、気なんて、すまないけれど。
「わたしだけが、大事なものを奪われるのね。いつも、いつも」
「結局それか」
 でも、今は。
 わたしの気晴らしより、大切なことが、あるから。
 一歩進んで、柄を握る手に力を込める。
「ええ、そう。それだけね――――」
 目の前の彼は、動かない。何も言わない。余計なことばかりを口にする男が、ただ黙って立っている。
 失われるのが自分の命だって、興味がないと言わんばかりに。
 大事なものを失いたくない。
 たったそれだけのことを、分かってくれる日なんて来ないと言わんばかりに。
「それだけだったわよ、わたしは!」
 手に込めた力をゆるめず、真っ直ぐに打ち込む。
 受け止められることを予想しながらの、小手調べ。
 よけるなり払うなり、どうにでもできたはずの一撃。
 なのに。
 赤いなにかが手を濡らした。
 血液だと思いだすことに、一瞬時間がかかるほど、あっけなく。
「………っ?」
 黒い刃が、肩から胸にかけて、食い込んだ。
 それでもなお嗤う男を、斬った。
「む……宗形……?」
 名前を、呼ぶ。
 もうずっと前から、呼んでいなかったその名を。なぜか。
 答える声なんて親切なものはなく、奴はどすりと床に坐り込む。
「…なんのつもり」
 男は答えない、ただ嗤って、こちらを眺める。
 苦痛なんて感じていないような顔は、いっそ作り物のよう。
 けれど、流れる血は本物だ。鼻孔に届く香りは、血のそれだ。
「なんでよけなかったの」
 殺せる気でいた。呪の力は抜群でも、こと剣の技となれば、こいつがそこまで強くないことを知っていた。けれど。
 抵抗くらいはするものだと思っていた。
 抵抗して、こちらを殺そうとすると、思っていた。
「肝心な時は、いつも『なんで』だな。本当に、飽きずに、馬鹿を繰り返す女だ」
 馬鹿にするような声に、労わりなんてない。殺されてやるつもりだった、なんて。そんなことはないはずだ。
 そんなことがないはずの男は、言葉を続ける。
 血の気の失せていく顔が、少し掠れた声がなければ、まるでいつも通りの様で。
「…てめぇで考えろ」
 ふ、と薄く笑って。
 こと、と小さな音が続く。手が床に落ちる。落ちて、そのまま。動かない。
 いつだってこちらを見下ろしていた瞳が、ゆっくりと瞼の下へと消える。
「…むなか―――」
 こと切れたのかと、名を呼びかけて。止める。
 繰り返すそれが未練に思えて、止めた。
 第一、一秒だって立ち止まっている理由も暇も、ない。ないはずだ。きっと。
 わたしが一番大切なものは。
「……」
 扉に手をかけて、開ける。
 何千何万何億と繰り返したその動作が、妙に腕に重かった。


 それでも足を進めて、屋敷を出る。
 早く帰って、逃げなければ。朝、誰かにあれの死が気付かれる前に。あの子を連れて、逃げなきゃ。
 そう思って、屋敷を背にした、その時。
 ざわり、と肌が泡立ち、思わず振り返る。
 ―――刹那。
 どん、と音がした。

 噴き上げる、炎、炎、炎。
 屋敷の者は、殆どが寝静まっている時間だ。
 これでは、きっと。逃げられるものは、少ない。
 だから、わたしはしなかった。足止めのための結界を張る以外のことなど、なにも。
 本当は、あの男のことだって、殺さない方が、良かった。逃げることだけを考えるのなら、それでいい。逃げ切り、この里を糾弾したとしても。あの子に害をなしそうだから…否、わたしが、ただ、許せなくて、殺めただけ。
 そう、許せなかったのは、あの男で。
 あの屋敷に長い時間をかけてほどこしてきたのは、あくまで足止めのための術だ。
「…な。んで」
 なぜ、こんなことに。
 思っていると、自然と思い浮かぶ顔は一つ。
 なぜ、どうして。こんなことを。
 わたしにそんなことを考えさせるのは、いつだって。
「……………むなかた」
 ついさきほどは呼ばなかったその名を、ようようと吐き出す。
 あんたは、本当に。一体。なにを。
「なに、したかったの……」
 考えて分かるものか、あんたの考えることなど。
 分かってたまるか、あんたのような男の、見ていた世界など。
 何一つ、自分の命さえ。軽く頬り投げる、あんたのようになどなってたまるか。

 こんなことになったら、よけいに急がなければいけない。いけないというのに、足が動かない。
 ―――最後まであんたは理不尽で傲慢よ。
 嘲笑ってやろうとしたのに、口さえ動かなかった。




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2012/01/18