それにしても、子供を育てろと言われても。めんどうだ。
 面倒で、厄介だ。そう思っていたけれど、ふと思った。
 赤い目の子供は、代々災いをもたらしたのだという。事実、里のものを殺した子供もいたという。
 本人がそれをのぞんだのか、そうしむけた存在がいるのか。わたしは知らない。けれど。
「……」
 口元が歪むのが分かる。
 赤い目の子供は狂気を秘めた子。それが本当かどうかなんて、わたしの知ったことか。
 赤い目の子供が代々強い魔力を秘めていたことは、どうやら真実らしい。…とりあえず、この子供は、間違いなく強い。力だけなら、あの男より、きっと。
「………」
 赤い目の子供は、狂気と災いを呼ぶ。
 ああ、それがこのムナクソ悪い里ごと壊してくれたなら。
 どれだけ良い、でしょうね?


13 years ago


 これを利用して、言い伝え通りの災いとやらをもたらせたなら、どれだけ良いだろう。
 ……そう思っていた。思っているはず。でも。
「藍っ」
 閉じ込められる意味もわたしをあてがわれた意味も知らぬ子供は、随分大きくなった。
 この腕にすっぽり包めたのが、昨日のようだというのに。大きく。
 知識も教養も、この年ごとの子供としては申し分なく躾けた。深い意味などない。そうして信頼させていた方がいいと思ったし、暇だったから。…それだけなはずだ。
 別に、本来ならこのくらい教えられていただろう、などと。憐れんだわけでは、ない。
「おかえりなさい」
 きゅ、とくっついてくる子供の頭を、そっとなぜる。さらさらとした髪。そういえ少しだけ触れたばあの男の髪も、こんな風だったけれど。こんなに穏やかに触れたことなどない。
「…鈴様。ただいま帰りました」
「私、また本読んだよ。だから続き、その前に、藍」
 子供は嬉しそうな目をしてこちらを見上げてくる。
 そう、嬉しそうだと思う。笑顔があるわけではないけれど、けれどうっすらと染まった頬とか、きらきらした目とかが、とても。
「一緒にいただきますしよ」
「―――ええ」
 閉じ込められて忌みをこめて見つめられて、そのうち迫害さえされる運命を背負う子供。それはわたしより『不幸』なはずなのに。
 幸せそうなことが、苛立つはずだと思う。
 けれど、なぜだろう。なぜ、私はこの子供に真実を教えない? あなたは外に出れば忌まれることになるのですと。今はまだ大丈夫だけれど、災いが起きる度に無意味に血を流さなければならないのですと。
 なぜ、私は。
 あしげく大嫌いな族長の元に通い、この子を儀式に使わぬようにと手をまわしているのだ。
 外には怖いものがあるから、と、必要のないウソをついているのだ。
 絶望を与えて、心を殺して。そうして人形にした方が、きっと、目的の役に立つと言うのに。
「…藍?」
 嬉しげだった瞳に、不安の影が落ちる。
 …哀れな子だと思う。わたししかよるべのない、哀れな娘だと。
「…どっか、痛いの? 外、痛かったの?」
「…そうですね」
 この子は知らない。
 たった1人の頼れるものが、どれだけ暗い思いを抱えて生きてきたのか。自分を利用しようとしているのか。
「けど、今は。鈴様がいつから大丈夫です」
 幼い頬を両手で撫ぜる。
 哀れで不幸なはずの娘は、幸せそうに微笑んだ。


 そんなことがあった後、またそいつに会わなければいけなくなった。
 定期的な連絡を終えた次の日に、人死が出るとは運が悪い。
 それなりの地位があったそのジジイが死んだ理由は、ただの老衰だけど。この里は、黙っていれば『忌み子の所為』だ。
 ―――素晴らしい人柄と血筋とを誇るあの方が亡くなられるなど、忌み子の巻き起こす災禍に他ならない。と。
 ああ。くだらない。馬鹿らしい。本心では耄碌じじいが死んで清々したくらいだろうに、周りの連中は。
「…おかしいな」
 ぽつり、と投げかけられた言葉に、答えはしない。ただ、部屋を出ることはできなくなった。
「この屋敷を出てからの方が、私のところへあしげく通う。おかしいな」
「……常に忌み子の動向を伝えるのは、今のわたくしの役目でございます」
「動向? 健やかに育つ様しか伝わってこない、別に知らせる必要はないだろう」
「ええ。健やかに育っております。だからこそ、」
「御するために今は傷つけるな。…結局はそれを伝えに来ているだけだろう」
「それも全て御身のためでございます」
 深く頭を垂れて言ってみた。特に意味ある動作ではない。ただの反射だ。
「アレが強い魔力を秘めているのはご存じのとおり。幼い意識はそれを抑えきれません。軽々しく傷をつけては、暴走を招きますので」
 そう、それだけだ。暴走に巻き込まれて死ぬなんて、つまらない理由でこいつが死ぬのが嫌なだけ。もっともっと、苦しめないと。気が済まないだけ。
 静かに瞼をとじる。
 何の前触れもなく、ぱん、と頬をはられた。
「今はそういうことにしておこうか」
 一瞬前の狼藉を忘れたかのように涼やかな声に、ますます深く頭を垂れる。
 別に、珍しいことではないから。今さら驚きはしない。
「…とはいえ、いつまでも甘い態度をとっていると、私もあらぬ疑いをかけられる」
 疑い? …ああ、己の娘だから甘やかしているのでは、か。
 …あの子がこれから生まれた事実は、ほんの一部しか知らないけれど。そのほんの一部は口うるさい一部と言い換えてもいい。
「…おかしな顔をするな。私がアレに娘だから情をかけるとでも思うのか? お前も」
「…まっとうな親なら、かけてもいいんでしょうけど。あんたにはないでしょ」
「ああ、ないな」
 あっさり言い放たれ脳裏に浮かぶのは、『己が忌み子産んだ』事実に心を病んだ奥方。
『もうすぐ生まれてくるはずなの…』
 もうその『もうすぐ』は来たのだと。そのことを忘れ、日がな一日空を見て笑い、とうに膨らみの失せた腹をさする姿は、中々どうして薄ら寒い。…元のあの方を知っていると、哀れだとは思うけれど。
 …だというのに、やっぱりこいつはこれか。
「昔から根性まがった御曹司だと思っていたけど。てめぇの娘にくらい関心持てないわけ?」
「娘、ねえ?」
「関係ないと言いたそうね。男は気楽よねぇ。自分の腹から出てきたわけじゃないものね。でもあの奥方に不義を働くような発想はないでしょう。顔もあんたに似てるし」
「ああ。そんな度胸がないということには賛成だ。しかし、確かに実感はないかもしれないな。…そうか、似ているか」
 似ているか、と。そのトーンが少し変化したことに、その時わたしは気付かなかった。
「寝てるともうそっくりよ」
 気付かずに、浮かんだものは。少なからず似ている顔で、まるで似ていない表情を見せる、あの幼い子。
「…ほう」
 だから、色濃く嘲りをにじませた声に、少し反応が遅れた。
「お前が俺の寝顔を見たことなんてあったとは思わんが。いつも主人を置いて先に眠りこけていただろう」
 その分だけ続いた言葉に、声を失う。代わりにこみ上げるのは、とほうもない嫌悪感のみ。
「ああ、しかし。朝は決して俺より後に起きることはなかったな。影も形も残さず、見事に消えていた。そうか。その時寝顔を眺めるような可愛らしいマネをしていたのか」
 甘やかすような口調のその声が、かつて本当に甘くとろけたことを知っている。
 その裏に潜む毒に気付いたつもりで、まったく気付かぬまま。飲み干したことが、ある。
 …それは、とても。とても昔の話のように、感じる。
「何の話でしょうね」
 昔のこと、だと思うのに。まだ心は鮮やかに抉られる。
 一時でもこいつを信頼していた時期があるという事実は、深く深く痛みを広げる。
 ―――冷たくされても、アイサレテイルなんて。そう錯覚した、事実に。
 気付いた時から、ずっと死にたい心地でいる。
「清廉潔白をよしとする族長様が下賤な外の血が入った娘など相手にするはずがないでしょう」
 何度も唇に乗せた言葉を投げつける。
 何度も、何度も繰り返したと言うのに。
 おかしそうに嗤う顔になにも感じなくなることはないのが、ひどく不思議だった。


 一目につかぬように帰路へと急ぐ。山奥に隔離された、塀だけが立派なそこを目指す。
『いってらっしゃい…』
 わたしが外へ出かける度に、寂しそうに、泣きだしそうに。そんなことを言う、幼子のいる場所に。今日もまた帰っていく。
「………わたし、は」
 あいつに復讐を。わたしが味わった以上の、苦痛と恥辱とを、あいつに。
 それだけのために、死なないでいたのに。
「……」
 それを遂げた後。あの子はどうなるだろう。どうなってしまうのだろう、と。
 どうしてそんなことを、考えてしまうのだろう。
 無造作に拳を握る。あの子に触れるためにと短く抓んだ爪は、それなのにかつてより深く手を抉った。



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とりあえず間章。次辺りから話が動くけれど。その前にどういう状況だったのかを書いておきたかったんですよという話。
2010/12/20