昔昔、まだこの国にお城があり、それに仕える魔術師が絶対的な権力を有した時代。
 その時代に栄華を誇った一族がありました。
 その力が血脈にこそ宿ると疑うもののいなかったその時代、一族はそれだけで発展を続けました。
 そうして、幾歳過ぎた頃でしょう。
 一族の中に、真白い髪と赤い瞳を持つ子供が生まれました。
 子供は、その美しさゆえ、一族の奇跡と扱われました。大切に、扱われました。
 そうして、子供が10になったころです。
 子供は、己に与えられた屋敷を抜け出し―――当時の都に火をつけてまわりました。
 都に火を放った咎を問うより先に、子供は己の放った炎にまかれたため、なぜそうなったかはわかりません。
 しかし、その子供を生み出した一族は、当然積をとることになり、咎を受けました。命を失ったものは数知れず、それまでの栄華の全てを捨てることになりました。
 ああ、憎しや、あの子供。
 ああ、憎しや、あの都。
 怨嗟を抱えながら落ち伸びた一族は、ある森の深くに根付きます。
 自分達は決して間違えていないと、疑うこともせずに。そのまま、それ以外を恨み迫害するようになりました。
 火をつけて回った子供の心など、誰ひとり考えることのないままに。あの赤は災いの証だと定めながら。

 それは、遠い昔の話。
 里の一族にすら忘れ去られた、遠い話。

 ただそれだけの、遠い昔。


18 years ago

 そういえばこの部屋に呼び出されるのは久々だ。
 そんなことを想いながら、黒塗りの扉を眺める。
 『外』でははるか昔にすたれた様式の、ふるめかしい扉。金だけはたっぷりかかっていて、掃除が面倒だと知っている。
 そして、その中にいるのが、人を人とも思わない男だと言うことも。
「―――藍。参りました」
「入れ」
 それでも、呼ばれればいかないわけにはいかない。
 親を亡くしたその時から、わたしはその男のモノなのだから。

「早かったな」
「旦那様の申しつけとあれば、なにをおいても参上するのが我らの命題でございます」
「なにをおいても何も…お前は今暇なはずだが」
「お言葉ですが、使用人というものは、申しつけられずとも仕事を見つけるものでございます。暇など、与えらぬ限りはとてもとても」
「そのようなものか」
 く、と笑う声は、満足げに聞こえる。
 満足などしてないくせに、なにをへらへらと。さっさと本題に入れ。お前の顔なんてみたくもない。
「…さて。では、忙しい使用人の邪魔をしていけないな。
 話というのは、他でもない。お前にしか任せられないことが出来た」
 黒い瞳がすぅ、と細められる。喉だけで笑っていた先ほどとは違う、心の奥底から楽しそうな笑みだ。
 なるほど、ならばそれはろくでもないことなのだろう。
 口に出すことはせず、ただ頭を垂れる。わたしが声に出すべきは、何千何万と紡がされた決まり文句のみ。
「この身はただ御身のために―――なんなりと申しつけください」
 顔など見えずとも、ゴシュジンサマがおかしそうに嗤うのが分かる。
 何度も何度も見てきた顔で。何度も何度も、向けられた顔だ。
「そのように構えずとも良い。ただ子供を1人、預けるだけだ」
 子供? …わたしに?
 胸の内だけで呟けば、冷たい予感が広がる。
 今、こいつが、預けると言う子供など、1人。
「話には聞き及んでいるだろう? お前は出産の現場にも立ち会ったそうだからな」
 わたしは答えない。声をあげて良いと言われたわけでもないから。
「昨日、当世の忌み子が現れた。
 嘆かわしいことだが、掟に従い早々に対処しなければならない。そのための家までは、道を作らせておいた。ことがことだから、内密にだが」
 ああ、そんなこと、聞かされるまでもない。
「アレを移すのは、今晩中にしろ。目につかぬように、お前が。
 そうしてアレを育て御しろ。それが今からお前の仕事。他のことはせずともよい、……が、お前がいないと妻が嘆くな。たまには戻れ」
 他人事のように語るこいつより、よく知っている。
 だって、それを生んだのは、わたしの仕える奥方だ。とりあげる瞬間、わたしも傍にいた。
「…さて。顔を上げろ。なにか言うことはあるか?」
 言われるまま顔を上げる。けれど、言うことなど。こんな男に告げる言葉など、あるものか。
「族長の決定に、わたくし如きが口を挟む権利があるでしょうか。この身はその温情に生かされる身。ただ御身」
「その科白はおかしいのではないか? 私は今まさに族長としての責務を一つ放棄したのだから」
 さも弱ったとでも言いたげな声色に、ぎり、と握りしめた拳に爪が食い込む。…気色悪い声まで作って、そんなことまで言わせたいのか、こいつは。
「…確かに先日の行為は先例に逆らう行為。しかし、真実を知るものは皆感服するばかりです。
 あの判断は、奥方を守るためのものなれば」
 忌み子を産んだ腹は、そのまま処分されるのが『掟』。
 けれど、今回は。わたしの奥方は殺されていない。
 その代わり、取り上げた女は、わたし以外全員殺されたけれど。…忌み子が生まれた事実自体は隠蔽しきれるものでないので、代わりに誰かが産んだことになって身代わりになるのだろう。さらに死体が増えるわけだ。
 事実を知り生きのこるごく一部の人間の中には、そうして妻を生かす夫を、甘いと評する者もいる。そこまで想われて羨ましいこと、と、言う声もある。
 …くだらない。
 確かにあの奥方は生かされた。生かされたけれど、自分が生きるために幾人も死体に変わったことを無視出来る人でもない。そうでなくとも、掟にどっぷりつかった彼女は、忌み子を産んだショックでまだ寝込んでいる。
 ふわふわと柔らかくて優しくて、可愛らしい奥様。
 その心がふわふわとどこかに行かないことを願う程度には、好意を感じている。こいつに対してよりは、よほど。
 けれど、生かしたこいつに感謝する筋合いなどあるものか。ただ、そちらの方が面白いから。―――に、決まっているのだから。
「…私はそんな決まり文句を言えと命じた覚えはない」
 ほんのすこしだけ不愉快気な顔をするのに、少しだけ胸が軽くなる。その程度で浮かれることなどできないほど重くなった胸でも、少しは愉快だ。
「言うことはあるか? 藍。
 これから鬼籍に入れられて、ただ忌み子と歩むことになったことについて」
「…わたくしは」
「言うことがないかと聞いている。―――逆らうのか?」
 無駄に整った顔から、笑みの最後のひとかけが消える。
 冷たいその顔の方が、よほどらしい。
 そう馬鹿にしたい心地と、それに逆らえないみじめさが、口元をゆがめる。
「…今更」
 慇懃無礼に整えていた声色を捨てて低く呟けば、目の前の顔に再び笑みが戻る。腹立たしい。
「鬼籍もクソもないでしょ。元からあんたらに人間扱いされた覚えない。精々奥方くらいね、優しい言葉をかけてくれるのは」
 血の古さが狂的に支持される里で、外の父親を持って生まれたその時から、母と二人蔑まれて生きてきた。死んだことにされた方が、いっそ幸せだったかもしれない。
 母が死んだ時は、当然のように追い出される―――冬の森に追いだすことなど、殺すのと大差ない―――はず、だった。
 それでも、こいつが気まぐれにわたしを拾った。
「ひどいな。死体扱いはしていないだろう」
『―――と言う名は捨てろ。新しい名を名乗れ。そして、我が一族のものとなれ』
 傲慢そのものでそう告げたことも、この狂った里では美談らしいのが怖い。
 情けをかける価値もない外の娘に、仕えるべき場所と名乗るべき名を与えた慈悲深い次期族長。
 …情けをかける価値を血すじなんかに置いてるのがおかしいんだと気付かぬヤツらは、馬鹿正直にこいつをそう評している。
 しかし、実際。こいつに慈悲など欠片もないと仕え続けて知っている。
「家畜扱いを生きていると評するかどうか、あんたとは昔から意見が合わない」
「家畜? 私がいつお前をそう扱った?」
 く、と喉の奥だけで笑う声が、再び響く。
 ぐい、と短くつまれた髪をひかれた。
「お前は私のモノだ。捌いて誰かれ構わずふるまうなどするわけがないだろう」
「………」
 ああ。この顔に唾でもはきつけたら、少しは愉快だろう。
 まだ命は惜しいから、しないけれど。
 否、命など惜しくない。生きている価値などわからない。けれど、この顔を心底恨めしげにゆがめさせるまで、死ぬ気すら起きない。
「飼うとしたら飼い殺しだ」
「……誰が、あんたなんかに」
 殺されるのは、あんただ。
 呟かなかった言葉が聞こえたように、ゴシュジンサマは嗤った。


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 鈴の生い立ちは不幸です。不幸なんだけどこんなのに父親されるくらいなら不幸の方がマシだろうなあとこの後の展開を見ながらそっと思う。もしなにもなく生まれていたなら、適当に『いい父親』してる顔を見て育ったのだろうけれども。
 そんな感じの第二話。こんなノリでこれより酷くなりながら続きます。
 あ、あとこれ鈴+藍と書いてはいますが実のところ藍とこの人の話です。どろどろとした。もしかしたら愛情だったのかもしれないお話。間違いなく頭に歪んだとかつくけれど。
 2010/12/05