それがかかってきたのは、犬もどきと遭遇した、実に3日後だった。
『なぜ殺したぁ!』
 キーン、と耳鳴りがする。
 なんだか物語の被害者の遺族みたいな台詞を上げたのは、受話器の向こうの弟。
『なーんーでー生かしてこないんだよ! 死体じゃ調べられること限られるんだよ魔物の形成に使った魔力反応で犯人特定? できるけどな、やったけどな。魔力つーのは個人個人で違うもんだからなぁ! けどできるかアホ! 組合に登録されてる魔術師だけでどれだけ数がいると思ってんだ!
 それを調べんのはオレ達も手伝わなきゃならねえんだよ、ああもう死ぬっ』
「いや、その、成冶」
『とか思ったら仕留めたのは民間の退治屋だつーじゃねぇか。しかもあんたじゃねえか!
 アンタこっちのそういう事情分かってながら仕留めるって鬼か!』
「成冶、オイ、そのだな。とりあえず落ち着け」
 どうどう、と呟くと、ようやく弟は落ち着く。
『…なに』
 けれど、帰ってきた声は、地獄の底から響くように低くて暗い。
「…その、それ、わりと強かったから、中々生け捕りは…」
 3人では、ちょっと、難しかったかな。
 思わずぼそぼそと言ってしまう俺に、弟は「3人?」と呟く。
『…ああ、そういえば、実際にしとめたのは、攻撃魔術だったな…武器使ったわけでもないあんたにあのがちがちに魔力で強化された皮膚破れるほどの技術はねぇ、か…』
 失礼な、と思うが、真実なので黙る。
 そのままぶつぶつと呟く内に、落ち着いてきたのか、弟は常の静かな声で呟く。
『…ん、忘れたけど、その仕留めた奴、なんて言うの』
「お前…まさか忙殺の腹いせにどうこうする気じゃねえだろうな!?」
『そう、月のない夜に気をつけて歩くように言ってね…なんて、するわけないでしょ。ただの興味。関心意欲態度。一撃で仕留めるなんて鮮やかじゃないか。生け捕りにしてくれれば最高だったけど、もう仕方ないから身体マトモに残ってたことに敬意払うよ…』
 いや、すげえ不機嫌そうに言われても、信用できない。…けど、隠したところで、調べようと思えば即調べられる。なら手間をはぶいてやろう、せめて。
「なんつったけね…ああ、そうだ、鈴。須堂鈴」
 あの夜名乗られた名前をどうにか思い出して伝えれば、息を飲む声が聞こえた。
『……ふぅん。そっか、…そっか、あの子か…』
「…知り合いか?」
 苦々しい…けれど、どこかくだけだ口調に、疑問符が浮かぶ。…同時に、こいつちゃんと友達いたのか、安心したりもしてしまう。…昔は、変に頭の回るガキだった所為で周りとのそりあい悪かったもんなぁ。
『…まぁ、知り合いって言えば、知り合いだねぇ。正確には彼女のチチオヤと、だけど。…その人、魔術武器職人で。昔学校で講義してくれてて。色々聞きたくて、その後も店にいったら、何回か顔合わせて』
 はぁ、と感心だか呆れだか知れない、深い息をついて、成志は続けた。
『…そっか、ならそりゃあ鮮やかなのも頷ける』
 ふ、と漏れた声は、果たして溜息なのか、笑声なのか。
 どちらにしろ深い疲れを見た気がして、知らず声が低くなる。
「…まぁ、あれだ。頑張れよ」
『…そこで無理するなとは言わない辺り…兄貴だね』
 うん、そうするよ。
 言うなり切れた通信に、なにか重いものが、胸をかすめた。

「…そこで無理するなとは言わない辺り…兄貴だね」
 呟く自分の声は、なぜか笑声交じり。
「うん、そうするよ」
 兄の答えを待たずに受話器を置く。自然と、はぁ、と息が漏れた。
 …このところ、激務通り越して嫌がらせっぽい作業を続けていたが、叫ぶだけ叫んだら少し楽になった気もする。…まぁ、錯覚だろうけど。
 苦笑しつつ、オレは連絡室を出て、食堂へと歩き始めた。

 ちらちらといる知った顔に笑顔を返してたどりついたそこは、妙に眩しく思えた。けれど、食欲があるかと聞かれると悩む。少し面倒だ。
 それでも、とりあえずスープとパンだけを注文して、窓際に座る。そこからのぞいた空は、明るい。…いい天気だなぁ。あんまり出てなかったから意味ないけど。…それにしても、今のこれって、昼食だっけ? 夕食だっけ? …不健康な疑問だ。
「あー。相崎」
 思っていると、背中から気さくに声をかけられた。
 ゆるゆると振り向く。ゆるやかに波打つ黒い髪を短く切った小柄な少年は、見知った人物。
「……谷川」
 ぽつり、と呼んだ声は、我ながら淀んでいる。眠そうだ。
「向かい、いいか?」
 無言で頷くと、奴は笑った。そのお調子者っぽさ全力の笑顔で。
 谷川冬悟(せがわとうご)。かつて席を置いた統都魔術師学園での学友というか、迷惑やら何やらをかけられた仲だ。
「にしても、すげえ顔だなぁ…徹夜? …また忙しいの?」
 山もりのパスタをすすりつつ問いかける谷川に、オレはにっこりと笑ってみる。
 すると、奴はびくっと肩を揺らした。怯えた顔をした。…失礼な。
「…忙しくないお前が心底うらやましいくれぇにな」
 口調がひがみっぽくなるのは、仕方ないことだと思う。
 まぁ、かという谷川の所属は薬の開発調合。…攻撃魔術なんて微妙に生産性ないところにいるオレと違い、常時忙しいところではあるのだが。
 常時忙しければ、そもそも犯罪の調査なんて回されないんだけどな…
「そりゃ、成冶クンは有能さんなんだからしかたねーだろ」
「下働きだからコキ使われてるだけだよ…第一、オレ程度はわりといるよ」
 スープの中の人参を無駄にフォークで切り分けつつ、オレは呟く。
「例えばお前とか」
 静かに言うと、谷川は笑う。人懐っこい印象の青い瞳を細めて、静かな―――落ち着き払った顔で。
 有能と言うのなら―――魔術の才が大したことなくとも、ひたすら仕事早くて、かつ自分を効率的に売り込める、こういうのの方が上だ。
 焼け野原作っても、組合はそこまで喜ばない。喜ばれても出世はしない。…警軍なら、また違うだろうけど。
 それでも…そっちは嫌だったのだから、仕方ない。
「ま、そんなこたぁどうでもいいよ。
 それより、んながっつりクマつくってやってたの、やっぱアレか? あの犬もどき関連」
「お前魔術師なんだから合成魔物キメラって言え。犬にもてあそばれてると思うと泣きたくなる」
「いいな、お前の泣き顔とか写真とったら売れそうだ」
「…なに馬鹿なこと言ってるんだよ。誰に売るって言うの」
「お前が昔ぼこった奴らとかー。お前が昔ふった女とかー。色々使えるらしいよ?」
 なにに、とは聞かない。色々と怖いから。ただ、代わりに深い息をつく。
「…オレのぼこった相手はお前もぼこってるし、オレがふった相手は、元々お前がコナかけて失敗したんだろ…そのフォローをオレがしてたのに…。…よく連絡取る気になるな。っていうか売るな。勝手に」
「じょーだんだって。ムキになるな。フォーク向けんな。その、目にぶすっていっちゃおうかな、って顔止めろ」
「…お前のは冗談に聞こえないよ、谷川」
「お前の脅しも冗談に思えないよ、相崎」
 はは、と笑う谷川に、オレは笑い返すことが出来ない。ただ、ふ、と息をつく。
「…で、魔力反応の照合終わったの?」
「んな強引に話戻さなくとも、刺さないよ…」
 す、とフォークを下ろしながら思い返すのは、つらい戦いの日々。魔術師組合に登録されてる魔力反応、延々と容疑者のものと照らし合わせる日々だ。
 人には、各々の魔力がある。各々の魔力、その反応というか…性質は、決して誰かと同一ではない。指紋のようなものだ。決められられた指数に従い文章化――も試みられたが、実際は絵…むしろ紋様として残しておくのが限界だった。
 そう、ぱっとみ分からない。つまり、それを照らし合わせるのは、とても手間がかかる。それでも。
「…終わったよ。ここいら近隣にある分には、な…それでも、組合に登録してる奴だけどな」
 あー、と谷川は何とも言えない顔になる。…たぶん、オレも同じような顔をしている。
「…言っちゃあなんだけど、そーゆーの嫌いな魔術師の方が、犯罪に走るからなー…」
「言うなそれは…」
 あー…言われると改めて気が重い。そう、魔術師組合は魔術師全員が登録するわけじゃない。登録した方がなにかと有利だし…研究施設もある程度使えるので、ほとんどはするが。谷川の言うとおり、反社会的な人間ほどそれを嫌う。そんな風に管理されるのなんて、冗談ではない、と。
「…前科持ち、は真っ先に警軍がやってるけど」
「めぼしいの、なかった、と」
「そ。かすりもしねぇ。
 …もう、作った魔物のコントロールミスって食い殺されていればいいのに…」
「…相崎…俺そっちにいねえ…お前の見てる場所には空気しかねぇ…」
 はは、と意識せずとも漏れる笑声に、谷川は珍しく顔を青ざめさせた。
「とりあえず寝ろ。たぶん全てはそれからだ」
「うん、寝るよ。やっと帰れるからね」
「…そ、それは良かった」
 答える声は、なぜか微妙に引きつっていた。

 そんなこんなで谷川と別れ、やはり久々に研究所の制服ではなく私服へ袖を通した後。
 オレは、朝食の買い物をした後、寮への道を歩いていた。
 なんとなく見上げた空は、薄く夕焼けに染まっている。もうすぐ日が落ちる…ということは、さっきのアレは、少し早目の夕食だったわけだ。
 苦笑しつつ歩くオレの脇を、はしゃいだ子供が走っていく。どちらの男で、…10に届くか否かといったガキだ。
 夏特有の暑さも、あの年頃には関係ないというわけか。ついでに、この町へ出没する魔物の被害も、まだ遠い世界のことと処理されているのだろう。
 …平和、だよなぁ。これだけ見ていれば。
 いや…普通に暮らしてたって、あんな事件珍しくもないのかもな…
 魔物の被害は、いつものことと言えば、それだけ。彼らは人を、他の生き物を襲い、血肉をすする。それが彼らの本能だからだ。ただ、珍しいのは、それが魔力を宿した防壁を超え、魔術師の最新技術が集う上実木街内へ侵入しているという事実。いや、それさえもありえぬことではないけど―――それが、いつまでたっても駆除しきれないことは、珍しい。
 初めての生存者が出たあの日から、警軍も、ついでに民間の退治屋も、3、4匹を駆除していると言うのに…被害はやまない。一時より少なくなったとはいえ…まだ、終わっていない。
 終わらない限り…国のために武力を振るう警軍も…ついでにその力大衆の平和と発展のためにと謳っている魔術師組合も、休めやしない。
 …まぁ、今は休ませてもらうけど。すげー眠いから。
 思考を強引に切り上げ、いつのまにか緩んでいた歩みを早くする。そうして、一刻も早く寮へ帰ろうとした。その時。
「成冶?」
 殆ど反射で振り向く。そこにいたのは、見知った顔。…見知っただけで、特に親しくはないのだけれど。つい最近思い返した顔だ。
「鈴ちゃん……?」
 声は、引きつっていなかったと思う。けれど、内心はどこまでも硬い。
 …なんで、こう、タイミング出てくるんだ、この女。
「…私、だが。なぜそこで固まるんだ、お前」
「…いや、会うと思わなかったから、びっくりして。…鈴ちゃんも買い物帰り?」
「ああ」
 言って、彼女は静かに頷いた。…会ったのは久々だけど…相変わらず、動作の一つ一つがやけに静かだ。ついでに無愛想だ。…口調といい動作といい、残念な感じに。…この辺り、養父似だよな。恐ろしく。
 彼の養父たる、子供見たら泣くほど無愛想な魔術道具職人の顔を思い出しつつ、オレはにっこりと笑う。
「大変だね…けど、君は料理が好きなんだっけ?」
「好きと言うか……どうせならうまいものを食べたいし、食べさせたいじゃないか」
 ごく真面目表情で言う彼女は、どっさりと重そうな買い物袋を抱えている。ついでに、どこまでも軽いオレの袋を非難するっぽく見つめてたりもする。もっと食べろとでも言いたげだ。…こういうところは、養父に似てない。養母似だ。
 …本当、変なとこお節介なんだよなあ。……お節介なぁ。
 お節介といえば、むしろ、彼女より―――
「ねぇ…君がいるってことは、もしかして」
 言い切る前に、あまり聞きたくない声が背中から響いた。
「うあ成冶さん」
 声の主は誰か―――とは、確かめるまでもない。彼女の傍にいるのは、同居人でもある相棒だ。
 いきなりうあとか言いやがったこの騒音恒常発生機。
 僅かに苛立つものの、振り向いて口から出たのは、無意味に朗らかな声。
「舞華ちゃん。相変わらず元気なあいさつどうもありがとうございます」
「…ええ、あなたも相変わらずそののっぺり能面ちっくな笑顔は健在みたいで。すっごく成冶さんに会った、って自覚で胸がいっぱいになるわ。胸やけがする」
 やけに不機嫌な表情で紡がれる言葉は、いつも通り。とげとげしい。
 初めて会って、しばらくしてからこうだ。なにが気に障ったのか、分かるような分からないような気持ちだが。和解する気にもなれないので、そのままちくちくと毒にも薬にもならないような馬鹿な返しをしてしまう。…馬鹿なこと返してしまう辺り、オレも所詮は同類、か。
「何度か言ったけど、人の顔に能面とか言わないでくれない?」
「それが嫌なら面の皮分厚いって言い換えてもいいわよ。馬鹿にされてる気がするのよね、あなたと話してんの」
 馬鹿にしてるからな、あんたのことは、事実。
 よほど言ってやろうかと思ったが、それももはやおっくうだ。黙って言われるままに任せると、それはそれで不機嫌を煽ったらしい。
 その唇が何事かを紡ぎかけ―――
「……舞華」
 ぴたり、と止まった。
「なに、今いいとこなんだけど」
「そんなことで盛り上がるな。…成冶、お前も」
 不機嫌な顔をする相棒をかるくいなして、鈴はこちらをしっかりと見つめてくる。
「こいつの相手してるより、寝た方がいい顔色してるよ」
 …彼女のこういうところが、オレはとても苦手だ。
 その、自分のこと棚上げたお節介さに、誰かを思い出すから。縁を切るに切れない誰かを、思い起こさせるから。
「…寝てた方が良ければ寝てるよ。最近ひきこもってたから外の空気が吸いたくなったの」
「…そうか?」
「そー」
 未だ不満げな…と言っても微かなものだが…不満げな顔をする彼女は、ふ、と思いだしたように言った。
「…そういえば、最近、お前の兄に会った。…これから礼を言いに行くよ」
「うん、聞いた。大変だったそうだね…兄は気にしてないと思うけど」
「しかし、こういう礼を欠くのは良くない」
「そう」
 頷きながら、苦笑する。
 彼女が相崎拓登をオレの兄と悟ったことに不思議はない。
 彼女に兄のことを話したことは…1、2回あった気がするし、姓が同じだし。でも。
「似てないよな」
「そりゃ、兄貴はお人よしだし。ついでに見た目が父親似だよ」
「そうか…お前女顔だからな…、……あ、引きとめてすまない」
「いや、引きとめられたってほどじゃ、ないって」
 僅かに目を細めたオレに気付いたのか、慌てていう彼女。…彼女のこういうところは、嫌いじゃない。
 …気に障ったのは、女顔の方だけど。それを言うのもそれこそ女々しいので止めておく。
「じゃ、オレ帰るよ。物騒にならないうちに。君も気ぃつけてね。強い人の油断ほど危ないもんはないよ」
 言って、くるりと背を向けようとする、と。
「…そういうセリフ出てくるお前も、十分お人よしだよ」
 静かな声が聞こえた気がしたが、オレは今度こそ無視をした。
 言いたいことがなくもなかったが―――ともかく、眠かったのだ。

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