「お前、なにも、してないけど、」
 ―――でも私は。どうしていいのか分からなくなった。
 そう伝えようと思った。ちゃんと伝えようと思った。けれど。
 振り向いたその時、見たあいつの顔に。
 何も言えなくなって、思い知った。
 信用していなかったんじゃ、ない。…嫌いだったわけでも、ない。
 それでもずっと、消えなかった引っ掛かり。違和感のような。罪悪感の様な。おかしなその刺の理由。

 私はきっと、言葉だけでこいつを殺せる。

 それを思い知らせる顔に、何も言えなくなったんだ。

歪む刺

 ……何も言えなくなって、つい出てきてしまったけれど。
 一人でベンチに座ってる女って、どうなんだ。しかも辛気臭い顔でって。どうだ。
 夜の町をぼんやりと眺めていても、どこに行きたいかは浮かんでこない。
 一人で行きたいところなんて、特にない。
 どこかにいくより、家でゆっくり家事でもしていた方が、面白いし。
 でも、今、家にいるのは辛い。家にいて、これ以上あいつに変な顔を見せるのが、嫌だ。
 傷つけるのが嫌だと思う。大切だとは、思っている。幸せになってほしい。
 でも、重い。怖い。
 その理由を悟ってしまったから、余計に。
 思えば昔から、あいつは何かをしてほしいとか、頼んでこなかった気がする。
 何度か一緒になってくれとは言われたが。それだって、最初のころだけで。…関係ないとつっぱねて、一人で姿を消すほど傷つけてあの頃から、言わなくなって。
 だから、いつも私の言うことばかりを気にしているように見えて。無理しているように、見えて。
「……」
 このままじゃ、嫌だ。
 何が嫌なのか、分からないけれど。どうしても、嫌だ。
 自分の意見がないわけじゃないだろう。自分の言いたいことが、ないわけじゃないだろう。なのに、なんで、私には。
「…私に、だけ」
 大切にされているということが、遠ざけられているようなこの感覚なら。
 とても、寂しいことだ。
 寂しいと思う理由は、家族としてなのか。それとも、などと。考える余地がないほどに、寂しい。
「………」
 どうしてこんなことなったんだろうな。私は、確かにあいつが嫌いだったはずなのに。
 わけがわからなくて、軽々しく好きだ好きだと繰り返して。器用な割にセンス悪くて、押しが強いくせにひくのは早くて。
 本当に、なにがなんだかわからなくて、嫌。なのに。
「緋那さん?」
 不意に呼ばわれた名前に、びく、と身体がはねる。顔を上げるまでもなく、その声の主は知っている。聞き慣れた声だ。
 長い髪をゆらして、風矢はこちらに歩いてくる。思わず驚いた私に、逆に驚いたような顔をしていて。
「どうしたんですか。なにも持たずに」
「…ちょっと、風にあたりに」
 多分説得力がなかったんだろう。風矢は眉を潜める。
「………顔、真っ青ですよ」
 少しためらったように、彼は言う。そのまま軽くベンチの脇の木にもたれた。
「具合が悪いようなら、横になるなり召喚石に引っ込むなりしていた方がいいですよ」
 とっとと帰るつもりだっただろうに、こちらの話を聞く姿勢だ。なんというか、……それだけ不自然なのだろう、最近の私は。
 ならばしゃんとしないと、と思っても、できない。ただゆるく頭をふるのが、今の精いっぱい。
「…身体の調子が悪いわけじゃ、ないから」
「…そうですか」
 どこか困ったように笑って、彼はそれ以上言葉を続けなかった。
 ああ、気遣われているのだろうな、と分かる。
 最近の風矢は、なにもなければ態度が柔らかくなったから。たぶん、優しくしたい女のために、そうなったから。
 それは、優しくなった、というよりは、優しい自分を認めるようになったんだな、なんて、思う。
 変化は尊い。なにも変われずに、ぐずぐずと戸惑う私には、眩しい。
「……なあ、風矢」
 だから、目を合わさないまま、聞いてみる。どんな答えが欲しいのか、分からないままに。
「お前、ベム好き?」
 ああ、やっぱり、と言いたそうな顔をした。笑顔は笑顔なのだけど、そんな感じで。…本当に、お前、自分思ってるより分かりやすいよ。
「…いやまあ。嫌いではありませんし友だと思っています。―――ですが。好きというのはなんか気持ち悪いですね」
 少し言葉を選ぶようにして、彼は笑う。いつも笑っているけれど、少し嫌そうに。
 …あいつにも、同じことを聞いたら、おんなじようなこと、言いそうだな。
 ああ、いいなあ。信頼し合って、同じものを抱いて。
 言いたいことを言って、あとくされなくて。いいな。
「……緋那さんは?」
 ―――いいなあ、と思うのに。
 同じものを向けられたいと思わないのは、どうしてだろう。
「…………嫌だ、と思うんだ」
 友達になりたいといえば、たぶんあいつは笑うだろう。曖昧な表情を動かして、…もしかしたら、嬉しそうに。
 嬉しそうに笑って、それでもまた言うのだろうか。私のことが好きだと。
 ふわふわと、現実感がないくらいに。綺麗な言葉を、繰り返すのだろうか。
「嫌われたら、嫌で。たぶん、…たぶんじゃなく、好きで」
 自然と俯いた顔を手で覆う。そのまま泣いてしまいたい気もした。
 それをしないのは、そうしてなにも解決しないと、分かっているから。
 いつのまにか当たり前で。…好きで、幸せにしたくて。でも。
「緋那さん?」
「私じゃない方が、幸せにできる気が、する」
 気遣わしげ、どころかはっきりと心配の色がにじんだ声色に、答えることはしない。
 でも、幸せには、できない気がして。
 幸せにするために、あんなにもなにもかも叶えてやるようなことはできなくて。
 ならば少しでもと思っても、あいつはなにも望みを言わなくて。否、言ってくる望みは、結局私のためになることばかりで。
 だから私しか見てないことはわかってて。それが重くて。
「私といるあいつより、お前らといるあいつの方が、幸せそうに、見える」
 答えることは二人きりに―――それ以外ない世界になるような気がして、とても怖い。
 それがあいつの幸せなのは、嫌だ。私だって嫌だし、それに。あいつだって、こいつらといて、あんなにも楽しそうなのに。それだけなのは、嫌だ。
「…緋那さん」
 再び、名を呼ばれる。軽く肩をたたかれる。軽く、だけど。なんだか奇妙にとがった動作だと思った。
 いつのまにか真正面に移動していた風矢がふう、と息をつく。
「たぶんあいつはあなたが自分のことでこんなに色々悩んでいたら大喜び―――…いえ、喜びませんね。そんな真っ青な顔してたら」
 腕を組む姿は不機嫌そのものだ。
 それなのに立ち去ることはなく、言葉が続く。
「…僕には、そこまで難しく考える理由が、よく分かりませんが」
 私には、お前が何をそんなに不機嫌なのか、よくわからない。
 だがそうは言わずに、ただ耳を傾ける。ぼんやりと、じっと。
「あいつの幸せ、勝手に決めなきゃいいじゃないですか。本人に聞かなきゃ、どうしよもないでしょうに」
 まったく貴方達は、とごちる声も、なんだかとても不機嫌だ。
 ああ、その物言いって。もしかして。
「…怒ってるのか」
「いいえ。面倒すぎて呆れています。…あの馬鹿といい、あなたといい。鈍いですね、あんたらは。なんで僕他人の恋路に何度も口挟まなきゃなんないんですか」
 …そうか、あいつらのことにも、口だしてたのか、こいつ。
 あの馬鹿、がメーと磨智のどちらをさしているのかは知らないが、たぶんそうなんだろう。
 つくづく。変なところで、付き合いがいい。
 それはそうか、あんなわけのわからない友達なんだから。そうじゃないとやってられないんだろう。
 浮かぶ思考は現実逃避で、少し安らかになる。目の前の風矢の顔は、ますますぶすりとしてるけど。
「あなた達がどうあろうが、関係ありませんが。あの朱い方の馬鹿がぶっこわれるのは、本位じゃないです。しかたないことならともかく、こんなアホのような理由ではごめんですね。
 …緋那さん。アレは野放しにすると、どこまでも暴走しますよ。幸せにしたいなら、とりあえず構っときゃいい。構いながら考えればいいじゃないですか」
 苦々しい表情で紡がれたのは、正論だ。
 正論だから、私だって、した。
「………そうしたら、こうなったんだよ」
「……あなたも大概馬鹿ですよね」
 じとりとした眼差しと共に吐かれた言葉だって、正論だ。しかし、腹立つな。繰り返されると、結構。
「家のものは大概馬鹿なんじゃないのか。そうなると」
「それ、暗に僕も馬鹿だと言っていますよね」
「…そりゃ、家で騒いだり、つまみぐいしたりしてるところを見る限りは、わりと」
 ついでに最近は小町馬鹿だ。
 だから素直にそう言ってやれば。うっと言葉に詰まる。…彼女がからむと、なおさら分かりやすいなこいつ。
 その様子に溜飲が下がって、少しだけ笑う。
 笑って、頬がひきつる感覚に気付かされる。どれだけこわばった顔をしていたのか。どれだけ、固まっていたのか。
「……」
 ぺたり、と頬に触れる。…固まったのはここだけじゃないことは、分かってる。私も。あいつも。たぶん、どっかで固まってて。
 ああ、そうだな。本当に。馬鹿で、固まってて。こうして話て、心が軽くなったって、すぐに沈んでしまうから。どうしよもないから。
 確かめようか、自分の足で。楽しかったことを、なぞったりして。
「―――なあ、風矢」
 名を呼んで、立ち上がる。近くなった目線に、風矢は少し驚いた顔をした。
「やっぱり、ちょっと遠出してくるから。皆によろしくな」
 なぜか少しだけ感じる清々しさに、微かに口唇が上がるのが分かった。
 こんなことを決めたくらいで、意味も、答えもないだろうに。
 なんだか少しだけ、明るくなった。

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