「あーつーい」
「…のにくっつくんだな、お前」
「いや?」
「………」
 なぜ聞くんだ。嫌だと言えないって分かっているのに、何度も何度も。
 なんとなく釈然としない気持ちになりながら、俺は頭をかいた。

はじけるしずく

「ねー。嫌なのー?」
「い、…や、じゃねーけど。
 …暑いだろ」
 二重の意味で。
 わりと切実な気持ちで訴える俺に答えるのは、背中にのっかった磨智のくすくすという声。
「そう言うと思って、持ってきたんだけど」
「首に、つけるなよ…!」
 ぺたりと付けられる、冷たいなにかに毒づいても、やっぱりくすくす笑われた。…お前実はそんなに暑がってないだろ。
 振り向いて文句を言おうとする。降りられた。
「はい、お茶」
「…おう」
 なんというかもてあそばれてるってこういうこというんだよな。
 しみじみと思いながら、受け取った冷えたグラスは手に気持ちいい。首は止めてほしいけれど。
「ま、暑いのは本気だよ。君、こんな太陽燦々と降り注ぐ場所にいるとか、どんだけ物好きなの?」
「暑いは暑いけど落ち着くんだよ」
「…そ、そう」
 そんな信じがたいものを見る顔されても、落ち着くものは落ち着く。仕方ないじゃないか。
 ぐびりと呑んだ中身も、グラスと同じく。冷えて気持ちいい。ほっと息をついていると、かちゃと音がなる。
「…お茶か」
 開いた扉から、顔を出す緋那。ついでに、その後ろから頭が出てるベム。
 畑仕事でもしていたのだろうか。二人とも見るからに暑そうだ。…身体に熱こもりやすいしな、こいつら。
「グラス、とってくるから座ってなよ」
「ああ…手伝う」
「ありがと」
 ぱたぱたと駆けていく磨智に、緋那が続く。
 なら僕も手伝う。とか言いそうなベムは、黙ってこちらに歩み寄ったかと思うと、すとんと腰を下ろす。大人しい。…やっぱり具合が悪いのだろうか。やたらと安らかな顔してる辺り、もしかしたらもう熱さが頭に回ってるんじゃね?
「…お前、大丈夫?」
「なにが」
「体調」
「…? 別に。暑いだけで普通。…なに?」
 珍しく心底不思議そうな顔をされて、俺は納得するしかない。…まあ、元気ならどうでもいいんだが。気のせいだったのだろうか。この違和感は。
「…なに変な顔してんの、メー君。美味しくない? 私の愛♥がこもったお茶」
 なんて思っていると、戻って来た磨智がわりと失礼なことを言ってきた。いや、失礼とかじゃなくて!
「そういうことをさらっと言うなって…!」
「熱いから?」
「とか言いながら寄るなよ! 冷えないだろ!」
 手をついて端による。ぶつかったベムが迷惑そうな顔をした。
 ぶつかりたくてぶつかったんじゃねーつーのに。
「…ま。冷える冷えないは別として。このままお昼作るのも億劫な暑さだね」
「冷たい食べもののレパートリー、吐き出し終えたな」
「外で食うのもあらかたまわったよな…」
 やる気なく相槌を打つと、落ちる沈黙。
 全ては暑さの所為だ。
 龍は肉体より精神に依存する種族だ。種族だけれども。とりあえず暑いものは暑い。俺達は所帯じみてしまっているから余計に。…肉体のあれこれにふりまわされて随分立つから。もしなんかの間違いで契約ときっぱなしだったらすけたりしてな。俺。ないだろうけどな。契約してない龍もけっこう暮らしてる町でさ。
 グラスを傾ける。旨い。…だから、別に依存したっていいだろう。どうせ精霊をあれこれと遣うとかも性にあわねーし。俺。
 …磨智が俺によってきたのは、昼飯の相談だったんだろうけど。
 もう草と肉でも茹でてかじってればそれでいいじゃないか。ゆでるのが熱いんだろうから俺がするし。
 食欲ないないいっても、食えば入る。…龍と違って、食わなきゃべちっと倒れかねないのがいるんだから、そうしないと。
 ―――ただいまー。
 なんて思っていると、食わなきゃ倒れる主人の声が玄関から聞こえる。
 裸足なのかべちべちべたべたとちょっと爽やかじゃない足音を響かせつつ、ばたんと扉が開く。
 なぜか芝居がかった動作で帽子をばさあと脱ぎながら、かなたは笑った。
「ただいまー。  そしていってきます、み・た・い・なー!」
 暑さでかなたが壊れた。
「…どうかしたわけ? お前」
「いや。暑いから無理にテンションあげてみました」
「無理ならあげなきゃいいのに」
「でも磨智ちゃん、ほら、病は気からって言うし」
 暑いのは病だったのか。それは知らなかった。違うだろ。
 言わないまま、空になったグラスに二杯目を注ぐ。
「ま、落ち着いて話すと。私湖行ってくるけどー。誰か行く?」
「私、行きたい。ついてく」
「…いいな。涼しそうで」
 すぐに答えたのは磨智と緋那。
 …そういうのに行きたいなら行ってくれないと。わからねーじゃねーか。
「僕も行く」
 まあ行くよな。お前は確実に行くよな。かなたも聞いてないと思う、緋那が行くって言った時点で。
「メー君は?」
 わくわくといった顔をした磨智が聞いてくる。
 今度はくっつかれなかったので、冷静に考えられた。
「…俺はいいけど。風矢は? 風矢は、つーか。アイツ、外出てるけど、鍵持って行ったか?」
 さっき玄関を見た時は、アイツの持ち歩いているはずのカギが壁にかかっていた気がするんだが。
「ああ風矢君いないってことはどこかで気温上げるようなことをしているってことだから。いいんだよ。どうせ私達帰ってくるまでには帰ってこないよ。
 …帰ってきたら帰ってきたで、合流してもらうということで」
 だから準備しよっと。
 けらけら笑うかなたは、足取りも軽く自室に戻っていく。
 気温上げることって。どんだけ暑苦しいと思ってんだよ。お前。
 突っ込み損ねた言葉を、冷たい茶と共に一気に飲み干した。


 そんなわけで、湖。
 足を水面につけて、ぼんやりと向こうを眺める。
 真ん中辺りに見える、かなたと、顔なじみのマスターさん達。暑い時期のここは人気スポットだ。
 わいわい騒いでいるそれに交じってきゃいきゃいはしゃいでいる磨智は、楽しそうだ。
 アイツにまとわりつかれて色々やってた俺は疲れたので、とりあえず1人岩に腰かけて休んでいるわけだが。
 楽しそうで。嬉しいな、と素直に思った。
 …ここしばらく。…ひと月ほど前から、だろうか。
 磨智は、楽しそうな顔をしていることが多いなと思う。
 …たまに小町をつれてくるからだろうか。風矢をからかいつつあの子を着せ替え人形にするのがそんなに楽しいのだろうか。
 今までアイツが俺達がいる時に小町を連れて来たの、3回だけだけど。磨智が勝手に羽堂邸に押し掛けて服を置いていっていても、俺は驚かない。
 …そう、変化はあったから。
 だから楽しそうだと、そう思うのだけど。
「…なんかな」
 脈略ねーよな。最近。いつにもまして。
 ばしゃと水面をけってみる。なんとなく落ち着かない。
 こっ恥ずかしくて口に出せるもんじゃないが、磨智が楽しそうなのに。あいつが楽しそうで不満になることなんて、別にないはずなのに。最近は小町のお陰で俺に変なの着せる機会も減って、万々歳なくらいだ。
 小さく舌打ちして、水に潜る。
 俺は気付けばあいつらのいる方とは逆の方向に泳ぎだしていた。

 どのくらいそうしていたのだろう。
 滝の音が近くなって、泳ぐのを止める。目を凝らすまでもなく、ごおごおと音を立てる滝壺が見えた。
 …涼しい。
 暑い暑いと苦しんでいるのは本当らしい磨智もつれてきたいくらいだ。
 おぶってつれてくれば不可能じゃないかもしれなくとも、そんな心臓に悪いこと、したくねーけど。
 ここはあくまで滝に近いだけで、深さ、そんなんじゃねーけど。突然がくっといくことなんてざらにある。あいつ、ちっちぇーし。俺の背中が冷える。
 というか、俺だってこのまま近づいたら危ない。もう一度水に潜って、岸辺に向かう。そのまま水から出て、立ち上がる。
 滝のお陰で随分涼しい。のだけど。水に潜っていた間よりは随分暑く感じた。
 ぱたぱたと手で自分を煽いで、手近な岩に胡坐をかく。そうして辺りを見回して――――
 向こう岸の木々の影に、見飽きた薄緑を見つけた。
「…ふ」
 一応声をかけようかと思い、すぐに止める。
 あいつの隣に見えた、紅白の衣装。
 かなたじゃないが、風矢が帰ってこないってことは。まあ8割小町関連だ。涼みに来てるのか森に来てるのか、わかんねーけど。ともかく二人で来ているのだろう。
 それならわざわざ呼びとめることはない。どうせいがみ合うようなことになるんだし、俺達。
 1人頷いて、口をつぐむ。
 歩いて戻ろうと立ち上がり…こけるかと思った。
 わざわざ身体の向きを変えることなんかなく立ちあがったから、見えてしまった。
 何の因果か木の少ないとこだったせいで、わりとばっちり。
 迷わず水に潜って、できる限りの速度で泳ぐ。
 冷たいはずの水が、やけに熱いものに感じた。


 泳いで泳いで、目についた岸辺をべしっと掴み。
 気持ちとしては這い上がってべたりと地べたにあおむけになる。太陽が熱い。
 …あいつ、あんな顔できたのか。あんなゆるみまくった顔。
 俺に対するアレとの差は何事だとか文句言いたいところだが、俺に見られたと知ったらものすっげえ不機嫌になりそうだよな。
 俺だって見たくないと全力で言い返したい。あと、優しい目で見られても困る。
 何が悲しゅうて。何が悲しゅうて身内のあんな行動みなきゃならねーんだ。
 はあ、と大きく息をつく。
 見覚えのありすぎる顔が俺を覗き込んでいた。
「………メー君?」
 一瞬、心臓が止まるかと思った。
「…あ。ああ。あ。なに」
「いや、なにって…君がこんなとこで1人でいると思って来てみたら…そんな顔してるから…」
 こっちが何って感じだよ。
 不服そうに苦笑して、磨智が言う。
 …俺、まだ『そんな顔』なわけか。
 散々顔冷やしたはずなのに、なんでだ。
 …いや。絶対落ち着いてたと思うけど。そうだ落ち着いてた。
 落ち着かなくなる理由なんて、そんなもの。
 こいつの顔みてしまったからに決まっている。
「……なんで顔を逸らすの?」
「……そらしてねーよ」
「じゃあ今私の左手、どうしてる?」
 みえない。
 仕方なく顔を戻して―――戻すより先に、ぎゅっと抱きつかれた。
 岸辺に座ってる俺と、浅瀬に立ってる磨智。
 だから頭の上から聞こえてくる声は、得意げだった。
「そんなにそらしまくってて良く言うよ。
 で、なに。
 さっき散々見たのに、まだ水着が照れるとか言うの?」
 まったくもおヘタレだなあ。
 明るい声に答える余裕はない。
 抱きつく腕はゆるいから、ぎりぎり肌が触れることはないけれど。
 そもそも今更肌が触れたところで初めてってわけじゃないんだけど。
 何も問題はないん、だけれど―――……!
 ぱし、と軽い音が聞こえた。
 それが自分の手が立てた音で。しかもアイツの腕を払った音だと、遅れて気付く。
 驚いたような。悲しそうな。
 そんな磨智の顔を見て、ようやく気付く。
 耳元でざあっと音がする。全身の血の気の引いていく音だ。
「…悪」
 強い力などこめていない。いないけれど関係ない。
 だって、こいつはなにもしてないのに。急に。
「いいって」
 俺が急に―――勝手にふりはらったのに。
 そんな風に、制された。
 後ろでに手を組んだ磨智は、にっこりと笑った。
 たぶん、最高に情けない顔をしている俺を見つめながら。
「…ごめん。びっくりさせて」
 やけに明るい笑顔は変わらない。
 笑顔なのに、悲しそうで。
 まるで、あの時。俺がなにもかも忘れていたあの時の笑顔を、もう一度見せつけられているような。
「違」
「ちょっと浮かれてたから。頭冷やしてくる。じゃね」
 謝らないでくれと、そう言うことすらできぬまま、背中をむけられる。

 伸ばした手が、水面をたたく。
 ばしゃりという音が、ひどく滑稽に聞こえた。

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