当然の事実を言い淀んで損をするというのは愚かだと思う。
照れや世間体。自意識に躊躇いその他もろもろ。
それらに頭を悩ませたことは数多くあったが、今は少し遠い悩みだ。
取り繕っても理屈を探しても、身体が動いてしまうのだから、仕方ない。だから。内心の照れを隠して、涼しい顔を作る。
「小町さんは可愛いですね」
だから、こういう褒め言葉は口に出した方がいい。
少しだけ首を傾げ、ありがとうございますと頷く彼女を見ながら、そう思う。
…身近に、すごい色々言いすぎて引かれてものすごい勢いで失敗しているけれども。まあ。そこは理性と要相談と言う奴なんだろう。
そう、理性。
僕は今すごく理性を試されている。苦しいほどに。
「可愛いですが―――今度はなんですか」
目の前には愛しくて可愛い彼女。
ただし――――なぜか室内で水着。
あいくるしい
「大宇宙の意思です」
「いやそこはもういいんですけど。いいんですけど。いいんですけどね。
どうして水着なんですか。なぜビキニですか。どうしてお腹出てるんですか」
「『今日は水着を着るといいことがあるよ』大宇宙の意思はそう仰せです」
「脈略がないにもほどがありますよね。いつものことですが」
「先日風矢さんと選んだ水着です」
「覚えてますけどね!?」
覚えているけれど、ひょいと窓から覗き込んだ自室で水着にいなってる君を見つけた衝撃をどうしてくれる。
いや、正確に言えば。
『小町さん』
彼女の自室の窓に向けて、そう呼びかけて。
『はい』
僅かに身を乗り出してそう答えてくれた彼女は水着姿。
僕がとにかく窓しめてとお願いして自室に走ったことは言うまでもない。
―――今、時は雷鳴月。別に水着が不自然な時期ではないのだけど。場所が。時が。なんでこうなったと言わざるを得ない。
「似合いませんか」
「似合いますが」
似合いますが。似合っていますが。君のマスターとか、わりと水着的な格好していますが。そう言う恰好は易々と異性の前にですね。
「嬉しいです」
続けようとした言葉は、その笑顔の前に萎む。
「私が肌の出る恰好になると風矢さんはおかしな顔をなさるので嫌いなものだと思っておりました」
いや違う大好きだ。嫌いな男なんていない。
喉元まで出かかった本音を必死で飲み込む。胸が苦しい。
「このように肌のでた格好は恥ずかしいのですが似合うと言ってくださるなら良かった」
苦しいところに止めをさされた。狙ってやってるのか、この女は!
何度目か分からない思考に、内心で首をふる。天然だ。この龍は。天然でこういうこと言っちゃうんだ。本当に。
ああ可愛いなあ僕の彼女。じゃなくて。
「そういう問題じゃないんです…」
「ではどういう問題なのでしょうか」
素直に、ごく素直に聞き返す彼女は。
もし僕がともかく着るなと言えば、そうですかと納得するのだろうか。
納得して、従ってしまうのだろうか。
ずっと聞こえていた意思とやらに、そうするように。
じり、と胸が痛む。自惚れじみた考えが否定されてそれ以下と証明されることも、肯定されてそれと同じになるのも嫌だ。
負けるのは嫌だ。けれど、同じ扱いはもっと嫌だ。
「僕は君がそういう恰好してるのが嫌なんじゃありません。ひたすら心臓に悪いだけです」
だから、ただ正直に伝えてみた。
「それは嫌いと言うことではないのですか」
案の定聞き返された。
……ああ素直で可愛いなあ僕の彼女。
水着で正坐は止めてほしいところですけどねなんというかこう。眼のやり場に困る。どんな座り方でも困る気はするが。
…現実逃避は止めよう。
「……嫌いじゃなくても心の準備というものがありますし」
「心の準備ができればよろしんですか?」
「まあ、それで。時と場所が適切ならば。…水着がラッキーなら海なり湖なり誘ってくれれば良かったんですよ。
僕辺りほいほい出てきますよ。君に呼ばれたら」
「しかし大宇宙の意思は『今すぐ。早めに』と仰せでした」
「時と場合を読め大宇宙」
思わず洩れる本音。小町さんにいってもしかたないんだろうけど。しかたないんだろうけど。人の恋人になにやらせてるんだよ。
痛む頭を押さえる間に、彼女はくいくいっと前髪を撫でつける。
「…風矢さん」
「なんですか。謝りませんよ」
「大宇宙の意思が仰せです」
「へえ。なんて?」
「『若いね☆』」
「……………………………」
平坦な口調で紡がれてもなお、人をおちょくる色の隠れないありがたすぎるお告げだった。
爆発しろ大宇宙。
浮かんだ言葉を声にする気力は、なんとなく湧かなかった。
張り合っちゃ駄目だ。駄目なんだ。なにがついていようが気にしないんだから。いいんだ。
「風矢さん、なにかご用事があっていらっしゃったんですか…?」
…いつになく静かに尋ねられた。
もしかして気を遣ってくれているのだろうか。
気を遣ってくれるなら水着で寄ってこないで。セクハラい意思のおぜん立てで色々手を出したりしたら僕プライドとか諸々のものが折れるから。
脳裏を彩るのは、理性とプライドが綱引きを繰り広げる光景。
ただ、俯いている限り、現の眼に映るのは白い腿。
必死に顔をあげて、小さく咳払い。ほんの少しだけ苦笑して、気を取り直す。
「…いえ。近くまで買い物してたら、唐突に君に会いたくなって」
で、いそいそと来てみただけだ。
ついでに、びっくりさせたくなってあんな場所から呼びかけてみただけだ。
別に今なら変質者じゃないとかそんな気持ちに浸っていたわけじゃない。たぶん。
「………折角だし湖にでも行きますか? 例の、綺麗な」
「それなら是非取りに行きたい花があるのですが、お付き合いいただけますか?」
あ、そこで泳ぐより先にそっちが来るんだ。水着、本当意味ないですね。
すごくどうかと思う事実なのに、なんとなく心安らぐ。
オカルトは嫌いだ。けれど自分の好きなものに邁進してる彼女を見るのは嫌いではない。…困った性癖である。本当に。
「…まだ日も高いですし、いくらでも」
困るものなのだけれど、それでいい。
意思とやらに従ってるすがたを見ているより、ずっと。
「でも、いくらラッキーだからって着替えなきゃ駄目ですからね」
「はい」
素直に頷く彼女は、やっぱり気付いていないのだろうけれど。
怒ってるでも機嫌悪いのでもなく、妬けるからほいほい着ないでほしいんですよ。
変にサービス精神旺盛で、気が気じゃないんですよ。
口に出せば伝わるけれど、微妙に伝わりきれていないらしいその心理。
軽く溜息をついて、席から立つ。
「着替え、終わったら呼んでくださいね」
…これだけ文句を言っても、歩く足取りが軽い辺り。本当に。本当に―――重症である。
「お待たせいたしました」
見慣れた緋袴の膝でちょこんと手を揃えて、礼儀正しい礼を一つ。
そんなに待っていないのに律儀な女だった。
「…君はその格好で十分可愛い」
「可愛いから着ている服ではありませんよ? この服は」
「じゃ、いきましょうか」
いつかより知識を増して続きそうな巫女服講釈を遮って、にっこりと笑う。
小さく頬を膨らませられた。語り足りないらしい。
「……」
指でつっついて。空気を抜く。
仕掛けの一環の廊下の中、無言で向き合う姿はわりとシュールかもしれない。室内で水着より、見方によっては、よほど。
なんとなくおかしくなって、心のままに軽く唇を押しあててみた。
「みきゃ?」
ねえ。好きな女の子のあんな恰好に色々こらえて、このくらいで済ませる僕は、わりと偉いと思うのですが、どう思いますか?
聞きたい気もするのだが、触れられた頬を抑えて無表情ながら真っ赤になった彼女には聞けそうになかった。
ちなみにこの後、彼女お目当ての花を探すに手間取り、湖に行くまではいたらなかった。
「水着で来なかったからでしょうか」
「お願いだから止めてください」
「私は風矢さんに褒められて嬉しかったのであれが効果だとばかり思っていました」
「嬉しいこと言ってくれても駄目なもんは駄目ですからね!?」
大宇宙の意思なんてなくても、たぶん彼女には振り回されるのだろう。
こんな色々と厄介なのに惚れている限りは、やっぱり。
情けない事実に、苦笑するしかなかった。