「ん」
 短い声と共に差し出されたのは、卵酒。
 とろりと美味しそうな表面を見せつける、あっつあっつの病人食。
 美味しそう。
 素直にそう思うが、頷くに頷けない。
「お酒好きでしょ?」
 こくりと首をかしげるベムは、涼しげな顔をしている。しかし。でも。だって。
「この暑いのに熱々のお酒なんて飲めません…」
 涙目で訴える。ベムはそう、と頷いた。

病んだ食卓

 昨日。僅かに出た熱はなぜか夜半にあがった。本当なんでよちゃんと寝てたのに。
 自分につっこみつつ、一晩中うんうんえんえんと唸って、今朝。
 とりあえず微熱にまで下がったものの、安静を命じられ。ご飯を食べる気にはなれずに寝ていると、ベムがひょっこり顔を出してきた。
「気遣ってくれたのは心底うれしいけどこの暑いのに熱いお酒……というか朝っぱらからお酒…」
「飲むのつらいなら片付けるけど」
「いや飲みます。」
 いただきます、と呟いて受け取った器は、やっぱり熱い。熱いというか暑苦しい。しかし、折角つくってくれたのだし。彼の作るこういうマメなものって、美味しいのだし。緋那が心配しているからとか背中に書いているような気がするけど、心配してくれているのだし。
 ずずっとすすれば、ほのかな甘さ。とろりと固まる卵を舌先で押せば、じわじわと伝わる卵のうまみ。美味しい。すっげえ美味しい。でも。
「熱い…」
「そう。顔色はわりと良くなったと思ったんだけど。安静にしていた方がいいんだね」
「いやまあ、そうだけど。そうじゃなく」
 君のチョイスがね。と突っ込みたい気もしたけど、止める。好意だし。病人食ってわりとあっついもんだし。
 ああ、それより、思ったより度が強い気がする。大丈夫だろうか。朝から酔っぱらって。
「飲んだら寝るといいと思う。かなたが仕事してないのはいつものこと」
「泣くよ…?」
「泣いて水分出すのもいいと思う。早く良くなれば、緋那が安心する」
「いやそうなんだろうけど! 君はそうなんだけど! オブラート! オブラートで包んで!」
 思わず叫ぶと、お酒がいい感じに気管に入る。
 盛大にむせつつも茶碗を落とさなかったことを、自分で褒めたい。


 ひやりとしたものが額に当たる感覚で目が覚めた。
 ニートじゃないもんニートじゃないもん呟いていたはずなのに、いつのまにか寝ていたようだ。
 ぼんやりと目を開ければ、袖をまくった風矢。
 その手が濡れていると言うことは、額にのっかったタオルをとりかえてくれたのだろうか。
「…おはよう」
 ありがとうと言うつもりが、反射的に寝ぼけた声になる。案の定、彼は小さく苦笑した。
「おはようございます。昼ですが」
「昼なの」
「昼ですね。…一応昼食持ってきましたが、食べられますか」
「お昼御飯…」
 ベット手をついて半身を起す。そうして、彼の差し出すお盆の上を見る。
 白い皿に置かれた、柔らかそうな黄色い物体。香る甘い香り。これは。
「僕はこれから出ますが。そのついでのフレンチトーストです」
 まさかの卵2連ちゃん。
 あれ今卵古くなってたりする? するのかな? いや甘くて柔らかくて大好きだけどさ! 卵2連ちゃん…
「食べれなかったら下にメーか磨智さんがいますから。いくらでも呼んで、押し付けてください」
 にっこりと笑って、風矢が立ち上がる。
 優しげな笑顔だ。
 それはもう優しげな笑顔だ。百点満点だ。
 でも。
 るんるんとした足取りが、笑顔の理由を隠していない。これからおべんと持って出かける先に紅白巫女ルックな彼女がいるからだということを隠してもいない。
 本当ついでだな、このフレンチトースト。消化にいいっぽいし食べるけどね。フレンチトースト
 なんとなく物悲しい気持ちになりながら、甘く柔らかなパンをかじる。
 熱々な辺りは気をつかってくれたのだろうかとなんかまた微妙な気持ちになった。


 どたどたという足音で目が覚めた。性懲りもなく寝ていたらしい。窓を見るとうす暗い。夏場のうす暗いって結構な時間だよな…自堕落な一日だ。
 まあ風邪だから仕方ないかと言い聞かせつつ、布団をかぶり直す。
 と、足音の主が扉を開けた。
「…まだ寝てるほど具合わりぃのか」
 気遣わしげな口調で言われ、ずるずると半身を起す。いやずるずるっていうのは気分だけど。
「いや…だいぶいいよ……卵万歳」
「…お前そんな卵が好きだっけ?」
 まあいいやと勝手に納得したメーは、ベッド脇に置かれていた椅子(私の部屋のじゃない。緋那の部屋のを持ってきてくれたらしい)に腰を下ろす。
 そして、手に持ったお盆を差し出してくる。
「熱はだいぶ下がったらしいけど。食べれるか?」
 お盆の上に置かれたのは、ホットココア。鍋いっぱいに作られた、ホットココア。
 というか私今日とっても食っちゃ寝だ。みんな私には何か食わせとけば安心って思ってるのかな。っていうか。
「……このくそ熱いのに熱いもの第二弾………」
「病人は体温上げるもんだろ?」
「いやそうだけど。そうだけど。そうだけど。さすがに私も三食甘いものはちょっと」
「ふぅん。…やっぱ具合悪いんだな」
 いや、普段の私ならそれでもいいように言わないで。いい時もあるけど。三食主食が甘いものはさすがにちょっと。飽きると言うか。胸やけすると言うか。
 心配そうな顔されてもそんなほいほい飲めないから! しかもその鍋煮物とか作る用の鍋じゃん! 作りすぎだから! 誰か適当な大きさの鍋を指示してよ! 私メーが台所立ってるの殆ど見たことないんだから! 変なことになるに決まっていると言うのに!
「…でも、飲むよ。一杯だけ」
「マジで? …っていうかでもってなんだ」
「ああうん。でもはでもというか。うん。気にしないで。
 折角の好意を無駄にするともったいないおばけがでるから飲む」
「あ、コレ。好意じゃないくてお前が戸棚の裏に隠してたチョコ溶かして作ったのだから気にしないで」
「ココアじゃなくてホットチョコレート!? っていうかアレすっげえ楽しみにしてたチョコなのに! 勝手に溶かして牛乳と入籍!?」
「泣くほど嫌だったのか!?」
「作ってくれたの嬉しいけど嬉しさふっとんだよ! もうこれ意地でも全部飲む!」
「ま…っ! 鍋がらみ飲もうとすんな! アホ! むせながら飲むな!」

 私の秘蔵チョコレートと彼の気遣いが融合してしまったホットチョコレートは美味しかった。美味しかったから泣けたのだと、そう思っている。


「うう…」
 私は呻いていた。
 ホットチョコレートの所為ではない。まあさすがに吐きそうなので、全部は飲んでいない。
 ただ、なんだろう。こう。うちの男子の気遣いが微妙と言うか。いや気遣ってくれたのは嬉しいのに。どうしてオチがつくの。すごく嬉しいのに。どうしてオチがつくの。
 枕につっぷす。ちょっぴり濡れているのは汗だと、そう思わせてほしい。
「…かなた?」
 控えめに声をかけられて、顔を上げる。
 視界に入った緋那は、ぎょっと目をむいた。
「泣くほどしんどいのか。磨智は熱下がったって言ってたんだが。悪化したのか?」
「…いや、大丈夫」
 ただこう。あからさまに二の次扱いされた扱いされたショックと、秘蔵のチョコが味覚あんまりない状態ですすらざる負えない状態に。悲しみを。
 説明する気になれずうなだれる。
 そうか? と彼女は頷いた。ちょっと納得できなそうに。
 ああ、このまま。心配かけるのは良くないね。例え二の次でも自分のもの勝手にとられても、心配されていたのは確かだしね。
 気を取り直して頭を上げると、緋那が口を開いた。
「…メーが作ったとは言っていたが。メシではなかったようだから」
 すっと差し出されたお盆の上に、大振りのお椀。そこに注がれた、白いお米。
 食欲をそそる匂いを漂わせる透き通ったスープに浮かぶ、細々としたキノコ。
 無色彩の世界に色を添える、細かく刻まれた人参さんと三つ葉さん。
 その横にそっと添えられたのは、熱いお茶。
 なんだろう。熱く苦しいものは嫌だと思っていたのだけど。
 なんか見るからに手が込んだ料理がすごく眩しい。
 いや手の込んだものごちそうになったんだけど。緋那の作ってくれているこれは、すごく。
「あ、あと磨智がゼリー買ってきた。そっちの方がいいなら、こっちは私が食べる」
 すごく、私を思いやってくれてる気がするのはなぜだろう。いや彼らも心配はしてくれていたと思うんだけど。なんだろう。女の子はいい? いやそれはちょっと違う。
「…緋那のことはお嫁にやらない」
「はあ?」
「私が緋那のお嫁さんになって磨智のことをお婿さんにする………………」
「やっぱりお前、熱が酷いんだな……」
 すごくかわいそうなものを見る目で見られた。
 それでも口に運んだ雑炊は美味しい。
 よくわからないけど切ない気持になっても、美味しかった。

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