路上で倒れたかなたは、僅かに熱があった。熱中症でないのは良かったのかもしれないが、なんにしろ倒れたのは問題だ。心臓に悪い。
「―――倒れた原因の心当たりは」
「ごめんなさい色々あります」
ベッドの上で額に濡れたタオルをのっけた主人は、びくりと身をすくませて言った。
傍らに狂乱
「…別に怒っているわけじゃない。…心配しただろう」
「うう、だから、ごめんなさい、って…」
いや、だから。謝るより健康な生活を心がけてだな。
延々と続きそうになった言葉を飲み込み、そっと言葉を待つ。
すると、かなたは半身を起し、渋々といった顔で口を開いた。
「まぁ、まず、このところ暑いし。今日も暑かったし。帽子かぶっても暑さは防げないよね」
「ああ」
「それで、あんまり食欲は…いや食欲あったけど冷たいもの食べ過ぎてた、し」
「そうだな、食いすぎいうより飲み過ぎだ」
「…あと」
「あと」
「よ、夜更かし、してた、し」
言って気まずげに顔を逸らすかなた。こういうことを言うということは、分かっているのだろう。私の言いたいことは。
「…カフェに行くのはいいが、もう少し早く寝ろ」
「だってその後にシャワー浴びると目が覚めて」
「で、一晩で分厚い本一冊ずつ読んでるんだな」
「み、短い本の時もあるよ! 30分の時も…」
「しかし、夜更かしの所為で身体を壊したことは認める、と」
軽く痛む米神に手を添えつつ言い放つ。びくっと震える肩に、ちょっぴり悲しくなる。
…なぜ、なぜ主人にこんなアホな提言をしなければいけないのだろう。
「早く寝ろ」
「えー」
「えー、じゃない」
「おー」
「そこで『か』とか『き』とか続けたら怒るぞ」
「ごめんなさい」
少し目を細めれば、再度頭を下げられた。…でも反省してないだろこいつ。
すぅ、と軽く息を吸う。説教を聞かせる体制になりかけた。けれど。
「マスター。お粥なら食べれるよねー。熱くても駄々こねないでねー」
かちゃ、と扉の開く音にそれを止める。
扉を開けたのは、赤色のチェックのエプロン身を包んだ磨智。その手の上のお盆から漂うのは、良く煮えた米の甘い匂いと酸味をかんじさせる匂いとがの混じった香り。
「…梅干し味?」
「駄々こねないで、っていったよね?」
「…はい。心して看病されます…看病してくれることに感謝して看病されます…」
えぐえぐと涙ぐみつつ(梅肉が嫌いだからか他の理由かは知らない)手を合わせ、スプーンを動かすかなた。
そうそう、と言って胸を張る磨智と主を交互に見ながら、こっそりと息をつく。
いつにもましてどこか緩慢な動作だが、とりあえず顔色はそこまで悪くない。はふはふと口を動かしているのだから、自己申告通り吐き気もないのだろう。
…倒れた時は紙のような色をしていたから、本当に肝が冷えた。
「…またこんな風に倒れるようだったら門限設けるからな」
「わ、私一応家主なのに…」
「自分で一応とか言っちゃう辺り、マスターの駄目なとこだと思うよ…」
ぽそ、と呟かれた言葉に、眉を下げるかなた。悲しそうだ。なら努力しろよ。主人っぽく。もう従者つーより介護みたいじゃないか。私のやってること。
「大体、昼間に話してくればいいだろ。夜遅くに嫁入り前の娘達がいちゃいちゃと」
「だって昼間は皆さん皆さんの都合がぁ」
「というか緋那、その表現はちょっとおかしいよ? いちゃいちゃはしてないでしょ」
「言葉のあやだ。ともかく、回復するまで行くなよ」
「………はい」
「それと、早めに行って早めに切り上げる努力をすること。深夜にものも食うな。食ってもいいけどせめて酒は飲むな。昨日は、飲んできてたな?」
「おっしゃる通りです……でも」
「でも?」
小さく呟かれた言葉を繰り返す。
口元を押さえたかなたは、罰の悪そうな顔をした。
「…今更なにを言い淀んでるんだよ」
「…だって」
「だってじゃない。鬱陶しいことやってないで言いたいことは言え」
いや、言いたいことを垂れ流すのはベムだけで十分だけどな。
僅かに浮かんだ言葉を打ち消しながら、主人の言葉を待つ。
かなたは深く息をついて―――僅かに顔をそらした。
「だって、寂しかったもん」
思わず顔を見合わせる私と磨智。
…またこいつは子供じみたことを言いだして。
「磨智ちゃんは磨智ちゃんでメ―君といちゃいちゃしてるし。緋那ちゃんとベム君はなんかぎくしゃしゃくといちゃいちゃするし。ふーや君は私をぶっ飛ばすようになったし…ホント…胸とか他のとことかが痛い……」
ぎくしゃくといちゃいちゃってなんだ。いちゃいちゃなんてしてないぞそれこそカフェの方々じゃあるまいし。
つーか風矢のあれは寂しいとかそういう問題じゃない。主人をとか女をとかそういうのじゃなくて、そうそうぽんぽんと人を吹っ飛ばすな。彼女にちくるぞその家庭内暴力。
ささやかな呆れは、つっこみの嵐にかき消される。…しかし、そうか、寂しいか。
そんなものの責任を感じてやる義理は一切ないし、私と奴がいちゃいちゃしているというのは後で訂正するとして。訂正するにしても、一つ心当たりがある。
最近、家の者が総出で遠出するということは、なかったかもしれない。
やれ桜だ海だ紅葉だと騒いでいた彼女は、最近それをしない。それがカップル二組に遠慮した結果だとしたら、確かにちょっと寂しかったのかもしれない。
―――いやいやほだされるな。寂しいと夜更かしと不健康は関係ない。そこまで構ってやる義理までは、ない。
「緋那、何面白い顔してるの?」
磨智の驚いたような声で、はっと我に返る。
こほん、と咳払いをして、仕切り直す。見つめなおす。
もはやすっかり平静な顔でおかゆをぱくつくかなたは、それでもやっぱり病人だ。弱っている。そう、弱っているからだ。これから言うことだってそうだ。甘やかしてなんかないぞ、私は。
「…まぁ。寂しいかどうかは別として、今日くらいはなにかあったら何でも言え。早く治るには休養が一番だろう」
「そーだね。悪化したら悪いからゆっくり寝てていいよ」
そう、悪化したら悪いから言ってるんだな、うん。母性本能なんて龍に関係ないものはそそられてないぞ、私は。
ぱく、とお粥をまた一口口元に運んだかなたは、取り皿に落ちていた顔を上げる。
こちらをじっと見るのは、きらきらとした幸せそうな瞳。
「緋那ちゃんと磨智ちゃんがメイドルックとかしてくれたらわりと幸せになっていっきに全快…」
「調子に乗るな」
「なんでもって言ったのに!?」
「看病に必要ないだろ。コスプレ」
あら上がりそうな声を抑え、勤めて静かに言う。と、かなたはぷうと頬を膨らませた。…本気で子供帰り起してないかこいつ。
「じゃあ緋那は機能的な古典派の奴でいいからあ」
「妥協してるっぽく言うな! つーか磨智は違うの着せる気なのか!?」
「まぁ、私はメイドくらい良いけどさ。なんかそれで元気になるマスターってちょっと悲しい、かな…」
「え、磨智ちゃんコスプレさせ趣味なのにそんな冷たいことを…! 可愛い子に可愛いもの着せたくてなにが悪いのぉ! 可愛いは正義っ」
「悪いとか悪くないとかそういう問題じゃない。頭わいたことぬかしてないでさっさと寝ろ!」
濡らし直したタオルを額にべしっと叩きつける。
うう、と呻く声に、今度は絆されない。
「いいじゃんメイドくらい…仕事着というストイックさの中にフリル的な意味での愛らしさがたまらないとか思ってるだけでストッキング破らせてとかお願いしてるわけじゃないんだし…どじっ子メイド萌えとか言って頭からバケツかぶせたりしようとしているわけじゃないし…写真撮って売りさばくとまた寿命縮むことされそーだから大人しく私が見てるだけなのに…」
「私が契約をきりたくなる前に黙れ」
「う、うちの龍はそれを盾にすると黙ることを知ってるのに乱用してっ。主を脅して良いと思ってるの!?」
「主っぽく振るまえ。脅されたくないなら」
語気を強めて言い切る。と、かなたのうるっと目がうるんだ。
「ひ、緋那ちゃんのおかんー…」
心底悲しげな声で言ってお粥に目線を戻すかなた。
「磨智ちゃん、改めていただきます…」
「うん、おあがんなさい」
依然としてどこか残念そうな声を聞きながら、舌打ちしたい心地を抑える。
…まったく、もう。…本当に、手間のかかる。
ずきずきと痛みはじめた米神に、そっと手の平を添えた。