倉庫の屋根の一部が痛んでいたので直しておいた。
 そのままベンチへと腰掛け庭を眺めているのは、あまりの天気の良さに気が緩んだからだ。
 最初は緋那といたいがための口実で庭いじりを手伝っていたのだけれど。こう気持ちのいい天気の下で見ると、本気で愛着もわいてくる。
 けど、そんな和やかな気分を終了させる声が背中から聞こえた。
「随分なことをしてくれましたね」

行方無き道筋

「風矢。なんの話?」
 振り向いた先にいる風龍はこれ以上なく不機嫌な顔をして言った。
「ヒトを賭けの道具にしたでしょう」
「…ああ。緋那が言ったの?」
 風矢は大きく頷いて、ついでとばかりに向いの席へと腰を下ろす。そして、痛みを覚えているように米神をもんだ。
「けど気にするなと言われました。…なら言うなと思いました」
「隠れてそういうことするの、気が引けたんだろうね」
 そもそも彼女はこういう賭けが嫌いなのだ。そういうところも真面目で、愛しい。
 けど、なんで受けてくれたのかは、正直分からない。
 思う間にも、風矢は続ける。憂鬱そうに。
「それが分かっても嫌なもんは嫌ですよ…」
「賭けの対象になることが?」
「当たり前でしょう」
 ジロリと睨まれる。その顔にはそれなりの迫力があるけど、やっぱり彼は迂闊だ。
「賭けの内容については何も言わないの?」
 ウッと呻く正直者。
 僅かに赤みの差した顔でしばし口をパクパクと開け閉めし―――やがて諦めたように溜息をついた。
「……確かに僕は彼女が好きです」
「改まって言われても。結構バレバレだった」
 からかうつもりで言ったわけではないのだけれど、風矢がさらに目を細める。前髪の下では青筋が立っているかもしれない。
「…バレても口に出さなきゃ干渉されないと思ってましたよ。特に君には」
 彼の認識は正しい。僕は彼に干渉するつもりなどなかった。自分はそういうことに向かないし、風矢は人に口出されるとあることないこと言いだしかねない。変に意地になるところもある。だからなにもするつもりがなかった。
「干渉はしない。利用はする。それだけのこと。
 …けど、賭けに使ったのは謝る。悪かった」
 視線を合わせて頭を下げる。
 すると、思ったより怒りのない声が「顔を上げてください」と促してきた。
「…謝ってくれれば、それはいいんですよ」
 全然いいとは思ってなさそうな仏頂面で彼は呻いた。
「…けど、なんで付き合わない方に賭けるんですか!」
「そっちに怒ってたの」
「ここは怒るところです!」
「でも、僕はうまくいく方に賭けたよ」
「いや、それじゃ賭けが成立しないでしょう! 君は付き合わない方に賭けたんでしょう!?」
 ああそうか、とやっと納得する。
 そうか、賭けというのは本来そういうものか。
「言い方変える。
 僕は負けたいんだよ」
 言った後に、なぜか沈黙が落ちる。なんの声が返ってこない。
 横目でうかがった風矢は何とも言えない顔をしていた。そして、気の所為か身を離して、小さく呟いた。
「マゾも極まりましたね」
「濡れ衣だ」
 冤罪だ。しかも極まったってなんだ、ある程度マゾヒストなのは確定なのか。
「だって君から言いだしたことなんでしょう? それなのに負ける気の勝負ってなんなんですか?
 要するに負けたい♥ 負けるの好き♥ ってことでしょう」
「違う」
 きっぱりと言い切るが、疑わしいとでも言いたげな目線を感じた。
 …失礼だ。
「緋那は、そういうこと何も言ってくれないから。
 やってほしいことを教えてほしいと思った」
 だから、あの賭けは負けてこそ本願だ。
 風矢ははぁと溜息をついた後、呆れたように言う。
「なら、はっきりそう言えばいいじゃないですか。らしくない」
「…緋那は控えめな方がちょうどいいって思っているらしいし。なにより、告白一つ出来てない君には言われたくない」
 風矢が呻いて黙ったのは一瞬。すぐさま体制を立て直した。
「告白して玉砕男に説かれても全然その気になれませんね」
「その気にならないの。なら、一生友達でいるの? 茨の道だね」
「勝手に決めつけないでください」
 キツイ調子言い返していた声が不意に小さくなる。
 なにかを恥じ入るような声に変化する。
「僕は分からないだけです」
「告白の言葉?」
 僕の言葉に答えはない。
 ただ、小さな笑声が漏れた。
「…それでも、諦めたくはない。だからそのうち言ってしまいたいんですけどね…」
 遠い目をする彼に、なにが分からないのかとは聞かない。興味がない。
 なにより、聞いてほしいことなら彼から言ってくるのだろうから、必要がない。
 黙っていると、風矢がピクと耳を震わせた。
 その理由は、僕の耳にも届いている。サクッ、サクッと小さな音が繰り返し聞こえ、現れたのは銀髪の青年だ。
「……声聞こえねぇからいねえのかと思った」
 そう言って、空いているベンチへ腰を下ろすメー。その手で支えられたお盆には、3個のグラスとお茶菓子がある。
 それを見る僕を説明を求めているととったのか、彼は口を開いた。
「これ? かなたが買ってきたんだ。自分はさっき磨智と緋那と食ったから俺達で茶ぁしろってよ」
「ああ、そういえばもうそんな時間ですね」
「そうだね」
 僕が小屋修理してる間にお茶してたんだ…とも言いたかったが、こらえる。メーに言っても仕方ない。
 差し出されたグラスを受け取ると、中のハーブティがふわりと香る。その元となったハーブの手入れをする緋那の顔が浮かんで、口元をほころばせた瞬間、驚いたような声が上がった。
「あ」
「どうかしたか?」
「…いえ。別に虫が浮いていたとか貴方の持ってきたものなんて飲みたくないとかそういうわけではありませんのでお気遣いなく」
「誰が気遣うかんなあからさまに喧嘩売られて!」
 グッと握られたグラスが小さく軋んだ。割れば中身がぶちまけられることに気づいてか、メーは渋々と言った風に深呼吸した。
「…少し、驚いたんですよ」
 言う風矢の眼は、グラスと共に運ばれてきたクッキーへと注がれている。
「これ、僕の好きな銘柄ですから。
 かなたさんには特に教えてなかったはずなので驚いて…嬉しい偶然だなと」
 その言葉に、メーはふぅんと相槌を打った。
「じゃ、覚えてたんじゃね? 空き箱がゴミ出す時とか目に入るだろ。こんなわざわざ自分ためのためにクッキー買う甘党なんてお前とかなたぐらいなんだから持ち主は分かるだろうしな」
「…そんなに頻繁に買っていたわけでもないんですけどね」
「なら考えて思いだしたんだろ。
 お前、ここんとこ変に思い悩んでるから」
 怪訝そうな風矢に、なんてこともないと言いたげにメーが告げた。
 緑の瞳が僅かに見開かれ、すぐに不機嫌そうに細められる。
「悩んでる? …なんで貴方にそんなことを言われなきゃいけないんですか」
「なんでって…そりゃ、心配じゃん」
「貴方に心配される筋合いはありません」
「なら誰にならあるんだよ」
 冷たくなる声にも構わず、彼はあっけらかんと続けた。
 もしかしたら中々肝の冷える場面なのかもしれないが、特になにも思わないので黙って成り行きを見つめる。
「お前が俺を嫌いなのは知ってるし、俺もお前が嫌いだ。
 けど、しょげた顔されてるとお互い鬱陶しいだろ」
「…それでも、関係はありません」
「ああ。関係はない。
 だから心配するのは俺のためだ」
 それを聞くなり、風矢は悔しげに黙り込む。
 俺のため…なんて、少し前のメーなら、きっと言わなかったこと。「分からないけど」で誤魔化したであろう言葉。
 けれど彼が何も言わないのは、耳慣れぬ言葉に驚いたわけではないとその顔が告げていた。
「…本当に…」
 うつむき気味に絞り出された言葉は、どこまでも淡々と響く。感情を押し殺すように。
「僕は、心底貴方が嫌いですよ」
「何回も言われなくとも分かってるつーの…」
「嫌いなもんは嫌いなんです。大事なことは二回も三回も言うんです」
「いくら俺もそこまで頻繁に忘れることはねえんだけど」
「僕は銀髪、いえ光龍にだけは惚れないだろうと思っているくらいでした」
「いや、種族は関係なくね?」
 うんざりとした調子でそう言ったメーは「ん?」と声を上げる。
「なんで過去形?」
「……さァ、ナんでデしょう」
「声裏返ってるよ」
「いきなり呟かないでください心臓に悪い」
 この期に及んで誤魔化そうとするから驚いたんだよ。この期に及んで気づいてないメーにも驚いたけど。
「なあ、なんで過去形なんだよ?」
「貴方には本気で全く完膚なきまでに関係ありません!」
「怒鳴んなよ! お前が振って来たんだろ!」
「ええ。そうですがそれがなにか」
「開き直るな!」
「貴方が嫌に追及してくるんだから仕方ないでしょう」
「仕方なくない! あんな言い方されたら気になるだろ!」
 声を荒くするメーに、風矢が鼻を鳴らす。
「少し自分で考えればいいんですよ。
 精々悩めばいいんだ」
「考えても分からないから訊いてるんじゃねえか…」
 拗ねたような言葉に、風矢の表情が変わる。
 嘲笑の形に歪んだ唇が、溜息をつくようにゆるむ。
「…そうですね。考えて分からぬことは、口に出して訊けばいいのかもしれませんね…」
「風矢?」
「…それも、いいかもしれませんよね…」
 どこか力なく呟く風矢。その様子に、メーもそれ以上何も言わない。
 ただ黙々と茶と菓子を片付ける風龍は、淡い笑みを浮かべていた。曖昧な顔で笑った。
 ―――なにが分からないというのやら。
 浮かんだ疑問を口にしようとして、止める。代わりに、よく冷えたグラスを改めて傾ける。
 何も言わず黙っておこう。彼は手出しを必要としていないだろうから。
 なにより―――きっとその答えは、彼自身が出してこそ価値のあるものなのだろうから。

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