洗濯物をしまい終えると、妙に喉が乾いた。
 自分の部屋を見回す。飲めそうなものは当然ない。
「…取りいくか」

青いピース

 キッチンに飲み物を取りに行くと、少しだけ珍しい光景が広がっていた。
 軽く炒められた肉は香ばしい匂いで鼻をくすぐる。小皿に盛りつけられた海藻と薄切りのきゅうりは酢を中心としたもので和えられている。鍋で煮込まれたスープは、人参が目に鮮やかだ。
 そして、今はといえば、炒められた野菜がフライパンの中で跳ねている。
 要するに、夕食の準備が着々と進んでいた。それは別に珍しくも何ともないことだけれど。
「…なにじーっと見てんの」
「ここにいるのが緋那じゃねえのは珍しいよなぁと思って、つい」
 言って水を注いだグラスを傾ける。喉が渇いた時はこれが一番だよなあ。
 なんて思っていると、かなたが遠くを見るような眼差しをした。
「…いつまでも緋那ちゃんに任せてると彼女が五児の母になってしまう…」
「…五児って俺も入ってるわけ?」
「入ってないとでも思うの」
 言いかえそうとしたが、答えられない。…入ってるな、確かに。
 子供だとまではいかないけど、緋那の世話になってるというか、緋那がいなきゃ雑草をかじる生活を続けていたのだろう。…緋那来る前は実際そうだったし。
 しみじみと思いかえしつつ、煮詰めた火焔草(灰汁抜き済み)を共にかじった仲であるマスターを見つめる。
「…で、緋那を楽させるためにお前が頑張るの?」
「うん」
 胸を張るかなた。
 あー…最近ロクに行動できないからニート脱出を図った…わけじゃなかったのか。
 いや、料理することくらい、まあ、当たり前のことなんだけど。なんだか感慨深い。なにがどう感慨深いのかって言われたら困る。けど。
「…けど味付けもしてねえ野菜いためって手抜きだろ…」
「手抜きじゃないもん」
 途端眉を上げるこいつの家では、たまに行われていたことらしい。
 で、別に炒めた肉と一緒に食ったりしたらしい。それならいいけど、こいつのこれは果てしなく手抜きな気がする。
「こうすれば好きなものをかけれるじゃない。
 醤油でもソースでもいっそ味噌でも」
「でもなぁ」
 手抜きは手抜きじゃん、言うと、かなたがびしっと箸を突きつけてくる。
「野菜刻んでたはずなのに手でちぎりはじめてる君には言われたくない。
 靴紐もたまに縦結びな君に言われたくない」
「え!? マジ? 知らなかった…
 って、料理に関係ねえじゃん、靴紐!」
「関係はないけど…すごくたまにとはいえどうかと思う…。急いでるときだけみたいだけどさあ。不器用も大概にしないと…
 それを理由に君の身の回りのこと全部磨智ちゃんがしはじめそうだよ?」
「うあ情けねえ…」
 しかも喜々としてやりそうで怖い。なんかこう、面白半分に。色々と。余計なことまで。
 たくましくなってくる自分の想像力が恐ろしい。どうせたくましくなるなら違う場所が良かった。腕とか肩とか、そういうとこ。もしくは背に加算されてもいい。
「…そんなに蒼くなるとこなんだね」
「だって情けねーじゃん」
 もっとこう、頼られたい。どんな状況だ、と浮かぶ突っ込みが物悲しいのだけど、頼られたいと、思う。
 本人に言ったら「情けない君が好きだよ」とかってはぐらかされそーだから言わないけれど。
 ぼんやりとした思考を止めたのは、扉の開くカチャッという音。
 振り向けば、目をまるくした風矢がいた。
「…珍しいことしてるんですね、かなたさん」
「君ら、本当に、私のことどう見てるんだよ…っ。一応、私も、たまに作ってたよ…」
 二度目の指摘に、かなたはさすがに傷ついたらしい。そっと目元をぬぐう仕草をする。…あ、いや、この分だと緋那にも言われたんだろうな。もしかしたら全員に言われてるかもしれない。
「『でも緋那ちゃんの作ったご飯の方がおいしいもん。美味しく作ってもらった方が食材も幸せだもん』…とか言って、本当にたまにだったじゃないですか」
「うぐ」
 淡々ともっともな台詞を食らったかなたは呻いた。そして、救いを求めるように俺を見つめてくる。
 無理、フォローできない。本当のことだし。その言葉が口に出す前に伝わったように、彼女はがくりと肩を落とす。
「うちの龍はマスターへの敬意がありません…」
「…尊敬されたかったのか?」
「…………それも鬱陶しくて嫌だけれど」
 そもそもマスターってたいそうな器でもないけどさー。ただのかなたでいいんだけどさあ。
 ぼやきながら、出来上がったらしい野菜炒めを大皿に盛りつける。微かに漂う湯気の向こう目が本気でちょっと潤んでる気がする。味つけ無しのはずの野菜炒めが塩味になりそうな辛気くさいツラだった。
「それならいいじゃないですか。むしろ私は貴女のそんな気持ちを汲む出来の良い従者ということになります」
 言いながら、薄ピンクの液体をグラスに注ぐ風矢。かなたはへにゃりと顔をしかめる。
「…いいけどさ、いいけどさぁ…」
 納得できないように呟きながら、皆を呼んでくるね、と出ていくかなた。
 その後姿を見送りながら、風矢はグラスをぐいと煽る。
 俺だって甘いものは嫌いじゃないけど、イチゴ牛乳みたいな薄ら甘ったるくって飲んだら余計喉が渇きそうなもんを好きで飲むこいつの気は知れない。しかも一気で。
「…たまに僕も作りますかね」
 グラスと置くと同時に呟かれたのは、少々意外な言葉。
 こいつ、料理下手じゃないけど、いつもは面倒がってしないのに。
「菓子じゃないのか?」
「ええ、私、無性にサンドイッチが食べたい気分なんです」
「ふーん…俺アレが食いてぇな。ハムとチーズの」
「私は別に全部卵サンドでもいいんですけどね…。ついでに作りますよ。どーせかなたさんがあれ嫌いですしね…。そうでなくても種類は多い方がいい。
 でも朝に作るのはタネだけなんで、好き勝手に挟んでくださいね」
 そこまで言って不意にあ、と声を上げる風矢。
「…明日の朝食当番は…誰でしたっけ」
「確か、俺」
「そうですか。ならいいですよね。変わってください」
「そりゃ喜んで」
 変わってもらえるなら嬉しい。むしろ万々歳だ。
 不公平にならないために、とローテーション組んで作ってはいるけど、できることならサボりたい。
「でも洗い物は面倒なので洗ってください」
「面倒ってお前…」
「そもそも貴方の番なんだから、当たり前でしょう?」
「……分かったよ……」
 はぁ、と溜息をつくと、風矢はにっこりと笑った。嬉しそうに。それは、俺に対しては珍しい笑顔だった。
「…そこまで洗い物嫌かよ」
「そこまで? 何の話ですか」
「すげー嬉しそうじゃん」
「…貴方の嫌そうな顔を見ると心がスッとします」
「…そーかよ」
 じゃー俺はお前のそういうツラ見るとイラつくことにする。
 宣言すると、風矢はやっぱり笑った。さっきとは違い、なにかに安堵するような顔だった気もする。



 そんなやり取りをした次の日の朝。
 風矢は宣言通りにサンドイッチを作って、ついでとばかりに数種類のおかずも作って、バスケットに詰めた。
 わざわざバスケットに詰める理由なんて外出以外の何物でもなくて、風矢は玄関に立って、言った。リビングで雑誌読んでた俺に、ではなく、ジグソーパズルを広げていたかなたに。
「昼食までは帰りませんから。もし家で作るつもりの人がいたらそう言ってください」
 行き先は、などということは聞く習慣は、あまりない。今はドラテンもロクにできないから、告げる義務だってない。
 なんかやたらこそこそと出ていくから、なおさらだ。
 …というより。
「…あいつ、最近磨智を避けるのうまくなったよな」
「君にはできないことだね」
「…俺は磨智を避けたいわけじゃない。あのひらひらした服を避けたいだけだ」
 睨んで呟くと、愛って辛いよね、メー君とか分かってるんだか分かってないんだか微妙な言葉が返ってきた。
 …いまだにアレを着せられるのは絆されてるんじゃなくて実力行使で負けてるんだけどな…。情けないから言わない。
 その代り、かなたの睨む先、ジグソーパズルを覗きこむ。
「…なんだ、これ」
 見た瞬間に頭痛がした。かなたのつまんだピースが青い。それはいい。けど、テーブルに広がる小さなピースまでも、ひたすら青い。微妙な濃淡はあるものの、青い。皆同じように見える。
「なにって、海。海の絵。
 風矢君がもう一度完成させたからそれでいいんです、って譲ってくれた」
「いや、んなことより…これ、すげえ分かりづらいぞ」
「だよねえ。こんなに手間かかりそうなものをあっさりばらす感覚が私には分からない。
 確かにジグソーって作ってる間が楽しいけどさ。飾ってもいいじゃない、ねえ」
「そーいやあいつの部屋ってものないよなぁ…」
「そうだっけ?」
「ああ」
 言う間にもその眼はめぐるましく動く。だが、はまる場所は見つからないのか、それとも会話に専念したいのか、青いピースが適当に放置される。
 若草色をした瞳が、こちらを見つめてきた。
「じゃ、お金ほとんどお菓子に費やしてるのかな。不健全だねぇ」
「…いや、健全な金の使い方ってどんな感じだよ」
「…エロ本の購入とか?」
 首を傾げる主に、一瞬思考が飛ぶ。…なに言いだすんだ、こいつ。
「聞くな、お願いだから。俺に、そういうことを。っていうか、お前、一応女なんだから普通にそういう言葉を口にするな…」
「…メー君。そのくらいで照れる女の子なんてファンタジーの生き物だよ。実在しないよ。
 女の子の雑談は…おっそろしい上に実際にセクハラが入るんだよ……?」
 かなたが遠い。…なにその遠い眼。なに見たんだよ、なにされたんだよ、お前。
 浮かぶ突っ込みをぐっとこらえて、話を戻そうとする。
「……いや、照れてほしいとかそういうのじゃなくてさ。なんかこう、慎みみたいなもんを持ってほしい」
「人はそれをむっつりスケベとか呼ぶよね」
「オープンならいいのかよ。
 って…話変えるぞ! ともかく風矢は部屋は…白黒写真みたいで、なんか微妙な気分になる」
 これ以上突っ込むと怖い話になりそうだ。今度こそ強引に話題をひき戻す。
「…モノクロ写真とまで」
 かなたもそれ以上続けようとはせずに、オウム返しにそう言った。
「ああ、服もそんな感じだしな。…いや、俺も似たようなもんだけど…なんか、たまに…もっとないのかよ、みたいな気分になるんだよ」
「ふーん。まあ、本人曰く自分にはセンスがないからいっそシンプルにしてるんです、らしいけどね。
 集め始めるとごちゃごちゃするから全部ばらしてるんだってさ。パズルも」
 言って、放っておいたピースを再び睨む。まだ枠くらいしか出来ていないそれを眺めながら、ぽつりと呟いた。
「……青いねえ」
「しみじみとなんだよ」
「パズルの話じゃないよん。…人のこと言えねえけど、青いよ」
 青いよ、と繰り返すかなた。
 覆いかぶさるように、ピースがはまる音がパチと響いた。

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