部屋においた鉢植えに水をやっていると、どたどたと足音が聞こえた。
 それが俺の部屋の前で止まったと思えば、ドンドンドンっと鈍い音が響いた。最初は、扉を叩くする音。で、次が乱暴に開けられた音。
「…なにか、あったのかよ」
 らしくない乱暴さで部屋に入ってきたのは、どこかすわった目をした風矢だった。

暫定幸福論

「貴方なんざに頼るのなんて嫌ですが、貴方にしか頼れないことがあります」
「てめぇ、なんざって」
 悪態を言いきる前に、有無言わせずに本の束を押しつけられた。表紙を見る限り、菓子のレシピや推理小説。…これ、風矢の私物だよな?
「なんだ、これ」
「お願いだから今日一日磨智さんといちゃついててください。これでも使って家から出ないでほしいんです」
 風矢は質問には答えず、大きな箱も押し付けてきた。ずしりと重たいそれは、ずいぶんやりごたえのありそうなジグソーパズルだった。
「いや、だからいきなりなん」
 いきなりなんだ、と今度こそ問いかけようとした。けどまたもその前に、再び扉が開く。
 向かい合った風矢が露骨に嫌な顔をした。
「メー君買収して止めようとしても無駄だからね♥ 風矢君」
 ひょっこりと顔を出した磨智が人の悪い笑みを浮かべて、風矢の腕をがっしりと掴んだ。
「さあ、出ていく前にちゃきちゃき吐いてもらおうか。
 どういういきさつでデートすることになったのか♥」
「…デートじゃありません」
 風矢は磨智と目を合わさぬまま冷たさの滲んだ声でそう言った。
 そのやりとりで、なんとなく話を察した。
 風矢が今日どっか行くことは朝飯の時に聞いたけど(だからおやつが出たらとっておいてくださいとか言ってた)。その相手がたぶんあれなんだな、小町。そういえば昨日カフェから帰ってきてウキウキしてたな。
 …そっか、そういや、かなたがやけにしみじみと「春だ…」とか呟いてたもんなあ。季節のことじゃなかったのか。…なら、かなたでそれなのに磨智が黙ってるわけないもんな。
「女の子と二人きりなのに?」
「あんた僕と一緒に出掛けたことあるでしょう。二人きりで。あれデートじゃないでしょう」
「でも風矢君、私のことは好きじゃないでしょ」
「ええ好きじゃありませんし、あんたがこんなにしつこいとは思いませんでしたよ!
 ほっといてくださいメーと幸せ満喫してりゃいいじゃないですか!」
 叫ぶ風矢は本気で嫌そうだ。よほど問いただされてたんだろうな。…こいつ、しつこいからなぁ。
 それにあの顔見たことある。女物の服持って迫ってくるあの顔によく似てる。
 ああなったらもう止められない。少なくとも俺には無理だ。…無理、だけど。
 けどなあ…デート、ねぇ…
 それが本当かどうかは、正直興味ないけど。それが本当だった場合、こんなに騒いじゃ気の毒だ。
「…なあ、磨智」
「なに、メー君。今いいところなんだけど」
 呼びかけると、にっこりと笑みを浮かべられた。…笑顔なのにあんまり可愛くない。まあこれも磨智だからいいんだけど。なんだろう、なんかもうこの時点で敵わない気がする。
 それと、加勢してやろうとしているのに、風矢が嫌そうな顔してるのも疑問だ。
 とはいえ、一度口にした言葉を消すこともできない。俺は続ける。
「あのさ、風矢も色々思うとこあると思うし。放っておいてやろうよ」
「いやだなあ。私だってなにも出てった先まで付け回す気なんてないんだよ? ただ、ちょっと馴れ初め聞きたいだけで。答えてくれない方がケチじゃないかな」
「馴れ初めってなんですか。まだそんな関係じゃありません」
「まだ?」
「……ええ、まだ」
「それって先のことを考えてるからこそのセリフじゃないかな」
 ヒトの言うことをキレイに無視して盛り上がる2人。
 いや、風矢の反応の方はむしろ盛り下がるってやつかもしれない。上がってるのは苛立ちだけ、ってやつ。
 うーん。いつもからかわれるしそもそも仲がいいわけじゃないしこのまま眺めてるっていうのもいいんだけどな。いくらなんでも待ち合わせに遅れそうになったら磨智も奴を解放するだろうし。
 でもなぁ…こいつには一つ借りがあるんだよな。磨智とケンカ別れしそうになった時、発破かけられた借りが。ぼろくそ言われただけだし気にしなくてもいい気がするけど…でも、借りは借りだ。こう言う時に返すべきだろう。
「…なあ、磨智」
 俺は改めてそう呟く。
 止めることができないなら、新しく騒ぐ話題があればいいのではないだろうか。嘘をついてもすぐバレるから、本当のことを言えばいいのではないだろうか。
「一応、俺だって、他の男にあんまりべったりくっつかれてえるの、ヤなんだけど」
 …本当は風矢相手なら良いけど。
 いや、良かないけど、風矢のことは信用しているからいいんだよな。
 いちいち目くじら立ててるのって、磨智に悪いつーか、心せまいっつーか、信用してないみたいで嫌だし。
 …それでも、今こういう状況なら止めるという名目で言ってもいいと思う。
「…そう言うこと言われると、引きさがらないわけにはいかないんだけど」
「それでいいんだよ。引き下がってくれって言ってるんだからよぉ」
 困った顔の磨智に答えながら、目線だけでさっさと行けと促す。
 目が合った風矢は、笑った。
 なんだかやけに印象に残る、複雑そうな笑顔で。
「…私は、貴方のそういうところが嫌いなんですよ」
「…風矢?」
 その声は、なんだか妙に冷たく響く。丁寧なくせに吐き捨てられているような印象がある。…いや。割と、いつもだけど。むしろこいつに暖かい目なんてされたら怖いけど。むしろ他人に暖かい目を向けてるのみるのもビビるレベルだけど。
 感謝しろとまでは言わないが、そんな反応をされるのも心外だ。
「…まあ、礼は言っておきますよ。助かったから今日一日その調子でいてください。
 では、いってきます」
「…おう」
 そう返すより早く、風矢は身を翻す。
 長い髪がふわりと泳いで、部屋を出て行った。
 …なんだよ、あれ。
 考え込んでいると、溜息が聞こえた。溜息をついた張本人は、どこか安堵したような顔をしている。
「…ありがと」
「え?」
 意外な言葉に俺は驚く。
 こんな時だけあんなこと言ってー。とか風矢君庇うなんて私よりあっちの方が好きなんだー。とかそういうこと言われると思ってたんだけど。
 けれど、磨智は静かに笑って続けた。
「ちょっと引き際失ってたよ。景気づけにいじくってみようかと思っただけなのに。
 あんまりらしくい反応するもんだから、つい。悪いって思ってたけどひけなくて。止めてくれて助かったよ」
「そう思うならやめろよ」
 思わずつっこむと、唇を尖らされた。
 そこまで自覚してあんなに拘るお前が分からねえよ。
 人の色恋(かどうかよく分からないけど)に口に出してる余裕があるのもよく分からない。俺は自分のことで精いっぱいだ。
「…止めるつもりだったよ。いつもなら『言葉のあやです』とか『関係ないことです』とか言いきるよーなことたくさん言いました」
 けど、と磨智は笑う。なんだか感心したように。
「あそこで言い淀むんだねえ。…ホント、先のことを考えているんだね。あの風矢君が」
 その言葉の意味は、俺にはよく分からなかった。



 朝、出かける前にひと悶着あったが、出て行ってまで尾行されるようなことはなかった。
 最初からそのつもりだったのか、メーの一言が効いたのかは知らないが、とりあえず安心した。
 だって、小町さんの前であんなこと言われたら困る。肯定することもできないかもしれないけれど、否定することもしたくない。…曖昧な態度をとって色々こじれても嫌だしな。
 どうこじれるかまでは分からない。けれど、変なことになる種は遠ざけておくに限る。…磨智さんが彼女に会うこと自体は何の文句もないんだけどな。友達が増えたなら、小町さんが喜ぶのかなとかも思うから。 あくまで個人的に、僕を抜きにして接触してほしい。切に。
 ―――なにはともあれ。
 今日一日は朝を除けば平和だったし、正直楽しかった。
 初めて食べた彼女おススメのアイスのてんぷらは大変美味だったし、なにかと新しい発見もあったし。
 例えば、なにかと丁寧な彼女は、ものを食べる時も丁寧だった。あのひらひらとした服をよく汚さずに食べれるものだなと感心する。鍋とかしたら袖が入るんじゃないかと思ってたけど、あれならそんなこともなさそうだ。
 かと思うと、よく分からないことで驚いてみたり、僕が「抹茶アイスってイメージなのにね」とか言ってみたら、巫女服の意義について滔々と語り始めてみたり。
 やっぱり、しっかりしているのか訳が分からないヒトなのか掴みづらい。
 けどまあ―――色々あったけど帰る間際になった今に至るまで、笑っていてくれているから、それでいいと思える。
 隣を歩く彼女の笑顔をそっと見ながら今日を思い返していると、自然に笑みが浮かんだ。
「今日は楽しかったです」
「こちらこそ楽しませていただきました」
 返ってくる笑みに、やっぱり幸福な気持ちになった。同じくらいもやもやするけれど、それでも幸せというか。
 見ていると、無理に変わる必要はないのではないだろうかなんて、そんなことを思ってしまう。
 ―――連日悩んでいる内に、一つの結論に達していた。
 今は、急いで変わろうとしなくてもよいのではないだろうか。
 …そんなこと言ってて横からかっさらわれてもしれないんだからぁとかどっかの地龍ボイスで聞こえてくるけど無視する。その時はその時…ではないけれど、ともかく今無理に関係をこじらせたくない。
 へたれと言われよーが甘んじて受け入れる。けど、言われっぱなしも嫌なので、囁かに次へのアクションを起こしてみる。
「また機会があったらご一緒したいくらいです」
「うふふ。それならお誘いをかけてみようかしら」
 どこか冗談っぽい口調で小町さん。
 それは、やっぱり友達としての反応だ。…ま、このくらいで意識してくださいって言うのは、やはり無茶な話だな。なら友達に惚れた自分はどうなんだろうなと思わんでもないけれど…まあ、そこは、過ぎたことと言うか…一目見た瞬間恋に落ちましたとか言う例もあるんだから、それに比べればまともだ。
 とりあえず、今回「一緒にアイスを食べにいきましょう」と誘ってくれたのは彼女だから、今度は僕から誘うことにしよう。
 だから、精一杯気取った風に笑ってみる。
「貴女が誘ってくれるなら、いくらでもどこへでもお付き合いしますよ」
 すると、彼女の表情が変わる。笑顔は笑顔でも、少し困ったような笑顔。
「気を遣ってくださらなくても結構ですよ?」
 似たようなことを、以前彼女と出かけた時にも言われた気がする。
 あの時、なんと答えただろう。…いや、今、なんと答えれば違うのだと納得してくれるだろう。
 考えていると、朱色の彼が脳裏に浮かんだ。…『ひと目見た瞬間恋に落ちました』とかのたもうてる馬鹿の顔とも言う。
「…家に、そりゃあ馬鹿な炎龍がいるんです。
 何年も同じヒトを思い続けて、でも報われずに冷たくあしらわれ続けています。
 その様子は本当に滑稽で、憐れむに値すると言うか…彼と友人であるということを差し引いても同情しますよ、本当」
 いきなり始まった話に戸惑ったように首を傾げる小町さん。
 構わずに僕は続ける。
「けど、彼のために何かしようという気は全く起きません。
 僕に迷惑さえかからなければ、勝手にくっつくなり修羅場と化すなり別れるなりご勝手にと思います」
 ま、うまくいけばいいなあ、程度には思っているが。あえて大袈裟に言ってみる。
 …僕はホントは優しくないし、な。
「要するに、僕は同情で動きません。そんなこと程度でいちいち動けるなら、とんだお節介オバさんになり果ててますよ。
 気を遣うのがうまい方でもありませんしね」
 言葉を切って、彼女を見つめる。
 笑顔の一つも浮かべようと思ったけれど、なんだかできなかった。
「ここにいるのは、貴女といると楽しいからですよ」
「…それは嬉しい」
 小町さんは袖で口元を隠し、うふふと笑った。見なれた仕草で、柔らかに。
 隠されているのは唇だけど、隠されているのは別のものである気もした。
 けれど、それがなにかまではよく分からないから、踏み込むこともためらわれる。…自分は思っていた以上に意気地がない。
 本当に、友達以上のものになるのはどうすればいいのやら。
 想う間にも、足は進む。
 彼女の暮らす68番地と、僕の暮らす126番地とは帰る方向が違う。だから、もうすぐ、別れる頃合いだ。
 自覚しても何も変わらぬまま、別れる頃合い。
「…小町さん」
「なんでしょうか?」
「お家までお送りします」
 気がつくと、そう呟いていた。
 少し、きょとんとした顔をする。驚いたような顔をした。
「そこまで気を遣っていただかなくとも、家へはもうすぐ着きますよ?」
「それでも、女の子一人で帰すのは良くない。…以前貴女を一人帰してから、反省したんですよ。
 だから、貴女こそ気を遣わないでください。勝手な自己満足です、かっこつけたがってるだけですから」
 なるべく淡々と言葉を重なるのは、気を抜けば顔に色々でそうだから。
「…では、お言葉に甘えましょう。
 やはり、貴方は優しい方です」
「…友達には、ね」
 否定せずに笑みを浮かべてみる。
 からかわれるネタが増えそうだとか、外堀から埋められそうで嫌だとか、いろいろ想うことはあるのだけれど。
 今はまだ、このままでいい。
 うまい手段なんて思い浮かばないから、せめて時間を積み重ねよう。
 ただそれだけを思って、隣を歩く。
 髪を揺らす風を、やけに穏やかに―――けれどじれったく感じた。

  目次