カーテンを引いて外を見ると、重い雲空が広がっていた。
 雨が降りそうだな。
 思い、朝食を出すために自室を出る。リビングには、すでに2つの影があった。

雨降りの午後

 126番地は、朝食を当番制で作っている。
 交代して作っていると言っても、夕飯の残りものを出したりするので、実質緋那が作ってるようなものだけど。
 ともかく、ここで重要なのは、今日の当番はかなただということ。そして、彼女がふらついているということだ。
 それを指摘したのは、僕ではなくメーだった。
「かなた、顔色悪いぞ?」
 126番地で一番朝の早い男は、読み終えたらしい新聞片手に問いかけていた。
「ん…そう?」
「風邪か?」
「ううん」
 ふるふると頭を降るかなた。どことなく色褪せた唇が吐息まじりに呟く。
「ただの胸焼け。それが気持ち悪くて寝不足だったからそれのせいもあるかな」
「…風矢のケーキ?」
「やっぱそれかな。食べ過ぎたよ」
 僕の問いに頷くかなた。メーは苦々しく呟いた。
「だから止めろって言ったのに…あいつと同じノリで食うなよ。
 朝飯作んのも代わるからどけ」
「でも」
「倒れられる方が迷惑だ」
 ピシャリと言うメー。けれどかなたは首を振りつつ、焼きあがったスクランブルエックを皿へ盛りつける。
「でも寝てて直るものでもないし。動いてる方気ぃ紛れるし。
 …君の料理は料理じゃない」
「人の気遣いに悪口返すなよ…」
 彼女の言うことは道理だ。彼のレパートリーはゆで卵やサラダ(ちぎっただけ。ドレッシングは緋那手製作り置き)なのだから。威張れるほどの腕ではない。
 不満げな彼を眺めつつ、僕は無言で戸棚から食パンを取り出し、それぞれの大きさで6つに切り分ける。
 それに気づいたかなたが、嬉しそうに笑う。けど、その顔はやはり青ざめたままだ。
 …まあ、気がかりそうな光龍と違い、僕はそんなに気にならない。そして、間接的に理由となった彼も、もし気づいたところで、同じように思うのだろうなとだけ思った。


 朝食を終え、さらには昼食が過ぎても、特にやることはなかった。
 朝の予想通り雨が降ってきたから、外に出る気にもなれない。だから、なんとなくリビングに降りた。
 緋那がいればいいな、とか、あわよくば彼女の食料品買い出しに付き合いたいと思っていたけど、その姿はない。
 いたのは、長く髪を一つに束ねた風龍。風矢は黙って雑誌を読んでいた。
 そうしているということは、さすがに今日は台所に立つ気はないらしい。昨日のあれは彼とて作りすぎだと思ったってことか。
 それにしても、ソファーに体を沈めている様子は、なんというか…
「まだ落ち込んでるの?」
 覇気がないなと思い、声をかけてみた。
「落ち込む? なにを根拠に」
 風矢が読んでいた雑誌から顔を上げる。どこまでも怪訝そうな目線を受け止め、僕は隣へ腰を下ろす。
「幸せ満喫中かと思ったけど。急に難しい顔して帰ってきたから」
「落ち込んでません。苛々としてはいますが。
 それと、特別幸せ満喫してたわけでもありません。楽しかったけど、君にそんな恨めしい眼で見られるような意味ではありません」
 淡々と答える風矢。
 ちなみに僕は恨めしい眼で見たことなどない。羨ましいと思っただけで。まだくっついてはいないようだし、恨めしくまでは思ってない。違うと言ったら違う。
「落ち込んでないの。頭に風車挿されても気づかないのに」
「なっ…」
 声をあげ、自らの薄緑の髪を手で探る風矢。
 だが、当然そこにはなにもない。やがてその頬は真っ赤に染まった。
「落ち込んでないの。
 こんな冗談にもなっていないような冗談に騙されるくらい気が散ってるようだけど」
「柄にもないことしないでください。君が言うと冗談に聞こえない」
 こほんと咳払いして、キッと睨んでくる。真剣そのものの顔だ。
 …言っておいてなんだけど、こんなことで騙されると思ってなかった。そんなにも…
「そんなに落ち着かなくなるほど気になるヒトいるんだ」
「磨智さんみたいなこと言わないでください。…いいですか。僕はなにもありません。
 大体…もし恋愛方面で悩んだとしても、君にそんなこと相談しません。当たって砕け散れでは参考になりませんからね」
「失礼だ。砕け散って拾い集めてまた挑戦するもいれろ」
「怒るポイントはそっちなのか!?」
 驚く風矢に、僕は黙って頷く。当たり前だ。
「僕は諦めない。どれだけ時がかかろうと」
「ストーカーじみた決意ですね」
 呆れたように息をつかれた。心外だ。
「少しは報われてる」
「どこなのか、聞いてはあげましょう」
 どこまでも余裕ある口調で風矢。…信じてないな。
「前旅行行った時。また来ような、と緋那のほうから約束をした」
「…頭に『今度は皆で一緒に』とかついてませんか?」
 …………。
 それは、鋭すぎる切り返しだった。黙って肯定するしかない、鋭すぎる言の葉だった。
 頷けば、風矢がわざとらしく鼻を鳴らす。
「それで報われたとのたまうのですか。おめでたい男ですね」
「緋那が楽しんでくれたことが重要なんだ」
 これは負け惜しみではない。そんな風に言うほど旅行を楽しんでくれたのは、本当に嬉しかった。
「それはまた健気なことで」
「恋とはそういうもの」
「いや、君は特殊な例でしょう」
「そうとは限らない」
 言い切れば、肩を竦められた。やれやれと言わんばかりに。
「それが本当なら僕は決して恋などしないと誓いましょう。
 どっから沸くんだ、その無意味な自信」
 心底馬鹿にしていると分かる様子に、さすがに少しカチンと来た。
 大きく息を吸い、言葉を乗せて吐き出す。
「好きな誰かにまつわる些細なことが嬉しくなるのは、きっとよくあること。それをどう呼ぶかなんて人それぞれ。だけど、健気と呼ぶなら、そうかのかもしれない」
 言い切って、立ち上がる。眼下の風龍の表情が変わったのを認めてから、呟く。
「勿論人によって差異はあるけど」
「…皆同じ価値観など不気味なだけだ。当たり前でしょう」
 答えたのは、やけに低い声。不機嫌なことを隠しもしない声だった。
 後ろ手でリビングの扉を閉め、小さく嘆息する。
 風矢の態度は珍しいものだった。
 彼が他人のことである程度長く悩んでるなんて、珍しいことだ。…案外、堪え性あったんだな。
 いつもなら苛立てば知らぬふりで怒りを収めるか、後先考えずに強引に突破しようとするのに。
 手に負えることはさっさと終わらせる。けれど少しでも面倒と感じれば切り捨てる。そんな印象だったのだけど。
「…ホント、珍しく慎重だ」
 ちらりとリビングを振り返って、そうして自室へ戻る。
 彼がガラになく慎重なことがそのことがなにを意味するかなど、僕には興味のないことだった。

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