ゆらりゆらり舞踊るように、その言葉は胸に残る。
 ぐらりぐらり揺るがされて、その笑顔で分からなくなる。
 あの夜も、そうだった。
 ことの発端は、小町さんがこっくりさんを始めたことだった。
 そういう行動には慣れてきたたけど、あの時彼女がしたことには、慣れていなかった。だから。
 些細な揺らぎは大きくなっていく。

揺らぐ夜

 こっくりさんとやらを始めた彼女を特に思うことなく見つめる。いつものことというか、なんというか、慣れたことなので特別どうとは思わない。けれど、その唇から紡がれたのは、少々意外な言葉。
「…明日の風矢さんのラッキーアイテムは何ですか」
 …そういえば以前ラッキーアイテムを教えてくれた時も、周囲に『他所の奴の受信するの珍しいな』とか言われていたけれど。あれはもう偶然みたいなもののようだから気にしてなかった。
 それなのに、なぜ。湧き出た疑問は口をついて出た。
「なぜ私のを…」
 スーっとコインが動いていく。そして、こっくりさんとやらが示したものは。
「…おふろに浮かべるあひるちゃん…?」 
「…微妙なもんが来ましたね。
 こっくりさんとやらの世界にお風呂に浮かべるアヒルちゃんがあったことにもびっくりです」
 お風呂に浮かぶあひる。その、何とも言えないチョイスに、思わず全力で突っ込む。
 だから、タイミングを逃した。
 なぜ僕のラッキーアイテムなんて調べるんですか。頼んでませんよ。
 そう言いたくてたまらなかったのに、言うタイミングを逃した。
 心の中にちくりとしたなにかが生まれる。じわじわと、じわじわと、わけのわからぬ感覚が広がっていく。
「…じゃあ私のラッキーアイテムを…。…既刊108冊の小説?」
「…実は馬鹿にされてませんか。こっくりさんに」
 冗談めかして言ってみても、彼女は続けた。
「…明日のオススメ行動は…。…狐のお面を被って一日生活する…。
 …こうかしら…」
 言いながら、どこからともなく狐のお面を取り出す。
「…似合います?」
「…似合いますけど。不便じゃありませんか。食事の時とか。視野もせまくなりますし」
 どこからともなく取り出したお面は、妙似合っている。可愛らしくデフォルメされているので、微笑ましい気もする。
 けれど、なにかの刺さったような感覚が抜けない。ひどくもやもやと苛々する。
 ……この少女を見ていると落ち着かないのはいつもだけど。なんだろう。この感覚は。
「食事の時はなんとかするとして…要するに私は明日これを被ったまま小説を読み続ければいいのかしら…つまり外に出んなって言われてるのかもしれません…」
「…目悪くしますよ。…そんな珍妙なことしなくてもよいのでは?」
 どうやら真剣にそれを実行しようとしているらしい彼女に、やはり苛々する。
 なぜ今さら苛々するのか、よく分からないけれど。
 そんなことを考えていると、小町さんがむぅと唸ってお面を外した。
 ―――なぜ。
 胸のうちの苛立ちが増大する。わけの分からない感情が己の内にあることに、苛立つ。
「…天の扉は遠いですね…」
「天の扉…って、天国ですか、それは」
 反射的つっこんでから、大きく息をつく。
「…それに…別に私に言われたからと言って、外さなくてもよいでしょう?」
「…珍妙と言われると気になります。女の子ですから」
 頬を膨らませた小町さんに、ますます落ち着かない心地になる。
 女の子なんて改めて言われたからであって、他に理由はないはずだけれど。
「…それは…」
 意外だ。そう正直に言うのもためらわれて、無理やり笑みを貼り付ける。
「…申し訳なかったですね…すみません」
 不自然だと言われたらどうしようと思っていたけれど、その心配はなかった。
 彼女は唇に指を当てて、悩むような顔をした。その言葉は自らのうちを探り始める。
「時々こういうよく解らない仰せが下る事もあるのですよね…試されているのでしょうか」
「…からかわれてるんじゃないですか?」
 僕にしてみりゃ風龍の毛って時点でよく分からない仰せですよ、とつっこむのは避ける。
 彼女は真面目な表情で悩んでいるから。
「…まだまだ私の修業が足りないということなのかもしれません…特に修行とかやったことないですが…」
「修行…って…。…まあ、あまり思い悩まずに。たまには無視しても面白いかもしれないじゃないですか」
 それは、ごく軽い気持ちで言った言葉。
「…虫…」
 けれど彼女は目に見えて混乱した。どことなくわたふたした。
「いえ、無視です、無視」 
 分かっているだろうけれど、あえて訂正してみる。
 彼女が混乱するその様は、やけに愉快だ。
 愉快に思えた自分に、少し落ち込んだ。いじめっ子か。しかもガキの。…やっぱり、自分は優しくはない。
「雛姫が詳しくって…って」
 このままだと話が進みませんね、そう言って、彼女は話題を切り換えた。
「…無視ですか。…考えた事も無かった…」
「そうなんですか?」
 僕は少なからず驚く。これまでの話を聞く限り、彼女のそのお告げだか意志だか声だかと、かなり長く付き合っているはず。
 それなのに、一度も考えたことがなかったのか。僕だったら日に1、2回逆らう気がする…のは、どうでもいいか。
「嫌なお告げとかなかったんですか?
 …そうですね、たとえば…一日中手を使わずに生活しろとか」
「…龍気功があるので、そんなに困らないんです」
「…なるほど」
 それが真実だと示すように、テーブルの上のマグカップがふわっと浮き上がる。なるほど。確かにそれがあれば一通りのことはこなせそうだ。
 それなりに困る話かと思ったのだけど。そんなことはなかったらしい。…まあ、考えてみると、僕だってもし手を使えないとなったら、風の精霊に干渉して手の代わりを務めてもらう。
 …嫌なお告げを考えると言うのも中々難しい。なんとなく目線を動かすと、銀色の髪に飾られた三日月が目に入る。そのヘアピンは…以前、母親の形見だと言っていたか。あの、言葉のチョイスが絶妙にアレな竜の。
「…たとえば、その髪飾り沼に捨てて来いと言われたら困るでしょう? そういうことはなかったんですか」
「…そういうのは無かったのです」
 指さし問えば、ふるふると首を振られた。
 同時に、その眼差しが深くなる。なにかを探るように。
「…そもそも、こういう困った仰せが下るようになったのがここ一ヶ月の事で…何なんでしょうね…」
 なんででしょうかね、と言われても。僕にはそれを聞くことができないのだから、原因の考えようもない。以前天気も関係あるとか言っていたことを思い出しつつ、 「天気が急に悪くなったってことはありませんけどね」と適当なことを言っておく。
 彼女には悪いが、そんなことより気になったことがあったから。それにしても、と前置きする。
「その声だか意志だかは私には認識できませんが。あなたを傷つける意思はないんですね」
「…そういうことも、考えたことすらありませんでした。…物心ついた時から傍に在るものなので…」
 なんとなく溜息を洩らすと、彼女は静かに告げた。
 ああ、本当に…根が深い。そんなにも長い間、他の誰にも聞こえぬ声を聞き、それに従い行動してきたのか。
 そんな、誰にも共感されないものとずっと一緒に。
 そんな状況は僕には想像できなくて―――その遠さが、なんだか歯がゆい。
「…本当に…当たり前にそばにあったものなのですね…」
「…はい。むしろ、他の人が『聞こえない』のを知った時が衝撃でしたよ」
 言って、彼女は困ったような顔をした。戸惑ったような顔だった。
「…そう言って下さると嬉しくなります」
 付け足すように漏れた言葉に、自分の表情が変わる自覚があった。
 彼女がこう言うことを言うのが、嫌だ。…なんだか、その裏に自虐がある気がして。見てられなくなるから。
「……あなたは確かに変わっていますが。
 だからと言って、自分から人を遠ざける必要はありませんし、変わっているんだと思い詰めることもないと思いますよ」
 しばし間をおいて、うふふと笑う声が聞こえてくる。
「余り優しい言葉をかけると、調子に乗ってしまいますよ、私」
「…別に優しいこと言ってるつもりはありませんよ。一般論です」
 そう、一般論だ。
 こんなもの、僕じゃなくとも。機会さえあれば誰でもいえるのに。
 そうして笑っていれば、本当に、ただ当たり前の少女なのに。
 調子に乗って、ずっと笑っていればいいのに。
 会話の節々から漏れる「貴方だけ」という言葉が痛い。貴女はどんな生き方してきたんだと、なんでそれを黙って受け入れてきたんだと意味もなく責めたくなる。
 だって、きっと、この程度の優しさを向けるだけなら、僕じゃなくてもできたのに。
 そうしてずっと笑って、少し言葉を選んでいたら、彼女にはもっと惜しみなく与えられるものがあったかもしれないのに。
「そういうことを言うのは優しい人と相場が決まっているのです」
「…私は、優しくありません。
 優しくありたいと思ったことがある。ただ…、それだけでした」
 苦笑を洩らして頭をふる。なのに、彼女の言葉は変わらない。
「私にとって貴方は優しい。それは事実です」
「…その言葉の方が、よほど、人を調子に乗らせますね」
 これ以上否定を重ねる気にはなれずに呟く。
 説得をあきらめると、ああ、と嘆息が漏れる。
「そういうことを言われるから、貴女の前では優しくありたいのでしょう…」
 小さく言えば、小町さんは口元を隠しながら笑った。口元に添えられた振袖の白さが、嫌に目に痛い。
 お願いだから優しいなんて言わないでほしい。
 僕は優しくなんてない。優しくなれなかった。自分しか見ていなかったから。自分しか見てなかったから、駄目なところくらい弁えてる。
 それなのに、あまりに真っ直ぐに優しいと繰り返されるから、貴女の信頼は痛いんだ。
 騙しているようで、つけこんでいるようで、そんな自分が、矮小に思えて。
 そんな風に自分本位にしか生きれないくせに、貴女には本当に優しくしたくなって。
 それなのに、向けられるものはひどく薄い優しさだけで。それが悔しいのに。
 こみあげる痛みに、浮かべた微笑が崩れそうになる。けれど。
「…私は貴方のそういう所が好き…」
 ころころと笑う声の合間に告げられたその言葉が、それまでの思考のすべてを飛ばした。
「…小町さん?」
 心臓は、跳ねるどころか静まり返る。己の声さえ、うるさい。
 驚いて、逸らしがちだった顔を彼女の方へと向ける。
 彼女もまた、驚いたような顔をしていた。自分で言ったくせに、焦ったように目を泳がせた。
 …そのくらいのこと、前だって言っていたのに。なんで今さらそんな顔するんだ。
「…あ、ええ、…好き、です。…貴方のそういう所が」
 焦りを残したままのその言葉は、今までのものとは違う響きを以て聞こえた。
 なぜと思うより早く、唇が開く。
 浮かんだ言葉は、ただ三文字。―――僕も。と。
 言いそうになって―――ふと、我に返った。
「…あなたのそういうところが、危なっかしい気がするんですよね」
 慌てて紡いだ言葉は、決して嘘ではない。
 危なっかしくて仕方がない。そのわけのわからない好意が信頼が―――なにより、それに惑わされる自分が。
「…僕は優しくなんて、ないんですよ?」
「だから、私視点から見ると優しいのです!」
 言い聞かせるように言えば、鋭く返された。
 意地を張っているようなその様子に、ふと緊張が緩む。頭が冷える。
 大丈夫だ、これなら、まだ。もう、いつものこと、だから。
「…あなたの見る世界は、私の見ている世界と違う。ほら…違うことは、当たり前じゃないですか。
 だから…やっぱり、あなたが特別に変わっているということでは、ないんですよ」
 どうにか言い終えると、沈黙が落ちた。
 漏れ聞こえるのは、痛みの原因となった言葉。
「そう言ってくれるのは貴方だけですから」
「…これから、増やしていけばいいじゃないですか…」
 僕だけじゃないですよ、きっと。
 そう続けるつもりだったのに、唇が勝手に動いた。まるで違う言葉が響いた。
「以前、気付く前には戻れないと言いましたね。なら、戻りたいと思ったことも、ありませんか」
 それは、言うつもりのなかった言葉。
 言いたかったけれど、言うのを避けていた言葉。
 だって、言ってしまえば、きっと―――
「……ありません。…今の私は、こうなのです」
 きっと、さびしそうな顔をするから。
 予想とよく似たその顔に、後悔の念がこみあげる。
 なのに、口は勝手に動こうとする。
 それが「今の私」なら、いつかは変わるかもしれないのですか。
 そう続けようとした。けれど、それより早く、彼女が席を立つ。
「…夜も遅いですし、そろそろ、失礼しますね」
 いつものように丁寧に一礼する彼女を、これ以上追及などできなかった。
 胸の奥になにかが刺さったように痛む。言えなかった言葉がわだかまる。けれど、口に出していたら今よりずっと後悔していたのだろう。
「…おやすみなさい」
 また、いつか、と僕は言って。彼女はそれに頷いたけれど。
 もう、いつかなんて、ないかもしれない。

 だって、町の中で後姿を見かけたのに、声をかけるのを躊躇った。
 答えのでない疑問達が、この口を重くした。

 そして今も。脳裏は「なぜ」という言葉が繰り返し浮かぶ。
 浴槽の熱いお湯に浸かりながら、頭だけが妙に冷めている。

 なぜ僕のことまでわざわざ調べてくれるのか。
 なぜそんなにも優しいと言ってくるのか。
 なぜ―――あの時、言い淀んだのか。
 それまでのように、なんてことのないように『好きです』と言ってくれれば、それなりに対処できたのに。
 けれど違う。なぜと問いたいことは、自分の中にこそある。
 なぜ。
 なぜ、あの時、僕は驚きを含んだ『好き』に体温が上がったのか。
 なぜ、あの時、僕は気付く前のことなど訊いた。戻りたいと思うかなど、そんなことを訊いた。
 困らせることなど分からないわけではなかったのに、なぜ。

「…なぜ」
 小さな小さな呟きは、湯気にまぎれて消えてゆく。
 湯船にたまったお湯の上には、なにも浮かんでいない。
 あれから数日経ったから、ラッキーアイテムとやらも変わっているだろう。
 でも、あの時、ここにアヒルのおもちゃがあろうがなんであろうが、事態の好転などありえなかっただろうと、そんなことを今更思う。
 そう、あんなものは、僕の役には立たない。だから否定してしまえばいいのだ。例えそうすることで彼女ごと否定することになろうと、そうすれば楽になれる、のに。
「…嫌だ」
 ぱしゃりと湯で顔を洗う。
 気分はまるで晴れなかった。

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