髪飾りを新調したあの日から、幾日か経った。
 肌寒い夜を厭うように、今晩も我らがマスターはカフェに入り浸っていた。

夜半の会合

 カフェの片隅でココアをすすっていると、ふと声が聞こえた。
「明日はいいことありそうです」
 声の持ち主を探して目線をさ迷わせると、花を毟ってる女の子がいた。巫女姿の見目は可愛い子。…この間の、妙な少女だ。
 散らばる花弁に、掃除誰がするんでしょうねえ、などと思っている間にも、彼女はさらに続けていた。
「今日私は深夜に掃除をするとラッキーなのです。大宇宙の意思なのです」
「それで掃除を…躾のいき届いたお嬢さんですねえ」
「大宇宙発言はスルーですかマスター」 
 さらっと呟くマスターに思わず突っ込んでいた。
 ああ、ここにメーがいたらきっと変わりにつっこんでくれたのに。奴は今彼女といちゃつくのに忙しいので不在だ。
 後悔するが、もう遅い。光龍の青い瞳はこちらをしっかり捉えていた。
「ああ、あなたは先日の。あの件はお世話になりました」
「―――いえ、たいしたことはしていません。それに、お礼を言うのはこちらです。いただいたものは美味しくいただきました」
 静かに微笑みかけられ、笑い返す。たぶん、少し曖昧な表情だろうけれど。
 傍らにいたかなたさんと、彼女のマスターである羽堂さんが席を外す。飲み物を補充しに行くようだ。…一緒について言ったら駄目だろうなあ。もう話しかけられちゃったし。
 けれど、そんなことにはまるで構った風もなく彼女は言った。いっそ厳かなまでに整然と。
「存在の意思はあらゆる所に繋がっているのです。雲の上の存在、大いなる意志とも対話が可能なのです」
「はあ…」
 真剣な顔をしてそんなことを言う彼女に、不覚にも少し圧倒される。
 素っ頓狂と言うか、電波的と言うか、ひどく非現実的な言葉なのに、なぜだろう。なんだか無下に否定などできない。…それが当たることもあると思ってしまったからなのか。
 そこまで考え、否と否定する。
 きっと、彼女があまりに真っ直ぐにそれを肯定するから。『なんとなく信じられない』なんて曖昧な理由で否定することができないのかもしれない。
 けれど。
 その言葉を迷いなく認めることもできない。したくないと言うべきか。関わりたくないとも、言う。
 それにきっと―――大いなる意思だか大宇宙の意志だか知らないけれど、そういうのを認めてしまうだって、嫌だ。自分以外の何かに干渉されていると意識することなど気に食わない。
「可能だとしてもするか否かは個人の自由なんですよね…」
 そんなことを思って口に出した言葉は、なんだかひどく惚けていた。…あちらのペースに飲まれているようで、これはこれで面白くない。
 けれど―――
「それは勿論。自分の判断だけで上手く生きていけるならそれはそれで素敵なんじゃないでしょうか」
 変わらぬ整然とした言葉に、ふいにそんな悪感情が飛ぶ。
 素直に意外だった。
 芯からおかしな相手だと思っていたことに罪悪感が生まれるくらいに、素直なリアクションだった。
 初対面で髪の毛要求されたけど。二回目にはたかが懸賞に当たっただけで大宇宙の意思とか謎の発言をしたけど。
 けれど―――おかしいにしてはまっとうな意見で。
 …思わず、あなたは自分の判断で生きていないんですか、なんて。問いかけてしまいたくなる。
「…私は自分以外の判断で動くのが嫌いです」
 ―――ただそれだけのことで、うまく生きているわけではない。
 胸に巣食う自嘲に気づかれぬように、向かい合って視線を合わせ、小さく笑う。
 つい先ほどまで馬鹿にしていたくせに、なんだろう。この気持ちは。
 なんだろう。このまま、おかしな相手として遠ざけてしまうのが、申しわけなくなってくる。
「だから大宇宙の意思だろうがマスターの意思だろうが関係ありませんが…
 先日の懸賞は見事だったと思いますよ。おすそわけはありがたかったですし」
「私の意志ではありません。世界がそう望んだのです。…だから見事と評されるのは少しこそばゆいものがありますね」
 表情を変えず続ける彼女。
 …やっぱり電波かもしれない。いちいち大げさな物言いだった。
 言葉の最後だけ聞いていると、なんだか普通に照れてるみたいなのに。…もったいない龍だな。なんだか。
「…正直、懸賞など時の運で決まると思ってました。努力とか…それこそ自分の意思なんて無意味な領域だと思ってましたからね。
 そういうものを引き寄せてみせる方もいたのかと新鮮だったんですよ…」
 これは本音。本当に新鮮で、正直興味をそそられた。
 非現実的なものは嫌いだけれど…おまじない♪とか言って相合傘書いてる(そして見つかって怒られる)ベムよりはマシというか、なんというか。そんな気持ちもあるけれど。
「新鮮…ですかね」
 当たり前のことを言ったつもりだけど、彼女はほんの少し戸惑ったように言い、静かに続ける。
「…皆多かれ少なかれそういう力は持っているものです。貴方にだって。…ただ、自覚があるかないか、それだけの話なのです」
「自覚…ですか…
 …まあ、必要ないと思っているものを自覚することもないでしょうからね。これからもないのかもしれません…」
 諭されえるような口調はいつもなら嫌悪を感じるもの。だけど、気づくと苦笑が漏れた。
 目に見えるものしか信じない。その主義を覆すつもりはないのだけれど、こうしているとそれが無性につまらない生き方のように思えるのはなぜだろう。
 おかしな相手と、おかしな話をしているからだろうか。
「それならそれでもいいのです。多くの人々は実際そうなのですから。事実そういうものに気付かない方が人々の間で生きていくのは楽というものです」
「…やけに達観したものいいですね。
 なら、そういうものに気付いた者は楽ではない道を選んでいるということですか?」
「達観なんかしていませんよ。むしろいつもいっぱいいっぱいです」
 微妙な苛立ちをこめた言葉に、彼女は笑った。
 無邪気っぽいその微笑に、なぜか言葉を失う。
 何も言えないでいるうちに、彼女の声は続いていく。
「…選ぶというか、…選択の余地さえ無い感じですかね。気付いたら、気付く前には戻れないんですよ」
「気づく前には…ですか」
 ―――気づく、前。
 達観のような、なじみの薄い言葉の中で、その言葉はやけに響く。
 やけに、痛い。記憶が勝手に巻き戻る。
 気づいたのはいつだっただろう。
 やたら人懐っこい彼女が、時折ひどく悲しげに見つめるものがいると気づいたのは。
 気づいたのはいつだろう―――なぜだろう。
 どうして、そんなことに気づいてしまったのだろう。
 この手に届かないものを平気で持っているあいつを見ていたせいなのか。それとも、気づいたからこそあいつを見ていたのか。それは、よく覚えていない。
 よく、覚えてないけれど。気づかなければ、と思う心がどこかにある。
 気づかなければ、きっと、僕は。今も諦念など知らずに……
 ……いや、今は。今更、そんなことはどうでもいい。
「…その生き方には選択の余地はなくとも、他のことは選ぶことができるのでは?」
 瞼の裏にちらつく記憶とは関係なく、この口は一般論を述べることにかけて優秀だった。
 いや。本当に今更。何を思いだそうが、どうでもいい。
 馬鹿な仮定などしたくない。己の歩いてきたそれまでを否定することは、今の己を否定すること。…そんなことは、できない。
 だって、僕には―――僕しかいないのだから。
「似たような者を探すのでもいい、理解を示してくれる相手に話を聞かせるだけでもいい。…いっぱいいっぱいなら、吐き出した方が楽になるというのは一般論ですしね」
 いつだったか、ベムは僕を日和見主義とか言って、僕は自分がフェミニストと答えたはずだけど。確かにフェミニストではなく、自己満足なんだろうな。色々。
 我ながらあたりさわりのない言葉だなと自嘲しつつ、クイとカップを傾ける。味がない。
 手元を見れば、当然カップは空だった。
「…だからこうして貴方に話をするのです」
 そうして、カップを見ていたから。
 ふってきたその言葉に、無防備に表情をなくした自覚がある。
「…ああ。なるほど。
 まさに今私がその役目ですね。…気づきませんでした」
 嘆息して、苦笑を浮かべる。
 顔を上げて目を合わせると、彼女はふんわりと微笑んでいた。  …やりにくい龍だな。なんだか。
 わけのわからない電波を紡いだのと同じ口で、そんな当たり前のことを言って。
 こんな誰にでも言えるようなセリフに、そんだけ穏やかに笑うなんて。
「…まあ、私でよければいくらでも話を聞きますよ」
 自覚のない惚気を聞いているよりよほどいい。呟く間にも、その表情は変わらない。
「うふふ。ありがとうございます、色々と。
 …この出会いも世界の意思。…世間ではそれを『これも何かの縁』と言うのです」
「…最初からそう言った方が、わかりやすくて話が早いと思いますよ」
「うーん、そうかしら。…そう言うよりも『世界がこうなることを望んだ』の方がなんか運命っぽく聞こえません?」
 いやいや。それはない。
 首を傾げる仕草は中々可愛らしいけれど、運命っぽく話す必要性が分からない。
「日常で運命を感じることに疲れる…というか、運命のような―――抗えないものを厭うものはいるものです」
 私もそうですし、と付け足し、心のままに続ける。
「だから、理解し辛くなってしまうのでしょう…」
 だから、あなたは敬遠されているのでは?
 浮かんだのは、距離を取るために一番手っ取り早いセリフ。けれど、もうそれをぶつける気分になれない。
「…理解する必要なんてないのです。ただ、私がここにいるのも、貴方がここにいるのも、私たちを取り巻く多くの存在が在るのも、私と貴方が顔見知りになったのも、すべて大宇宙の意思、縁なのです。…そう考えると全ての出会いが、出来事が大切に思えるようになる。そんな気がするのです」
「…そういったことを考えたのは、初めてです」
 だって、おかしな彼女の言葉は、おかしなほどに穏やかだ。
 運命だの他の意志だの、そんなものは嫌いなのに。
「大切にしてくださいね、貴方の縁を。貴方にまつわる出会いを。運命や世界の意思を信じられなくても、貴方の周りの存在くらいは信じられるでしょう?」
「…その言葉のすべてに頷くことはできませんが…すべての出逢いを大切にとらえるというのは……、まあ、悪くありません」
 答えながら、胸に生まれたぬるいに戸惑う。
 悪くない。悪くないのだけれど…調子が狂う。
「そう思って頂けるなら本当に何よりです」
 躊躇ったままの僕の言葉に、彼女は一層嬉しそうにうふふと笑った。
 つられるように、僕も少しだけ笑えて―――
「…少なくとも、私は今、あなたとの出会いに少なからず感謝しましたからね…」
 なんだか悪くない気分で、そんなことを口に出して。すぐに後悔した。
 彼女は、何も言わずに微笑のままだった。
 けれど。
 聞こえましたか今の、などと。問いかけるまでもない顔だな。
 息が詰まって、一瞬顔がひきつったのが分かる。
 出会いに感謝って。社交辞令とはいえ、なんだかちょっと。恥ずかしいせりふですよね。
 できれば撤回したいんですが。今後のキャラの維持のためには。
「うふふ、初めて仲のよい友達が出来た様な気分が致します」
 けれど、やけに軽やかなリズムで歩いていく巫女ちっくな光龍に、そんなことは言えない。
 こちらに振り向いた顔を見ていると、なんともいえない違和感が広がる。
「…それはなによりだ」
 そう、なによりなのだけれど―――初めて、か。
 少し話して、笑って。友達になって。
 それが『初めて』なら。確かにいちいち物言いも大げさになろうし、僕のセリフをからかう発想もない、のか。
「ああ、私、そろそろ失礼致しますね。家の方でやることもございますので」
「…私もそろそろ帰ります」
 窓へと歩く彼女を見ている間に、よくわからぬ違和感が広がる。
「では、またいつかお会いしましょう―――小町さん」
 よくわからぬ違和感の命じるまま、意識して彼女の名前を呼ぶ。
 上辺の、当たり前の処世術ではなく。
 本当にまたそのうち話したいなと、そう思ったから。
 『運命』なんて意識したことはない。意識してみた今も、嫌いだけれど。
 それを語る彼女は、そう嫌ったものではないかもしれないから。
「はい、風矢さん。またいずれ」
 色々と大げさっぽい変わり者は、別れのあいさつまで丁寧だ。
 やけに綺麗なお辞儀がおかしくて、思わず笑った。

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