背中に手を回し、髪止めを外そうと触れると、金属音がした。
 いつもの微かな音ではなく、ひどくあっけない音。
「あ」
 銀色の髪止めは、綺麗に割れていた。

契機の幕開け

「かなたさん、なにか紐ありませんか?」
「紐?」
 唐突に問いかけられたかなたは訝しげな顔をする。
 説明不足に気づき、風矢は続けた。
「髪を結うような紐です。髪止め、壊れてしまったので」
「あー。…輪ゴムはやだよね?」
「当たり前です」
「本を縛る紐なら」
「…それも嫌です」
「…ごめん、それ以外ないよ。この髪で髪止めなんて不要だもん。あっても宝珠だって」
 言われてみれば、と風矢は頷く。
 ショートカットの彼女にそれを求めたことが間違いのもとだったのだろう。
 ならば、同じ理由で炎龍の少女にも期待できまい。そうでなくとも、彼女は装飾品にこだわるタチでもない。
「あ、磨智ちゃんは? きっと色々持ってるよ?」
「それもそうですね」
 では、訊ねてみます。言って背中を向ける風龍に、ひらひらと手を振って、彼女は槍の手入れに戻った。


 ノックをして用件を述べた風矢を、磨智は特に逡巡することもなく部屋に招き入れた。
 至極あっさりしたその態度に、一瞬だけ警戒心の有無を説きそうになって、止める。特に必要もないだろう。
 色々あるよー、と彼女自身が語る通り、そこにはさまざまなリボンがあった。
 だが、風矢は眉間に皺をよせ、はぁと息をつく。
「…なぜもれなくすべてにフリルがついてるんですか」
「だって可愛いじゃん」
「可愛いですけど…僕にこれを使えと言うんですか?」
「言いますとも」
 うんざりとした顔を隠さず声に力をなくす風矢に、磨智はにっこりと笑った。
 そして、満面の笑みを崩さぬままに、
「いいじゃん、どうせ明日買いに行くんでしょ?
 一晩くらいこれでも良くない?」
「…そうですねえ」
 呟いて、風矢も笑みを返す。
 それは楽しさからくるものではなく。諦めから来る静かな笑み。
「一晩くらいこのままでいます」
 その言葉に、磨智は小さく頬を膨らませる。
「むー。つまらない」
「つまるつまらないで判断しないでください」
 ぴしゃりと言い切っても、地龍は諦めなかった。
 もっともらしい顔で説得を続ける。
「でも、それだけじゃないよー。風矢君はわりと女顔だからきっと似合うよ!」
「似合っても嬉しくありませんよ…」
 言い切って、スクと立ち上がる。なおも見つめてくるコスプレさせ趣味の目線を無視し。
 部屋を去った風矢が歩く度に、癖のない薄緑の髪が揺れる。
 やはり少し鬱陶しい。
 小さくごちて、彼は階段を下る。すると、リビングにいた主に声をかけられた。
「風矢君、私、カフェ行くんだけど。一緒に来ない?」
 彼女がカフェ、と呼ぶのは、例の住人の一部が愛用しているカフェである。
 彼がそこについていくことは珍しいことではない。けれど、彼女がこうしてわざわざ声をかけてくる時は―――
「…歩くのが面倒なんですね」
 歩くのが面倒で、それなりに大きな体躯を誇る龍である彼に乗せて言って欲しいのだ。
 静かに指摘され、頬を掻くかなた。そして、わざとらしくせき込む。
「…だって、最近、体の調子が悪くて。ほら、これもきっと町の異常の一部なんだよ…」
「いや、それは関係ないと思いますけど…、別にかまいませんよ」
 苦笑して応える風龍に、かなたはホッとしたように笑った。


 かなた達がカフェに到着した時には、既に何人かが雑談に興じていた。
「こんばんはー」
 笑ってその輪の中に入っていく主人の背に風矢も続く。
 するとふいに、声をかけられた。
「そこのあなた」
「はい?」
 振り向いて、目線を合わせる。次の瞬間、実に唐突な言葉を受け取った。
「突然ですけど髪の毛下さい。風龍の毛が今日のラッキーアイテムなのです」
「―――は?」
 本当突然ですね。なんで風龍の毛。
 そんな言葉が浮かぶより早く、訝しげな声が出た。
 奇怪な発言を披露したのは、三日月のヘアピンで飾った銀色の髪を綺麗に真っ直ぐに切りそろえた女の子。巫女のような衣装が妙に似合っていて、見ている分には麗しい。
 麗しく、可愛いらしいのだけれども。その言葉まで可愛らしいと感じるかどうかは別問題だ。
「毛、ですか」
「毛です」
 訝しみをたっぷり含んだ問いを、少女はしっかりと礼儀正しく肯定した。
 なにかの間違いかと思ったのだが、どうやら違うらしい。
 なぜ突然毛―――と思いかけ、あることを思い出す。
 今、この朝の生れる場所は異常事態に襲われていた。
 原因は不明だが、地場が狂っているのだ。当然、能力は正常に発揮することはできない―――どころか、なにが起こるか予測できないため、戦闘・ドラゴンテンペストは自粛。ダンジョンも封鎖中だ。
 役場が原因究明のために忙殺されているが―――今のところ、解決のメドは立っていない。
 ともかく、混乱しているのだ。ある日突然弱体化する人間もいれば、恐ろしく調子のいい人間もいる。龍の方も、人間化が不可能になったり、逆に龍に戻れなくなったり、少々不自由な生活を送っている。
 だから、もしかしたらこの少女の言動もその所為なのかも知れない。
 そう結論付けた風矢は、髪を一房掴みとると、逆の手の爪でばっさりと切る。
「これで構いませんか?」
「ええ。ありがとうございます」
「…変なことに使いませんよね?」
「もちろん。用が済んだ後責任を持ってお焚き上げしていますからご安心を」
「…そうですか」
 ―――お焚き上げって! お焚きあげって!?
 訊きたいことも言いたいことも二、三浮かんだが、風矢はそっとそれを飲み込む。
「お役に立てて光栄ですよ」
 この時点で、微笑んで背中を向ける風矢の脳裏にあったのは、関わりたくないの一言。
 だから。
 銀髪の少女が68番地・羽堂邸に住む、小町と名付けられたリュコドルアーガであることと、彼女が元々なにかと特殊な趣味を持っていることを彼が思い出したのは、帰宅してベッドに入ってからだった。



 ―――そして、数日後。
 風矢は購入した髪止めを持って帰路についていた。
 この町を襲う混乱の影響で鎖国状態のこともあり、中々探すことが難しく、思いのほか時間はかかったが―――気に入るものを見つけられて良かった。
 そんな風に上機嫌に浸っている風矢に、銀髪の少女が眼に入った。
 あれは―――
「小町さん?」
 声をかけると、少女はくるりと振り向いた。
 この町に、銀髪で少女に該当する者は数知れず。だが、なおかつ巫女のような衣装を着用中の龍となると中々いない。
 否、そういう格好の者も多いのだが、大抵は防具。ダンジョンに挑む人間が主なのだ。
「そちらのマスターはいないようですけど…家に何かご用ですか?」
 他所行き用に整えた笑みを浮かべて問いかける風矢に、小町は静かに笑った。
「お会いできて良かった。あなたにお礼を伝えるためにやって来ました」
 お礼?と尋ねる前に、小さな箱が差し出される。
 箱につまっているのは、いよかんだった。
 健康的な橙に染まった甘い柑橘類。ある地域ではいい予感とかけられて受験生にも人気の、甘い果実。
 脳裏によぎった奇妙な言葉を振り切るように頭を降る風矢。
「これは…」
「懸賞で当たりましたのでおすそ分けを。あなたのおかげです」
「当たった…」
 小さく繰り返して、心当たりを探す。
 あなたのお陰……とは、まさか―――
「もしかして…あの髪の時の…?」
「はい」
 きっぱりと肯定する小町。
 風矢は目を丸くして黙り込む。ラッキーアイテムが本当に幸運を呼ぶなどと考えたこともなかった。
 そうしてしばし呆然とした後、こちらを見つめる瞳に我に返ったように頭をふる。
「…いえ、そんな理由では貰えません。それはあなたの運が良かったということで、私の功績ではありません」
 ―――髪の毛のお蔭でゲットした果物というのは、本当だったらそれはそれで嫌だし。そんなおかしな縁を作りたくない。
「いいえ」
 思う風矢に構わず、光龍の少女は、一点の曇りもない笑顔を見せた。
「すべては大宇宙の意志ですから」
 実に朗らかな笑みと共に告げられた言葉に、風矢は一瞬笑顔を忘れ眉を寄せる。
 大宇宙。
 随分壮大な言葉だ。
 壮大すぎていっそ胡散臭い。
 少なくとも風矢の中では、日常生活において聞かない言葉に分類されている。
 ―――頭大丈夫か。このコ。
 浮かんだ言葉はただ一つ。だが、自称女性に優しい男としては、それをそのままぶつけるのは気が引けた。
 そのため、彼の取る行動も一つだった。
「ありがとうございます」
 にっこり笑い、小さく頭を下げる風矢に、小町も丁寧に一礼した。
 そのまま去っていく少女を、彼はじっと見つめる。
 脳裏に繰り返されるのは、つい先ほど聞いた言葉。
 大宇宙の意志―――か。
「…アホらしい」
 呟き踵を返す風矢。その背中に、強い風が吹きつけた。長い髪が強風に乱されるまま踊る。
 まるでなにかを吹き飛ばすような強い風に、風矢は静かに眉をしかめ―――玄関へ急いだ。

  目次