無謀にも旅を始めて、後悔しないといったら嘘になる。
 死にそうな思いをした。生きてる理由などないと思っていたけど、死にたくはないのだと知った。
 そのことに安堵して、でもどこか苦しくて。
 失敗まみれでさ迷う世界は、やっぱり薄暗い夜の色。
 けれど、確かに出会った光は。
 私に一つ魔法をかけた。

辿り着いた町の名は

 考えなしに家を飛び出して、1月は経っただろうか。それ以上かもしれないし、もっと少ないかもしれない。
 なんにしろ野外も出るのも嫌いな人間が案外もったものだと思う………路銀はつきかけているけど。
「…お腹減った」
 呟いてごろりと宿屋の床に転がる。薄茶色の髪をぐしゃりと掴むと、汚れた感触にため息がもれた。空腹と不安は心をきしませる。それでも。
 それでも、帰る気にはなれなかった。

コンコン

「は、はい?」
「すみません、お客さん」
 店の店主さんが顔を出す。
「部屋がいっぱいで、相室してくれませんか?」
「…女の人ですか?」
「ええ」
 …ならいいか。この部屋は一番狭いのを選んだけど、宿自体は元々、相室も可能なところだし。ここでノーといえば、追い出されそうだし。
「かまいません」
 ただ寝るだけなんだから、別に誰がいても気にならない。
 …ああ。違うな。
 なにがあろうと、もうどうでもいい。
 この時点で、私はまだ自暴自棄だった。

 しばらくしてひょっこりと顔を出したのは、金色の髪が綺麗な女の人。ぞろりとした黒い服をまとった姿を、旅人というよりは魔法使いのようだと思った。
「ああ、君が同室かい?」
「…はい」
 荷物を降ろしながら朗らかに話しかけてくる彼女に、若干の戸惑いを押し殺して答える。
「そ。一晩よろしく」
「こちらこそ」
 ぺこりと頭を下げる。にこにこと笑う彼女は、それを満足げに見つめ、話を続けた。
「そんなに身構えることはない。私には同性を襲うシュミはないよ?」
「はあ」
「それとも君にそっちのシュミが」
「ありません」
「そうか、あまりに見つめられるので疑ってしまったよ」
 いや、そんなこと言われても。そう口に出す前に、他愛のない話題が、空気が、ふいに変わった。
「ねえ、君、名前はなんという?」
「……叶多」
「へえ、かなた。叶えるに多い、で、家名は滝川かい?」
 悩んだ末に吐き出した言葉に、より詳細な言葉が返る。肌がざわりと粟立った。
「なんで…!?」
「ご両親が探しているよ。懸賞金をかけて」
 息がつまる。
 そんなに裕福な家でもないのに、どうして。
 ああそのくらいするだろうな、見つかるのなんて遅すぎたくらいだ。
 相反する想いは鈍い痛みを生む。吐き出すものはない胃からなにかを吐き出してしまいそうな、今にも笑い出してしまいそうな、痛み。
「それを抜きにしても、信用出来ないと思ってる人間にはもっと毅然とした態度の方がいいと思うよ。
 ――――まあ、私に君を連れて行く気はないけれど」
 低い声は耳に半分も届いてこない。
 ああ、まただ。
 また、失敗してしまった。
 そんな言葉だけが耳の奥、脳内で木霊する。
 この旅で何度失敗しただろう。何度すれば気が済むのだろう。
 変わりたくて出てきた。
 けれどなにも変わらない。
 なにも、変わっちゃいない。
 いつだって周りが悪かったわけじゃない。
 私が悪かったから。
 だから、全部、当たり前で。
 思った瞬間、ぼろり、と涙が出た。
「…っぅ…」
 全部、当たり前で。
 分かってたことなのに。
 それなのに、なんで今更。
 苦しいのだろう。
「泣かせてしまうとは思わなかったよ」
「…っ…う…わ…」
 困ったような声にも構わず、うわああんと喉が震えた。
 止まらなかった。なんのための涙か分からない。けど、とまらない。
「……君はなにをしたかったの? 泣いてちゃ分からないよ」
 それが鬱陶しかったのか、困ったのか、分からないけれど、彼女は穏やかに問うて来た。
 私は答える。喉は涙で詰まって、うまく喋れなくて、何度も失敗したけど。
「私は、やり直したかった」
 吐き出せば、後はとまらない。涙のように、ぼろぼろと零れる。
 ほんの数分前に出会った相手になにをしているのか。冷静な思考はそう嗤っていたけど、とまらない。
「いつも夜の中みたいで、辛くて」
 息苦しさで死にそうだと思った。
 目を閉じて眠りに落ちて、明日が来ることを疑い、怯え。
 ただ薄闇を見つめてた。だから。
「終わらせて、始めて、希望が、欲しかった」
 光が欲しかった。
 新しく、なにかを始める、未来を愛せる心が、欲しかった。
「そう……だから、旅を?」
 黙って頷く。すると、クスと笑う声。
「確かに旅は己を知る手段だ。しかし、それだけのこと。普通に暮らしていても事足りるよ」
 尤もな指摘に笑みがこぼれた。そう呼ぶには、無様な表情だっただろうけど。
「あそこに、いたく、なかった。
 誰も知らない場所に行きたかった……」
 だって、もう、どうすればいいのか、分からなかったから。
「な、のに…なんで、こんなに不安で…馬鹿みたい、だ…」
 ああ、本当、馬鹿みたい。
 ぐすり、と鼻を鳴らしてぐしぐしと顔をぬぐう。少し頭が冷えた。
「…なるほど、君は新しい生活を始めたかったわけか。
 でもね、かなたちゃん」
 それを待っていたかのように、彼女は笑う。
「君は君自身を変えない限り、同じコトを繰りかすよ」
「……分かってます」
 泣きたいくらい、わかってる。
 …なら…ここが潮時か。
 家に帰ることは、嫌じゃない。
 ただ、あの町にいるのは……ああ、でも、もう、いい。
 今回も失敗した。いつもと同じように。
 それで、いいじゃない。
「ちゃんと、分かって、ます、よ…」
「分かって、帰るのかい? 勿体無いな」
「…どうしよもないですよ、もう路銀もないんです」
「そう、それは確かに絶望的だね。
 でも…」
 ぐい、と身体を引き寄せられた。
 耳朶に直接吹き込まれた言葉は、不思議と身体にしみこんだ。
「君は―――朝の生まれる場所を目指せばいい」
 くらり、と身体が傾ぐ。
 それでもその言葉だけはやけに鮮明に焼きついて。まるで魔法のようだと思った。
 ―――否。
「まあ、今日はおやすみ。明日…もう一度気持ちを聞くよ」
 今思えば、きっと。魔法だったのかもしれない。

「……なんで」
 大泣きして腫れた目をこすり、目の前の彼女を見つめる。
「…なんで…あなたが路銀をくれるんですか…!?」
「あげるんじゃないよ。分けてるんだ」
「いや、同じことでしょう…?」
 …あ、あれかな。今まで遭遇しないで済んだけどこの人…その、人買いさん? 身なり、いいし、金周りよさそう…。それがいけないお仕事の結果?
「み、見世物部屋に売られるほど面白い容姿じゃないですよう!」
「そこで見世物部屋が出てくる辺り…平和というかなんというか…。
 まぁ、とりあえず。君を買う金でもないよ。これから一緒に旅をするからね。路銀はわけて持っていた方が安全だ」
「…一緒に、旅ぃ?」
 …何言ってんの、この人。
「そう。旅。だって君危なっかしくて放っておけないからねえ」
「いや、私は」
「お金もうつきかけてるだろう。受けていても、いいんじゃないかな?」
「財布覗きましたね!?」
 叫んでも彼女の笑顔は変わらない。にやにやと、にんまりと。うさんくさいくらいだ。
 …でも。
「…………私、は―――」
 それなのに彼女といるのが、楽しいと。
 その時思ってしまった。




 そんなことがあって。
 彼女とはしばらく旅を続けた。そうして、色々な旅のノウハウも教えてくれて、私も少し賢くなって……
 …けど。今朝この街に入ったとき、別れて…
「…いきなりピンチだなあ」
 なぜって、せっかく稼いだ路銀がすられた。
 とられたのが路銀だけで良かったなあ。うふふ。財布は二つに分けなさいねって言われたから少しは持ち合わせあるしね。あはは。
「…いや笑えない……」
 思わず頭を抱えてうずくまる。指に絡みつく色は、青。
 それは私本来の色ではない。けれど、隅々まで満遍なく青い。
 薬を使って染めたわけではない…魔法で染めた所為だ。
 彼女が色々世話してくれるのが嬉しいけど申し訳なくて…お礼ができないかと聞いた時、
『―――そんなに気を病むなら、私の実験に協力してもらおうか』
 ということがあったのだ。

『じ、実験!?』
『ああ、危なくはないよ。自分で実験したから保障しよう。ただ、色が綺麗に出るか分からないんだ』
『い、色?』
『そう。魔法を使った髪染薬を作ったんだ。本人が望む限り落ちない不思議な薬さ♪ 緑青橙の3種類。さあ、どれがいい?』
 唐突な提案に戸惑ったけど、自然と答えていた。
『なら、青がいい…です』
『ほほう。そうか、夜明けの色だね』
『はい?』
『君はずっと夜の中にいるようだと言った。
 だから、探しに行くのだろう 夜明けを』
『…ああ、そっか。ですね』
 そう、青は夜明けの色だから。だから、私は青が好きなのかもしれない………
 ………なんて美しい思い出っぽく浸っている場合じゃない!
 どうしようある程度手持ちがあるっていってもやっぱりある程度はある程度! 三日ともたない……!
 どう――――しよう。
 混乱であがりにあがっていた熱が冷めていく。
「…駄目、だなあ」
 彼女と別れた途端これだ、笑えるお話だ。
 笑えて笑えて泣けてくる。
 肩を落として町を歩く。その目の前に、酒を並べる店が見えた。


 …その後、私は。
 酔った勢いで自力で作った船で海に出ると言う暴挙にでることになる。
 今思えば自殺同然。というか自殺。初の飲酒って怖い。
 けれどまあ、そうして朝の町にたどり着いたのだから―――びっくりするほど、運が強い。


 そして―――それから。
 それから、私は―――

『うん、メイベルドー君って長いね…メー君にしよう』
『まて! もう少し捻れ! なんだその羊の鳴き声みたいな名前!? 馬鹿っぽい!』
『えーと………
 イー君? ベー君? ルー君? ドー君?』
『一文字シリーズから離れろおおぉぉぉぉっ!!』  
『…怒った…やっぱり私にマスターとか無理なんだ…』
『な、泣くな! 泣きたいのはこっちだ!』

『フレイム…フーちゃん…いや、むしろ炎龍だからほーちゃん…。うーん。ぴんとこないね…
 …メー君がひねれ捻れってうるさいし…炎は火、火は転じて緋色の緋…緋那にしようか』
『…ああ、マスターがそういうなら構わない。
 ただ、後ろですごく恨みがましい目で見られているのは気になる』
『こら、メー君、めっ』
『…差別だ…。絶対差別だ…』
 
『…リュコラ…だからリューちゃん、だとなんだか男の子みたいだね。せっかくだから女の子繋がりで緋那とそろえようか。
 君は地龍だから…そうだね、磨智というのはどうだろう。
 叡智の智に、磨きをかける…気に入ってくれる?』
『…うん』

『名前…ベヒーム…ベー君とか…』
『別に名前なんてどうでもいい』
『…いや、そういうわけにもいかないし…その、緋那ちゃんがどんびいてるからいきなり近寄らないであげて? コミニケーションは段階があるから…
 …そうだね、君はベムでいい? どうでもいいとまで言ったんだから、いいよね?』
『うん。十分』

『アヌ、だから、あー君かぬー君か…。なんだか呼びづらいな。
 ここは種族名方式で行こう』
『構いませんよ』
『風…、ふう、ふう…そうだね、君は風矢。
 風の矢ってなんか強そうじゃね?』
『それは同意できかねますけど。確かに私は強いですよ』

 私は…… 
 少しは、変われただろうか。
 少しは―――未来を愛せているのだろうか。

 答えは、きっと、ここにある。

「いやあ、綺麗になったね〜」
「ああ…いつもこうならいいのにな…」
「僕はいつでも手伝う、だから緋那、僕を」
「『奴隷と呼んでください』?」
「…磨智。君、僕になんの恨みが」
「ないよ、そんなもん。恨みなんて似合わないでしょー。こーんな可愛い女の子にー」
「や、お前は案外執念深い」
「なんか言った? メー君」
「…いや、なんでもねぇ」
「…貴方、刻一刻と情けなくなっていきますね」
「うるせえほっとけ!」

 なんとなく笑みがこぼれる。
 だって答えは―――――明白、だ。

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