過去を思い出す、といっても、なにか劇的なことがあったわけでもない。
 幸せかと問われれば、きっと笑顔で肯定できた。
 けれど、辛いのかと問われても、きっと笑顔で肯定したのだろう。
 どうしよもなかったというほど追い詰められていたわけでも、迫害されていたわけでもない。
 けれど、あの頃、世界はひどく色褪せて。
 息をする度に心がすくんだ。
 退屈と不安に苛まれて。
 その目は光に恋がれてた。

朝日ヒカリを探して

 私の故郷は、鉄の国をけん制する連合国家―――の一つの中の、小さな港町。
 かつて―――私が生まれるより何年か前には近隣の国との交易で栄えていたらしい町らしいのだが、なにを間違ったのか物心ついた時には世事にも華やかではなかった。
 原因は、鉄の国との小競り合いで主要な港が物理的に打撃を受け、それを復興している間に他の港町に客を奪われた―――らしいけれど。
 やっぱり私の記憶にはそんな物騒なことはなくて、おおよそ長閑な町だったと思う。潤っていた時代のお陰で、文化レベルも高かったのかもしれない。
 ただ、蘇生と言う技術も龍も伝説上の生き物だった。ついでに、町を歩けば鉱物が落ちているなんてこともありえない。
 ましてや、色んな種族が笑って暮らせる国なんて。
 そんなもの―――夢の中ですら想像したことはなかった。

 私は、そんな今暮らす町に比べれば平凡で、のどかな町の、同じくごく平均的な両親に育まれて育った。
 ごく普通の両親に、ごく普通に愛情を注がれて、健やかに。その町の住人の大多数の例にもれず、両親の家業を継いで魚でも買いつけてくる日々を経て、嫁にでも出るはずだったんだろう。
 少なくとも私は、そうなれればこの上なく幸せだった。

 けれど―――
 ごく一般的な家庭ごく一般的な容姿ごく一般的な能力。
 私自身はある一点において、普通にはなれなかった。

 有志の資産家の若旦那が指揮する『教室』があった。町の子供たちを集め、言葉を文学を教える場所。
 私はそこに通いつめた。
 通い詰め、ほぼ一日を過ごして―――そこで誰とも口をきかず『先生』達の話を聞き、本を読みすごすのが常だった。
 外を遊びまわる同じような年かっこうの子供を眺めることすら忘れ、1人過ごしていた。

 幼い頃、少々体が弱かったから。
 殆ど外にでることなく、1人ですごしていた。
 長じるにつれ、健康になったけれど。やっぱり、1人だった。
 だって、同じように遊びに入ることはできないくらい、周りの交流関係の輪はできあがってしまっていたから。
 だって、別に。私がいなくても、大丈夫な人達ばかりだったから。
 だから私は、自然と1人きりだった。丈夫になっても、普通じゃ、なかった。

 ああ、でも、気付かなければ良かった。
 そうすれば、焦がれずにすんだ。
 孤独は一人でいたなら感じない。多数の中で認識されない時にこそ胸を裂く。
 普通とは正しいことではない。多数だということだと。
 その前が幸せだったんだから、気付かなければよかった。
 たまに話しかけている人達にも、どこかで壁がある。
 1人きりは寂しくてたまらない。
 ――――ずっと寝ていれば、いっそ幸せに死ねたのに。

 何も変わらず、何も知らず。
 盲目のまま生を終えたなら、私は幸せだったのに。

 どうして変わってしまったのだろう。
 どうあがいたって、認められることなどなかったのに。
 どうして成長なんてするのだろう。
 いっそずっと体が弱ければ。周囲から距離を感じる状態を、理不尽なんて思わない。

 別に、距離をおかれていただけで。泣きごとをもらすような状況ではなかった。
 けれど、本当に寂しくて。寂しいから、たまに泣きたくなるだけで。
 気づけば自分が嫌いになった。
 自分を大事にするというのが、どういうことか。わからなかった。
 でもきっと、他人も大嫌いだ。どうせ私を馬鹿にするもの。馬鹿にしなければ憐れむだけだもの。憐れみじゃなければなんだと言うの。私に関わって得をする人間はどこにもいない。
 だから、何もかもが嫌で、嫌で、嫌で―――……たぶんなにも信じていなかった。
 そうして、過ごした年月が15年。眠りの闇も昼の光も遠くなり、瞳が捕えるものなど、空虚な薄闇ばかりで。
 いつのまにか、寂しいという感覚すら遠くなった。
 ああ、このまま死ぬのかな私。
 五感のすべてが鈍くなった頃、そう思った。
 思ったけれど―――すぐに笑えた。
 別にいいや。死んでも。
 どうせ何も変わらないのだから、いいじゃない。
 なにもいいことがないのなら、せめてこれ以上辛い思いしたくない。
 私なんてどうでもいいのだから、どうなっても―――いい。
 そう。どうでもいいのに。
 今更、悲しくなんてないのに。
 なんで。
 どうして、なにが悲しくて涙が出るのだろう。

 ろくに眠れなくなった。ものの味も四季の美しさも物語の楽しさも感じなくなった。
 けれど嗚咽と一緒にかみしめた唇の痛みは、まだ鮮明なままだった。
 増えるのは一人で泣く夜ばかりで―――重なったそれにそのまま押しつぶされてしまいそうな気がした。


 なにがあったというわけではない。
 なにもないのが辛くて悲しかった。
 このまま、なにもないまま生きていくのだろうか。
 怒りさえ忘れて、守りたいものもなく、虚ろなまま。
 流されて、流されて、一人辿り着くところは、きっと彼岸に等しい、なにもない場所。
 それならば。
 それならば、そんなことは、嫌だ。まだ嫌だと思えている。だから………………………………………………―――――――


 1人きりの私は自然と一人遊びが好きだった。
 それはある程度長じてからも同じで、その中でもお気に入りは『旅を想像してみる』こと。
 近隣の町への道をリアルに調べて、旅の方法の本を読み漁った。
 そんなことで旅が出来ようになれるとは思っていなかったが、楽しかったのだ。
 楽しかったから、ただそれだけの暇つぶし。

 けど、今からやることは、真似事じゃない。

 間違っていると思う。
 病気をしなくようになっただけ、いや。そもそも口減らしにあわなかっただけ。幸福だから。私は。
 間違っている自覚はある。
 けど。

 必要最低限のものと金を詰め込んで、できる限り丈夫な服を着込む。一応手紙は残したけど…心配するなと言うのは、無理だろう。
 なにしろ体の弱かった娘だ。旅なんて、無謀だと思う。
 寝静まる家族に「ごめんなさい」と呟いて扉を開ける。そのまま、夜の中へと飛び出した。

 間違っているのは分かってる。
 逃げているのも、誰かを泣かせることになることも。
 それでも。
 私はもう、ここにはいたくなくて。

 振り返らずに過ちを犯す。その夜は生温かいくせに魂が凍えるほど冷たくて。
 当てもない旅はどこへ行きつくのか、まるで分からなかった。

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