いつも通りの朝。朝食時。
 なのに我が家のマスターは真っ青な顔で手紙を握り締めていた。 その後ろに、どこか釈然としない顔をした光龍をつれて。

振り返る降り積もる

「大掃除しよう」
 最近、どっかの国の郷土料理に凝ってる緋那さんお手製のお味噌汁すすりつつ言うマスター。
「マスター。食事中はちゃんと座る」
「…ごめんなさい」
 すくっとたっていた彼女は素直に座る。…どっちが主人だか分からない。
 なんて思ってきゅうりの漬物を齧る。ちなみにこれは緋那さんの料理に合わせたベムのお手製。…こういうことから近づくことにしたらしいことは、まあいいけど。でも、鼻歌歌いながらぬか味噌混ぜてるのはどうなんだろうとつっこみたい。そして僕のベッドの下に入れるのはやめて欲しい。自分の部屋に仕舞え。
 ずずう、と味噌汁をすすり、箸を置く。
 同時に、食事を終えたマスターは言った。
「ともかく、近いうちに両親が来るから。
 片付けしなきゃいけないの」
 ぐ、と拳を握るマスター。
 その姿に、正直な感想が零れた。
「かなたさんの口から片付けろなんて言葉を聞く日が来るとは…世の中なにが起こるかわかりませんね」
「ああ…だが、そういう風に慌てるくらいなら、普段からしっかりしろ」
「大体家を散らかしてるのは大抵マスターだよ。読んだ雑誌、ちゃんと戻して。新聞を散らかすのはやめてって、私も言ってるのに」
「…もっともです」
 しくしくと泣くマスター。
 その脇で暢気にご飯かきこんでるメーのもぐもぐという咀嚼音と、ぽりぽりと漬物を齧るベムがなんとなくその姿の哀れさを増幅させた。
「…そんなにここに来られるのが嫌なほど、ご両親、厳しいのですか?」
「いや。甘い。なにしろ病弱だったもんでねえ。
 だからこそますますっつーか…そこは…両親にいいかっこしたい乙女心かなあ……」
「っていうか、なんで今更くるの」
「いや、今更でもないんだ。ずっと前…ちょうど緋那ちゃんが来たころだね。『安住の地を見つけてお仕事もあるので暮らそうと思います』と伝えました。それまで私、家出人として一応つれてかえるとお礼が出る身分だったからさぁ。
 …手紙で話はまとまったけど、その時からいつか来るとは言っていたんだ」
 …鬱々とした口調でさりげなく意外なこといったな。この人。つまりケリつける前は文句をつけられていたわけだ。この言いようと顔なら、恐らくは、旅そのものに。
 常日頃両親と呼ばれる存在のことを懐かしそうに話すこともある彼女だから、てっきり合意の上だと思っていたけれど。僕としては旅に出るのが故郷の風習かなんかなのかとばかり。この人、そうでもないと行動を起こすようには見えないから。
 少々意外に思う間にも、主の言葉は続く。
「伝説の町で一人暮らす元病弱のことが心配なんだろうねえ」
「一人じゃねーじゃん」
「そうなんだけどねぇ…」
 彼女は心底嫌そうに、申し訳なさそうに…泣きそうな顔で呟く。
「うちの故郷は龍なんていないよ。…というか実在するかどうかも微妙な生き物だよ。
 だからあんまり会わせたくないんだよ……そんな得たいの知れないものと暮らしてるのかとか言われそうで……」
「…別にそんな鬱陶しい顔されなくとも、気にしないけど。
 私達が珍しいのは事実だよ」
「それに、今は人間の姿をとっているから、ばれないんじゃないか?
 龍という存在を見たこともないのなら、人へ化けるとは夢には思わんだろう」
 町ではどうしても龍に会うだろうが、そこは誤魔化せ。
 緋那さんはそう言い切って、自分の分の食器を流しに運ぶ。
「ふふふ、その通りだね。大丈夫、へましないで人間っぽく振舞ってあげる」
 ふふふ、ってなんですか、磨智さん。
 そうつっこむこともなく、マスターは頭を下げた。
「………お願いします」
 ため息をつくようにそう言って、さらに続ける。
「…しかも、今、私、職業持ってないし」
「トレハンは職業じゃないですか」
「…私の主収入源、ステラ拾って金塊にとっかえてるだけだし。
 家事も緋那ちゃんに任せ切り出し…」
「……自覚はあったのか」
 再び腰を下ろして言う緋那さん。
 マスターはその呆れたような目線に、恐縮したように肩を震わせた。
「…ともかく、きちんとしなければいけない。人間的に考えて」
 日頃の行いを大層反省しているらしいマスターに、メーが鼻を鳴らす。何んとなく不機嫌そうだ。どうでもいいけど。
「きちんとすりゃあいいだろ。
 掃除だろうが大掃除だろうが、すればいいだろ。手伝ってやる」
「いや、メー。その前にお前の部屋も結構ひどいから片付けとけ」
「大体さあ。ベッドの上でお菓子食べるのやめなよ。だらしない〜」
「………おう」
 間髪いれずに入った鋭い指摘に、ついと視線を逸らすメー。
 …部屋はやっぱり綺麗にしとくべきものだな。
 しみじみとそう思いながら、食器を台所へ運ぶために腰を上げた。

「つーか私の部屋で場所とってるのはこれなんだよね」
 本棚。―――の、他に箱。果はダンボール。
 乾いた笑みを浮かべながら床に広がるそれを指差すマスター。
「これ…全部、本だって言うんですか?
 え? 足の踏み場がありませんよ!?」
 思わず驚愕の声を上げる僕に、彼女は即座に言い返した。
「し、失礼な! 気をつければそこに獣道があるだろう!」
「獣道!? なんで部屋に獣道があるんですか!?」
「だって…本を捨てるくらいなら本に埋もれて死んでやる!」
「威張らないでくださいよ!」
 ああもう頭痛い。
「…けど、まとめる努力をしたってことは、整理する気になったの?」
「………買ってくれる人が見つかってね。このまま私の部屋で埃の危機に襲われるくらいなら、その人の下で幸せになってもらおうと、お嫁に出す決意を」
「…たかが本に大げさですね…」
 嫁って。それはあなたの娘なんですか。
 ハハ、と笑ってやると、軽くはたかれた。こちらも軽く睨めば、真剣な目と出会う。
「読書を邪魔にする奴は馬に蹴られて死んじまえ。本を馬鹿にするものは本に泣くと言うじゃない」
「いや、言わないだろう」
 呆れたように言いながら足を踏み入れる緋那さん。…慣れているのか、迷いない足取りだった。
 そして、ダンボールを運び出すのでなく、本棚に手を伸ばす。
「ここにあるのは、とっておくべきものなのだな」
「うん、色々大切なもん」
「ふぅん…」
 頷くマスターに、緋那さんは一冊の本を取り出す。
 ただ見てみただけといった感じで、ぱらぱらとめくり…顔を引きつられた。
「かなた。これは、なんだ」
「…え?」
「これは、なんだ?」
 繰り返す彼女がビッと突きつけたものは、写真。
 それを見たマスターの口は『ばれた』と動いた。
「なんで、こんなものを、残してる…」
「だって、可愛かったし…」
 顔を強張らせる二人に、僕もその写真を見てみる。
「緋那さん?」
 そこにいるのは赤い髪の少女。そう見ても緋那さん。
 ただし、やたら可愛らしい…磨智さんが好きそうな、フリルいっぱいの少女趣味なドレスだ。…まあ、メーが着せられてるもの程ひらひらはしてないけど。
「ああ、それ、まだ残ってたの? 確か、アルバムもあったよね、薄いけど」
 2、3個ダンボールを運び出していた磨智さんは嬉しそうに笑う。
「アレ、自信作だったんだよねー」
「お前がそう言ってあまりに煩いから一度着てやったんだ。けど写真までは許してない。捨てろ」
「え…。もったいない…。そ、そう思うよね! 磨智ちゃんも」
「うん、勿体無い。けど、緋那が嫌がるなら仕方ないんじゃないかな」
「う…っ」
 それもそうだけど、とか呟いうなだれるマスター。
 …この台詞、メーが聞いたら泣くな。
 自分の部屋の片付けに行ってて良かったのかもしれない。
「そーだよ。私は緋那の嫌がることはしないよ。
 ベム君と違って」
 大きなブラウンの目はしゃきしゃきと箱を運び出していた朱い髪の少年を捉える。
 僕がいつ緋那の嫌がることしたの。
 いつもならすぐさまそう答えるだろうベムは、ビクリと肩を揺らす。
「磨智。君、最近、僕に嫌に絡むね」
「気のせいでしょ」
「…いや。明らかに―――」
 低い声は何事か続けようとしていたのだろうが、続かない。
 緋那さんが割り込んでその肩をがっしと掴んだ。
「ベム。お前の持っているその本は話題のアルバムなのかな」
「…うん」
「渡せ。そして忘れろ。出来ないなら消えろ」
「……………勿体無い」
「身体的ショックで強制的に忘れさせるという手もある」
「…………………………可愛いよ?」
「……私は、恥ずかしいんだ」
「……分かった」
 本気で嫌そうな訴えに、渋々アルバムを差し出すベム。
 緋那さんの手の中でそれは赤く燃え、消えた。
「もったいない…」
「なにか言ったか? マスター」
「…ううん」
 切なそうに首を振るマスター。
 それよりずっと切なそうな顔をしたベムの口が花嫁衣裳も駄目なのかなとか動いてるのは、たぶん僕にだけ見えたのだろう。
 ぐるりと部屋を見渡す。言い争っている間に、ベムは働いていたようで、お世辞にも広いとは言えない部屋にも随分光が入るようになっていた。
「あとは掃き掃除と…拭き掃除も必要でしょうね、床、白いですよ」
「…うん、だね」
 マスターは心底嫌そうにため息をついた。



 …あれから、しばらく皆で頑張って。
 私の部屋もだいぶ綺麗になったし、リビングも気合の入った大掃除をした。
 むう。やはり、一人じゃ出来ないことも協力があるとはかどるもんだ。教訓みたいなことを本気で実感しつつ、床に座りこむ。
 そうして、手元のノートを一瞥した。
 少し日焼けしたそのノート達は、日記帳だ。

 ぼんやりと、そのノートを、めくっていく。
 …本当…少し前の自分って別人だよね。
 自分であることは間違いない―――のに。
 不思議というか、なんというか…こんなこと考えてた覚えはないのになあ……
 ぼうっと沈む思考を引き上げたのは、聞きなれた声。

「かなた」
 …びっくりした。
 喉元まで出掛かった言葉を飲み込み、じとりと目を据わらせてみる。
「ノックしてっていってるじゃん」
「呼んだけど気付かなかったんだろ。休憩しようってさ。緋那が茶淹れて待ってる」
 不機嫌そうにそうメー。
 その顔を見て、思い出す。
『…なんで…今まで言ってくれなかったんだよ』
 あの時も、彼は不機嫌そうな顔をした。
 …隠していたつもりはなかった。ただ、言う必要を感じていなかった。
 これは、言い訳だろうか。
 思いと関係なく口は動く。
「ごめん、日記読んでて。気付けなかった」
「…へえ、ずぼらなくせにそんなのつけれたのか、お前」
「うあ失礼。ちゃんと続けてるよ。
 懐かしいんだよね。読んでると」
 軽く答えて、自然と笑ってしまう。
「あの頃は、君しかいなかったのか」
「賑やかになったもんだよな…。…楽しいからいいけどよ」
 ふ、と微笑む彼は、本当に楽しそうだった。
 …そんなにいい環境にいる、とは思えないけど。彼が楽しいのは私としても喜ばしいのでそれでいい。
 そう、彼には幸せであって欲しい。
 彼は私に幸せをくれた、だから。
 だから、大切なのだから。
「……メー君、あのね」
「あ?」
 じっと目を見つめて、慎重に切り出す。
「…名前のこと、ていうか、家のこと…黙ってて、嫌だった?」
「…隠し事されてたのはいい気分しねーけど。
 いいよ、別に」
「…ほんと?」
「鬱陶しく疑うなよ。あたりめーだろ」
 困ったような顔をした彼の言葉に嘘はないのだろう。
 密やかに得た安堵は心を、口を軽くした。
「……家に、いた頃、どうしよもなくなることがあったんじゃないんだ。
 家族が嫌いなわけじゃない、でも…、…やり直したかった。
 だから、ここに来た。一人で」
 誰も私を知らない場所へ。
 一人で行けば、少しは変われると思った。
 変化。
 大嫌いなその現象を求めてた。
「…なら、聞かない。思い出させない」
「……ありがと……メー君」
「気にするなよ」
 ニッと彼が笑う。その笑顔に、いつかの…始まりの言葉が蘇る。

『しょうがねーマスターだな。
 しかたねー。従ってやるからありがたく思え!』

「ほんと、ありがたいよ………」
「あ? なんか言ったか?」
「…ううん。
 じゃ、これ片付けてすぐ行くから。私の分とっちゃ駄目だよ」

 片づけるのは、ここでつけた日記帳の下に隠した、色褪せたノート。…ここに来る前の日記帳。
 ここに来るとき、よりにもよって缶にいれて保存していたお蔭さまで、奇跡的に手元に残った荷物。
 そこにある記憶は、至極普通の日常。
 色褪せた心で綴った、あの頃の記憶。
 ああ、少しだけ。思い出してみようか。
 下から聞こえるのは、大切な…友達であり、家族である、大切な者達の声。
 ふわり、と笑みが浮かんだ。
 自分以外のものを大切だと思えること。それが嬉しかった。
 だから、今なら。
「大丈夫だね……」
 だから今なら向き合えるよ。

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