声が聞こえる。ふとした瞬間に、クスクスと笑うように。
そんなことしても、なんにもならないのにねえ。
そんな声が、聞こえる。
声が聞こえる
例えば朝起きた時。
例えば食事の味に一喜一憂している時。
例えば机に向い日々の記録を書いている時。
例えば日々の糧のために労働している時。
声が、聞こえる。
そんなことしても、なんにもならないのにねえ。
そんなことしても、なんにも残らないのにねえ。
笑うように嗤うように、耳朶の奥に響く。
うるさい。
うるさい、うるさい、うるさい、うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいウルサイウルサイウルサイウルサイうるさいうるさいうるさいうるさいウルサイウルサイウルサイウルサイ!
うるさい、んだ。
耳をふさいで、爪を立てる。
泣き叫びたい。助けを求めたい。何に追い詰められているか分からないのに。
涙を流しても無駄。誰にも会いたくなんてない。このまま消えていきたい。
瞼を閉じる。その裏の闇が、怖い。
だって分かってるんだ。
朝起きても、新しい1日が良いものとなる保証がないこと。
食事などなにを食べても最後には同じだとだってこと。
どれだけ記録を重ねても、いつかは消えゆくこと。
そんな日々を重ねる度に汗を流しても、なんの意味もないってこと。
誰にも言われるまでもない、そんなことは分かってる。
誰に言われているわけでもない、己のうちから響く声なのだから。
ああ、と喉の奥から音が漏れる。
脳内に木霊する幻ではなく、空気を震わせ世界に伝わる音。
けれどそれは微か過ぎて、誰にもどこにも届かない。
誰にも届かないことを望んで一人部屋にこもっているのに、そのことが胸を締めあげる。狂おしく、痛む。
息がうまくできない。うまく生きていけない。
ただ日々を送るだけで、こんなにも、無様。
けれどこのまま消えてゆくのは怖すぎる。
まだここになにも残していない、だから。
だけど、けれど。
悟りきった現実の裏には、やはり幻の声が響く。
残せるものなんて何もないよ。
すべては無意味なんだよ。
この世になにかを残せる人間が何人いるだろう。
世界に何かを刻めるのは、選ばれた一握りの人間。そして選ばれてもなお膨大な努力を必要とする、そんな世界。
そして、そして、それすらも永遠とは言えぬ、残酷さ。
例えば美術品。素晴らしいそれもいつかは塵に帰る。
例えば音楽。耳に心地よいそれも、奏でるものが消えて時と共に消える。
例えば物語。愛され語り継がれるそれは、愛される故に形を変える。
例えば血脈。それを残すことに資格はない。その血が残せずとしても、心の繋がりを以てそれを紡ぐことも可能。
だが、それもまた儚く消えゆく存在だ。生き物が続くことより、消えることの方が容易い。
ほぅら、永遠なんてどこにもない。
残せるものなどなにもない。
最初からなにもなかったように消えるなら、なんのために生きているの? 最後まで抱え込んだ苦しみさえも、こぼれて消えるだけなのに。
なんのために。
なんのために?
その答えもまた明確。
死を憎み恐れるから、生を選ぶ。
例え無意味で例え不明瞭で消えていくだけだとしても、それでも。
だって、声が聞こえる。
幻ではない、本物の。私を呼ぶ、声が。窓の向こうから聞こえてくる。
だから、詰めの食い込んだ掌をそっとなぞる。
苦しくて苦しくて、まだ息がうまくできないけど。
けれど、それでも、まだここにいたいんだよ。
あとがき
なにも残せないのだから生きていることに意味はないと思ったころがありました。
でも今は、なにも残せなくてもそこまで怖くないです。意味なんて問うから辛くなるのです。生きていたいから生きているで、いいのだと思えます。
生きているのが辛いころがありました。今も辛くないとは言い切れません。けれどそれはきっと当たり前のことで、悲観することではないのでしょう。
ふと未来が不安になって、立ち止まりたくなることは多いです。けれど、そこで生きることをやめるのもまた怖いのです。
私が生きていることに、きっと意味はないのでしょう。けれど、生きることをやめる必要もまた、ないはずだと思うのです。
それだけの、話です。もやもやしている時に色々影響受けた所為で、吐き出してみただけなのです。
09.01.30