仕事を終えて、軽く伸びをする。鬱蒼と茂った森の間、垣間見えるおひさまはきらきらと綺麗。秋だっていうのにぽかぽかしていて、眠くなるくらい。
 今日は危ないことをするわけでもなく、単にちょっと薬草とってくればいいだけだったから、余計に。別に武器を用意するまでもない、安全な場所だから。
「…っていうか、こういうのだと、私することないのよね…」
「何をぶつぶつ言ってるんだ」
 腕いっぱいによくわからない雑草―――雑草にしか私には見えない草を持った鈴は、不思議そうにそう言った。
 どれが薬草で、どれがそうでないか。私にはどうにもよくわからない。使わないからかしら。いや、加工されているのは、使っているんだけど。
「…やっぱやらなきゃ覚えないもんねえ、と思って」
「…私もしないぞ。薬の調合は」
「え? いつも似たようなの、色々してるじゃない」
「…あれは、薬を作っているわけではないから。それに、あれは草じゃないし。…ともかく、私は自分が使わないものでも、覚えている」
「う」
「覚える気があるなら、少しは勉強しなさい。…ほら、この辺りに生えているのの中で、使えるのと使えないの見分けてみるとか」
 言いながら小難しいことの書かれたメモを差し出してくる鈴は、なんだかちょっぴり機嫌が悪かった。
 そういう顔で、そういうこと言ってると、おとうさん…槙太さんそっくりだ。
 言おうと思ったけれど、複雑そうな顔をされるのだろうから、止めた。
 代わりに、メモに目を通してみる。写真に添えられた文字は、見慣れた相棒のもの。少しかくばった、癖のある文字。
 …覚えていると言うのなら、なんでこんなもの持ってきたのかしら。
 もしかして、私のためだったり、するかもしれないわよね。…鈴、そういうところ、マメだから。
 無下にすることもできなくなったメモを片手に、彼女とは逆の方向を見て。
 それでもすぐに草を見る気にはなれなくて、空なんか見たりして。そして。
 ――――蒼い空に、横切るものを見た。
「………………」
 …な、なんだろう。
 木の上をひゅんひゅんとはねていくソレは、なんだか人の姿をしている。み間違えじゃなきゃ、ひとの顔もついていた。
 けれど。でも。…で。でも。
 背中をじとりと汗が伝う。ああ、いっそ人じゃないと言ってほしい。そうすれば遠慮なく狩れるし。いや、でも。狩りたくも―――ない。
「す、鈴…今……化け物が………?」
「は? 化け物…?」
 叫んぶ私に、相棒は怪訝な顔をする。どこにそんなものが、と言いたげだ。
 言いたげだけど、私はよほどひどい顔をしていたのか。すぐに表情を引き締めた。
「どこだ? なんだ? …オイ、今更そこまで怯えるって何を見た」
 気遣わしげな声に、うまく答えられない。漏らした呼吸が、ひゅーひゅーと掠れる。だって―――怖い。
 怖い。
「す…ず…鈴……!」
 恐怖以外の、なんだというのか。
 見たくもないのに、脳裏に刻まれたその姿が、どうしても。
 でも、言わなければ。自分の胸にしまいこむに、その事実は重すぎる。
「―――ねこ、ねこみみが」
「は?」
「ネコミミつけたプチマッチョがメイド服で今そこをはねていった……!」
「………。……は?」
 お前馬鹿じゃないか、みたいな顔でみられた。表情があまり変わらない鈴は、だから動く時はすぐわかる。分かりやすい。
「う、嘘じゃないのよ! ふざけてもない!」
 どちらかといえば鍛えられた、がっしりとした男の身体。真ん中まで覗いた足もまた、たくましく。短い髪の上の、三角形が、ひたすら異色で。
「こ、怖かった……!」
 恐怖、だった。
 ネコミミつけたメイド服の男が、木の上をはねていく。
 それが恐怖じゃなくてなんなのか。誰か、教えてほしい。
「…舞華…」
 だというのに、鈴の表情は変わらない。というより、一層気遣わしげに変わる。
 ああ、そうだ。こういう顔、みたことある。
「すまない、お前がそんなに疲れていることに気付かずに、つれてこなくてもいい仕事につきあわせて。ほら、その辺り、日も当たらないから。ゆっくり休んでろ。な?」
「だ、だから本当にいたの!」
 前無理して訓練してぶったおれた時に、鈴はこういう顔してたなあ、なんて懐かしく思い返しながらも言い募る。いや、考えてみれば、納得してもらえなくてもいいわけだけど! いいわけだけど! この恐怖が臓腑にこびりつく無理やり口を動かすとか、そんな感じに! ああ何言ってるのか分からなくなってきた…!
 優しく肩をとる手を寂しい気持ちで感じていると、耳が音を捉える。私の声でも、彼女の声でもない複数の声と、同じくらい多い足音。
「いたか!」
「いやいねえ!」
「探せ!」
 ぱっと身を離して、話し声の方に目線をめぐらせたのは、二人同時。
 …探す、という言葉に、何とも言えない胸騒ぎを抱いているのは、私一人だろうけれども。
「野放しにしたら組合の名誉にかかわる!」
「ああ…誰かに見つかる前に引導渡せないと」
「止めろよそれは!」
 なおも続く口論に、じりと自分の眉がよるのが分かる。
 内容が物騒、とか、そういうのじゃなくて。徐々に近づいてくるその声の一つに、とっても聞き覚えがある。
「お前が言うとシャレにもなんねえんだよ!」
「…いや、シャレもなにも。わりと本気だし」
 がさり、と見つめていた茂みがなる。
 現れたのは、みんな、真黒いコートを来た男の人達。
 それが魔術師組合の研究員の制服だと教えてくれた人こと成冶さんは、目が合うと露骨に嫌そうな顔をした。


「あ、神宮さんと須堂さん」
 そうやって私達に声をかけたのは、けれど成冶さんではなく。彼の友人だという人。確か谷川さん。前、あった時。明るく屈託なく笑う人だと覚えていたけれども。今はどこまでも気まずげに視線をさまよわせた。
「ええと、散歩ですか? いい天気ですものね」
「いや、仕事。そちらは?」
 シンプルな鈴の問いに、彼だけではなく一緒にいた男の人達も固まった。
 それはそれは困ったような、あるいは少し悲しそうな顔だった。
「こっちも仕事なんですよ。いや、…いやその。えっと、あ。なるべく内密にしてほしいんですけど。さっきそこで捕獲しようとしてた得物が逃げまして。で、今みんなで追ってるんですよ」
「…そうか? その割にはなんか、野放し、とか引導、とか聞こえたが…」
「あっはっはっはっはっはっはっはっは! そ、そんなのはあれですよ! ほらここにいる相崎が逃げられたことにふてくされてですね! なんか物騒なこと言い始めましてね! 親友として俺は止めていたわけですよ!」
 泳いでいた目を真っ直ぐな眼差しにかえて、それはもう朗らかに谷川さん。周りの人達も大体そんな感じに、なんか力なく笑う成冶さんをこづいてたりも、する。
 …うん。なんていうか、ね。
 なんていうかね、なにがいいたいのか、全然わからないけど。
 分からないけど、何かを隠していることは、よく分かって。
「……ネコミミメイドぷちまっちょ」
 ぼそ、と呟いてみた。
 鈴以外の全員がざあっと顔を蒼ざめさせて、動きを止める。
「…今そこで見たんです。ネコミミメイド。プチマッチョ」
 ざああああ、と風が吹く。言葉を失った私達の間に、無駄に優しく吹き荒れる。
「…………。舞華ちゃん」
 硬直から最初に立ちなおったのは、成冶さんだった。
 とても悲しそうな、今にも頭を抱えそうなその顔は、へらへら笑われるよりは、胸がすくものであるはず。
 でも、今はただ悲しい。なんとなく、分かってしまったから。とっても。
「…どうか、それは忘れてあげて。君には関係ない世界なんだ。…そんなに蒼い顔してるってことは、怖かったんでしょう。忘れて、家に帰って。なにも気にしないで上げてくれ…」
「…成冶さん…」
 じっとこちらを見る目は、悲しくて、たぶんやさしい。……でも。
「あなたがそんなに優しいの、逆に怖い……」
「……、…うんそれでいいからどうか帰って。ともかく帰って。お願いだから」
 一瞬ぴきっと顔ひきつらせて、それでも彼は繰り返す。帰れ、と。
 …でもまあ、それが正しいのかもしれない。
「…そうね…」
 うん、きっとそうだ。早く帰って、綺麗なものでも見て。ゆっくり寝よう。ぐっすり寝よう。そうしよう。あれ寝不足のたまもの。うん。昨日たっぷり八時間寝てるけど、きっとそう。
「鈴、私達、」
 今日はもう、帰りましょう。
 そう続けようとした時、頭上にさっと影が落ちる。
 音もなく、なにかが上にいた。
「―――っ」
 とっさに持ってた警棒を抜いて、上を向く。でも。
 それより早く、ソレが動いた。
 頭のあたりに、ふんずけられた衝撃。
 ついでに、髪の何本かを持っていかれた痛み。
 キキ、とそれは声をあげて、また木々に飛び乗っていった。  怒りにまかせて叩き落とそうとするより早く。四つん這いで。…プチマッチョな、ネコミミメイドが。
「……………ふ。」
 なにしてるのなにしたいの人間としての尊厳どうしたの。
 浮かぶ言葉をたやすく打ち消すのは、ふつふつと湧いてくる笑い声。
「――――ふふふふふ。じょうっとう! 視覚に攻撃したあげく人の頭踏んづけて言ったその報い、必ず受けさせる!」
「舞華。人を指差すのはよくない」
「いや、そう言うとこより早く、その血の気の早さをどうにかさせてくれ…」
「なによ腹立つのは当たり前でしょう! つーか成冶さんあんたアレが何か知ってるんでしょう? とっとと吐きなさいよ引導渡すから!」
 思わず睨んで突っかかった私に答えたのは、彼でない。う、と洩れた、悲しげな声。
 感極まったような嗚咽を漏らしたのは、知らない顔。茶色い髪をした、成冶さん達と同じくらいの年齢の男の人。
「――――…す、全て激務が悪いんだあ……!」
 魂を揺らすような叫びと共につっぷしてむせび泣き始めたその人は、目の下に濃いクマがあった。
 同じようなクマを作ってた人達も、その人を慰め始めたりしちゃって。しまいにゃ一緒に泣いている人とかも出てきて。
 唯一少しマトモな顔色をしている成冶さんは、諦めたように長い溜息をついていた。


「黙って見逃してはくれないの?」
 おいおいと泣いている人達に構わず、彼はそう聞いてきた。答えなんて決まってる。
「ええ。ぶん殴ります」
「謝礼、出さないよ」
「ええ。それでいい」
「……………それでアレが怪我した時の治療費、君がだしなよ?」
「それは今から聞く説明し第ですね。事情によって考えます。
 あれは、なん、ですか!」
 ぐっと握った拳をつきつけると、何回目かの溜息。
 いつもにこにこしてるこの人がむかつくけど、にこにこしてないとにこにこしてないで、なんかむかつく。
「…何って言われてもねえ」
 それでも諦めるように言った彼は、足元の枝を拾う。
「…魔術には、見立て、という要素が必要になるんだ」
 小さな言葉に続いて、短い呪。
 ぼんやりとともる光は、強化のためのものだろう、たぶん。
「まあ、鈴ちゃんには説明するまでもないけど。舞華ちゃんそういうの忘れているだろうし、説明」
「なんでいちいち腹立つ言葉を添えるの、あんた…」
 謙虚な気持ちがふっとんだ。ぶんなぐってやろうか、この男。
「これが鋼の剣だと見立て、そうであると術をかける。決して鋼にはなりえないけれども、それにひとしい強度を持つことがある。思い込み、干渉した、その結果。
 まあ、色々な方法があるけど。これが鋼だと思いこんだ金属にまつわる精霊が、これが宿るべきものだと勘違いしたりしてるんだよ。物質ならね」
 ぶん、と放りなげた木の枝は、ざっくりと切り株に突き刺さる。ナイフかなのかのように。
「人も筋肉やらなにやら強化できる。これも同じ。精霊の加護。…でも、ひとには精神がある。人は己の身体を己以外のものに見立てることで、より深く精霊の力を宿すことができる。…要は思いこみの力だね」
「ふ。そのくらいわかるわよ。つまり、気合が大事、ってことでしょう!」
 それでもせめて聞いてみた。ついでに、答えてみたい。
 返って来たのは、どうしよもないものを見る目だった。
 …こ。これだから魔術師もとい成冶さんは。
「………。…その見立てで自分の願いをかなえようとした魔術師がいた」
「へえ」
「…自分の選んだ服来た彼女に家で出迎えてほしい。…だか彼に恋人はいない。いないなら作ればいい。しかし、すぐにできるわけではない。そこにいるのは、自分一人だけだ」
「そう」
「……鏡に映った自分に、暗示をかけたんだよ。自分、ネコミミメイド、と………………」
「いやなんで!?」
 思いこみの力に期待して!?
 そ、そこまで期待して!?
「理由はひとつ。メイドに迎えてほしかったばっかりに……」
「いやでもなんでよ――――!?」
「…全ては寝不足の所為だよな…」
「寝不足怖い! 怖いにもほどがある!」
 驚愕過ぎる真実に震えるしかありません。なんで怖いんだろう寝不足。ああ後ろで人達も皆顔色悪いから涙もろいのかも。
 私、もう夜更かししない……!
「っていうか……魔術師は変態か性悪しかいないの…?」
「オレを見ながらいうな。あと、こいつらとは所属違うからオレ」
 それがなんかの免罪符になると思ったら大間違いだ。
 人はきめつけるのが大好きだ。後ろ指さすのが大好きだ。
 ………ああ、そっか。
 たしかに、アレのことがひろがったら色々傷つくわね、組合の色んなもの。
「…で、なんで森を徘徊してるの。子供見たら泣くわよ、私は泣きかけました」
「ん名無茶な暗示がうまくいくわけないんだよ……。…変にテンションあがっちゃったそいつは、野に放たれてしまった、と…」
 すっげえ嫌そうな顔で成冶さん。
 なんかとっても味わい深い表情だ。ちょっぴり胸がすく。…報酬なんてこれ程度で十分だ。野に放ったままでいれないし。
「みつかけた時にはすでにあの姿。第一発見者は怯えうろたえている内に張り倒された。…これ以上被害者を増やすわけにもいかないし、そいつの心の傷を増やすわけにもいかない。…で、同じ課の若いので回収部隊を組んで。オレ、護衛」
 で、この状況。
 言って手を広げる成冶さんに、鈴が一歩近づく。…ずっと黙っていたのに。
「手伝おうか」
 耳を疑った。
「はあ!? 鈴、あんたなんでこんな馬鹿の祭典を」
 いや、私はぶんなぐるつもりでいたんだけど。
 だけど、彼のことを手伝うつもりはなかった。好き勝手にするつもりだった。
「成冶にはいつも迷惑をかけているからな。
 それに正直、心配だ」
 そうだ、この人すっごくお人よしなんだ。
 お年寄りには席を譲るどころか譲った上で荷物持って許されるならお家まで荷物持ちしちゃうくらいだ。
「失礼だが、動くの苦手なひと多いだろう。走る格好が悪い。…だから護衛なんだろう、お前が」
「……まあねえ」
 …それでこんなに嫌そうな顔でついてくるんだ。成冶さんって。
 成冶さんって……
「……便利な男なんですね」
「…………オレは優しいの。」
 あ、なんか自分を騙しているみたいな言い方。
 …面倒なんですね、成冶さん。
 自分だって顔色よくないですもんね、成冶さん…
「よい心がけだと思う。森はなにかと危ないから。親切だな、成冶」
「止めて。そういう言い方。心から」
 しみじみとした鈴の言葉に、彼はなんか吐きそうな顔をした。
 …貶しても怒るけど褒めるとこうなんだ。……めんどくさいヒト。
「…でも、なんであんなに早かったのよ。それも魔術?」
「ふむ。私もちっとも気付かなかった。そんな怪しいのがいたらしいのに」
 面倒なので、ちゃっちゃと聞いてみた。
 私達の言葉に答えたのは、涙をふいた後ろの人達。
「滝は…どっかの赤毛の入れ知恵で! 登山にはまってて…体力あったから!」
「そう、性悪な上に美人はべらす赤毛のせいで…」
 とぎれとぎれにいって、肩をたたき合う人が二人。
 …な、泣きすぎでしょ。まじで。この人達。本当に怖いわ。寝不足…
「いや会うたびになんかやつれてるからそのくらいしたら気分転換なるかと思って…山って空気いいしさ…体力付くのはいいことだろ」
 その赤毛ってあんたなのかよ。
 …だから護衛だったんだ。たぶん。
 なんか、お前の所為だろ、って顔で谷川さんが見てる。この人も珍しく目が死んでる。…おとなしいし。
 …ホント。
 大変なのね、宮勤め。
 ちょっぴり同情しながらも 腰に手をあててはん、と笑う。
「身体鍛えてようと。所詮デスクワークがお仕事の人でしょう」
 警棒をかまえて、地面に突き立てる。
「私をなんだと思ってるの?
 変態の一人や二人、さくっと捕まえてやるわ」
 なんとなく明後日の方向を指さしてみる私に、鈴が静かに頷いた。

 目次 



 舞華はかなり結構執念深いです。一発殴ったらすっきりもするのですが。それまで怒る。
 そんなしょーもないギャグです。ええギャグです。山も落ちもありません。息抜きに書きましたから。
 しょーもないけどもうちょっとだけ続きます。
2012/08/12