忌み子、贄、災禍の兆し。
 それが私の名前だと思っていた。
 そうではないと教えてくれたのは、1人目の養い親。
 彼女のつけた名を誰より呼んでくれたのは、彼女を失い得た、養母と養父。
 その名を褒めはやして、傍で呼んでくれたのは、よく笑う相棒。
『綺麗な目ね』
 忌まれた瞳をそんな風に評して。にっこりと笑う彼女は。
 恐らくは枷なのだろうと、そう思っている。

愛惜の枷

 あれは、まだ、退治屋をはじめて1年たつか立たないかの頃。
 実家である道具屋でその言葉を聞いた時、出されたお茶をふきそうになった。
 そのくらい、不思議だった。
「…仕事、ですか?」
「なにを驚いた顔をする? お前は退治屋なのだろう」
 元から低い声を、さらに低くして、槙太さんは言った。
 …確かに、私は退治屋だ。しかし。
「…いえ、反対されているとばかり思っていたので、意外で」
「…私は、反対していない」
 お前がそうしたいなら、そうしなさい。静かにそう言う養父は、いつもしかめている顔をされにしかめた。
 その言葉が、表情が、物語ることを私はよく知っている。
「…咲子さんは反対しているんですね」
「アレはそういう人間だからな」
 はぁ、と息をつく槙太さんは、ズッ、と音を立てて茶をすする。そういうことしてると、また咲子さんに行儀悪いと叱られそうだ。…飽きることなくそんなやりとりを繰り返す二人は、やはり仲の良い夫婦なのだろう。
 …飽きることなく、か。
 …あの優しい養母は…飽きることなく私のことも怒っているだろうか。
 じり、と胸の奥が痛む。悲しいのか、申し訳ないのか。…どちらにしろ、勝手なことだ。その気遣いに応える気なんて、ないのだから。
「…アレのことが気になるか?」
「…それは」
 それは、そうだ。『そんな危ないことしなくたって、いくらでも勤め口なんてあったじゃない』何度そう言われたか分からないし―――それが、正しいことなのだから。
「気になるくらいなら、止めてしまえ」
 しかめっつらで言い放たれた言葉に、苦笑のようなものが漏れる。
 よく私が似ていると言われるその顔は、やはりずっと本家の方が迫力があると思う。
「……やっぱり、槙太さんも反対なんじゃないですか」
「アレより私の方が、今お前のやっているのが危ないことだと知っている――そうなれば、娘を案ずるのは当たり前だろう?」
「………」
 不機嫌そうに言われた言葉に、言い返すことはできない。
 目の前の養父も、その妻である養母も、まるで血のつながりもなければ、なんの関係もなかった私を娘だと呼び、慈しんでくれる。
 そのことが、どれだけ尊いことか、知っている。
 そのことに、それだけ救われたか、分からない。
 それでも。
 脳裏によみがえる、藍色の瞳と、茶色い髪と。
『鈴様』
 優しい声が、戒めてくる。
 頼ったりしたら、失うだけなのに、と。
 救われることなど、許されてはいけないのに、と。
 だから。
「……ごめんなさい」
 小さく頭を下げる私に、養父はなにも言わなかった。
 顔を上げられないまま、自嘲の声が響く。
 私は。
 穏やかに暮らす自分を、受け入れられないままでいる。
 目の前の優しい人に、報えないでいる。
 それだけでは、ない。こんなことを考えている時点で、裏切っている人間は、もう一人。
『鈴様―――…いいえ、わたしの、いとし子』
 遠くなってしまった過去、大切な人の最後の願いさえ。
『どうか、幸せに』
 そのたったひとつの願いさえ、私は、裏切ってばかりいる。
 依頼の内容を滔々と説明する声が、遠い。
 ごめんなさい。
 再度口の中で呟いた言葉は、白々しく響いた。


 養父が頼んで来たのは、水辺にいる魔物の骨を適当に取ってこい、とのことだった。注文された防具に使いたいらしい。
 …適当に、の辺りに、無理はするな、という言葉が聞こえた気がして、少し居心地が悪い。
 しかし、いつまでも痛がっているわけにもいかない。今、その指定の湖へと向かっている。
 急を要すると言うから、向かってはいるが。考えてみればおかしな話だ。
 適当なモノで良い、というのに、場所は指定するなんて。
 …槙太さんが考えなしに変なことをいうはずないので、なにか理由があるのだろう。その湖で育った魔物は、骨が硬くなるとか、そういうことが。…そういう勉強、した方がいいんだろうな。私も。
 思い、徐々に近づく湖を見つめる。
 静かな湖面に、さてどうやって得物をおびきよせようかと考え始めた時。
 背中に、どうしよもない悪寒を感じた。
 考えるより先に、足が動いた。
 とっさに地面を転がると、つい先ほどまで私のいた場所を、なにかが薙いだ。
 地面に刻まれる、鋭い刃物の後に似た―――爪痕。
 それの作りだしたはずの魔物を睨み据え―――…
 唱えかけていた呪文を、一瞬忘れた。
 羽音もなく近づいてきたその魔物は、鳥に似た姿をしていた。
 そして。
 その左の爪を、小さな人間の脚に食い込ませていた。
 …動くのが遅れていれば、私もこうなっていたわけか。
 苦い思いで、つかまれた人間を見る。
 こんな状況で軽鎧をまとっているということは、退治屋なのだろう。
 ぐったりと目を伏せたまま反応を見せたりはしないが、…まだ、その肩は微かに上下している。その手に握りしめられた槍がこぼれおちることも、ない。
 脚だけでなく、細かな傷があちらこちらに見えるが、もしかしたら、まだ、致命傷ではないのかもしれない。
 ならば…助けなければ。
 剣を抜きながら、そう決めた。

 ―――それが。
 私と神宮舞華との出会いだった。


 あれから一年たった今、思う。
「…思えばあの頃から舞華は無茶をしていたんだよな」
 正直な気持ちを呟くと、舞華は軽く頬を膨らませた。
「反論しないけど。しみじみと言われるとすっごく悲しい…」
「悲しかったのか?」
「だって最初っからあんたに迷惑かけてるってことだし…さすがにへこむわ」
「…そうか?」
 迷惑をかけらえた気は、しなくもないが。
 それを舞華が気にするのは、違う気がする。全て私がほうっておけなくてやったことだ。
 しかし。
「…そうか、気にするから、こんなものくれたのか」
 朝起きるなり、出会って一周年、と言われて小さな包みを渡された。
 まるで心当たりのないことだったから、驚いた。
 私は全く意識していないことを、舞華はよく覚えている。…いつものことだ。
「…ごめん、迷惑だった?」
「は?」
「やっぱり花とかの方がよかったかしら。あとくされなくて」
 なにやらいきなりぶつぶつと悩み始める舞華に、私の方が首をかしげる。…なぜそんな話になるのだろう。
「いや、嬉しい」
 言って、贈られた耳飾りを眺める。
 小さな銀色の十字が輝く、耳飾り。目立つ装飾はないが、細部に刻まれた意匠が美しい。
「趣味に合うもの買ってくれたみたいだし、使うよ」
 念を押すように言うと、悩みに悩んでいた顔が一転して、呆れたようなものになる。
「…ねぇ、鈴。なら、こんなもの、とか言わないで欲しいわ…」
「…そうなのか?」
「そうなのよ」
 拗ねたように唇を尖らせる顔を見て、忙しいな、と思う。
 ころころころころ表情を変えて、忙しい限りだ。
「……しかし、私はなにも用意していない。悪いな」
「いーわよ。この一年、あんたのとこに無理やり押しかけたのも、ずーっとくっついてたのも、フォローしてくれていたのも私だもの」
 照れたような顔でぱたぱたと手を振る舞華に、私は頷けない。
 確かに。それはそうなのだが。別にそれだって、舞華の頼んだことではない。
 出会ったあの時、助けた少女は、傷が癒えるなりまた次の仕事をとってこようとしていた。
 私が来なければ、まず死んでいただろう目にあってなお、闘志を衰えさせずに。それはあまりにも無謀で。
 同じことを繰り返すだろうな、とそう思った。
 そのことが、どうにも放っておけなくて、コンビを組むことにした。
 コンビを組んでいるうちに、こいつが「家はなにかと気まずい」からと私の住んでいた場所へ来た。
 そのことで、不都合を被った覚えはない。最初から、1人で仕事をするのは危ないとは考えていたし、1人で住むには少々広い部屋だったのだから。
「気にせず受け取ってもらえるのが、一番嬉しいわ」
「…そうなのか?」
「そ、そんなに困った顔しないでよ」
「…? 困った顔、しているのか?」
「してるわよ……少なくとも私には分かるわよ、そろそろ…」
 不思議な言い様に、自分の頬に触れてみる。そこはいつも通り、緩んでもひきつってもいないけれど、こいつには変化があるように見えるらしい。
 …不思議だ。
 小さく呟いた瞬間、ビシッと指をつきつけられた。
「いーい? 鈴。こういうときは、笑顔でにっこりありがとう、って言われるのが一番うれしいのよ!」
「……そうか」
 手本を示すかのように笑顔を浮かべる相棒に、とりあえず笑い返してみる。
 笑えていたらいいと、祈りのように思う。
 だって―――こいつに会えてから、随分とそれを思いだせたと思うから。

 笑顔を忘れたのはいつだろう。否、忘れたのではなく。浮かべる度、罪悪感で悲しくなったのは。
 そんなこと、考えるまでもない。
 私の世界を構成する唯一無二が死んだ時。
『どうか、幸せに』
『生きて、ね』
 そう残して、私の世話役だった彼女が死んだ時。殺されそうになったから、故郷から逃げた時。暗くて狭いそこから私の手をとってくれたヒトが、死んだ時。
 あの時、私は。
 そのまま死んでしまいたかった。
 そのまま死ぬべきだった。
 ―――生き延びた今は…そうは思ってはいないけれど。
 苦しんでもがいて、生きていかなければと思うけれど。
 だって、そうでもしないと、私を守ってくれた彼女が報われない。
 だって、そうでもしないと、私を育ててくれた養父母に申し訳ない。
 ずっと、そう思っていて。
 それが少しだけ変わったのは、たぶん、舞華に会ってから。
 くるくるぐるぐると表情を変える相棒といるのが、楽しくなった頃から。
 私は、きっと。
 生きているのが、少しだけ楽しくなった。

「…鈴」
「なんだ」
「笑ってくれたの嬉しいけど。そのまま見つめあってるのは変よ」
「…今日は口うるさいな」
「あんたがいつもに増してぼけぼけしてるからよ…ああ本当有能で頭いいのになんでこんなにぼけてるの、鈴…!」
「私はぼけていない」
「記憶力悪くなったりする方じゃない! 性格がぼけてるっていうのよ! この天然素材娘!」
「天然? 普通だ」
「るっさい。天然よ、色々。性格が。それになによその髪ー。大して手入れしてない癖にさらっさらでー! 天然百パーセント! 顔だって異常に白いし! 綺麗よ!」
「舞華、顔が怖い」
「そーゆー返しするあたりもあらん限りに天然よ!」
 叫んで、舞華は肩を上下させる。
 朝からテンションが高い。
 感心していると、はぁ、と溜息をつかれた。
「…ああもう。こんなことしてる場合じゃ、ないの。
 せっかく作ってみた朝ごはん、冷めちゃう」
「そうか。じゃあ、リビング行くか」
「うん。…今日は言い感じに半熟なのよー。卵が!」
「そうか」
「鈴の作るご飯には及ばないけど、自信作」
「お前の作るのも十分うまいぞ?」
「……またそーゆー照れること、あっさりと…」
 ベッドを二つ並べた部屋からリビングのテーブルに歩きながら、思う。
 こういうことを、幸せと呼べるようになったなら。
 それこそが、彼女の望んだことなのだろう、と。

 ふ、と喉の奥が鳴る。
 嘲笑に似た、笑声だった。

 タイトルがなんかちょっと怪しいけど。愛惜って大事に思う気持ちだから。らぶじゃないから。ユリじゃないから。
 本編だけじゃなんであんなに鈴が舞華に執着しているか分からなくて何だと思ったので、補足話。3部構成の予定。あと鈴の両親が書きたかったんですよ。
 鈴は故郷で色々あって今の養い親に拾われました。で、とっても愛情を注がれて、見違えるくらい明るくなったのですが。
 その内心はわりと死にたがり。死にたがりと生き急いでる暴走娘が出会った時、それは少しずつ改善されてきているのだよという話です。
 2010/05/14