昔々、海の底に住むある人魚姫がおりました。彼女は、15の誕生日の誕生日に海の上を覗きました。
 ですがどうしたことでしょう。人魚姫の見た豪華な船は、嵐に巻き込まれてしまいます。
 そして、人魚姫は一人の人間を助けます。それは、美しい王子でした。
 人魚姫は、王子に心を奪われてしまいます。
 その恋を成就させるため、彼女は声と引き換えに陸に上り、足の痛みに耐えながら王子を探し、そして―――……

例えばこんな人魚姫

 陸に上がった人魚姫は、様々な偶然を以て、王宮で暮らせることになりました。
 声を失っているので、得意な歌は歌えません。歩く度に足はどうしよもなく痛むから、舞を踊ることもできません。それまでしたこともないので、針子仕事もできません。
 人魚姫は歯がゆい思いをしながら、必死に考えました。このままじゃ恋しい王子に気持ち一つ伝えられないのです。助けたのは私なのと名乗り出ることもできません。
 
 そうして悩みぬいた人魚姫は、おもむろに筆をとりました。
 そして、数々のすばらしい物語を紡ぎだしました。

 王子はそれを大変気に入りました。王子は城にいる方が好きなインドア派でした。
 実は彼女が海の中で暮らしてきたことを書いた日記めいた物語だったのですが、王子には新鮮で斬新に映ります。
 たちまち気に入られた人魚姫は、王子のお傍で会話する役目すら仰せつかりました。
 声? ああ、確かに声は出ませんから、実際にお話することはできません。
 けれど、人魚姫は筆談で応じました。文字はここに来る前にしっかりと勉強してきたので問題ありません。人魚は文字を必要としませんでしたが、恋する乙女はそのくらい可能とするのです。人間の文化も淑女の礼儀もばっちり調査・訓練済みです。
 自分ためのだけに物語を自分のためだけに紡ぐ人魚姫に、王子は心のときめきを覚えました。
 自分のことを真っ直ぐに見詰めてくれる瞳も、常に見上げられることしかなかった彼には新鮮です。

 そうしてある日、人魚姫に常々気になっていたことを聞きます。
 彼女を城に召し上げた時から、ずっと気になっていたことです。
「お前は僕を助けてくれた少女によく似ている。
 けれど、そんなはずがない。彼女は修道院に勤めている身なのだから…」
 そう、人魚姫に恩人だと思っている少女を重ねているからこそ、つい連れてきてしまったのです。
 人魚姫は、それは勘違いだと正すことはありません。助けたのは私です、と言っても信じてもらえるはずもありません。
 彼が修道女に助けられたと思っている以上、嘘つきと蔑まれる恐れすらあります。
 だから、彼女はにっこりと笑います。そして、白魚のような指先でいつものように文字を紡ぎます。
『私はその方ではありませんが、似ているというのなら幸せです。
 そのお陰でつれてきてくださったのですね?』
「ああ、その通りなんだ。その通りだが…今身近にいるお前の方が、今は愛おしく感じるよ。
 叶うなら、妻にしたいほどに」
 人魚は頬を染めながらにっこりと笑い、そっとその手を王子の手と重ねました。そして、眼で光栄だと伝えます。
 愛しているからといっても、普通は素性の知らぬ召使を妻とすることなど不可能です。身分、というものを人魚姫は理解していました。
 けれど、そんなこと分かっているくせに軽く言ってんじゃねえよこの親の脛かじりが、と罵ることはしません。恋は盲目です。
 変わりに、再び筆をとって、さらさらと文字を生み出します。
『私もあなたをお慕い申し上げています。こんなに優しく、よくしていただける恩人に、どうして惹かれずにいられましょう。
 けれど、それはなりません。私は、本来身をかくしているべきだったのです』
 なぜ、と問いかけられ、人魚姫は瞼をとじ、筆を置きます。そして、答えられないと示すように、伏せた睫毛を震わせます。やがてはらはらと真珠のような涙をこぼす彼女に、王子はすっかりうろたえてしまいました。
 そして、なぜだ答えろと問い続けました。
 その熱意に押されたように、人魚姫はおずおずと語り出します。
『私の父は、かつて、お城の宝物を盗んだとして、王宮を追われた身。
 けれど信じてください、父は無実の罪を着せられたのです。
 苦しい生活の中、父は果てる前に言いました。お前は口がきけないけれど、心清く生きていれば、きっとよいことがあるのだよ、と。
 それだけを信じ生きてきました。
 そうしてあなたに会えたのだから、父は正しかったのでしょう』
 勿論、嘘八百です。人魚姫は姫として優しい姉達に囲まれ何不自由なく暮らしてきました。
 人魚姫は基本的に心優しく清らかな娘でしたが、恋する乙女は変わります。恋と戦争にはどんな手段も許されているのです。
 案の定、お人よしな王子は苦しそうな顔をします。人魚姫の話を疑うこともしません。この国の今後が心配なぐらい純真な王子なのでした。
「それはいけない。お前の父の名は何と言うのだ」
 それは言えないというように首を振る人魚姫に、王子は強く訴え続けました。
 それが本当なら、私は償わなければいけない、と。
 人魚姫はしぶしぶとした仕草を装い、父として使った者の名をつづります。
 すぐさまその者のことを調べると、実際存在した人物だと分かりました。当然です。実在を知っているからこそ、この話を思いついたのですから。
 そして、その者が城を去った理由を探ると、確かに盗人の咎だとも分かりました。その後、別の者が犯人であり、立派な冤罪事件であったことも。
 当時の権力争いに負け無実の罪を着せられた男は、大変人望があったので、どうにか死刑の前に城を逃れていたのです。
 そして、その不幸な人生にもめげず、逞しく生き、近所の者に囲まれてそこそこ幸せな最後を迎えたことも、人魚姫は知っていました。彼女を心配した姉達に頼みこみ、都合のよい人物を探し出していたのです。正確には、彼女達が髪を犠牲に海の魔女に頼み込んだことでしたが、それは些細な差異です。
 彼は父も母もすでに亡くなり、妻もなく生きていたので、人魚姫の嘘を嘘と見抜く者もいません。

 だから、王子はその話を真実とし、父王にこう言いました。
 この者は不幸な生にもめげず強く生きてきた。ぜひ妃に迎えたい―――と。
 
 父(と偽装された者)はそれなりに高貴な血筋でしたし、無実の罪を着せた罪悪感を感じていた父王は、渋々と二人の結婚を認めました。
 お人よしの父親はやはりお人よしなのでした。

 こうして、人魚姫は王子様と幸せな結婚をし、優しい妃として慕われることになったのです。




 めでたし、めでたし♪

目次

あとがき
 皆一度は考えたことあると思うんですよ、筆談しろ、と。すでに他の方が書いてるかも知れませんよね…。
 で、筆談しつつ虎視眈眈と頑張って全てが上手くいったらって感じの都合のよいハッピーエンド。
 なんというか、いろいろ大丈夫かこの王子とかそんな簡単に王子と二人きりにはなれないとかそういうことは無視の方向で。だって童話だもん。
 09/02/15