あなたは全く分かってくれないけど。
 あたしはあなたが好きだから。

 その細い指先がページをめくる様が好き。
 本を見ている時の目も好き。眼鏡の奥の無意味に鋭い目線が、それを見る時は一層鋭さを増して、かと思えば妙に輝いていて、見ているこっちがドキドキするから。
 固く引き結ばれた唇は妙に形がよくて、ちょっとだけ妬けてくるけど、やっぱり大好きで。
 だから、本を読んでるあなたを見ているのは悪くないけど。
 だけど、好きなんだから。
 触れたいと思うのは、おかしいことじゃないでしょう?
 その視線をこっちにもちょうだい、そう思うのは当然のことでしょう?

MY Dear…

「ねえ、翔太」
 床に腰を下ろす彼の背中に、小さく呼びかける。
 本に夢中の彼は答えてくれない。
「翔ちゃん」
 彼の嫌う呼び方をしてみる。
 一瞬だけ視線を跳ね上げたけど、それだけ。どうやら耐性が出来てしまったらしい。
「翔ちゃん。翔ちゃん。翔ちゃん」
 それでもめげずに繰り返してみる。
 すると、鬱陶しげに見詰められた。
「なに」
 問いかける声は低い。
 ああ、怒ってる怒ってる。別に怒らせたいわけじゃないけど、本から彼を取り返せたからまずは良し。
 だから真顔で言ってみる。
「あなたには愛が足りない」
「意味が分からない」
 一刀両断。
 まさにそんな感じで言い切って、彼の視線は再び本に戻った。
 予想していたあたしは、意地で続ける。
「愛が! 足りないって言うのよ! なんで可愛い恋人ほっといて本に夢中なの、あなた!」
 足をばたつかせる。埃が立つから騒ぐなっていうのが口癖ひとつの彼は、これには多少眉を寄せた。そして、溜息を落とす。
「僕に可愛い恋人はいないな。うるさい恋人がいるばかりだ」
「うるさくなるのは誰の所為!」
「責任転嫁は良くないよ。他の誰でもない、君の所為」
 言い切って、眼鏡を押し上げる翔太。
 その唇には皮肉げな笑み。
 …そんな表情をしていても美形なのだから、なんというか、世の中不公平だ。
「…あなたの所為だもん」
「二十歳過ぎた人間が頬を膨らませるのはどうかと思うよ」
「うるさい」
 いちいち淡々と冷静に返ってくる声に、感情が高ぶる。
 本当にあなたはずるい。好きなのはいつだってあたしだけだ。
「なによ…少しくらいかまってくれてもいいでしょ!」
 思いっきり言ってやれば、それは静かな声が返った。
「―――僕は本が好きだ」
 彼は続ける。
「うるさくないし、落ち着くし。楽しいし、うるさくないから」
 これは暗に黙れと言われいるのだろうか。
 仕方なく口を閉じる。けど、それだけでは悔しいのでクッションを投げつけてやった。あ。よけた。本当、なんて小憎たらしい。
「…つまらない」
 小さく呟いても、彼は視線一つ寄越さない。
 ああもう。あなたがそんなんなら浮気するわよ。あなたが本に浮気するならあたしは現実の男と仲良くするわよ。
 よっぽど言ってやろうかと思うのに、しないのは怖いから。
 どうぞご自由に?
 そんな風に笑われてしまったらきっと立ち直れない。
 だから、あたしは黙るしかなくなる。彼といるといつもそうだ。
「……情けない顔しないで」
 一人で落ち込んでいると、溜息まじりに彼が言った。
 内心の驚きを隠して、怒ったように言い返してやる。
「なんでそんなこと分かるのよ。あなた、こっち見てないのに」
「窓ガラスに映ってるんだよ」
「…なにそれ」
 慌てて窓ガラスを見る。ああ、確かにうっすら映ってる。彼の性格を反映して馬鹿みたいに磨かれた、ベランダとの境界に、膝を抱えたあたしがいた。
「…なによそれ。ずるい」
 なんだか覗き見されてたみたい。
 大体、あそこまでふにゃふにゃしてない。表情まではうつり込んでない。なのに。なのに、なんで分かるの。
「ずるい」
 だって事実、あたしはきっと情けない顔をしている。
「……そこから降りて」
「は?」
「かまってほしいんでしょ?
 なら隣に来て」
 …なによ。
 今まで1時間以上スルーしといて、今さらなにしてくれるのよ。
 いきなり掌を返して優しい声なんて出さないでよ。ああ本当、あなたはずるい。
「おいで。夏紀」
 細い指が好きで真剣な眼差しが好きで綺麗な唇が好きで。
 あなたがあたしを呼ぶ時の冷たいくせにやけに甘い声が一番好きだって。
 何回言っても馬鹿にした顔で見るクセに、こんな時だけ有効活用する。
 どこまでもずるい。卑怯だ。
 そして、それに従ってしまうあたしはきっと馬鹿だ。あなたが言うとおり馬鹿で、あなたが思う以上に君が好きだ。
「来たわよ」
 彼の隣に腰を下ろす。冷たいフローリングの感覚に一瞬眉を顰めそうになったけど、しない。彼の隣にいると心があたたかい、というのは流石に寒すぎる。
「いちいち拗ねるな」
「拗ねるわよ」
「…そう。じゃあとりあえず正座して」
「え? なんで?」
 そもそもなんでそこに『とりあえず』なんて言葉が来るの? 意味が分からない。
「いいから」
 にっこり。
 めったに見せない皮肉じゃない笑顔に驚いて、自然に従ってしまう。
 …我ながら悲しくなってきた。なに、この染みついた忠犬気質。これでも彼に会う前は自由気ままな猫タイプとか言われてたのに。
 嘆きを息に込めて吐き出そうとした。
 けれど、それより早く、膝の上に頭が乗る。
「…翔太?」
 驚きを込めて名前を呼べば、大袈裟に溜息をつかれた。
 …溜息つきたいのはこっちなのに。
「僕は静かなものが好きなんだよ。
 それなのに君といるんだ。矛盾している」
「…なにが言いたいの?」
「僕は君が好きだよ」
 その言葉は、あっけないくらいにあっさりと紡がれた。
「……翔太」
 ああ本当。
 あなたは本当にずるい。
 嘘か真か分からない、そんな言葉一つで幸せになれてしまうあたしを知っているから、いつでもどこでもギリギリまで放っておいて。それまで拗ねていたのが馬鹿らしくなるくらい甘い言葉を吐いて。 だからあたしは離れられなくて。
 人の膝の上で性懲りもなく読書を始める彼に、文句を言うこともできなくなる。
 あたしもだよ。好きなんだよ、とそんな馬鹿みたいな言葉を繰り返すしかなくなる。

 あたしの親愛なる恋人は。
 相変わらずの澄まし顔で、「知っている」と呟いた。

目次

あとがき
山もオチもなく甘いだけの話。らぶいちゃ。
たまに書きたくなるんですよね、こういう、クール系なのとひたすらデレな女の子との話。逆でも可です。
心のテーマはともかく甘く。そして口の悪い眼鏡でした(笑)
08.11.22