幼い頃、あたしの世界はきみ一色。
君は友達で、家族で。好きな人で―――
いつか結婚するなら、君だとばかり。
そう、思っていたのよ。
けれど、そうね。そう思っていたのはきっとあたしだけ。
一度だってあたしの名前を呼んだことすらないきみにとって、あたしはきっと。
あくまで、ただのお嬢様だ。
お嬢様と従僕
窓を見る。
無駄におっきいそこから見える空は、晴れて美しい。ぴっかぴっか。
ああこんな日は箒にでものって空を飛ぶと気持ちがいいかもしれない。しないけど。疲れるから。なにしろあたしは近年まれにみるとか謳われちゃうほど天才的な魔女なのでそんなことあっさりこなしちゃうあたしだけど、疲れる。風にびゅーびゅーふかれて喜ぶ年じゃ、ない。決してこのあいだそれをやっておこって、足をくじいたからじゃない。
じゃあどんな年かっていったら、そうね。
恋とか愛とかに憧れる年頃☆ってやつだわ。
―――そして、憧れるだけで、踏み出すにはもう遅い。
そんな年なの。
それをちっとも知らずにいつも通りに傍にたたずむ幼馴染件従者が急に憎くなり、読んでいた本をぱたんと閉じる。
変わりに口ずさむのは、単なる事実。
「昔々、あるところに。
不思議な力をつかい、魔法使いと呼ばれる尊い一族がありました」
唐突な呟きに驚いたように、なんか憎くなったのことティトはこちらをふりむく。
なにがつまらないのか、やたらと仏頂面の、その顔。
見ていて愉快なものじゃないはずなのに、慣れしたんでしまったせいでむしろ落ち着いてしまう。
やれパーティだ研究だと忙しい両親より、こいつといた時間の方が長いからだろう。
「その影に、常に従うのは。
彼らを支える、従僕でした」
そんな彼に、恐らく昔は惹かれていた。
口が悪くて、愛想がない。でも傍にいてくれた、幼馴染に。
―――でも。
「従僕は魔法使いにしたがいます。なぜなら、そうすることで彼らは力を得るから。力を得て、長い時をいきることができるなら」
そう、彼らがそう望むのなら。
あたしがおばあちゃんになって、死んで。もし孫なんてうんでたら、それがやっぱりしわくちゃのご老人になっちゃうまで、生きてられる。
彼らはそんな生き物だ。
形は同じでも、私達とは違う。
父にそうとされたのは、もうずいぶん前のこと。
「だから彼らは仕えた魔法使いをたて、もりたてていくのです」
「……なにをいきなり。わかりきったことを。
なんなんですか、お譲」
「いやね。今そのわりにティトはちっともあたしを敬ってくれないな、と思って。むかしっから馬鹿にするじゃない。
そこんとこどうなのよ、我が従僕」
黒い髪をなでつけて、黒い服をきっちりとき込んだあたしの従僕は、とっても慇懃無礼な感じに笑った。嘲笑った。
「うやまってもりたててるでしょうが。あなたのようなじゃじゃ馬に淑女としての礼儀を教え込み、ダンスのレッスンに付き合い。
嫌だ嫌だとごねる勉強を熱心に教え、空が飛びたいといえばつきそい。
甘いものが食べたいといえば、厨房からケーキをすくねてくる。
私がこんなにも盛りたて、育て上げたからこそ、あんたの才能は今花開いているんでしょうが」
そりゃ、そういう側面はあるけど。でも、でも!
ああ、かわいくない。
昔はあたしより泣き虫だったのに。
ピーピー泣いて服なんてにぎってきたのに。
それがなによ、大きくなるつれてこいつの方が頭良くてさ。勉強も出来てさ。
元々口悪かったけど、それにこっちを見下すような目までついてきて。
ほんと、やなやつ。
やなやつで、あたしと一緒に育ったのに。
同じなんかじゃないっていうのね。
「あんたに面倒見られなくたって、そのうちあたしは自分でなんでもしたわ。なんたって天才だもの」
「ええ。あなたは天才です。しかし、ガキですね」
「そういうところが敬ってないのよ」
ふてくされて、膝なんてついてみたりする。窓際で頬杖だ。
どうよ、行儀悪いでしょう。また怒るんでしょう。ほら敬ってない!
「ガキでしょう? 明日に控えた見合いに怯え、きゃんきゃんと私に当たる。怖いなら怖いといえばいいでしょう」
でも、告げられたのは、お説教じゃなくて。
もっともっと心が痛い、哀しい言葉。
がばっとみあげたティトは、いつもと同じ顔。
不機嫌そうで、意地の悪い。あたしの、幼馴染。
そんなあんたが、それを言うの。
一度会ったら、恐らく断れない見合い。
それに向かうあたしに、そんなことを。
「―――怖い」
胸に湧き上がる気持ちは、なんなのかよくわからない。
それでも呟いてみたのは、嫌がらせの様なものだ。
「言ったわよ。どうしてくれるの?」
なんにもできないくせに、父の決断に意を唱えるなんてできないのに。どうしてくれるの?
「守って差し上げます」
「どうやって?」
それはもう真面目腐った声に、思わず少し笑う。
うん、おかしい。
本当にやっちゃいそうな辺り、おかしい。
「あなたの望むまま。
逃げたいなら逃げましょう。どこまでもお供します。
あなた、お嬢様のくせに生活力ありますからね。一度自由を手にしてしまえばこちらのものだ」
告げられる言葉は、夢物語ですらない。
魔法使いとその従者が、手と手をとって逃げる?
珍しくはないけど、そうそういるものでもない組み合わせで、仲良く?
お金と権力の全てをつかって、探しされるに決まっている。
「あるいは手と手をとってかけおちでもしましょうか。
ジツハオレハアナタヲオシタイモウシアゲテイタノデスヨ」
「し、白々しいわね…」
手の一つも伸ばさない、完璧な従者の顔で。
よくもまあ、そんなことを。
じっとりと呆れた目線でも向けていたのだろう。ティトは少し笑った。
笑って、すぐに真剣な顔になる。
今までで一番、真剣な顔。
「―――お譲の望むまま、っていうのは。本当だよ。
そんなに嫌なら、お父様を説得しましょう。それで駄目なら、…それでも逃げたいなら、ついていくよ」
その顔に、一瞬だけ見とれた。
でも一瞬だけで、すぐにかぶりをふる。
「…違うのよ」
そんなことで、あたしのほしいものは手に入らない。
「ティト」
「はい」
そんなことで、あんたの心は、手に入らない。
「ティト。…ティト。あたしはね」
ううん、きっと。
ほしいものは、それですらないから。
「…怖いけど、逃げない。…でも…」
それですらないから、あたしは。
でも、と続けそうになって、止める。口をつぐんで、笑う。
きっと、綺麗に笑えているんでしょう。いつものこと、だから。
「…なんでもないわ」
「そう?」
いつものように呟いた言葉に、ティトは短く答えた。
従者としての彼の声色で、幼馴染としての彼の口調で、彼らしく。
だからあたしも、あたしらしく答える。
自信家の魔法使い、ジョディ・マレッドとして、胸を張って。
「―――逃げるなんてキャラじゃないの。むかっていくわ。――――あんたもついてきてもいいわよ、ティト」
「ええ。元より。最後まで」
立ち上がるあたしに、手が伸びてくる。
触れるためではなく、手を取り、歩くための手助けをするだけの、手が。
先日痛めた足は、実はまだちょっとだけ痛い。
そのことに気付いてくれる従者が、優しい仏頂面でそうする。
「ついていきますよ。お譲」
あたしはこいつが好きだった。
今だって、あたしは。
決して言葉にしない思いを飲み込む。実際に飲んだのは空気の塊。なのに、喉に苦く響いた。
2012/10/20