形にならないものは、何の意味もないのだろうか。
 その感情が、確かに幸福で。確かに痛みを孕んだとしても。
 形にならないのなら、名前を持つことができないのだろうか。

形ないもの

 手袋必須になってきた某月某日。学校にて。
 友人に泣きつかれた。泣いてはいないが、泣いているような顔で、失恋した、と訴えられた。
 それに浮かんだ感想は一つ…
「また?」
 である。
「今度の人は優しかったのにさぁ」
「へぇ」
 良かったね、と言いかけて、やめる。もはや良くないんだっけ。
「…ご愁傷さま」
「そう、ご愁傷さま…またカレシなしになっちゃったなぁ…」
 一週間後にはまたできてるからいいんじゃね? とは言わない。
 僻んでいるようで嫌…というのも、ちょっと違う。
 そのバィタリティが羨ましい…とも、少し違う。
 誰かを好きだ、ふられた、そう言って騒げる彼女のことは羨ましい。だが、心底関係ないことで私を頼られても困る、というのもまた本音。
 だから、余計なことは言わず、とっとと話を終えたい。そして帰って課題でもやっていた方が有意義…である。
 課題とか全然したくないけど。いつかはやらなきゃマッハで来るものだし。無駄な話聞いてるよりはよほど良いという奴だ。
「…で、喧嘩になってさぁ、こっちが別れようって言ったら嫌だって言ったのに…最後には逆ギレして別れ切り出された…」
「もう切れたならどうでもいいじゃない…」
「よくない!」
 怒ったように友人は言う。…可愛いなあ。
 男が放っておかない気持ちも分かる。というかそのまま持っていってほしい。
「大体なんでそんなクールなの!」
「だって、興味ないし…」
 これは本音。
 …前、「いやぁ、そんなことないよ?」とか言ったら何を思ったか男紹介する手はず整えられかけたので、その辺はちゃんと言う。
 あれよあれよという間にアドレスおくられそうになった時など、アドレス変更しようかと思った。
 まあ、そんな陰湿なまねをするのは気がひけたのでしてないけど。
「興味ないなんて言わないで! 楽しいし!」
「えー…じゃあ、今他のことで忙しいことにする…」
「絶対適当に考えた理由じゃない!」
 もう、と怒る彼女はやっぱり可愛い。楽しいことを人と共有しようという姿勢は尊いと思う。余計なお世話だけど。
「そんなんじゃ人生損するんだからね!?」
「でも、損してる人生でも今結構楽しいよ?」
 にこり、と笑ってみる。にこり、と笑い返された。
「難しいこと言わない!」
 笑っているけど怒っているらしかった。実に忙しい。
 ああ、本当…可愛いな。
 色んな意味でそんな風に思い、私は早めの帰宅を諦める。
 長期戦を覚悟し、着ていたコートを脱いで、椅子にかけた。

 結局、彼女の話は青色していた空が夜空へと変わるまで続いた。
 今、日短くなってるけど。明らかにそれだけじゃない理由ですね、はい。
 無駄な時間だ。無駄過ぎる。
 けれど、無駄のない人生というのも味気ないのだから仕方ない。
 ふ、と苦笑して、意味もなく足元の石を蹴ってみる。
 軽く飛んだそれは、川へ落ちて行った。
 そうして、生まれた波紋に、再度苦笑がこぼれる。
 石だって、なにかに当たれば形を残すというのに。
 たった一週間ぽっきりのカレシだって、失恋したという事実が残るのに。
 人は行動しなければ、なにも残せない。
 …一年一緒にいたって、なにも言わなければ何も残らない。
 そう、興味ないとか言ってしまったけど。好きな人が、今はいる。好きなだけで特に親しいわけではない人がいる。
 彼女の話が無駄なのはわりといつものことだが、微妙に苦痛に感じた理由はそこにある。
 自分にはねかえって、妙に痛い。
 好きな人がいても、まったく告白という選択肢が浮かんでこないわが身に痛い。しみる。
「…これもひがんでるってことかなぁ」
 好きだけど、好きなだけで。別に付き合いたいと思ってるわけじゃない…という事実すら痛い。
 生産性がないなぁ、というかなんというか。そんなもの後生大事に抱えてる自分、馬鹿じゃない、みたいな。
 それでも、捨てる気になれないのだからタチが悪い。
 少し優しくされて、それが少し嬉しくて。目で追ってしまって。それだけで。
 それだけなのに、妙に幸せで。
 これから卒業して接点がなくなると思うと、妙に痛い。
 それならば、と告白する気になれないのだから…本当に、意気地がない。告白どころか誰にも言っていないから…本当に、消えていくのを待つばかりだ。
 今、確かに心とかいうものは痛むのに…なにも、残らない。形にはならない。
 ―――形に残らない痛みに、意味はあるだろうか。
 誰に伝えることもなく消える痛みに、名前をつけてもよいだろうか。
 失恋することもなく消える想いは、恋と呼んでもいいだろうか。
「…どうでもいいか」
 別に、誰の許しがなくとも。
 誰かを思った日々は、ちゃんと恋だったのだと。
 そんな風に、思えるから、きっと。
「いいよね…」
 ずきずきと痛む胸が、何の形に残らなかったとしても。きっと意味はあるのだ、と。
 意味があって、いつか、痛まなくなっても。それはちゃんと残るんだ、と。
 そんな夢を見ても、誰の迷惑になるわけでもない。
 はぁ、と息をつく。白く染まった息が、なんだか愉快だった。

目次

あとがき
 ちなみに昔こういう知人がいたんですよ。一週間ごとは大袈裟だけどのろけと振られた話を繰り返してくる人。すごく鬱陶しかったです。正直知るかと言ってやりたいしやんわりと言ったこともありますが…、いやあ、中々通じませんね…  内容についてはあれですね、別に恋なんかに限らんでも名前つけづらいけど捨てがたい気持ちつーのはあるわけで。それがなんにも生産性なくても人生豊かにしてくれたら素敵ですね、という。そんな軽い話ですよん。
 2010/01/06