秋
ある食堂兼酒場のカウンターに1人の男が腰かけている。
男は目の前にあるほかほかと湯気を出す魚に対して、憂鬱そうに溜息をついた。
「秋といえば栗だよな。栗。その手の菓子を期待して抜けだしてきたのに普通にサンマ出してくるとかどういう了見だ」
「…あんたに菓子出す時は、先に飯食わせろって。言われてんだよ、紅也に」
皿を拭きつつ、カウンターの向こうの店主が言う。客相手とは思えない、ぞんざいな口調。客ではなく身内だと認識しているからこその、軽い口調だった。
「…あいつはたまに親より親らしいこと言うよな」
「武行さん、違う。ああいうのは親言わない。小姑、または鬼」
顔を合わせて苦笑し合う二人は、元上司と部下。
「へえ、面白い話だね。で、誰が鬼だって?」
その背中から聞こえた声に、二人はぴしりと表情をひきつらせた。
「…ライド。誰が鬼だって?」
「すぐにそうやって刀で殴ってくるところがあら限りに鬼だよ、あんたは…」
鞘でしたたかに頭をぶたれた店主ことライド・ディランドは、低くつぶやく。
元同僚―――というよりは、現在も弟分のフシがある少年のうらみがましい目線に、鬼呼ばわりされた青年は表情を変えない。古凪紅也とはそういう青年だった。
「で、誰が君の親だよ。いやだよ君みたいな息子。いらないよ。ほいほいほいほい脱走して昔の部下に菓子を要求するような息子」
「紅也。いやなのはわかった。わかったから刀抜くな。ここ飲食店」
「今日は定休日、でしょ。じゃなきゃ即ひっぱたいて引きずってる。コイツの邪魔させたくないし」
「言いながら徐々に迫ってくるの止めろよ! お前『あ、手がすべった』とか言いそうだから」
「ハッ。この僕がそんなヘマするわけがないでしょう。その時は『あ、魔がさした』の間違いです」
「……」
魔が差したら刺すんだ。
色んな意味で怖くて口にできない言葉をそっと呑み込み、ライドはお湯を沸かし始める。武行にはカフェオレと言うのも疑問な甘い液体、紅也には正統派のコーヒー。言われるまでもなく用意してしまう辺り、しみついた性を感じずにはいられない。かつてこの二人にこき使われまくっていた頃の名残だ。
それでも。
「おれこれからここの大掃除するからさあ、暴れるなら早く帰ってな。
明乃さんが泣くぞ。幹部二人こんなところで無銭飲食に勤しんでたら」
投げやりな口調で出された妹の名前に、武行は僅かに微笑む。なぜか自信に満ちた笑顔だった。
「無銭飲食じゃない。ここを構えるのに金を出したのは俺だ」
「その理屈だと僕もだね。あの金はずっと昔に蓄えたものだから。明乃と武行と僕が稼いだようなもんだし、半分」
深丞武行は彼の父から家業をついだ。
ただし、『Averuncus』の名前だけであり。その時代の者たちは殆ど解散して、好き勝手に生きている。一部の例外を除いて。だから、その理屈は正しい。悲しくなるほどに。
「……おれその借り分はそろそろ働いたつーの…」
低く愚痴る少年の言葉に、二人は揃って顔を逸らせた。
基本的に金に恵まれていないからこそ、こうしてちょくちょく居座っているのだ。定休日に。そうすれば無視はできず色々出してくる少年を頼って。
「…そういえば、今日は静かですけど。セレナちゃんは?」
「ああ。なんか部屋で縫うものがあるからって言って、朝からこもってる」
明らかに話を逸らす目的で出された同居人の名に、ライドは素直に答える。
「朝からって…マメに育ったなね。あの子」
「順調に仕込まれてるよな。色々と」
「あとは料理がし込めればどこに出しても恥ずかしくないノリなんだけどな…」
どこか揶揄するような口調に、ライドは大きく頷いた。
仕込んでねえとか育ててねえとかおれは親じゃねえとか文句を期待していた二人は、そっと目配せあう。
親友二人の心は一つ。『所帯じみたよな、こいつ』である。
「…ま、あの子も色々大変だったみたいだし、元気ならなによ―――」
穏やかに苦笑しながらの紅也の言葉は、最後まで続かない。
彼の真上―――つまりは二階の、恐らくは彼女の自室で響いた爆発音としか思えないなにかに遮られて。
「………あの馬鹿今度はなんだ………」
心底面倒そうな口調で、それでも彼はすぐさま階段へとかける。目の前にいる二人を忘れたかのように、そそくさと。
ぱたぱたと上っていくその背中を見送り、二人はそれぞれ用意された飲み物を一気にあおる。
熱いコーヒーは、じっくり味わった方が美味。だが、早く立ち去った方が賢明だ。きっと、2階で展開されているのは。
一種地獄絵図だろうから。
「セレナ! 今度はなにしたこの馬鹿!」
「なんでなにするか聞く前に馬鹿ですか!」
セレナ。セレナ・フィアリーンは頬を膨らませた。不当な評価を受けたと言いたげな、実に不満げな反応だった。
しかし、彼女の後ろにあるのは―――なんか紫の煙を上げている鍋。
「てめ…いつの間にコンロをぱくった…!」
「ふ…ぱくったなんて失礼な…。お小遣いをこつこつためて貴方にばれないように頑張って買いました携帯コンロ…」
「威張るな! お前はおれの監督下以外で火という火に触れずフライパンを触ることなんて許されね―っていったばっかだろ!」
なぜなら、彼女の作る料理(?)は軒並みこんな感じだからだ。動いて鳴いて人を恐怖の淵に叩きこみ。一口放れば意識をさらう、未確認物体Xだからだ。
「聞きましたよー。だってこれお鍋ですし」
さらりと言うセレナも、それは知っている。自覚があっても、彼女は思う。やらなきゃ上達しない。と。
「……お前の屁理屈はどうでもいい。一応聞くが、今回のそれはなんだ」
「…栗の甘露煮? 食べて確かめるといいと思うです」
「おれに聞くんじゃねえ! 自分で何かわからないものを人様に食わせようとするんじゃねえ!」
がくがくと震えながら訴える同居人に、セレナはむっと唇を曲げる。
「食べてみたけど味はそれなりでしたよ!」
「お前それおれの目を見て言ってみろ!」
「ほ、ホントウですもん! ただちょーと気が遠くな、あ、そうだ。気が遠くなるほど美味しいんです!」
「なにが、あ、そうだ、だ! ふざけんな! っ、なんかこっちにうごめいてきてるのはなんでだそれ!」
「ライドが失礼なこと言うから怒ったんですよ」
「おれの文句に反応して動くものを料理って呼ぶな―!」
なにかと苦労性の少年の叫びは、どこにも届かない。
ただ空しく秋の高い空へと吸い込まれていった。