話があると呼び出されて、緋月慶は同僚の少女の部屋を訪れていた。
 いつもどちらかと言えば険しい顔をしてる女は、にっこりと笑って、彼に席を薦めてくる。ついでに、香りが麗しい茶と、つやつやとした餡子に覆われた白玉まで薦めてきた。
「…希羅…なんかしたの? 花見急にしたくなったとか?」
「ええまあ、花見ってほどじゃないけど。ちゃんとしたモノ食べたくなって作ったのは確かねえ。あんたには一個くらい分けようと思ってたし。
 でも、話はそれじゃないわ」
 それではない、と言われて。きらきらとした眼差しを送っていた慶は、しゅんとしょげかえる。
 澄生希羅が料理をすることは珍しい。食堂完備の『BLACK MIST』ではその必要がないこと以上に、料理をしようとすると、材料を完璧にそろえて、手間を充分にかけないと満足できないから、と以前言っていた。そのこだわりは彼にはわからないが、今出されている餡子が手間をかけて煮たものだということはなんとなくわかる。ようするに、おいしそうなのだ。
 心底がっかりとしたと全身で語る三度のメシより好きなものなどないだろう少年に、彼女は溜息をついた。
「食べながらでもいいわよ、話を聞くのは。どうせ、大した話じゃないから」
「希羅が気前いい……!?」
「引くな」
「だってお前いつもモノ食いながら喋るなとかうるせーじゃん。オレ、これ食べたらお前にこき使われる予定でもあんのか?」
「怯えるな! 失礼な奴ね…っ…まあ、当たらなくても遠からじ、ってところだけど。こき使いやしないわよ」
 じゃあ失礼じゃないんじゃん。
 思い浮かんだ言葉をさっそく口に放りこんだ餡子で流し込んで、慶は首をかしげる。
 適度な歯ごたえとつるりとした触感の同居する白玉と、何とも言えない甘さの餡子が美味しい。
「で、話って言うのは…ちょっとそこの窓の下、見てくれないかしら」
「あ?」
 指を刺されるままに、窓の方を見る。入って来た時は彼女の影になっていて気付かなかったが、縄がくくられている。頑丈そうなロープが外にだらりと下がっている。
「…なにあれ」
「だから、下を見て。説明したくないのよ」
 心底嫌そうに言って、茶を一口するる希羅。
 慶は素直に席を立ち、窓の外を覗き込み。
 蓑虫を見つけた。
「……希羅」
「なに」
「なにあれ」
 嫌そうな口調で問いかけられ、希羅はふっと遠い眼差しを見せる。
 遠くを見るような、少し座った眼差しで、ぽつりとつぶやく。
「…粗大ゴミだと思うのよ」
「え?」
「けど、燃やすごみな気がするし、埋め立てゴミにするべきな気がするのよね。
 じゃあどっちもすればいいんじゃないかと思って。だから慶、ちょっと軽く燃やしてみてちょうだい」
「ちょっ…やだよ! 雅輝を燃やすのはさすがに!」
 あえて避けていた蓑虫の中身を指摘する。彼女を筆頭に気の強い女にばかりに言い寄りそのたびにどつかれたり海に落とされたりともかく酷い目に遭う、男の名前。
 だが希羅はまったく顔色を変えずに、否、どこか優しい微笑みを浮かべ、ぽんと彼の肩をたたいた。
「なによ。もう食べたでしょ、白玉」
「やっぱそういう白玉だったのかよ! 嫌だ、ぜってーやだ! お前とあいつの喧嘩だろ! オレを巻き込むなよ!」
 人殺し良くない―――などと真っ直ぐに主張できる人生は、歩んでいない。
 けれど、そんな理由で。
 否もっとくだらない理由でそれに手を染めたことがないとは言えなくても―――ともかく嫌だ。
 言い寄られてむかついてぶっとばしてそれでもむかつくから止めさせとか、そんなどうでもいいような理由は、あんまりに。
「はあ? あんなのとは喧嘩するような仲もないわよ。いいから黙ってちょっと片付けの手伝いしてよ」
 片付けとか言うなよ!
 言おうとした言葉は、ぎいとやけに重々しく扉の開く音に紛れる。
 二人が見つめるその先に、1人の青年が立っていた。
「……楽しそうだな」
 うらみがましい顔をした少年のような顔をした彼が西園寺竜臣という同僚であることを、二人は良く知っている。知っているから、口論を止めて彼のうらみ節に付き合う。
「俺が、お前らを。呼び出したのは、1時間前で。
 お陰で、1人で、弾丸の搬入作業したことに対して、なんかないか…?」
「あ、メール入ってたよな。でも寝てた。希羅に呼ばれるまで」
「一旦火かけたら離れられないのよ。ていうかいつもそういうこと、事務の方でやってくれるじゃない。いきなり言われても困るわ」
「あっちが忙しいからお前らの手がいるんだって説明しただろうが!」
 がつと壁を叩いて叫ぶ達臣に、希羅はいかにも嫌そうな顔をして耳をふさいでみせる。
「大体私、滅多に使わないし。そんなもの」
「やっぱりそっちが本音かよ! 俺は自分に関係ねえてめえのしりぬぐいいつもいつもしてんだよ! たまには労われ!」
「はいはいはいはい。うっさい童顔ね。慶、分けてあげて」
「あ、悪い。もう全部食ったわ」
 ぎすぎすとお互い不機嫌そうに口論を続ける同僚二人を眺めていた慶は、急に呼ばわれて驚いたような顔して、ぱたぱたと手を振る。特に悪びれはしていないような顔で。
 ―――どうやら何を言ってもちっとも気をもんではくれないらしい、二人とも。
 結論付けた竜臣は、深く息をつく。そしてぐしゃぐしゃ髪をかき乱して、言う。
「…あー、もういいよ。仕事入った。とっとと出るぞ」
「そ、わかったわ」
「…いや、オレはいいけどあれは?」
 遠慮がちに窓の外―――につるされたみの虫状態の知人を指差す慶に、希羅は答えず傍らに立てかけてあった刀を持ち、歩き出す。
 なおも微妙な表情で黙るしかない彼とまるで気にしていない彼女に大体の事情を察した竜臣は、軽く慶の肩をたたく。
「希羅がつるしてるのなんて御門弟以外にいないだろ。ほっとけよ。腹が減ったら勝手に脱出してどうにでもなるよ」
「ぐったりしてるけど…」
 なおも続く気遣いの言葉は、酷く冷たい一瞥で途切れる。
「いいのよ、そんなの。あれだし」
 かみしめるような希羅の言葉に、慶はコクリと一つ頷く。
 彼らの言うとおり、きっと勝手にどうにかなるだろうし。
 縄がめちゃくちゃ激しく動いて、その先につるされている人間の意識が戻ったことなんかを伝えていたけれど。
 そっと見ないふりをして、廊下へ出た2人を追うべく、後ろ手に扉を閉めた。

→夏