むかし むかし

 この町に生まれ、ずっとこの町にいた。
 自分の守りたいもの、大切なものはすべてここにあったので、不満はなかった。
 だけれども。
『ふぁいと☆』
 なにが星だあのクソじじぃ。年とキャラを考えろ。
 あんまりに白い紙にあんまりにひとことしか書いていないものだから、あぶってみたりもした。
 いい感じの文章が浮き上がってくることなど、父に限ってあるわけがなかった。
「…ということで紅也。お前どうする」
「どうするって…どうするのか考えなきゃいけないのは君だろうが」
「俺は元から言われてるよ。
 『俺がいなくなったら名前と根城は子供達にやるってことで納得させてる』から『どうにでもしろ』と。
 どうにでもしていいならありがたくもらう。…そしてありがたく続けよう。
 が、親父とやっててくれた人らが納得するのは名前と建物の所有権だけだ。まあ。いなくなるだろ。今後のことを考えると、できる限り金もはらっておきたい」
「は? 君本当にそれで…!」
「別に突然すぎて殴りたいだけで、問題はない。
 若いのは残ってくれるだろうし。いなくなるのはまあ、隠居した方がいい人たちだろう」
「…そう、か」
 そう、別に。不満も問題もない。
 この町で生まれて、この町で育って。何の不満もなく。けれどぬぐえない後悔があるだけで。今更、不満などわかない。
「で。どうするよ、お前」
「…さっき君が自分でいっただろ。…若いのは、残るんんだろ。
 僕は若いよ。…そもそも君と明乃を置いてどこかにいくとか、あるわけないだろう」
「…いやでも。お前色々老けてかれてるから」
「出てくぞこの野郎」
「短気なところは若いんだがな…」
 放っておくと殴ってきそうな親友を制して、ついと目線をそらす。
 ドアにもたれてこちらを見る、俺の妹。
「…ということだが、お前はどうする。明乃」
 俺たちの大切な妹は、ふんと可愛げなく鼻を鳴らした。

 どうする、などと。
 今更なことを聞いてくる兄に、失笑が漏れる。
「…子供たち、にやるんでしょ。あたしにも所有権ある」
「ああ。だけど私は、お前がこんなところを出て、違う生き方をしたいなら、止めない」
 …この兄は、昔から。
 たまにこんなことを言うし、こんな目で見てくる。
 かわいそうだなというような。なにかをひどく、後悔するような。
 なぜあたしだけがそれに当てはまると思うのだろう。あたしの身の上が哀れなら、この男だってそうなのに。
 なんでいつまでも違うというような目で見るのだろう。
 傍にいるのに傍にいなくて。そのことが今はもう、悲しくもなくて―――でも。
「……今更」
 でも、きっと変わらない。
「今更どこにいくってぇのよ。馬鹿兄貴」
 冷たいように言ってみると、もうそれだけで兄の目から憐みは消える。
 色々と薄い人だと思う。自分もそうだろうかと、たまに怖くなる。
「そうか」
 あっさりと呟き、わずかに目を伏せる兄から、あたしはそっと視線を逸らした。

 やたらと冷たく言う彼女と、ものすごく軽く答える武行に、ずきずきと頭が痛む。
 軽くいうが、君たち。人がいなくなったら大変だろう、父親だけならともかく。
 しかし若いのは残る。若いのは残る、か。…なら、どうにか。
 どうにかならなくもないんだが、本当に。変なところ呑気な奴らだな。
 …あの人がいなくなっても、あの人の買ってた恨みは君たちにも降りかかるんだから、もう少し考えてほしい。
 っていうか武行。君なんて老けさせてクソ長い髪むしったらほぼ父親だからな。人違いで狙われかねないレベルだからな。また僕の寿命が縮むからな。
「……ともかく色々あるんだから仲良くしてくださいよ、君たちは」
「…あんたの考えてる色々は大抵考えてるわよ、少なくともあたしは。だからそんな嫌そうな顔しないでよ。また老けるわよ」
「またってなんだ!? え、僕いままさに老けてるの!? 兄妹そろって言われるほど!?」
「発言はたまにジジィようだよなあ…」
「なあってしみじみすんな! たぶんそれ君たちの何気に爛れた交際関係につっこんでるせいだろ!?」
「それ以外にもあるけど。…爛れてないわよ。いつもつい放っておいてしまうだけ」
「そうだ。一生懸命付き合ってる。一か月しか持たないけど」
「真面目な顔で言うな! 明乃! 特に明乃! 女の子がホイホイとっかえひっかえするな!」
 あと一か月放置はちょっとじゃないだろう、二人とも。
 まったくちっとはもう少し真面目にしてほしい。特に明乃。本当に…諦める暇もありやしない。
 だから離れるなんて無理で――――……
「つーかなんでこんな大変にそんなクソどうでもいいこと話さなきゃなんねーんだよ。オイこらお前らまた人で遊んでストレス発散しただろ」
「…キャラづくりが崩れてるわよ、紅也」
「すごくガラ悪いぞ、今」
「だからそれはもういい! オラとっとと色々整理しにいくぞ! それこそ資金とか、把握してんのか!」
「ああ。元から親父どんぶり勘定だから。あたしがやってる」
「むしろ金よりものだな。問題は。刀をじゃんじゃんいらぬところでまで消費するのとかいるからな」
「―――と、ともかく行きますよ!」
 無理やりに言い切って、背を向けてみた。
 離れがたい彼らが、背中で笑う気配を感じた。

 ベッドでぼんやりと空を見上げる。
 隣の部屋からの声が、よく聞こえる。
「…あんなん傍におくの、あんた」
「あんなんだから下手な知り合いの脇にはおけないな。拾ってしまった責任をとらないと」
「……あんた、そういう時は、もう少し、焦った顔を…!」
 多分囁きみたいな声で、多分ボクには聞いてほしくないかもしれない会話が、よく聞こえる。
 確かにボクはあんなん、で。あんまり人の脇にいちゃ、ダメな気がする。
 何も覚えていないけど。
 壁越しの声をえらく拾って、飢えて倒れたにしては身体は好調。
 何も覚えていないのに、銃の扱いは覚えていたのだし。
 それなのにあの男の人は優しいな。
 あの時は、ぼんやりとそう思っていた。
 けれど……
 それから時はしばらくすぎて、ある日聞いてみたくなった。
「武は、どうしてボクを傍におくの?」
「使えるからだよ」
 わかりやすい答えが気持ちがいい。
 椅子に座ってだらけている武は、自分で動くのが面倒だとよく言うから。
 でも。
「武は、どうしてボクを明の傍に置いておけるの?」
 明が大事で心配なのに、どうして『危ない』と思ったものをおいておけるのかな。
「…あいつが望んだからだよ」
 当たり前のことを聞いたのに、武は珍しく痛そうな顔をした。痛そうな顔で笑った。
「……武はよくわからないね」
「お前によくわからないとか言われたくない。…ああ、でもわかりやすいか。ほら、飴でも食って口閉じろ」
「うん、イチゴがいいな」
 誤魔化すように差し出された飴玉を、手のひらでコロコロと転がす。いつも思うけど、どこから出してるんだろう。
 きらきらと綺麗なそれを眺めていると、ぽんぽんと頭を撫でられる。
 何も覚えていないけど、昔誰かがこうしてくれた気もする。
 そして、何も覚えていないけれど。差し出される手を信じることは、とても難しいことだった気もした。

* * *

 ようやく死ねると思ったら、なんだか知らないが助かってた。
 それだけでも意味が分からないのに、もっとわけがわからないことを言われた。
 死にそうな俺を不眠不休で看ていたらしい、好きだった子が。好きだから傍にいるといってきた。
 ああそうか。この女は。この女だけはずっと俺に優しかったから。…痛々しい幼馴染に同情までしてしまったのか、と。
 そうして馬鹿だと笑いたいのに、それでも嬉しくて。離れがたくて。どうしよもなくて。だから。
「…アルスさん」
「なあに?」
 だから、いらぬおせっかいをしてくれた医者に言ってみた。
「力がほしい」
「どんな」
「…もう二度と」
 あっさりと聞かれて、浮かんだ言葉を告げるのをためらう。
「…大切なものを失わない力を」
 自分にとって大切なものは、もうよく覚えていないけれども。
 自分の考えだって、もう。よくわからないけど。
「それは、君だけじゃ無理なの?」
「そんなわけではありませんが。ここで生きるためには、あなたを頼った方がよさそうですから。
 だから、どうか。使ってくださいよ」
「…まあ。確かに君は使えそうだよね。だから生き延びたんだろうし」
「ええ。俺、もの覚えだけはいいので。そこそこ有能に動きますよ」
 それでも滑らかに動く舌がおかしい。
「じゃあ、まずはここを手伝ってもらうかね。そのうち他の仕事、回すからさ。今の君の仕事は安静にすることだけど」
 朗らかに笑う医者に向け浮かんだ笑顔は、自嘲かもしれないし、ただの習慣の気もした。

 兄が死んで、家には居づらい。
 家には居づらいだけで、今更他の場所に行く気にはなれず。
 それでも遠くに、…兄の影がないところに。
 そうして暮らしていたある日、厄災に出会った。
「…さっきも言ったけど、君。俺と組まない」
「散々人ぼこっていいツラの皮だな」
 厄災もとい俺とさして年の変わらなそうな男が笑う。
「君をボコボコにしたけど、君が世話してた子を病院に入れたでしょ。第一嫌な依頼受けてたんだろ、むしろ感謝されてもいいんじゃないの。
 …ところで、そういうことしていると、手がほしくならない」
「…そうだけどな。だとしてもな。あっちの…アルスとかっつー医者に直接頼むよ」
「ああいう子たちの勤め口、ほしくない?」
 笑って、とても痛いところをついてくる。
 それは、確かに。そういうものがあったのならば、こんな街でも。少しは。
 いや。金にならなかったとしても、集まれる場所があるのなら。
「そこそこ安全な住居提供できるように頑張る。なんならある程度教育も。
 外へ逃がしてあげることはできないけど、それのできる人への口利きまでならしてあげれる。
 …優良物件に、見えてこない?」
「…よすぎて怖い。あんたのメリットは?」
 兄がしていたように、そうしていれたら。少しは。
 罪悪感は薄れるだろうか。死に顔は離れるだろうか。
 俺をかばって死んだあの人が、少しは遠くなるのだろうか。
「君はその辺を盾にしときゃある程度の無茶飲んでくれそうだから。すごいメリット」
「人質とってこき使う宣言するような人間のふる無茶を飲むと思ったら大間違いだ」
「冗談なのに」
「どうだか」
 もう立ち去ろうとすると、ふ、と笑う声。
 なんとなくもう一度振り向くと、先ほどと変わらぬ笑顔。仮面みたいで。とても不穏な。
「俺は別にどうでもいいんだけ。俺の女に害を及ぼさず、手も出さない人間なら。どんなんでもね」
「……お前のその執着の仕方、気味が悪い」
「本人によく嘆かれてるよ」
 関わりたくないはずなのに、足がうまく動かない。
 件の医者の所であった、その女とやらの顔が浮かぶ。
 …とても大切だった誰かと、少し似た人。似ていないけど、同じ笑い方をする人。
 兄貴には、もう。できることがない。でも。それでも。俺は、償えるならば。
「とりあえず、もっといい条件の相棒が見つかるまでだ。それなら、いいよ」
 吐き捨てると、男は少し真剣な顔をした。
 …初めて少し動いたツラは、それでもなんとなく不穏だった。

 こほんと咳き込むと、大げさに心配された。
 具合悪そうだね。寝よう、一緒に!とやたらときらきらした顔でされてべたべた触られるのが苛立って、言ってみた。うざいと。
 結果嘘泣きして出ていったあの人を見ながら、物好きにもあの人と一緒に仕事してもいいとか言ってる彼は言う。
「…あんたら、ここの生まれじゃないだろ」
「ええ。…それがなにか?」
 予想と違う言葉を吐いて、竜臣君の顔は気遣わし気だ。
「しんどいだろ。身体。…あの性悪は異常になじんでるが、普通はキツいって聞いてるぞ、俺は」
「私もアルスさんに忠告はされましたよ。…この人はともかく、私は馴染むまでかなりきついだろうと」
「……なじまずに死ぬ奴も、多いんだけど」
「徐々に慣れていくらしいですし、大丈夫じゃないですか。第一、私は死にません。あの人を残しては」
「…あんたは」
「あの人が好きですよ。調子づかせるのがシャクなので、口に出すことはできませんが」
 正確に言えば、空しくなるからしない。
 傷ついた顔をされるから、言えない。
 けれど今、目の前の彼は、とても嫌そうな顔をした。
「…俺はあんたがとても怖い」
「私はあなたが好きですよ」
「あんた俺に死ねというのか」
「友人としてなので、ご安心を」
「てめぇの! 男は! それを! 理解しないだろうが!」
「ええ。だから言いませんよ」
 それでいいのか、んと趣味わりぃ、と。
 毒づく声に笑いそうになる。趣味が悪かろうが、頭がおかしかろうが。
 それでもいいと思っている。

 気づいたら人から色々と命じられるのが普通だった。
 気づいたら死体を作ってるのが当たり前だった。
 …それが、とても嫌なことだと。言葉にできたのは、最近で。
 その言葉を聞いてくれた男がいなくなったので、適当に職を探してみた。
「じゃあ適当に部屋にいついてね。空いてるかどうかは竜臣に聞くといいんじゃないかな」
 その適当に探したり、引き受けたりした結果。
 いっそ近くに住んでほしいという物好きが、にこりと笑って俺の隣の男を指さす。
 男は盛大に顔をしかめて、ため息つきながら、
「すべて俺に押し付けるな」
「俺今からちょっと出なきゃいけないんだよね。半日くらい。だから仕方ないよね」
「…たとえ仕方なくともお前のツラを見ていると納得したくなくなるんだよ…」
 ものすごく嫌そうに言った男は、それでも道案内を引き受けた。銀髪だと思うんだけど、なんか白髪っぽく見えた。

「なあ、…緋月…や、慶」
「なに」
「本当にアレにつくのか」
「だって。頼まれたし。飯うまかったし」
「いいのか。他に似たようなところ紹介するぞ。ダッシュで逃げた方が後々のためだと思うけど、いいのか。今なら間に合う、アレから逃げれる。一日いたらもうだめだ。あの手この手で弱みにぎられるから。ないと作られるから。その手の悪魔だから」
「…なあ、あんた、オレが嫌なんじゃなくてあいつがやなの? やめとけって忠告してくれてるの?」
「ものすごく嫌いだ。色々と仕方ないから組んでる。だが犠牲者が増えるなら止めなければいけない」
 そういうものか。よくわからない。
 嫌ならやめればいいのに、それが弱みってやつなのか。
 …何も考えずにいたから、よく、分らない。
 そもそも。
「……他につっこむことないの、オレに」
「…家名のことか」
「そりゃ、普通は」
 わざわざ最初に呼んだんだ、思うところがありそうなものなのに。
「…発火能力の出やすい奴らで。殆どがどっかに飼われて殺し専任。そうだな。お前が実はどっかの頼みでアイツを狙ってるとか考えるべきだと思うんだが。つい…どうでもいいかなと」
「本気で嫌いなんだな」
「そのくらいあいつも考えてるだろうから、俺の気にすることじゃない。その時はその時だ。
 …その時じゃなければ、お前の言うことを信じるということで」
 オレを信用してくれているのか、遥霞が嫌いなのか。
 どっちともとれることを言って、彼は笑う。なんだか、見たことないような顔で。オレに向いたことのない顔で。
「…で。わざわざそういうことをすごい申し訳なさそうに言ってくるお前は。部屋どこいい?」
「…食堂の近いとこ」
 初めて会ったころのお前はなんとなく微笑ましい気持ちになったもんだがな。
 …そんなことを知らされるのは、だいぶ先になってからだった。

 ただの剣道道場のある家だと思っていた家が、真剣を振り回すこともあるのだと知ったのは少し前。
 知った所為であそこを出たのも、同じころ。
 街とだけ呼ばれる場所で、目の前で転がる人間を斬ったのは、今さっき。
「…澄生さん」
「なんですか」
 静かに呼びかけられて、振り向く。
 事情は聞きました。しばらくはここの子供の世話してあげてください。そんなことを言った、銀髪の男。
「今ならあなたはまだ戻れますよ。
 いいえ。私は元からお願いされているんです」
 彼は足元の死体と私とを見比べ、ひどく真剣な顔をした。
「あなたの祖父母からお願いされています。愛しい孫娘まで失いたくはないと」
 それはきっと真実で、たぶんきっとそれが正しくなくとも。あの人たちは孫を守ってくれて。
 でも。どうしても。どうやっても。
「…御門さん」
「はい」
「どうか祖父母に伝言を。…ごめんなさい。もう戻れませんと。伝えてください」
「…そうですか」
 私の住処を外と呼び、この場所を街と呼ぶ彼は、とても悲しそうな顔をする。
「……あなたはこのままここにいたら。また同じことをするでしょうね。
 そうできるだけの天性のものを持ち合わせてしまっているようだ。そして、それに気づいた以上、無視できないでしょうね。こういうことを」
 そうねと頷き、そのままうつむく。
 こういうこと。
 例えば世話をしている子供が物陰につれていかれて、ナイフをつきつけられてること。
 こういうことは、きっとまたあるのだろうと。もうわかっているから。
「無視できず。けれど斬ったことを正しいとも思えない。
 いやまったく。外の人というものは難儀ですね。こうなる前にどうにか探してやりたかったんですが。間に合いませんでしたね」
「……あなた、何が言いたいの」
「あなたは今なら戻れる。どれほど悲しい思いを抱えていても、こうなった以上、自分自身をゆるせずとも。
 あなたの分まであなたの幸せを願う人のもとに、今なら」
 少し苛立って顔を上げると、やけに優しい顔に会う。
「僕は、そういった場所をうらやましく思う。だから、煽っているんですよ」
 優しい顔。優しい人。彼らは戻れと、言ってくれたけれども。
「……戻らないわ」
 目的を果たすまでは。
「戻りたいけど、どうしても欲しい。私は、答えがほしい」
 もう一度父に会うまでは、決して。
「……そうですか」
 諦めたように言った彼は、なら、と続ける。
「ここ以外にも色々と動いていただくことにしましょう。
 確実に守ってくれるのもありますが、やはり子供の傍には優しい人がいてほしいものです」
「…あっそう」
「そうして回っていれば、そのうち会うでしょう。
 あなたの目的に協力するといってくる者も」
「だといいですね」
「…本当に、いいんですか」
「くどい」
「…わかりましたよ」
 小さくうなづいた彼は、急にニコリと笑う。
「では、希羅さん。一つ提案があります」
 明るく、朗らかな笑顔に、少し気が抜けど。
「僕と結婚を前提としたおつきあいをしていただけません?」
「…は?」
 すっととられた手に、衝撃のようなもので身体が満ちた。
「あなたが残らないのなら口説けませんが、残るのなら好みのど真ん中です」
「あんた……」
 何が衝撃的って、なにが衝撃的って。
「あんたここの世話役の人にも似たようなこと言ってたわよね……!?」
 私の前で、一時間前も。かなり。めちゃくちゃ、情熱的に。
「はい、彼女も好みです。強く優しい人が好みです」
「もってなによ。見境ないの!? なめてんの!?」
「どちらかと言えば尊敬しています! これはあれです! 下手な鉄砲数うちゃあたる!」
「下手とみとめんな! 狙いを定めろ! この…軽薄男!」
「僕はすべて本気です!」
 思わず手が出たが、へらりと笑われた。
 真剣に案じてくれてはいたのだろうけど。
 祖父母の旧知らしいけど。
 最低だこの軽薄野郎。
 今でも、心からそう思ってる。

* * *

 ずっと二人で生きてきた母は、いつでもなにかから逃げている風だった。
 逃げているのは父で、それでも別に。見つかったところで。なんだかんだで一緒になる程度には、互いに情があるらしく。
 …逃げていたのは、あたしのためだと。できれば別の道をいってほしかったからだと、そう聞いたのはいつだったか。
 ……そして、それが。それだけではないと、気づいたのは。
「アルスさん」
「なんだい聖那ちゃん」
 そんなことをぼんやりと思いながら、『街』に通ずる医者に笑う。
「あたし、ほしいものがあるの」
「ふぅん。なぁに?」
「自由」
 きっぱりと言い切れば、彼は面白そうに笑う。
 あたしも面白くて楽しいから、笑う。
「―――あの父に脅かされぬだけの力を。
 私のものを守るだけの力を。
 勝ち取るだけの力を得る手助け。してくださるかしら?」
「…私はしがない医者だから。犯罪組織の跡取り誘拐したりしたら、死んじゃうよ」
「大丈夫よ。名目は『そのために有力そうなのをかどわかす』だから。
 あの街はそういうところなんでしょう、元々」
「全然そうは思っていない顔だね」
「ええ。しないわよ、そんなの。あたしは父の後なんて継ぎたくないだけ。…堅気の暮らしはするには、もう。色々としてしまったけど」
 それでもかまわない。
 信用して傍にいた相手が異母兄だった。
 安らいで気を抜いた途端殺されかけた。
 何の気まぐれかあたしが跡目が有力だから、そうなった。
 その時にロクな道具なく返り討ちにしてしまうような人間だから、そうされた。
 母がどこかでおびえるような人間だから、そうなった。
「そのあたりのことはあの男も知ってるし、それでもいいといってるのよ。
 …できるものならそうしろと、言われたわよ」
 だから、あたしの手に入れたいものを手に入れるのは、たいして難しいことではない。
 なんならこんなことしなくても、どうにかなる。
 それでも、与えられるのは嫌だから。
 どうしても、この手に収めたいから。
「改めて聞くけど、協力してくれるかしら」
「そうだね。…うん、喜んで」
 どうしても、もうあの男の都合に振り回されるのが嫌だった。
 ただそれだけで、他のものもあればよかったのに、と。少しだけ思わないことも、ないけれど。


 父の元を出るといわれた。
 そうか、いつだ。ついていくつもりでそう言えば、聖那はとても複雑な顔をした。
「ねぇ。紫音」
「なんだ」
 とりあえず使えそうなものを荷物につめて、振り向く。
 いつも笑っているのが多いこいつが、やはり今も笑っていない。複雑で真剣だ。
「あなたのご家族を殺したのはあたしの父だわ」
「ああ。厳密にいえば、指示しただけだが。決して忘れない」
「父さえいなければあなたは普通に生きて入れたのかも」
「それはどうだろうな」
 笑わずに、悲し気に言う聖那に、私はさして感慨が浮かばない。
 違う。悲しい。苦しい。許せるはずがない。仇を打ちたいと願っていた。
 でも。
「私の父は優しい人だった。
 けれど正しくはなかった。裏切ったら死ぬのが当然だった。…裏切らなくとも、いつか死んでた。そういう人だ。
 お前の父に出会う前から、ずっと。
 …私と、同じ思いを、たくさんの人にさせていた」
「…そうね」
「普通に、穏やかに。
 幸せを手に入れるなど、元より。私達には、無理だったんだ、きっと」
 だから、頭を下げて。
 所在なくさまよう手を握り、繰り返す。
「だから私はお前には感謝する。
 私を助けてくれたのはお前だ。
 私を生かしてくれたのもお前だ」
 かつて、私に差し伸べられた手を思い出して、そうする。
「だからお前についていくよ。
 ―――父も母も、悲しむんだろうがな」
 どうか、逃げて。幸せに。人など殺すことのないように。健やかに。
 それが私達の願いだからと、泣きながら言われた。
 子供の目線から見ても細く頼りなかった母が、最期に言った。
 ――――けれど。
「聖那。どこまでも、お前に」
「……ありがとう」
 けれど、それを裏切った。父と同じ道を行った。
 それでも、母の言葉を。思い出させてくれたのはこいつで。
 なにもかも忘れて自棄になっていた私を拾ったのはこいつで。
 行きつく先がどんなところでも、構わないと思っている。

 幼い頃から何事もそこそこにこなせた。つまらなくて、むなしくて。
 なにかをさがしていると、いつの間にか道を踏み外していた。
 ついでにそのまま踏み外し続けていたあの日、彼女に会った。
 綺麗な女が綺麗に笑って、是非共に来いと告げるから。
 彼女についていこうと決めた。
 だけど。
「…あなたはそれで真面目にしゃべっているんですか」
「うん、すごく真面目だけど。気に障る?」
 にっこり笑って問うてみれば、彼女の用心棒だという少女に、とても嫌な顔をされた。
 いや。それより先に。喋れば喋るほど嫌そうな顔をしていたけど、今徹底的になったといった方が正確。
 不機嫌な少女は、舌うちでもしそうな顔でいや、と呟き、くるりと踵を返す。
 肩をあんだけいからせて、足音一つ立てないで歩けるのがすごい話だな。
 感心しながら、今後上司とすることにした彼女へと顔を向ける。
「嫌われたね」
「あの子は嫌う人の方が多いから気にしちゃだめよ。
 特に軽いのとか、自分の手を汚さない系列が鬼門。つまりど真ん中だったのね」
 ちょっと話ただけでそんなぼろくその評価を下されたのだろうか。
 …まあ、下されるかな。アレは勘で生きてそうな感じだし。野生動物ににらまれる気持ちになった。…首輪、がっちりついてたけど。
「それで、アレとも行動することになるけど。本当にあたしとくるの?」
 ずっとずっと、何かを探していた。
 それがなにかなんて、考えたこともなかったけど。一目でわかった。
 軽い命などいくらでも投げ捨てられるなのかを。すべてをかけてみていたいものを。
 今見つけたのだと。
 だから―――
「うん、ついていくよ、しばらくは。美人に口説かれて断るのなんてもったいない」
「それは光栄ね」
 言って彼女が笑うから。
 どんな時でも笑う女だから。
 どんな時でもどんなものにも、笑って抗う姿に、この上なく惹かれるから。
 きっと最後の時のあなたは、どんなものより綺麗だと、夢見てられる内には。
 首をたれて犬の真似も、悪くない。

 ある日、家が。住んでいた町が燃えた。とても大きな火事が起こって、たくさん逃げて。たくさん捨てて。
 一人歩いていると、ある人が言った。
 一人家族を探すわたしに、その人は言った。
 ついておいで、会わせてあげる。みんなそこにいる。
 ……もしも、あの時。
 わたしの家族はきっといないと、町にたくさんあった、死体のどれかだと。
 認められていたのなら、あんなものについていくことなど。
 そして、こんなにも。
 こんなにも道を外れた生き物に、なることだって。
 そんなことを思いながら、見知らぬ天井を見ている。
 わたしを助けてくれた人がつれてきた場所の天井を、ぼんやりと。
「…体の調子は?」
 優しく問いかけられて、そちらに目をやる。
 赤い髪が印象的な女の人。その人の伸ばしてくる手は、とても暖かい。
 なだめるように背を撫でる温度を感じながら、小さくつぶやく。
「不思議」
「…どうして?」
「薬。逃げてからは、なにも。飲んでないのに。…平気なのね」
 飲まなきゃ死ぬと教えられていたのだけど。
 切れたら死ぬといわれていたのだけど。
 あの頃いつも具合は悪くて、疑ってなかったけど。
「調子が良くなったなら、よかったわ。もう薬は飲まなくてもいいわね」
 優しい、痛ましげな目がわたしを見ているから、分かってしまう。
 ああ、そうか。疑えばよかったの。もっと早く逃げれたの。わたしは。わたしたちは。
 …わたし、たちは。
「……わたしと、一緒に。いた。人たちは」
「まだ立つのつらいでしょう? あなたが元気になったら、一緒に探しましょう」
 告げる声も優しいけれど、自然に悟る。想像する。
 わたしと同じところにいなかったなら、きっと。
 さがしたって、みんな。いないんだ、きっと。
「…あなたは」
 じわじわ広がる苦さと共に、不安が口を突いて出る。
 敵意が痛みを連れてくる。
「あなたもわたしを使うの」
 不安でも、逃げたくても、それでも力の入らない身体で、その人をにらんでみた。
 背中を撫でていた手はとまって、かわりにわたしの手を包み込む。
「自分よりか弱い上に、立てないくらい弱っている子供を何に使うの」
「…わたしは、ただの子供じゃないのを。見たでしょう」
「ええ。だから。
 だから、あなたにして欲しいことは特にないわ。…だから少し、休んでいいのよ」
 同情を隠さない声が、あんまりに暖かい。
 触れた手も、同じように暖かい。
 暖かくて優しくて、けれど少し鉄の混じった、煙たい匂い。
 それでも大事な誰かの冷え切った体温とか、苦痛を与えるための薬品の香りとか。
 そんなものよりはよほど安堵するから、目を閉じてしまった。

* * *

 顔なじみのところに久々に尋ねると、知った顔が減っていた。
 それは驚くべきことではないが、理由に驚いた。
 あんまりに驚いて、彼の新しい住処を訪ねてみた。
「こんな恰好ですみませんね」
「いいえ。こちらこそいきなりきてしまってごめんなさいね…ライド君」
 訪ねていた結果広がる光景にため息がでる。たぶん、感嘆で。
「…あなたが武行君、いいえ。古凪君の傍から離れるなんて。どんな心境の変化かと思ったけど」
 とんとん、と。
 寝息も立てずに眠る子供の背を撫でる姿は、とても出会ったころの彼からは想像できない。
「ロリコンを見咎められて、あそこにいれなくなったのね。あの子そのあたり堅苦しいから」
「おれはロリコンじゃないし、ましてや手を出してません」
 けれど、こちらに向く冷たい目は、あの頃とよく似ている。
 どうにも彼には嫌われているようだから、仕方ないだろう。心当たりは、割とある。
「そうね。あなた年下さけてたものね。すごい遊んでいた時も」
「み…み、やさ、さん。その話は。あまり。蒸し返さないで。いただけると」
 こうして露骨に顔色変わるあたりは、とても面白いと思うのだけど。残念だ。
 こういうところが嫌なのだろうと思うけれど、改善するつもりは、あまりない。
「ふふ。そうね。…私は武行君みたいにそれをネタにあなたをこき使ったりしないわ」
「お、おれはなにもそれが原因で、未だにあの人の飯炊きしてるんじゃないですがね!?」
 色々と嫌そうな顔をされた。だけど、しないのは本当だ。
 この子はどうあがいても古凪君の不利になることはしないから、わざわざそんなことはしても仕方ない。
 ついでに、この少年が彼の世話を焼くのはもう習性だろう。
 頼んでもいないのに私に差し出されたコーヒーをすすりながら、そう思う。
 …相変わらず、おいしい。
 変わったのは、それを出す間にも寝ている子を抱き続けていることくらい。
「その子が、セレナちゃん?」
「…そうですね」
「ベッドに運んであげないの」
「……運んで一人にすると、泣きわめいて手が駄目になるまでそのあたりのものをたたきます。駄目にしかけたから、こうしています。
 …そういう子どもです。どうか、放っておいてあげてください」
 自分の背中にじっとしがみつく少女を撫でながら、彼の口調は強い。
 よほど放っておいてほしいのだろう。放って置きづらい身の上の子だと、私が知っているのを承知の上だからこそ。
「…まあ、寝ているなら、放っておくしかないわね。
 でも、残念。私はそのことお話したかったのよねぇ」
「どうしてですか」
「だって。可愛いじゃない」
「…それだけなら、いいですがね」
 以前として固い声で言いながらも、ナイフを抜いたりしないあたり、彼は本当に落ち着いた。
 今も分別がなければ。そうね、正当防衛とでもいってどついた後、その子を連れていけたのに。
 …本当に。本当は。こんな厄介そうな子、手元に置いておきたいし、彼が死にもの狂いで抵抗しても、軽くひねれるけど。…後味が悪いわ。
 だから、
「それだけよ。安心して。おかわりいただけるかしら」
「…はい」
 とても釈然としない顔で、コポコポとコーヒーを注がれる。
 とろりと綺麗な輝きを見つめる。
 眠るその少女が、武行君に聞いた通り、過去を見る異能を持つというのなら。
 この身体に抱えた異能に、私たちと違う見解を持ちうるというのなら。
 どうしても、聞いてみたことがあった。
 なぜ私達は、こうなのか。
 どうやっても、逃げることは―――…
 つややかな黒と一緒に飲み込む言葉は、特に何の感慨も抱かせなかった。

 目の前に、金髪の女の子がいる。小さくいたいけで、守ってあげねばと思うような少女だ。彼女に色々なげうったライド君じゃなくても。
 しかし。
「…雅輝さん」
「そんな悲しそうな顔をされても、食べれませんよ。そのごぼごぼ言ってる何かよくわからないものを食べませんよ」
「弟は丈夫だから大丈夫って雅夜さんが言いました!」
「あの姉の言うことを信用するなって僕は以前言いました!」
 彼女と彼の営むレストラン酒場。
 その片隅で言い合うと、店主がにっこりと笑顔で追い出した。

「営業妨害ってひどくないですかー。私頑張ってるのに。役に立とうとしてるのに」
「フツーにウェイトレスしてればいいでしょう…それでみんな平和でしょう…」
「今お客さん雅輝さんしかいなかったし…それに。あの馬鹿。一人で大変そうなんです」
 その馬鹿にこそ店を追い出され、ぶつくさ呟く姿はまあ、かわいそうだ。未だに怪しい音を立てる料理を名乗る何かしらを抱えていなければ。
「セレナちゃん」
「…はい?」
「それを今僕たちぺいっと投げた彼ではなく、僕に食べさせようとする理由は?」
「………この間意識が落ちまして。もっと丈夫な人じゃないとだめかな、って」
「そこまで行ったならやめなさいよ」
 ギャグじゃなければ死んでしまう。彼もさすがに無念だろう。この子に殺されたとあっては。
「…私は、役に立ちたいんです。あの人の」
「……彼は君が大事だから一緒にいるんでしょう」
「違う。…優しいから」
「……そうですか」
 僕は彼が全然優しくなかった頃も、そこそこに優しくなった頃も知っているが。
 アレは優しいではなく甘いのだ。甘やかしたいのだろう、子供扱いしたいのだろう。
 …子供も大人もなかった時代を過ごした所為で。
 まあ。珍しいことではない。こんな街だから。
 むしろ分かるところもある。僕はずっとここにいる。これからもずっといる。
 それでもよいと思っている。少なくとも僕は、そう思っているから。
「…そう思うのなら、役に立たずともよいでしょう。彼に優しくしてあげなさい」
 よしよしと撫でると、彼女は苦笑するような眼差しを返す。
 先ほどまでのあどけなさの欠片もない、年より大人びた眼差し。乾いて冷めて、それでも一筋のいつくしみのあるような。高みにある目線。
 さて。それを向けられたのは、いつだったか。
「………雅輝さんの方が優しいのは、分るんですけどね」
「…それは気のせいじゃないかな」
「あなたは優しい。だから危うい。だけど強い。
 …すべての人がそうじゃないのに、大変だ」
「……君もたまに手厳しいね」
 それでも撫でてみていると、ふ、と聞こえる笑声。
 痛々しいものを見るようなまなざしに、特に何も思わない。慣れている。
 この街はずっとこうで、僕もずっとこうで。
 それでよいと、思っている。
 それでも少しだけでも、守れたらと。それだけを強く、思っている。

目次 

それぞれの序章っぽいのを適当に。主人公は特に決まってないトンデモ話。最後の組み合わせ以外は皆どこかしら病んでる嫌な感じの話ともいう。
2014/10/25