むかし むかし

 最初は普通の街だった。
 ただ少し、最初から。あまり安全とは言い難いところではあったらしいけれど。

 それでも、いつからだろう。
 少しずつ、おかしな連中が集まってきた。
 それを取り締まるものがいなくなった。

 禁じられていることがまかりとおる街になった。

 その頃かららしい。
 私達のようなものが、生れたのは。

 ―――幼いころに、御門雅夜はそう聞いている。
 色々とおかしくて、禁じられていることがまかり通って。善悪や生死がごちゃごちゃと混じる街で生まれて育ち、自分が他人より強いという自覚が出た頃に、聞いた。
 父か聞いた昔語りに、彼女が思ったのは、ただの一言。
「本当、おかしいわ」
「なんだ、いきなり」
 当時の気持ちを呟く雅夜に、応える声が一つ。彼女が勝手に腰かける机の持ち主だ。
 彼女と古い馴染みでもある青年は、面倒そうな目線を向ける。
 珍しく電卓なんてもって、難しい顔で何やら書きつけていた手を、ピタリと止めて。
 説明を求める彼に、彼女はにこりと笑う。
「ようは色々押し付けられているうちに色々おかしくなっちゃったのよねえ。今更正したら困る人の方が多いくらい」
「何を思い出しているかは分かったが、改めてなんだ。それこそ今更」
「だって、武行君。私、あなたは親の跡なんて継がないと思っていたの。びっくりしてセンチになってるのね」
 小首を傾げで、さらににこりと。
 華やかに笑う古い馴染みに―――けれど何年たっても友人とか呼ぶ気にはならない相手に、雅夜は笑う。
「別に出ていけばいいじゃない」
「俺は外に戸籍がない」
「私が作ってもいいわよ。…明乃ちゃんのぶんも」
「今日は随分と気前いいな」
 彼女は彼を友人とは思っていない。ましてや、恋人はなお遠い。ただ、似た者同士だとは思っている。どこに触れると痛がるのか、手にとるようにわかるくらいには。
 だから。雅夜の予想通り、彼は大いに顔をしかめて、けれどすぐに穏やかに笑う。
「だが、からまれる筋合いはないよ。良い仕事なんじゃないか。どうにもならないことというのはココにも外にも多いだろう。
 請け負って力づくで解決。便利じゃないか」
「ええ。便利ね。いいように使われる職業ね」
 その笑顔が嘘で虚勢なことも、雅夜は手に取るようにわかる。鏡を見るように知っている。
「だから、継ぐと思ってなかった。残るにしても、もう少し身を隠すモノだと思っていたわ」
 すとん、と机から降りて、机に頬杖をつき始めた武行を見下ろす。
 見下すといってもいいような、何かに落胆したかのような、実に冷たく映る姿。
 眼鏡の奥の瞳を見返し、武行はふぅと息をつく。
「まあ、俺もそう思ってた。昔はな」
「そうなの」
「ああ。俺はそういうことができると思っていたが。…気づいたらもう色々とがらんじめだ。
 …そうだな。『今更厚生したら困ることの方が多いくらい』だ」
「…あらそう。あなた、昔から能天気に見えるから。気づかなかったわ」
 つぶやいて、雅夜はすっと手を伸ばす。
 椅子にこしかけたままの青年の肩にもたれるようにして、くすり、と笑う。
「じゃあずっと協力してくれるのね」
「まあ、俺が協力するのは、お前なんだろうな。俺は、だけど」
 婀娜めいた仕草に、彼は嫌そうに言う。
 嫌そうに、自嘲めいた笑顔を浮かべて。今後もよろしく、と小さく呟いた。


 最初は普通の街だった。
 ただ少し、最初から。あまり安全とは言い難いところではあったらしいけれど。

 それでも、いつからだろう。
 少しずつ、おかしな連中が集まってきた。
 それを取り締まるものがいなくなった。

 禁じられていることがまかりとおる街になった。

 その頃かららしい。
 私達のようなものが、生れたのは。

「―――とまあ、これは知り合いの受け売りですが。
 ようは私は正義の味方じゃないけど君の味方ですよ」
 笑顔のアルスが伝えるのは、かつて、御門姉弟から聞き及んだ言葉。
 彼と向かいあうベッドの上の少年も笑っている。
 能面だの人形だのというのが似合いそうな、明らかに作り物の笑顔で。
「俺からとれるもの、何もないですよ」
「いやだな、あったよ? 君、あくまで出血ヤバいだけで内臓のいくつかなら使おうと思えばつかえたし。
 君の連れはなおさらだ。彼女の方は骨折だけで健康体ですし。もう取り放題だ。そういう設備もあるのに使わないあたりに、善意を感じてくれませんかね。私、大金持ちだから余裕にあふれているんですよ」
 笑顔で告げられた不審に、アルスはなおも笑う。
 にこにこ、にやにや。とても楽しそうに。
 楽しそうに見えたから、遥霞はふっと笑みを消す。全身に走る痛みに従い、力を抜く。
「…それはそうかもしれませんね」
 彼の言葉はは真実であるだろうし、同時に、どうでもよいことだった。
 今、目の前にいる男が何を考えていようと、この先どうなろうと。なにもかもが遥霞はどうでもよかった。
「信用できないって顔だね」
 けれど医者は嫌そうな顔をして、椅子から立ち上がる気配を見せない。真っ直ぐに見つめてくるハシバミ色を、少年はひどく疎ましく思う。
「タダより高いモノはないというでしょう」
「ああ。そこは大丈夫。君を助けたのはただの実験だから」
「…治すのが?」
 気のない口調に、ほんの少し真剣さが宿る。にっこりと嬉しそうな笑顔が返り、アルスの弁護はつづいた。
「うん。君を普通に治療したけれど、ここはね。医学の及ばない不思議があるんだよ」
「それは知っていますが、関係ないことでしょう。ただの刺し傷が適正な治療を受けたら治るのは、当たり前のことでしょう」
「いや。違う。珍しい。
 君は、普通だったら死んでてもおかしくない」
「……え」
「自覚がないのも当たり前じゃないかな。自分がどれだけ出血したかなんて、そりゃよくわからないことだろうから。ましてや君、衰弱してたし。ぱっと見てこりゃダメだと思ったよ。君の連れがかわいそうだったから慰めに、くらいで治療台に乗せたんだけどね。
 ……ここにはそう言う子が珍しくなくてねぇ。
 元からそういう子もいるし、生死の境をさまよった所為でそうなる子もいるね」
 黙った患者にそういいきって、アルスはピッと人差し指を立てる。軽く振って、笑顔を浮かべる。
「だから君はそのうち動けるようになるだろう。
 そうしたら身の振り方を考えるといいんじゃないかな。せっかく拾った命だからね」
「……そうですか」
 明るい笑顔に、彼は笑顔を返す。
 ただの習慣でそうして、何かを考えることを放棄した。


 最初は普通の街だった。
 ただ少し、最初から。あまり安全とは言い難いところではあったらしいけれど。

 それでも、いつからだろう。
 少しずつ、おかしな連中が集まってきた。
 それを取り締まるものがいなくなった。

 禁じられていることがまかりとおる街になった。

「まあその結果がこれですね。いやはやまったく。嘆かわしい。
 気づけば―――って私が言うのもおかしいけど。気づけばなんでもありになってたらしいですよ。
 元から変なのは生まれるわ物騒なのに期待して排除したいもんを置いていくわ人買いはザクザクとくるわ…いやまったく。どうしよもない。実に迷惑です」
 心の底から嫌そうに、御門雅輝は言う。
 語り掛けるようなのに、相手の都合とかを考えていない。実に一方通行な言葉だった。
 正確にいえば、他人の私室に侵入しておいて、いきなり語りだす言葉など、何もかも一方通行だ。
 どうしているの、とか。どこから入ったの、とか。
 浮かんだ言葉を胸にしまって、聖那は笑う。数日前に知り合った青年に向かって、冷たく。
「あなた、それを人買い娘の前で、良く言えるわねぇ」
「それを継ぎたくなくて逃げてきた人が、よく言いますね」
「ああ。わかってて嫌味言ってたのね」
 よろしいならば縛り首ね、などと。冗談めかした言葉に、雅輝は笑わない。
 目の前の女が、冗談みたいな言葉を実行できる人間だと知っているからだ。比喩ではなく指先一つで、できるようにしているだろう。ここは彼女の私室なのだから。
「…いえ。わかっていたから、協力を乞いに来たんです」
 だから、彼は真摯な眼差しで言う。
 冷たい瞳は少し緩んで、なぁに今更、と声が返る。
「言われなくとも御門さんちとケンカするなとキツく言いくるめられてるわ。各種方面から」
「いえいえ。不戦じゃなくて、協力してくださいよ、僕に」
 一歩。扉にもたれていた聖那が一歩踏み出す。
 窓際で背を伸ばす雅輝に、わずかに首を傾げる。
「…あなたに?」
「ええ。どうか、僕に」
「協力って?」
「僕と同じものを守ってくれませんか?」
「御門でも、雅夜でもなくて?」
 並べられたのは、彼の仮名と彼の姉。
 無言で肯定する彼に、彼女はふぅと息をつく。
「…そんなこといきなり言われても。困っちゃうわ。あたしは自分の身を守るので精いっぱいだもの」
「いえいえ。そんな謙遜ですよ。
 僕は美しい女性のためなら身を粉にしますし、いけると思いますよ?」
 整った顔で告げられる言葉が、どう聞いてもお世辞っぽい。ついでに、軽い。
 白々しい言葉に反して、それでも顔は実に真面目だった。
 ゆったりと腕を組んで、聖那はわざとらしく首を傾げる。けれど、
「…じゃあ聞くけど。あなたの守りたいものって?」
「そうですね。つい先日あなたが助けた、可愛い女の子のような子です」
 無造作で、軽い言葉に、強く眉を寄せる。
 わざとらしく疑問を呈して、適当にあしらおうと思っていた。個人的に協力など、やっている余裕はないと思っていた。
 けれど、彼の告げた女の子、とは。
 それは、彼女のモノだった。
 手を伸ばして得たものだ、助けてといわれて助けた子供だ。だからもう、その子は彼女のモノだった。
「あれは私達が助け損ねた子達の一人でした。…本当に、助けたかった子達だったんですよ」
「…そう」
 とはいえ、助けた助けたといわれても、実感は薄いのだけれども。
 心も体もボロボロで、今にも壊れそうな子供に、助けられたなどという言葉は、不釣り合いだから。
 だから。
「……じゃあ、あなた。あの子の願い、かなえてくれるの?」
「無理ですね」
「まだ言ってないのに」
「予想、つきますから。…無理ですけど、心から。
 かなえたいとは、思っています」
 どこまでも真剣で、とても悲しそうに雅輝は言う。
 おかしなことがまかり通る街で、おかしなことが繰り返される街で、生れて育って、何度も膝をついた青年は、繰り返した。
「かなえたいとは思っているんですよ、今も」
「そう。あなたも強欲な人ね」
 あっさりといって、聖那はカツンとヒールを鳴らす。
 カツン、カツン、とわざと鳴らして、彼に近づきにこりと笑う。
「なら、気が合うかもしれないわ」
「ええ。気が合うと思ったんです」
 ふわりと無造作に差し出された手を、彼はそっと握り返した。

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黒幕ーずと各上司。
元からどこかしらおかしかったのと、外で思いっきり邪険に扱われた組と、性格はともあれ職業がアレだった組で組み分けされてる。
だからといって仲がいいとは限らないし絶対服従でもないんですがね。諸々の事情というか、人間関係で。
なんにしろ何かを求める人たちの物語です。既に手に入ったりもうどうしよもなかったりするけれども。黄昏は何かを求める人たちのお話です。
幸せとは限らないあたりがアレですねというお話でもあるんでしょうが、たぶん。でも基本コメディだしねこれ。
2015/05/29