台所の奥から音がする。
かしゃかしゃかしゃかしゃかしゃ。
固いもの同士がこすれあう、どこか怖気を誘う音。
いや。違う。その音の源を知っているから。怖気が止まらないのだ。
「あの、風矢君」
それでも勇気とかを振り絞って声をかけてみる。
かしゃかしゃかしゃかしゃかしゃかしゃ。
音はちっとも止まらない。
「風矢君。あのね、その、大変なのは、知ってるけど」
だから怖い。怖いって。むしろ寒い。今は冬だけど、なんかそれとは違う意味で。寒いよ。
「そ、そんなにカリカリしなくてもいいんじゃないかな!」
かっしゃん!
「…かなたさん」
かじかむ唇を動かし私に。振り向くのは乱暴に泡立てて器を置いた風矢君。
「他人事だと思って好き勝手言わないでくれませんか」
だって他人事だもの。
…そんなことを言える私だったら、たぶん今がくがく首を上下させてないなと、おもいましたとさ。
吹きつける風
少し前、風矢は病院に行った。忘れ物を取りに行ったのだ。
そこで会った風竜が、その。まあ、なんていうかこう。彼に気があるようなそぶりをみせているそうで。
けれど彼には小町さんがいるわけで。
当然かわしたりいなしてるらしいんだけど、中々きれなくて。今彼はぐったりしているけれども。
「……好き勝手言ってるかな。私」
けれども、やましいことをしてないなら。
胸を張ればいいじゃないか。
胸張って小町さんに会いにいけばいいじゃないか。
そこまでは口に出さなかったけど、伝わったのかもしれない。
こちらをじっとりと見つめていた風矢が、作業途中のメレンゲっぽいものを置いて、口を開く。
「…好き勝手、じゃなくても。何か勘違いしていませんか。
私は別に彼女にやましいことなどなにもしていない。別にぐらっともきていない。
ただ今外にでる。すると例の彼女に会いそうで。というよりは、遭遇してしまうので。それが嫌だ」
「…でもさ。逆転の発想でさ。君と小町さんがイチャイチャしてるのを見たら。諦めるかも」
「……」
なぜ無言なんだろう。
なぜさらにどんよりとした顔をされるんだろう。
マジ怖いです。メー君磨智ちゃん(デート中)ベム君(買い出し中)緋那ちゃん(自室で作るのがあるって言ってた)誰でもいいから助けて。
いや勿論、目の前の彼が助けてくれてもいいんだけど!
切なる祈りが届いたように、目の前の龍の口が開く。
けれど、その内容は。何も心安らがない。
「『アヌとナーズってお似合いですよね』」
…そんなことを恨みがましい目で言われても、困る。そりゃあ嫌だろうとは、思うけれども。私は龍の恋路邪魔してまで欲しくないぞ、ブルーホワイト。でも。それでも。どうするべきか。
何を言うべきか迷う間に、彼が笑う。力ない―――違う、とても冷たい笑いだと思った。
「……僕はそんなこと言ってくる龍と彼女を会わせたくない。
それが低い可能性でも、危険は避けたい」
「……私は、君にそういうのを強制する気、ないよ?
小町さんに会う前からそうだよ。君にそういうのを強制したら、化けて出てきそうで怖い」
「わかってますよ。んなこしたらどこかしらにふっとばしてしまうでしょう」
ひぃなんて迷いない瞳! 目が口ほどに色々物語ってる!
ちょっと口調からとげが抜けて、ほっとしたのなんて気の所為でした! その分なにかとても怖いよ!
…でも。しかし。それが本当ならば。
私は何も言ってない。
今も、彼がばればれな片思いをしているときも。ちゃんとうずうずする口を押えて、沈黙を守ったのに。
よくよく考えたら今の状態、理不尽だなオイ。
「…じゃあなんでそんなにカリカリしてるんだよもう」
「小町さんが足りない」
やさぐれた気持ちではいた言葉に、瞬時に答えが返りました。
あまりに瞬時で、ちょっと意味が分からなくて。思わずまじまじと彼を見つめる。上から下まで見る。
なにやらやけに涼しい顔で、彼が言う。
「いつもならそんなに気にならないけれど。こう。会わないと。いや違う。
心がすさむと、会いたくなりますね」
「……風矢君がマッハでダメになっていく」
「……言わないで下さいよ。自覚はありますから」
本当に自覚があるんだろうか。
君が見ている場所はどこなの。なんで変にうつろな目をしてるの。怖いよ。だから怖いんだよ。今の君は。
知らず復活した震えが、ため息で止まる。
疲れたように息をつく彼の姿に、止まる。
「ともかく。別にあなたにかりかりしているわけではありませんよ。
ただ単に苛々してるだけです。だから放っておいてくれませんか」
「…でも、君。延々とかっしゃんかっしゃん泡立ててて、怖くて…」
居間で読書してた私はそのことに文句をつけにきたんだけど。
「口で言うだけじゃ足りないんですかマスター」
「いやわかりましたわかりまくりましたマスターお部屋に戻ります!」
思わずダッシュで階段を上る。
視界がにじむのは、走ったせいで出た汗が目に入った。ということにする。
それでも色々収まらなかったので、緋那に突撃してみました。
「て、風矢君が脅すんだよひどいよ怖いよ私は心配しただけなのに…っていうかマスターなのに…従者が脅すよ…?」
「かなた…」
なにやら屋台に使うテーブルクロスっぽいものをつくろっていた緋那は、はぁと息をつく。
作業の手を止め、私に向き直り。とても真剣な顔をして。
「…マスターっぽく扱われたいんなら、ピーピー泣くなよ」
辛辣なことを言いました。
「ピーピーなんて言ってないよ!?」
「泣いてるのは、否定しないわけか」
うぐ。と言葉が詰まる、なんてことはないです。
ただずるずると力が抜けます。龍が冷たい。うちの子が冷たい。これがリア充爆ぜろという気持ちか。切ないな畜生。
「人の部屋で落ち込まないでくれないか」
「自分の部屋で落ち込むとさみしいじゃん」
だから居座ってやるもんね。試しにぼやいてみると、再度ため息。
重く湿った息をもらして。それでも緋那は作業を再開しない。私にクッションを投げてよこす。
…座れってことらしい。
「風矢ってことは、例のアレか。ナーズのことで何か口出そうとしたのか」
「そう。例のナース。気にしなくてもいんじゃないって慰めたかった」
赤いクッションにボスンと座ると、苦い顔をした緋那と目があう。
…そんな嫌そうな顔をすること、だったんだな。
「…まあ。風矢のアレは…思うところがあるんだろう。
お前は忘れている気がするが、契約の目的は『強くあること』だ。強い種を求める本能も持ち合わせているよ」
「でも。それは」
「お前が強制しなくても。そういう生き物だ。
―――そういう本能より優先したいものを見つけても。そういう本能がある、という意識は残る」
「……」
ああ。確かに。甘く見てたのかも。
こんなこんこんと諭されること、だったんだな。
本能とか戦闘種族とか、それは私にはわからないことだから。
だからもあって、口出ししないようにと…思ってたんだけど。今の風矢の状況はハタから見てて怖いし。もうくっついたなら。いいかと思った。
ずるずると気持ちを沈めていると、まあ、と声をかけられる。
なにやら仕切りなおすかのように、続ける緋那。
「風矢はアレ、びっくりするほど小町にデレデレしてる。
あのふぬけっぷりはあちらのお宅にも知れ渡ってるみたいだぞ。ならお前が心配することはないだろう。当人同士の問題だ」
「緋那ちゃん、クール…」
「心配だけど。…心配なだけだ」
目の前の緋那がふわりと笑う。
…最近、彼女は。前より笑う気がする。色々と柔らかくなった気がする。
「信頼はしてるし。なにか言われるようなら、あいつの名誉は守ってやろう。あちらは一人でこちらは5人。そう思うと楽にならないか」
「…緋那ちゃん男前」
でも表情だけであって。言動は潔くなったのかもしれない。
なんだか痛むこめかみをおさえて、思わずつぶやく。
緋那は、もっと。と。
「でも、君は、もっと別の」
自分のことを気にしたらいいのに。
言おうとした言葉が喉で凍る。
―――それこそ、口を出すべきじゃない。
いや。緋那には。ベムには。なにも、後ろめたいことがないけれど。
うん。ほら。散々風矢に脅された後だと。正直震えます。いや私マスターだけどね。それがなにというね。というか怒るならまだいいけど。変にこじれたら困るからというね。…余計なことを言ったせいで、こじれた奴らもいたことだし。
「…私は」
ぐるぐると苦しい気持ちを抱える私に、声がかかる。
同じくらい戸惑ったような顔をする、炎龍。
…ああ。こういう顔も。
最近、よく見るなあ。
「私のことは、気にしないでほしい。…気にしなくで、でも、できれば、お願いだ」
なんとなしにじっと見つめると、顔をそらされる。
お願いとはまた珍しい。
…っていうか、もしかして。緋那からは初めてかもしれない。
「…その。あれだ。交配の予定とかの、勘定にいれないでおいてくれると、うれしい」
「……緋那ちゃん……」
だからうきうきしたんだけど。なんかむしろ沈んだ。
「緋那は……私が………」
いや、これは沈んだというよりは、そう。言葉が浮かぶ。
「私が、ベムを無理やり誰かとくっつけるとか…ありとあらゆる意味で私が死にそうなことすると思ってたの!?」
「ありとあらゆる意味!?」
「ありとあらゆる意味だよ!?
ベム君夢枕に立ちそうだわ風矢君にげしげしけられそうだわ磨智ちゃんが冷たい目でみそうだわ!
そんなことしたら私に味方なんていないんだからね! 死んじゃうんだからね!」
「かなた…お前どこまで弱いんだ…」
「憐みの目は嫌!」
驚きから憐みに眼差しを変化させる緋那に、ぶんぶんと首をふる。
「と、ともかく。そんな恐ろしいこと元からしねえよ!?」
ぶんぶんぶんぶん、ふりまくって。気を取り直す。
大きく息をついて、変わらぬ顔で私を見る彼女と視線を合わせる。
炎みたいな赤い目。それでもとても静かな印象のある、その目。
その目がとても好きだと思う。
とても好きだから。まあ、やれることといったら。
「緋那の好きなようにしなよ」
きっとなにもしないでいることくらいじゃないかと、思う。
うん、前から言ってることだけど。前とは少し意味が違う。
主に聞いている方の心構えが、きっと違う。そんな顔を、してる。
「……そっか」
小さく呟いた緋那は、笑う。
柔らかに、静かに。
…ああ。こんな顔を見せてくれるなら。私はちゃんと主やれてるかな。敬われたくはないんだけど。
敬われたくはないから、これでいいのかな。
―――なんて。
「お前がよい主かどうかは知らないけど。私はなにがあってもお前を虐待に走らないから、びくびくするな」
なんて思っているだけならいい話だけど、なんかオチついてね?
「え? 私はってなに? 緋那以外のふ、いや誰かに虐待されてるの私?」
「……」
「緋那! なんで目をそらすの!? ねえ! ねえ!? な………なぜなのよー!?」
どうやらよい話で終われない私は、それからもちょっと叫んだ。
ピーピーなんて言ってないけど。ギャーギャー言った。
ひゅるり。吹き付ける隙間風は、体に冷たく染み入ったのだった。