指先で、唇をなぞる。
走って走って乾いたそこは、いつも通りの唇。
けれど先ほど触れた場所の感覚を思い出したようで、ひどく。
熱くなる頬に手を添えると、胸のあたりがずきずき痛んだ。
重なるみちのり 少し後
「た、ただいま!」
玄関を開けて、声をあげる。
ぱたぱたとすぐにこちらに向かってきたのは、主と友人。
「緋那、おかえりー」
軽い仕草で手を振る磨智に、同じように振り返す。と。
「緋那ちゃん! なんで顔蒼いの! なんか辛そう!?」
かなたが紡いだのは、自分の顔をみろと言いたい感じのセリフ。
…そうか。蒼いのか。
赤いのかと、思ってたけど。
「…急いで帰ってきたからな。疲れたんだろう。
悪いけど、みんなで夕飯済ませて。私、食べてきたから」
「…うん、分かった」
静かに返すと、かなたが頷く。大きく、何度も。首もげたらどうするんだ。
「…あの、…緋那」
もげる前にぴたりとその動きを止めた彼女は、ためらいがちに口を開け閉めする。
ぱくぱくと、何度も。…まどろっこしいやつだ。
「…ベムも、そのうち帰ってくるだろ」
「あれ。知ってるの」
まどろっこしいからいった私に、こたえるのは磨智。
からかうような、楽しそうな声に、なんだか唇を曲げたくなる。
曲げてしまっては、ますます楽しそうな顔をされる予感がして、やめたけれど。
「…うん、知ってるよ」
やめたけれど、止めることは。
それだけじゃなく、あいつとのこと。
あいつから目をそらして、問題を先送りにすることは、もう。止めよう。
「私、先に休むから。
また明日」
明日から、あいつの顔を。もう一度、真っ直ぐにみよう。
わけもなく急いで階段をかける。
追いかけてくるのはおやすみという声だけだった。
一人になると、また頬が熱くなる。
ため息をつけば、呻きが漏れる。
なんだ、別につらいことなどないというのに。
なんで胸苦しいのか。
ベッドの上のクッションを抱えて、ぼすんと顔をうずめる。
赤くて丸いそこから漂う甘い香りに、呼吸はずいぶん楽になる。
そうして、思い出す。つい先ほどの、やつの声。
ほしいものがあると言われた。
ずっと気にしていた答えを、ようやく得た。
分かっていたことなのに、きっとわかりきってはいなかったことに触れた。
だから、近くなる距離が嫌ではなかった。
びっくりするくらいに、嫌ではなくて、なんだか熱くて…、そうか、あの時から熱いのか。
「……」
うう、と。
驚くほど重い呻きが、再度もれる。
おもくて苦しくて、心臓が痛い。どこかに逃げてしまいたい程度には。
でも、一人では。
一人ではどこにいっても。楽でも楽しくもなかった。
ぎゅ。
クッションを握る手に力がこもり、形が変わるのがわかる。
中身、つぶれちゃったらもったいないけどな。
もったいないと思うんだけど、やっぱり身体がこわばる。
触れた場所が、熱い。
「……まつ、か」
いつまで?
―――きっと納得するまで。
どうやって?
―――きっと今までと同じように。
「気の長い奴」
馬鹿みたい。馬鹿なんだから。
辛抱強くて、だからもう少し、肩の力を抜いてくれたら。
私の中でも、抜いてくれたなら、その時は。
ぶつ。
鈍い音が、思考に沈んだ意識をひきあげる。
いつのまにか閉じていた目をあけると、クッションは綿をはみださせて。
潰れた姿に抗議をしていた。
その後、綿が出たクッションを自分で縫うのは、なんというかこう。
…よくわからないけど、やっぱり顔が熱かった。