玄関をはきながら、空を仰ぐ。
 いい天気だ。暗い曇り空の続くようになったこの季節には、とてもまぶしい。肌寒い空気はむしろ心地いい。
 なんて思っていると、背中の方から声がかけられる。
「ねえ、風矢君」
 声の持ち主は同じく玄関前をはいていた、磨智さん。
「なんですか?」
 振り向けば、唐突に声をかけてきた彼女は真剣な顔で言う。
「小町ちゃんがお嫁にきたら私は窓わくに指とかすべらせて『ふー』ってしなきゃいけないのかな」
「小姑ですかあなたは」
 真剣っぽく、目が笑っている。
 そんな彼女に思わず背を向けた僕は、ちっとも間違っていない。

はやる季節

 あなたが小姑って僕は弟ポジションなのか。…い、いや。違う。兄でも別に小姑だ。
 いやいやそれも違う、なによりも。
「なんですか、唐突に。なんなんですか。何で結婚ですか」
「誰が誰と結婚するんですかとは言わないんだねぇ」
「…それは…、あなたがいったでしょうに」
「まあ、君以外いないね。そして君に彼女以外だったら私は彼女に申し訳ない気がするよ」
「ええ。そうですよ」
 それなのになにをにやにやしているのか。このちっさい姑っぽい生き物とかいて小姑は。
「…ベム君はあれ、今更結婚も何もない気がするからね。っていうか、結婚したがる竜がまだ珍しいと思うよ。
 なにより、仮にしても私と緋那の関係は変わらない」
 にやにやしたまま続ける彼女の声に、僕は特に何も言わない。
 …そこで緋那さんの名前を出すことに抵抗がなくなったのだな、とつっこみたくないわけでもなかったが。
 なんていうか、本当に。…なんなんだ、唐突に。
「…なにかしましたか」
「ううん。聞きただけ。で?」
 いや。で。じゃないでしょう。
 とは、言うだけ無駄か。
「…まあ…隠すことじゃないので言いますが。みたいですよね。小町さんの花嫁衣装」
 ただえさえ白いんだからそんなに白い服とかきなくてもいいんじゃないかといつもは思うが。
 そこは、なんというかこう。
 ……いいじゃないか、すごく。既成事実がかたくできあがる。
 言葉でも色々言ったが。態度にもしているつもりだが。目に見える証があることは実にいい。
 運命とかなんとやらの意思とか、目に見えないものを色々信じる彼女だから。目に見えるものを積み上げたくなる。
 …意地、なんだろうな。アレに対する。
 ずっと彼女に寄り添い、あれやこれやと口を出してきたという『なにか』。それと違うことが、目に見にえないそれにできないことが、したくて。
 なんとなざらつく心境に構わず、彼女はふぅんと相槌をうつ。しかし、それ以上の言葉はない。
「なにより、ロマンですね。家に帰るとそこにいる、好きな人」
 ただ涼しい風が流れていく感覚は、微妙に気まずい。
 意味はわからないが、戸惑いだから、余計に。
 だから続ける言葉に、彼女はふふと笑って見せる。
「通い夫が相当楽しそうだけどね、君」
「…まあ、彼女の部屋で楽しそうな彼女も好きですので」
「風矢君…」
 なんだか不満げな声とまなざしに、口をつぐむ。
 てくてくと正面に回り込んだ彼女は、びしりと指をつきつけてくる。
「つまんない男になったね」
「…あんたを楽しませるのはほら、あの馬鹿の仕事でしょう」
 むっとしたぶんだけ正直に告げれば、彼女はにこりと笑う。
 涼しい顔で視線をそらし、まあ、つまり、と話を変えた。
 …逃げたな。
「一緒にいられればどうでもいい、と。
 でも、考えてるんだね、嫁取り」
「…こだわりますね。…なにか、不都合でも?」
 嫁にとってできれば一緒に暮らしたいが。不都合があるのか。別に僕だけなら野生に帰ってもいいが。彼女箱入りだしな。順応しそうだけどなんとなくな。
 …でも、それが問題なんだろうか。彼女が変な女なあたりが。
 そこも含め愛しているけれど。
 愛しているうえで、やはり変な女、だからな…
 覚えるのは、眉間のあたりにかすかに力が入る感覚。それがみえたように、彼女はぱたぱたと手をふった。
「あ、いや。私にはないね。…ただねえ、マスターが」
「え?」
「『大富豪のお嬢さんをお嫁にするとか…まじ増築フラグ…』って」
 蒼い顔しててねえ、という彼女に、なるほどとうなづく。
 確かに。今のままでは寝室が足りない。
 前の住人が使っていたのか、役所が建てたそのままか。ともかく手の加わってない我が家は、なんというか、広くはない。いや狭くもないが、変に広かったりおかしかったりするこの町の平均からすれば、広くはない。部屋は6つ。小さい小さい空き部屋が二つあるけれど、実質物置。
 ……それにしたって。
「僕としては一緒の部屋でまったくかまわないですが」
「輝く笑顔だけど。無理だよ。
 ベム君が全力で同意してたからね、増築フラグ」
 至極まっとうなはずの僕の意見は意見は、さっくりときりすてられる。それはもう楽しげな笑顔つきで、ばっさりだ。
「なぜそこにあいつの名前がでてくるんですか」
「むかつくんだろうね、君にあんまりいちゃいちゃされると。しかも半径数メートル以内でさ」
 その顔をみている限り、あなたもよくは思ってなさげですね。
 喉元まで出かかった言葉は、必死に飲み込む。そういうことをいうと、それこそあの馬鹿と同類だ。墓穴に全力ダッシュだ。
「…そんなにひがみっぽいからあのざまなんですよ。あっちの馬鹿は」
 だから、代わりにでたのは、彼女にまったく関係のない言葉。
 うんざりと吐きだした本音に、彼女はくすりと笑う。
「いや、まあ、いいんじゃない? やっぱり荷物置く場所は必要だと思うよ、女の子だもん」
「それは…そうですね」
「こっそりしたいことだってあるだろうし」
「それは…あなたたちの話じゃないですか」
 こっそりつくってる服とか。その他もろもろとか。
 とても一緒にされたくない。
 …そりゃあ、プライバシーを大事にしたいというのは、大事なことだが。
「……なんにしろ、すぐにすることではありませんよ」
「へえ、意外」
「あんまり焦っている男ってこう、どうかと思います」
「うわあ…意外…」
「…なんですかその顔」
「ううん。なんでもないよ。いそいそうきうき出かけていく君が言っても説得力ないとか、思ってない」
 なんだか慈愛っぽいものすら浮かべた笑顔に反論しかけ、やめる。
 言葉を惜しんで変にこじれたり、行動を惜しんで万年ヘタレになったりしたくないんです。馬鹿に学んだんです。とかいうと、ややこしくなりそうだから。
 それがわかる程度には、賢いつもりだ。
「…でも、ま。確かに今すぐではないのかもね。でも、ほんとにお嫁さんにきたあかつきにはやっぱりふーって」
「そこに話が戻りますか。
 僕の彼女をいじめないでくださいよ」
「うん、ふーするのはつまらないからお洋服でも贈るね」
 それだけ言って気が済んだように、彼女は踵を返す。そのまま室内の入ろうとする姿に覚えるのは、微妙な胸騒ぎ。
 ふつふつとこみあげるのは、賢いつもりでも止まらない言葉。
「……普通のなら喜ばしい光景ですね」
「なに、私のセンスに問題あるのぉ?」
「あったでしょう。この間のワンピースとか」
「ミニスカメイドはお嫌い?」
「勝手に好きなことにされていて絶望しましたよ! あんたもかなたさんも! 人の名誉っぽいものをふみつけないでください! 彼女は素直に信じちゃうんですから!」
 思わず叫ぶ。全力で。
 しかし、かえってきたのは非常にわざとらしいため息。
「やあねえ。かりかりしちゃって。むっつりすけべなんだから」
「磨智さん僕の話聞いてましたか」
「聞いてるよ。話はね」
 ああそうか。聞いてるけど聞き入れる気はないんですね。そういいたそうな顔ですね。
 微妙な疲れで肩を落とす僕に一瞥だけよこして、彼女は部屋の中へと帰っていく。
 残された僕は、空を仰ぐ。
 あいもかわらずよく晴れた、涼しい空気。吸い込むと胸の中がすっとするような、その空気。
 けれど、今はそのきんと冷えた感覚が恨めしいというか、物悲しいというか…。

 なんというか、なんだかなあ。
 ふう、とついたため息は、わずかに白く染まった。

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