幸せになりたい?
ならばなにも見なければいい。
盲目の代償
通された部屋は白と黒で形成されていた。
モノクロの部屋の中、家主の薄い緑の長髪だけがやけに鮮やかに映える。
深緑の瞳がじっと光龍を見つめてきた。
「…初めて言ったのはいつだったでしょうね」
すぐ傍にある椅子に腰かけることもなく立ったまま、風矢は口を開く。
それに合わせ、メーも壁に背を預けた。
「私は貴方のことが気に入らないんですよ」
「知ってるよ。俺もお前の短気なとことむやみに偉そうなとこが嫌いだ」
ここまでは、幾度もなく繰り返したやり取り。
彼らの仲が芳しくないのは初めて顔を合わせた時から同じだ。どちらから喧嘩を売ったのかもよく覚えてはいない。
目があった時から微妙に馬が合わなかったというか、どちらともなく罵りあったらこうなっていたというか。
それでも仲が悪いというほどではない。そこにあるのは一種の性格上の同族嫌悪。
ケンカするほど仲がいいと言われれば、どちらも否定しながらも納得する。
けれど。
「……本当ですか?」
風矢はうっすらと笑って、これまでと違う言葉を唇に乗せる。
冷たい嫌悪に満ちた、静かな笑み。
傍らの嘲笑を首の動きだけで一瞥して、答えるメー。
「なんで嘘つかなきゃいけないんだよ」
「さあ? ただ、貴方を見ているとたまに考えるのですよ。
こいつは誰かに望まれた感情を適当に作って送っているのではないかと。
すべてまやかしのフェイク。仮面。半端な鏡。そんな風に見えるのです」
「は?」
怪訝そうな声に構わず風矢は続ける。
「私は貴方が嫌いだ。
どうしてだか、分かりますか?」
がらりと話題を変えられ、メーは一瞬戸惑ったような顔をした。
「…さあ?」
それでも紡いだのは気のない相槌。
「どうしてだか、考えたことはありますか?」
「それは……」
あるに決まっているだろう。
メーはそう返そうとして、言葉に詰まる。
ソレハ、ホントウ?
耳の奥から聞こえる冷めきった誰かの声が、そう答えるのを邪魔した。
頭痛を覚え、米神を抑える。冷たい汗が手を濡らす。
苦悶の表情を浮かべる彼に、風矢は冷たい眼を向けた。
「そんな風に黙られては、なにも変わりませんよ。
でも、一つだけ言っておきます。
誰もが幸せになんて無理ですよ。
誰もを愛するモノは―――誰も愛していないんです」
「んなもん……わか、って…」
「分かってるようには見えませんね。
私は貴方が嫌いですからそれでもいいですけど。
貴方を好いた方が報われないでしょう?」
痛みを増す額を抑える。
冷めた声は確かに届いているのに、それすら忘れる耳鳴りがする。
―――違う。
耳鳴りじゃない。誰かの嗚咽。
そう、いつも泣きそうな顔をしていた彼女が鬱陶しくて離れたら、彼女が泣いていて。
だから。だから、もう二度と見なくて済むように、傍に。
―――これは、いつだ。
分らない―――本当に?
「私は磨智さんとそれなりに仲がいいですから。彼女が傷ついてる現状には心が痛むんですよね。
その原因がこの期に及んで知らぬふりを続けていれば、少し自覚を促してみようかなと思う程度の友愛はあるんですよ。まあ、先に少しどころか多大に自覚を促そうとした方がいたわけですか。
それでもまだ自覚はできてないツラをしていたので、ついお節介を焼いてしまいました」
風矢はふ、と息をついて、膝をついた光龍を見下ろす。
「私はあなたが嫌いだ。それは、永遠に勝てない相手だからですよ。
誰よりもマスターに愛されているのに、それが当たり前のようにふるまう。
その理由が時間だというから、一層腹立たしい」
彼が主人と出会ったころ、既に一番近いところには傍らの光龍がいた。
一番長い付き合いの、相棒。
「それなら―――私は永遠に勝てないんだから。
とはいえ、マスターのことは特に好きだというわけではありませんが。負けたと言う意識が嫌なんですよね、大した理由もなしに。
ずっとそう思っていましたが…それなりの代償はあったようですね」
呟くように言えば、ピクリと肩がふるえる。
けれど、それだけだ。返る言葉はない。
「…外見年齢15歳前後。
それだけ見てれば、別になんの問題もないですよね。特に幼いというほどではないし、珍しくはありませんよ。最終的にはもう少し成長する方も多いですが、そういうのって、交配の気配があったり、想う方が現れたり…貴方には『関係ない』ことに伴うことも多いようですね」
再び唐突な話題転換。
それに違和感を感じる余裕すら、メーには残っていない。
「ですが、貴方にとってその年齢は他の方とは違う意味を持っていると邪推したのが、そもそもの原因でした………
…昨日、もしやと思ってマスターに確認をとったことがあるんです」
風矢は続ける。静かな侮蔑とそれ以上の悲しみを帯びた顔で。
「ねえ、メー。
あなたがマスターに出逢ったのは、彼女がいくつの時でしたか?」
耳の奥の嗚咽が止む。
意識がはっきりと戻ってくる。
それでも、メーは言葉を失い、ただ浅く呼吸を繰り返す。
その様子を見て、風矢は眉を潜める。
「僕は自分が一番好きですよ、だから負けるのが屈辱だ。
けど…貴方の一番に欲しいものはなんですか。己を支える誇りを作るものはなんのですか」
「……」
一番と問われて、乱れる意識の奥で考える。
真っ先に思い浮かぶのは、主の顔。
けれど、彼女が欲しいとは思えない。
「俺は………」
なにかを思い浮かべようとした。
瞬間、目眩が強くなる。
「………っぅ………!」
彼女が欲しい、とは思わない。
だって、彼女は自分のもの―――否、自分なのだから。
乱れ切った思考が最後に導いたのは、そんな言葉。
暗くなっていく視界の片隅で、緑の瞳が大きく見開かれていた。
「……メー!?」
完璧に意識を飛ばした彼に思わず呼びかける。
彼はこの光龍にぶつけた言葉は本音だ。それで仲違いを起こそうが後悔はしない。
だが、床に沈む彼の顔は、呼吸を疑うほど色を無くしていた。今日が危篤なんです、と言われれば信じてしまいそうな顔色だ。
「……しかたないですね」
苦々しく呟いて、乱暴にその体を己の肩で支える。
「……」
目覚める兆しのない顔に大いに眉をひそめる。
彼に言ったことはすべて本音だ。
ただ、言わなかったことが一つだけある。
とられて悔しかったのは決して主ではなく。
微かに浮かんだ想いは、聞かせるほど大きくなかった。
恋、ではない。
けれど、好意は確かに存在した。
それでも結局友情以上のものは抱けない。
彼には、一度でも誰かに心奪われた相手を愛する気持ちが微塵も起きない。
ただ、似ているのかもしれないと思うだけだ。
貪欲だという点において、彼女と彼は似ているのかもしれない。
一番がいい。
それを彼女は他者に求め、彼は己の内に求める。
彼女は他者に愛されることを求め、彼は他者に認められることを求める。
妙に明るい態度は傷を隠すためと気付いても慰める気は起きなかった。彼女がふさぎ込んだだけでは、こんな風にメーにつめよることもしなかっただろう。
ともかく腹が立ったのだ。
彼が気落ちすればするほど悲しげな主に苛立ち、それに振り回されざるおえない身の上に苛立ち―――現況に苛立った。
ぼすん、とメーの自室のベッドに持ち主を投げ落とす。
そのまま声をかけるわけでもなく居間に戻り、お茶を沸かして飲んでいる内に、扉が開いた。
「ただいまー。…風矢君一人?」
「メーのアホがあっちでのびてます。
かなたさんこそ、一人ですね」
「………磨智ちゃんとは途中で別れた。夕飯までには戻ってくるって言ってたけどね」
「…そうですか」
「…そういえば、のびてる、って? 喧嘩でもした?」
「いいえ? 話し合いです。」
「どういう話し合いすれば伸びるんだ」
「さあ? 私はメーではないので、なにが寝込むまで気に障ったのかはさっぱり」
寝込む。そうやってより直接的に状況を告げれば、かなたの顔から疲れたような表情が消えた。
「そう…じゃあ様子見てくるよ」
探索の戦利品らしき品々をテーブルの上に置き、光龍の部屋へ歩く彼女を見たとき、風矢の中で小さな音がした。
カチリ、と。欠けていたピースがようやく嵌ったような音。
その幻の音に、満足げな笑みを浮かべた。
―――長い夢を見ていた気がする。
遠い昔の、長い夢。目がさめれば忘れる、儚い幻。
穏やかというよりは切ないそれを打ち破ったのは、やけに晴れやかな声。
「おはよう、メー君」
夢の代わりに飛び込んできたのは、青い髪と若草の瞳だった。
「……はよ」
訳が分からぬまま返事をするメー。
なぜ自分の部屋に彼女がいるのかまでは、寝ぼけた頭では浮かばない。
「というか、早くないんだけどね。もうお昼の方が近いよ。
メー君にしては珍しい寝坊だね」
「……昼?」
「うん」
信じられない思いで繰り返すメーに、いとも軽い答えが返る。
もう皆好き勝手に動く時間だよ? 困ったように、それでも楽しげにかなたは笑った。
昼まで寝ていることは確かに珍しい。もしかしたら初めてかもしれない。
最近ロクに眠れていなかったからと口にする気にはなれず、からからと笑う姿を見つめる。
なんだかここ数日、彼女をまともに見ることもなかった気がした。
物思いに沈みかける意識に、やはりやけに晴れやかな声が届く。
「―――でかけよ、メー君。」
「…は?」
「実は既にサンドイッチと冷やした紅茶を用意した。
無理やりにでも出かける」
「なんで急に、そんな浮かれたまねを…」
わけが分からぬままに訊こうとすると、主人の顔から笑みが消えた。
ひどく真剣な目をして、しっかりとメーを見据えた。
「話があるんだよ、メー君」
「…俺は」
俺は、話なんてない。
そう言おうとした。けれど。
目覚めて砕けた夢の欠片。その中の誰かの、寂しげな顔が浮かんだ気がした。
「………………」
「俺は? 嫌?」
「…いや」
メーはゆっくりと首をふる。ゆっくりと横に振って、静かに告げる。
「俺もお前に話があるよ、かなた」
それを聞いたかなたは笑った。楽しそうに、笑った。
「…で、お前の話ってなによ?」
「思い出話」
君と出会った昔の話をしよう。
そう言って、彼女は立ち上がった。