「蓼丸ってなんかかわいくないよねー。雲母ってよ・ん・で☆」
性別はさておいて。お前いくつだよ。
とっさに浮かんだ言葉を、宣利はそっと呑み込んだ。よく噛んで呑み込んだ。
パステルカラーの長い髪を流した、可憐な女性にしか見えない彼が人1人サクっと片づけた(比喩)所を見た直後だったからだ。
「……キララ」
「はぁい」
語尾にハートマークがつきそうな返しに、彼はひどく頭痛を覚えた。
なんだろう。別になんでもいい。呼び名くらい。いいのだが。なんだ。お前その年でそのキャラは痛くないのか。14が年齢制限ではないのか。もしくは16くらい。というツッコミが、その胸を埋め尽くす。たぶんキララと呼ぶたびにこみあげてくるのあろう。
「…キララ、は。照れる、な。リーダーでいいだろ…」
「えー。照れなくてもいいのに」
「カワイイヒトをナレナレシク呼ぶとテレクライするヨ」
「わあ。棒読みが下手―」
「ははは、なんのことやら」
適当な口調で顔をそらす青年に、麗しの犯罪者は頬を膨らませる。
それすらもハタからみれば愛らしい少女の仕草にしか見えないことに、宣利は心底彼に騙される者たちに同情した。
別によんでもいいけどなんか呼びたくないんだよ。響きが可愛すぎるだろ。キララ。って思ってる。でも有水リーダーのこと大事に思っていますからね。うん。ただ年齢を考えろって思ているだけだよ。
折ヶ原宣利…兄が行方不明になった。
兄の婚約者が亡くなって4か月。
…その恋人が亡くなった原因かもしれない男が死んで、2週間後のことだった。
職場には、2か月前に辞表が出ていたそうだ。
家族は何も知らなかったし――――……婚約者の家族も、葬儀や、その後の遺品整理以来会っていないそうだ。
兄がいなくなった時、浮かんだ言葉は二つ。
兄貴、死んじまったのかな。
それとこも、殺しちまったのかな。
兄の婚約者が亡くなったのは、術後の経過が怪しかったためだった。
術後、あるいは手術そのものが悪かったのではないかと、そういう話が、出かけたのだけれど……第三者の調査の結果、手術に不備はないという結論が出た。
…でも。
『……ふざけるな』
でも、医者である兄には違うことが見えていたのかもしれない。
『ふざけるな………!』
その知らせを受けた時、呪いのように吐き捨てた兄には違うものが見えていたのかもしれない。
兄はいなくなった。
……どこかで生きていればよいと、そう思う。
―――なあ、あんたもそう思うだろ?
胸の中だけで呼びかけた。
真新しい墓石の中に、魂とやらがあるかは知らないが。
この墓の主は、きっと恋人の生存を望むのだろう。
***
宣利へ
これが届いたということは 私は死んでしまったのでしょう。
なんて 自分で書くことになるとは思わなかった 嫌なもんね
宣利、私は死にたくない
手術が怖い
治療が怖い
怖い怖いと逃げてしまいたい
でも そんなのあんたがさせないでしょう
私が泣こうがわめこうが 自然に治るわけがないと病院にくくりつけるわよ、あんたは
本当真面目なお医者さん。そういうところ、好きだけど
宣利 でも
あんたが昔から何かに悩んでるの 分からないままだったな
それとも この手紙を開く頃には なにもかも笑い話になってたりするかな
どっちでもいいよ あんたといられたなら
死ぬのは怖いけど 宣利は最後まで一緒にいてくれるだろうから そこは安心してあげる
急変とかで死んじゃって、間に合わなくても許すけどね
宣利は暗いし、執念深いし。辛いもの見ない方がいいもんね きっと
宣利
この手紙を書いているのも、怖い
死にたくない あんたといたい
でも もし無理で 死んでしまったとしたら
宣利 一日でも長く生きてね
1人で生きてるのがつらかったら 浮気しても許すよ おいていったわたしが悪いなあ、って許すから
私を忘れないでね
宣利が忘れていないなら それは半分くらい生きてるっていえるんじゃないかな
あなた以上に覚えていてほしい人はいないから それだけ お願いね
有未子
遺品整理の際に手渡された手紙…遺書を読む。
ところどころ水滴で汚れて、紙も握りしめられたように潰れて。
ああ、おそろしかったのだろう。
しおらしいことを言うくらいに、恐ろしかったのだろう。
「…ゆみこ」
そこまで分かっているなら、俺を置いていくなよ。
確かに俺は執念深いし、お前がいないと延々と暗い。
………死にたいとは、思わないが。
お前が死んだ原因を殺したいとは、思う程度に。
ああ、それでもお前、医者の俺が好きだったのか。
死体が好きでついた職だとは、ついぞ言えなかったな。確かに。
しかし、なら。ますます馬鹿なことを考えずに続けるべきか? つづけるべきだろうなあ、人生を棒にふっても、お前は喜ばない。
そう、お前は喜ばない。なにをしても喜ばない。
もう泣かない。
文句も言わない。
なにもしない、できない。死者だから。
だから悪いな、本当に。
ただ、気が済むように行動するよ。―――本当に、ごめんな。
***
とあるバーに座る男に、暗い声がかかる。
『ここに行けば、あんたなら。頼みを聞いてくれると聞いた』
男―――大迫が顔をあげると、声と同様に暗い目をした青年がいる。
青年は腰かけ、注文を告げる。大迫の好む銘柄を頼み、差し出す。
『…あなたなら叶えてくれると聞いた』
誰に、と聞くより早く。青年の手の中から、一枚の封筒が差し出される。
中には、青年と同じ年の頃と思わしき青年。白い廊下を歩く、察するに医者であろう青年がいる。
『コイツを殺したい。
しばらく遺体見つからないようにしてくれないか。痛んで、詳しいこと、分からなくなるくらいに』
暗い。
暗い目をした青年は。 縦に立つほどの札束をテーブルにたたきつけ、低く呟いた。
―――それが、1週間前のこと。
とあるタクシーの運転手として街で待機する大迫の耳には、電話越しにかの青年とそのターゲットの声が届く。
交わすのは、なんてことのない会話だ。
なにか後ろ暗いことのあるわけではない、ただのバー。
そこで交わされる、なんてことのない会話。
周囲の喧騒と相まって、人の記憶になど残るまい。
そういう店を、大迫が選んだ。
ただ。
『…ところで、どっかで会いました? 同業ですし、どこかで会ったと思うんですが…思い出せなくて。あなたは覚えていますか?』
『……ああ、いや。申しわけない。…覚えていないな』
『ああ、そうですか。…とはいえ、俺も思い出せませんからね。お互い様です』
ただ、依頼人がターゲットに告げた『そうですか』だけは。
一瞬にじんだゾッとするほどに冷たい恨みは、多少印象に残る。
恋人が死んだのだという。
明らかに、ターゲットの手術に不備があったのだという。
けれどもみけされた。
正確にいえば、曖昧に―――訴えられない程度に曖昧に事件性がないとされた上、当事者は看護師とされて―――…その上その看護師がなくなったそうだ。
自殺とも、事故ともとれる、これまた曖昧な状況で。
追及しようもないし、後味が悪い。それ以上病院側を責められはしない、と。そんな風に恋人の家族は折れたらしい。
―――そもそも優しい人達だったから。
ミスだったかもしれない、で責めて。そのせいで相手が亡くなったのではないかと、そう心が痛んだんでしょう。
優しい人でしたよ。あいつも。その家族も。
ことの次第の割に、報道にものらなかったその事件を、依頼人はそう評した。
俺は優しくなれない、と。最初に声をかけた時と同じ、暗い声色で締めた。
電話越しの会話は続いている。
依頼人がつなげた通話越しの会話。
―――どうやら、ターゲットはあと一軒飲むらしい。
『ならばお勧めの場所がありますよ』
依頼人が告げる場所もまた、大迫が勧めた店。
正確に言えば、大迫の同業が関わる店だ。
依頼人が惜しみなくばらまいた金により、ターゲットは大迫の協力者がいる店を回らされることになっている。
酔い潰れた頃、協力者の呼んだタクシーが…大迫が迎えに行くことになっている。
もう、そういうことになっている。
一人先に店から出て、待ち合わせ場所へと歩いていく依頼人に。大迫はなんとなしに目を細めた。
***
「泥酔状態で、慣れない街で道に迷って。足滑らせて。川に落ちる」
後部座席で寝息を立てるターゲットを冷えた目で見ながら、助手席の依頼人は呟く。
「ほどほどに事故っぽいですね。本当は海の方が見つからない気がしますが。それだと、こいつが行く理由がないからな…」
クスリ、笑う声に楽しそうな色はにじまない。虚ろで、暗く。泥のようだ。
「…なあ、あんた」
「…なんだ」
「じゃあ、事故の前にさ。チンピラに絡まれて、ぶん殴られていても。さほど不自然じゃないと思わないか? むしろ足がもつれて自然だろう」
「計画的なチンピラだな」
「もし捕まってもアンタの情報は吐かねぇよ。世話になったからな」
車が止まる。
手袋をはめ、憎い相手を抱えて道へ横たえる動作は、いっそ優し気―――否。
意識のない人間を運ぶのに慣れた動作で。なるほど確かに、医者であるというのも納得するところなのだろう。
ほどなくして聞こえた打撃音と。呂律の回らぬ命乞いを無視する様を除くとするならではあるが。
そうして、しばらく後。
血の跡もないままに帰ってきた依頼人は、無言で助手席に座る。
黙って帰路へとつく大迫に、彼は何も言わない。
ぽつり。ぽつり。降り始めた雨は恐らく川嵩を増させるはず。遺体の発見が遅れるだろう。依頼人は天候に恵まれたといえる。
「……」
車内に満ちるのは、ワイパーの動く音と、タイヤが雨をはじく音。
「………優しい女だった」
その沈黙を破るのは、穏やかな声。
大迫が一瞬。ほんの一瞬だけ依頼人のものと気づかなかったくらいに―――穏やかな。
「学校に一人はいるだろう? あぶれている奴に声をかけて。それがさほど反感を買わないタイプ。どの過ぎたアホだったからなぁ。プライドの高い奴の反感を買わない、眼中に入らないタイプなのもよかったのかもな。ああ、でも人に好かれる女だったよ。……俺なんざにこだわらなくても、他にいい相手はいただろうに。月並みだけど、笑うとツラも悪くなかったしな」
大迫は何も言わない。
顔を伏せた青年は、静かに続ける。
「それでも。ずっといてくれたんだ。傍に」
静かな声が不意に詰まる。苦し気な息と共に、呟きは続く。
「ずっといてくれると……そのために、約束したのにな」
苦し気な―――嗚咽交りに独自が続く。
「殺せば気が済むと思った。完全にじゃなくても、少しは気が晴れると。
…気は晴れたよ。思ったよりも胸がすっとした。…すっとして、空しい」
空しい、と。繰り返されたその言葉が、最後。
後はただ、言葉にならない嗚咽が響く。
「…有未子」
喘ぐように、溺れるように。
紡がれた名前がどんな間柄なのかなど、問うまでもない。
車は静かに走っていく。
大迫は何も言わない。
車は静かに走っていく。
帰り道を失くした青年を乗せ、ゆっくりと。静かな水音と町の喧騒と共に走っていった。
***
太陽が真上に登る頃。
目が覚めた宣利は静かに冷蔵庫へ向かう。
昨夜は急患が来たから、寝たのは朝方。それにしては早く起きたな、とぼんやりと思う。
急患。そう、急患だったのだ。
早々に傷を縫って、引き留めたが帰っていった。色々と始末をつけることがあるらしい。聞きたくないし、興味もないから聞いてもいない。ヤクザの抗争の詳細など。
取り出した牛乳をグラスに注いで、飲み。ほっと一息。
椅子に腰かけ、パソコンを立ち上げ、ぼんやりとニュースを見やる。ついでに受信ボックスをあさるが、緊急の用事はない。今日は適当にすごしてもいいようだ。
とはいえ―――したいこともない。
「……これは早く老けるパターンだよなぁ」
ふけるのはともかく、身体能力が衰えるのは避けたいが。現在置かれている家業的な意味で。
小さく呟き、ベッド脇の棚の引き出しを開ける。
捨てることも、おいてくることもできなかったアルバムには、在りし日の恋人が映っている。
「…あまり早くに、死ぬ気はないから。…気をつけないとな」
なにをしてもお前はいない。
俺が復讐をなしても喜ばない。道を踏み外しても嘆かない。覚えていても喜ばない。人を殺しても泣きはしないんのだ。
だから、傍に存在を感じたいならば覚えているしかない―――なるほど確かに、アホのくせに道理を語る。
湿った声で呟いて、有水宣利はそっと目を閉じた。
適当に色々と捏造したセッションになんの関係もない宣利の小話。この辺の設定ノリで変わりかねないけど。あの面子で最初に知り合ったの大迫さんじゃないのかな、なんとなく。と思うんだ。
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