しおらしいのはたぶん最初だけだと思うし男の趣味がどう考えても悪いと思う

これの続き

 どうしてこうなった。
 ギシリと音を立てるベッドの上で、スミエはそっと思い返す。

 そっかー、つらい思いをしたのかー。じゃあ手を出すのは可哀そうだなぁ、とただそれだけだったはずなのに。
 同じくベッドに座った後、ジョージは静かに口を開く。

「じゃあ、手をあげてください」
「……うん」

 白い寝間着から袖を抜く。
 異なる白さの肌を見、男はわずかに目を細める。無意識に。

 やはり無意識に上がった口唇で、向かいに座った女の唇に触れる。
 剥き出しの肩を抱いて、数度同じことを繰り返す。

「…スミエさん」
「なに?」
「このまま触るのと、あなたが横になって触るの、どちらが楽ですか?」
「…横かなぁ?」

 答える声と共に、背中に腕が回った。
 ゆっくりと寝台に押し倒し、自身も服を脱ぎ、覆い被さる。
 何事か呟きかけた唇に口づけ、少し離れ、そのままの距離で問う。

「次は?」
「…胸とか色々触る?」
「色々の詳細は? 全部触っていいんですか?」
「…嫌だったら言うし、触りたいところでいいんじゃない…?」

 常よりも厳めしい、戦闘に挑むかのような表情の中、眉が寄る。
 触りたいところ―――やりたいこと。
 その手の言葉をスミエが言う度に、彼はそんな顔をする。
 困り果てた顔を見ると、なんだかとてもやるせない。
 子供のように見えるから、こんなことをするのも可愛そうになる。
 ―――やっぱりやめよう。
 そう口にするより早く、頬を挟まれた。
 ふにふにと撫でて、片手が髪を梳けずり、もう片方が唇をなぜる。
 恐る恐る、なにかを確かめるような手つきに、彼女はやはり胸が痛んだ。

「……やわらかい」
「…顔だからね?」

 感慨深げなつぶやきとともに、するり、と両手が下に滑る。
 首を撫でて、鎖骨をたどり、乳房を辿る。
 全体を包み、ピクリと眉が跳ねる。

「心臓、すごい心臓早い。大丈夫なんですか?」
「…うん」
「顔も赤いから心配なんですが」
「…大丈夫だから」

 ぷいっと顔を反らしたスミエは、自身も手を伸ばす。
 手探りで左胸に触れて、ふふっと笑った。

「ジョージ君も、心臓早い」
「緊張してますからね」
「…緊張だけなの?」
「……言われてみれば緊張とも違う気がしますね」

 添えられた手をどかし、繋げて。ジョージは偏った語彙を手繰り寄せる。
 こういった、閨の中で訊いた言葉など、誰かを貶め、いたぶるためのもの。
 だからうまく見つからない。見つからないなりに、彼はそれなりに頭を回した。
 ふにゃりと溶けたように微笑む妻に向ける言葉を。

「…興奮してる気もすると、いうか…」

 細い指を絡めて、そのままシーツに埋める。
 啄むように唇を合わせて、しばし視線をさ迷わせ、ニコリと笑う。

「こういう時こそ言うんですか? スミエさん、すごく可愛い」
「……かわいいかなぁ?」
「ええ」

 早い鼓動が満足とでもいうべき顔で笑いながら、やわやわと胸をさする。
 ―――確か性感帯だった気がする。覚えていて楽しい記憶ではないから、おぼろげではあるけれど。
 そう。肌を提供した記憶はだいぶ遠い。だいぶ遠く、ろくでもない。けれど今思い出しても気分が悪くはならなかった。
 子供で、ナイトメアで、性技の一つも仕込まれていない。それを買いたがる趣味の客はお察しだ。だから全く違うことのように思えているだけだろう、と彼は思う。
 思いながらも、少しだけ祈った。平気な理由が、愛とやらならばいいのに。

 薄い胸をつぶれないように痛まないようにと撫でる男の指が、ついと頂点に当たる。
 びくりと跳ねる体に、手が止まった。

「痛かったですか?」
「……いたくは、ないよ」
「…じゃあ、もっと触ってもいい?」
「え」
「駄目ですか?」

 しばしの沈黙の後虫の鳴くような声が響く。「ダメではないけど」のつぶやきに、ふにゃりと両胸がつぶれる。
 痛くはない。痛くはないけれど、もどかしい。
 ―――焦らされてるのかなぁ。
 違う、焦らしているにしろ、自覚がないにしろ、たぶんこのままではもどかしいままだ。
 中途半端に上り詰め、中途半端なところで目撃された所為で中断し。今はこれ。
 じわじわと理性がとけるような感覚に、そっと口を開く。要求を紡ぐために。
 けれど開いた口から声は上がらない。当然のように口づけられ、舌を吸われる。

 教えてないし、こんなことするとは聞いていない。
 浮かんだ疑問と抗議は、酸素の回らぬ頭ではうまく処理できない。
 トントンと肩を叩けば、意図が伝わったのか、体が離れていく。

「ジョ…」
 紡ぎかけた声が詰まる。
 名前を呼んで、何を聞こうとしていたのか。それすらも一瞬忘れた。
 エルフの目は良く見える。
 明かりを落とし、月明かりが頼りの室内でも。

 うっとりとしか言えない様で目を細めて、食卓に好物でも並べられたような顔をしているナイトメアの顔が。

 ―――ナイトメアだよね?
 今、うち、食べられようとしてないよね……?

 パクパクと口を開け閉めし、呼吸を整える間に、手首をとられる。
 とろけた目が近づいて、さらに細くなる。笑みの形に。

「明かりつけていいですか?」
「…?」
「俺も見えた方がいいと思うんですよ。それなら、あなたが嫌がったらすぐわかるし」
「嫌がらないから、消してほしいかな」
「……あなたは暗視があるに」
「それは、そうだね?」
「俺のしたいこと言っていいっていったじゃないですか。
 見たい」
「それ、は」
「ちゃんと忘れずに油買い足してきますから。ねえ…スミエさん」
 何度目かわからぬ口づけが落ちてくる。
 最初はこめかみ、次に頬。震える間に、耳朶に触れる。

「…全部見せてくれたら、どこ触りたいかとか、すごく…わかりやすいんだけど」
 湿って熱を孕んだ言葉に、声にならない声が答える。
 ぺろりと頬を舐められる感覚に、やはり彼女は思った。
 もしかしてナイトメアは肉食なんだっけか、などと。

***

「あ、うぁ…やぁ! っ…ふぁ、…な、…なんで」
 なんで止めるのの意思がこもった瞳に、困り切った声が返る。
「…だって嫌だっていったじゃないですか」
 確かに言った。言いかけた。言いかけたのだけれども。
 体の中から抜けていく指に、スミエは軽く唇をかむ。
 それをとがめるようについばまれて、整った眉がじりりと寄る。
「…わざとしてないよね…?」
「わざと…? ………。……ああ、そういう文化はわかります」

 ですが、と言葉を切ったジョージは濡れた指を見やる。
 なんとなく美味しそうに見えたので舌でぬぐった。
 恥ずかし気にうめく妻に、彼は軽く首をかしげる。

「俺はあなたを、…そうですね。なんていうんでしたっけ…、そう。辱めたりしませんよ。したくない。痛い思いをさせたくないし、恥ずかしい思いをさせたくない。…それに、教えられてることしてるじゃないですか」
「それはそうだけど…」
「だけど?」
「なんで余裕あるの…!?」
「え、それは……あなたが余裕なさすぎるというか、ちゃんと息しないからじゃないですか?
 …本当に、気持ち悪くなったり痛いのならすぐ言ってくださいね」

 とがめられたと判断した指は膣を抜け、陰核を撫でる。跳ねた体は、手で押さえられる。
 確かにそれも触るものだと言った。なんなら触ってほしいと言った。どちらかといえば言わされた。その後いやらしい目にあった。
 少し前まで散々撫でられ捏ねられイカされた場所は、それを忘れたかのように新鮮な刺激を紡ぐ。
 とろとろと溶けた秘所から、新しく潤滑液がこぼれる。

 気持ちが良い。
 肌を合わせる快楽を知っているのを差し引いても、腰が引ける程度には。
 丁寧に丁寧にほぐされているせいだとは思う。
 手慣れているとか、そういった印象はなかった気がする。

「いや、だから、それが…や、…じゃ、ない、け、ど…」
「…痛かったりいやだったりする時のサインでも決めればいいんでしょうか?」

 けれど、この顔でなにかを言われると弱い。
 心の底から―――そう、瀕死の状態から救助した当時よろしく不安げな顔で「大丈夫なんですか」「次はなにすればいいんですか」と聞かれると、嘘をつかれているという発想は浮かばなかった。

 浮かばなかったけれど、思えばアレコレと恥ずかしいことを言わされた気もする。
 息がしづらく、ぼんやりとした頭ではうまく抗議できないだけで。

 彼女が酸素と言葉を探す間にも、指は動く。
 先ほど嫌だと言いかけた場所には一切触れず、入り口でも広げるかのような動きで。

「ダメだ嫌だって言っても、やめてほしい時と、そんなんでもない時があるんでしょう…? そんなの見分けつかない。
 …嫌いとかどうですか。すぐわかるし、絶対やめる気になるし。言いやすいでしょう」
「言いにくいよ、それは」
「三文字ですよ?」
「……三文字で、絶対やめる気になるくらい、嫌なくせに」
「それは確かに、そうですけど。…それを言えば嫌もダメも落ち込みます」
「……それは……」

 ごめんと謝るべきなのか、一瞬だけ彼女は迷った。
 しょんぼりと、肩を落とす姿が嘘には見えない。見えないのだけれども―――ふと脳裏で義妹の声がする。騙されてない?とか。人はそんなに簡単に拾うものじゃないよ、とか。

 その二つが並ぶと、どうしても迷う。どちらも可愛らしい、庇護の対象だ。
 今目の前にいる方には食べられそう(物理)な気がするけれど、それでもやっぱり庇護の対象だ。

「…本当にダメだったらたたくっていうのは……?」
「殴る…」
「そんなにしないよ!? …こう、ぺちっと…どこかぺちっとするから…気づいてくれるんじゃないかなぁ」
「…わかりました。気をつけます。…でも、たたくじゃなくてもいいんですよ?」

 脚を抑えていた手がするすると上に登っていく。
 顎を撫で、唇を割り口内に滑り込む。

「殴られていいし、噛まれてもいい。…なんなら刺されても大丈夫ですよ。あなたは一緒に暮らすヒトを傷つけて笑う女じゃないから。あなたになら、なにされてもいいですよ」
「かむのは、ダメ、だってば……、ああっ」

 言われた通りに口から出た指は、濡れたまま乳首をなぞる。
 そこはあまり――これ以上してほしくないと頼んだのだけれども。本気で止めたわけではない判定が入ったらしい。確かに、やめてもらうサインは早めに作るべきだった。

 ああ、けれど、と思う。
 たぶん、やめてと言ったら最後、指の一本も触れなかっただろう。出会った当時ならば。
 出会った当時、風呂に入れれば水だと疑われれた。真冬に、けが人を水につけるものだと疑われた。食事に添えたカトラリーは彼女が持つまでて…おそらくは見本を得るまで手もつけなかった。床で寝るのは風邪を引くと説いても、すぐに立ち上がれる体制を崩すのにおびえられた。
 どれだけ心配だと言っても彼女の意見など聞かなかった。―――それなのに、強い口調で言えば従った。
 同じ内容でも、命令すればベッドに転がった。一言も声を発さぬまま。

 逃げてきたと口に出したのは数度で、なにをしてきたのか、具体的には聞いていない。
 けれど、あまりに簡単に予想がつく。殴られて刺されてるどころか、寝食入浴、生活のすべてが命を脅かす行為で、反抗の意思を折るムチだったのだろうと。

 ―――そのころを思えば、今の姿は喜ばしい。

「ひっ、ひやぁ、…あっ」

 おびえなくなったのはいいことだし、あちらがここまで楽しそうで、こちらが気持ちいいのだから止める必要もないのかもしれない。
 楽しそうというよりは食われそうなのが気にはかかるが、今のところどこも欠けていない。
 だから、細かいことを気にする必要はないのかもしれない。
 たたくのではなく、すがるように伸びた腕に、男の動きが止まる。

「…もう、大丈夫、だから」

 小さな声に、笑顔が消える。不安そうで、緊張しきった顔になる。
 壁際にもたれた体に覆いかぶさるように、次の言葉を待つ姿を見ると、やはり彼女は思う。甘やかしたい。幸せだ。

「…もう、大丈夫そうだからちゃんとナカがいい」
「…そう、で許可ださないでくださいよ」
「もうこれ以上広がらないと思うよ…?」
「確かに幅は足りてるけど…奥行き足りるんですか? ここって奥どうなっているんですか?」
「…わかった、ジョージ君、私の顔みて話そうか…」

 うつむく、というよりは秘所を凝視する顔に手を添え、ぐいと上向かせる。
 恥ずかしいし、多少腹が立つ。
 こちらは一生添い遂げる気でいるのに、なぜたまに思い出したように逃げ腰なのか。
 仕方ないと思っても、たまには怒ってもいいはずだ。

「大丈夫かどうか、ちゃんと見てればわかるんでしょ?」
「……そうですね」

***

 昨夜、油を買い足すと言ったけれど、半日分浮いたから買い足す必要がなくなった気もする。
 そう。昨夜。
 うとうととまどろんだ時もまだ夜だったと思うのだけれど、時刻は昼間。普段ならば昼食を終える時刻だ。

 太陽の向きでそう判断しながら、ジョージは数度瞬く。
 もう眠くはない。体が多少重い。
 抱き着かれた腰が多少痛い。壁に預けっぱなしだったと思わしき背中は痛い。。
 なぜこんなワケのわからない姿勢で寝ているのだろう。―――そうしようとすると、自分を抱き枕にする妻はそれはそれは眉をひそめたのに。
 くあと欠伸を噛み殺し、本来寝転がるべき場所を見る。
 乾きかけだし、嫌な臭いがする。寝る場所としては適さないだろうことが分かる。
 ただ、そこにひとかけらの血痕がないことに、彼は心の底から安心した。

 体力にはそれなりに自信があった。やはり緊張とは恐ろしい。あのまま寝たのか。
 しみじみとズレた感慨を抱きながら、かかっていた毛布ごとエルフを抱え上げる。
 そのまま彼女自身のベッドに下そうとして―――目が合った。

 眠そうに半分閉じていても、キレイだなと思う。
 目を守るためだけなら、こんなに長いまつげはいらないはずだ。目を楽しませるための造形なのだろう―――愛されるべきものなのだろうと、彼はいつもそう思う。

 思い、いつもと同じ言葉を乗せる。

「おはようございます」
「おはよう。…なんで寝かせようとしてたの? おこしていいんだよ?」
「寝てるのをわざわざ起こさなくてもいいと思いまして。…起きたなら服着ましょうか」
「そうだねえ…」

 そううだねと言う割に、ぺたぺたと床を歩く。
 服ではなく、新しい毛布を出してぽふりとかけてくる。
 ベッドの上で隣りに座り、こてんと肩に体を預ける。

「また寝るんですか?」
「用事もないし、それでもいいねぇ…」
「ずいぶんだらけた話ですね」
「だらけてるのは嫌?」
「別に。そんなことはないです」

 答えると同時に、重心が変わる。
 ベッドに転がり、そのまま抱き着かれる。
 場所が移動した以外は寝起きと変わらない状況で、上機嫌な声が響く。

「じゃあもう少しゆっくりしよう。…でも、お腹減った?」
「いえ、別に。……でも、なんだかくっつかれると落ち着きませんね」
「そっか。嫌?」
「…不思議な気持ちになりますね」

 少しだけ考え込んだ答えに、さらに背中を抱く力が強くなる。
 細腕にしては力強い、けれどちっとも痛くない腕だ。

「でも、うちにはなにされてもいいんでしょ?」
「こういうのはちょっと違う気がします」
「違くないよ。…あと、おんなじだよ」
 わしわしと頭を撫でられて、ジョージは小さく首をかしげる。
 ますます上機嫌な笑い声とともに、やわらかい声が響く。

「なにされてもいいよ?」

 ざわりと胸が痛くなり、目が空を仰いだような痛みにかすむ。
 胸がときめき、まぶしいと思う。
 それを知った彼は、苦笑して目を閉じた。



「……ところで、ごはん、お肉増やしたほうがいい?」
「は? 別に足りてますけど…、なんですか、俺もう少し肥えた方がいいとかですか…?」
「…ううん。気のせいだと思う、大丈夫だね」
「大丈夫ってなんですか…?」

 しおらしいのは最初だけだろうなと思った。結婚詐欺だと思った。
 ちょっと言動が素直でもコイツしょせん好きな子に好きという度胸なく逃げた割に手を出したあげく、捕縛されてもそれを認めずに何年もだらだら手を出し続けたのと同じ存在なんだな、っても思った。へたれ性が…変わっただけだった…!