出会いは雪原(でボロ雑巾になってる時)でした

 おぼろげな記憶は、小屋の中。
 うっすらと銀色の格子と、バケツと食事をするためのほそい、なんだろう。管のようなもの。
 少しはっきりしてからは、農場にいた。
 夜以外はそこにいた。

 銀色の格子の意味どころか、その色をどう呼ぶかすら知らなかった。
 …おそらく、うっすらと塗っているだけだったんだろうけれど。

 ふれるとチクリと痛かった。鉄の剣に、少しだけ銀の塗られた格子だったから。
 その傷を見とがめられると折檻の対象になるので、その方が痛かったけれど。
 思えば豪勢なことだ。でも同じ牢屋に立っているのは、角が生えているのがちらちらといた。
 案外、元がとれてたのかもしれない。確かめる気も、その方法もないけれど。

 農場が、少し狭くなった。
 「飢饉」「過剰」「ここまで多く飼っている必要など」

 そんな言葉を聞いた気がするし、今になって記憶を補完しているのかもしれない。

 察するに俺が最初に飼われていたのは農場だし、飢饉が起きて労働力が余った。
 だから別のところに売りに出された。

 飽きるほど見ていた太陽を見なくなった。
 地下につれていかれた。
 言葉をいくつか習った。
 体の動かし方を教えられた。
 しばらく過ごして、広い部屋に呼ばれた。

 目の前に、何かの生き物の塊がいた。

 斧で首が半分ほど落ちいてて、その斧の柄を握らされた。

「こうなりたくなければ精々元値程度は稼げ」

 それが一番はっきりしている記憶な気がする。
 言葉とともに押された手も、あっさりと落ちる首も。

 それを見て笑う声も、はっきりと覚えていると思える記憶な気がする。

 ころがった頭には、水たまりに映るのとよく似た角が生えていたので、分かった。
 ああ。確かにこれは自分の末路なのだろう、と。

 ああなりたくはないので、それなりに頑張った。
 部屋はやはり格子だけれど、銀より安い金属になっていた。
 代わりに足かせがはまった。

 全員が力を合わせれば、壊すことはできるだろうが。逃げるにはあまりにやかましい。
 大体出口も分からない。逃げるのは無理だ。

 逃げるという発想は、同じところにつまっている獣人から聞いた。
 売られてきたわけではなく、賭け事に負けすぎたリカントだと聞いていた。
 要はアホだ。自分でそう言っていた。

 ただ、外の話をいくつか聞いた。
 逃げるという言葉とか、賭け事で動く金額とか、ナイトメアという種族の意味とか。

 そのリカントは、冒険者という生き物だったそうだ。
 駆け出しだと言っていたが。

 駆け出しだった、とは最後まで言わなかった。
 戻れるつもりだったんだろう。逃げる方法の考察に、彼はとても熱心だった。
 脱走者を見逃せば、同じ牢に詰まっている連中に罰が下るから、無理だったが。
 俺に話しかけてきたのは、たぶん一人ひとり懐柔したかったのだろうな、と思う。

 試合の相手がやりすぎたり、観客の要求があれば闘士は死んだ。
 死ぬと、しばらく入り口に吊るされる。

 闘技場入口に吊るされた彼を見ながら、彼の話を思い出した。
 試合で死ぬとこちらに吊るされるが、病死ならば外に捨てられる。うつるものかもしれないから。
 病死を装えば、出れるのではないか、と。

 俺はもう一つ知っていた。
 ここに吊るされる理由はもう一つある。

 試合を放棄して、毒を盛られることだ。
 出ると言うまで、吊るされている。

 そのまま死ねば、外に捨てられる。
 捨てられるタイミングは運だ。見せしめとして便利なので、観客から見苦しいと言われるまでは吊るされたままだ。

 ナイトメアという種族は、それはもうそこにいるだけで嫌がる連中がいるのを知っていた。

 他のより先に文句が出るかもしれない。
 死ぬ前に、文句が出るかもしれない。
 文句が出て、その時死んだふりをできたら。
 ―――それは、病気を偽造するよりは、勝率があるように思えた。

 …それに。
 別に、死んでもいいか、と。
 なんだかその時、とてもそう思ったから。
 だから試合を放棄した。
 その場で死ぬほど殴られたし、生きているので毒を飲むハメになった。
 ……そういえば毒を飲むのは初めてだな。食らったことはあったけど、と。
 そんなことを思っている間に、意外にも賭けには勝った。外に捨てられた。
 運がよければまた入れてやると言っていた気がするので、逃げた。
 本当に、幸運だ。
 ああは言っていたけれど、生きているとは思っていなかったんだろう。牢に戻されていたらそこで死ぬだけだったし。

 でも…賭けに勝ったところで、運を使い果たしたらしい。

 さむい。
 みたことのない白いものだ。
 いや、似たものを見たことはある。
 魔法で作り出されるものをみたことがある。

 ブリザード、氷…雪だっただろうか。
 そう、雪だ。
 そうか、こういう風にふるのか。

 始めてみたから、元居たところからずいぶんと遠いのだろう。
 ぼんやりと後ろを見る。

 この雪というものは便利で、足跡をすぐに消してくれるようだ。
 この雪というものは厄介で、冷たくて、重くて、動けない。

 ああ、動けないのは毒の所為かもしれないけれど。
 だとしたら積んだ。俺に魔法の教養はない。薬もない。

 寒い、冷たい。…痛い。
 けれど眠たくなってきた。

 土の上で寝るよりは、少し安らかな寝床な気もした。

 なんだか、少し熱く、なってきたし。

 ざくり、と雪を踏む音を聞いた気もした。
 別に、どうでもいいことだった。

***

 気がついたら、布団の中にいた。あたたかい。

 天井を見る。
 部屋だ。
 数回つれていかれたことがある、ヒトが暮らす部屋。
 客を相手にするための場所。

 …けれど、足枷はないままだ。
 それどころか呼吸が楽で、傷が癒えている。…手当をされている。
 ……違う場所に拾われたということだろうか。それとも、連れ戻されたのだろうか。

 それは嫌だな。
 もう嫌だ。
 もう終わりたい。

 ドアが開いた。
 黒い髪に青い目の小柄な女だ。なぜか大荷物を持っている。
 目が合うと、やけに息がしづらくなった。でも、逃げないと。

「えっと、うちは君が倒れてたから手当しに家に運んだだけでなにかした訳では無いよ!」
「…連れ戻しに来たんじゃないんですか?」
「連れ戻すも何も、一応うちと君は初対面だと思うんだよなあ」

 それがなんだというのだろう。
 倒れてた―――…落ちているモノを拾う理由が、自分の利益になる以外なんだというのか。
 モノ盗りというものがいるのは知っているが、俺からとるものはなかったはずだ。

 くるりと背中を向けられた。扉の向こうへと消えていく。
 窓…から出るのは大きさ的に厳しい。
 向こうの部屋から音がする。なにをしているかはわからない。
 わからないけれど、戻ってきた。
 戻ってきたので仕方なく蹴った。走った。ころんだ。

 なにかでくるまれた。
 暴れているつもりだがこの布と思わしきものが邪魔だ。

 なにか固いものが足に触れて、何か温かいものが布に染みる。
 布がとられると、ますます温かい。

「…お湯」

 ちらりとこちらを見た女はどこかが痛いかのような顔をした。
 なんだかとても嫌な気持ちになった。
 …手足に力も入らないし、心臓が痛い。
 ………殺すにしろ、縛るにしろ、簡単だったはずだ。

 …………。
 とりあえず敵意はないのだろう。

 抱えられて湯につかると、なんだかひどく不思議な気持ちになった。
 …どういう気持ちなのか、言葉できない気持ちになった。

 ああ。でも。少し、眠い気はする。
 寝てしまっても良いかと、少しだけ思った。

***

「落ち着いた?」
 よくわからない味のものを飲みながら、問いかける女を見る。
 なぜだか目が痛い。そういえば、昔空を見ると似たような痛みがあった。
 ……けれど、敵意がないのはわかった。
 …………なら、ここにいるわけにはいかないだろう。
「はい。だから、ほうっておいてください。出ます、…服と靴、ちゃんと返しにきますから」
「この吹雪にフラフラしてる人出せるわけないでしょ!?」
 なぜこの女はこんな顔をするのだろう。
 すごく嫌な気持ちになる。
「ほら、もう少しだけ待ってて。ご飯できるから。…君、名前は?」
「名前? それは無、……あなたには関係ないでしょう。…むしろあなたのお名前は? 親切な、…エルフ?」
「そうだよ、エルフ」
「エルフは筋力に劣る種族でしょう…?」
「うん。ほら、そんなエルフに抑えられてる。これはもう療養しなきゃってことだ。…うちの名前はね、スミエって言うの」
「…スミエ、さん」
「好きに呼んでくれて構わないよ」
「…では、お嬢さん。…一日ほど、おいてください」
「明日にも天気は変わらないと思うけどなぁ」
 唇がとがり、青い目が少し細くなる。
 なぜか胸が痛くなったから、毒が残っているのかもしれなかった。

 ああ、胸が高鳴る。あたたかい。なつかしい。あなたがまぶしい。…という語彙を知るのは少しあと。スミエさんが心配そうな顔してるのを見ると嫌なのを知るのも少しあと。

 福助さんが書いた馴れ初めのこっちサイドを書きながら「初対面の手負いのゴリラを風呂に入れるのはどうかと思う……」と中の人は思いました。

 そしてこの後生きる希望を取り戻して迷宮にでも潜ってたのか遠いところの依頼でもして帰ってきたら、家がもぬけの空、と…。
 まあ会えないだろうけど強く生きてほしいなと思います。
 エルフの寿命500年って知ってるだろうし600年くらい探したらめっちゃ軽装備で迷宮にでも潜るんじゃないですかね。死にたい。
 ワンチャンその前にじめじめと海に身投げしたらもしかしたら今のところにいるよりは会える可能性が砂粒程度にはあるんじゃないかな。
 

双方初対面で懐かしい理由に理屈をつけるとこうなる

 それは、昔々の物語。

 あるいは未来で、あるいは現在。

 世界がどこかもわからない、時間もぐちゃぐちゃな、それでもとてもありふれた話。

 いつかどこかの時代に。
 蛇を愛した人がいました。

 その時の流れが違っても。
 彼女の中でどれだけ短い時間だとしても、共に生きたいと願った男が。

 寄り添った時間は本当に短く。
 故あって寿命の途中で死ぬことになった男は、冷えていく体で思いました。

 ぽたぽたと手を温める、とても大切な女の涙に願いました。

 死に際に、涙くらいぬぐいたかった。
 だって、約束したのに。
 妻は、元は人だったのだと聞いた。
 人ではないけれどいいのかといった。
 本当にそうなのか信じているのかと聞かれると、正直半々だ。
 ただ、寂しそうな姿に嘘はないと知っていた。
 だから約束をした。
 家族を、友人を。たくさん見送ったと言っていた、この人を愛する蛇が。もう泣かないですむように。
 寂しい思いをさせないと、約束したのに。
 せめてそのための思い出くらいは作れると、そう啖呵を切ったのに。

 ―――嘘にしてしまったな。

 彼女の時間の流れの中で、それは些細な差なのだろうけど。


 それでも、男はそれが本当に悲しくて。
 魂が千切れるほどに悲しくて。


 どうか、と願いました。
 どうか、次があるなら、また彼女に会えますように、と。








 男が目を開けると、薄らぼんやりと白い場所にいました。
 とても楽しそうな、興味深そうな声がしました。

 対価を差し出すならば、願いをかなえてあげよう。
 お前の大切なものを差し出せるなら、もう一度会う可能性をやろう。

 男は心底困りました。
 彼がいっとう大切なものは泣いていた女です。
 到底差し出せないから、困りました。

 悩んでいると、声が笑いました。

 ああ違う。
 それでは願いをかなえるの意味がなくなる。
 そんなだまし討ちのようなことはしない。

 楽しそうな声はなおも続きます。


 差し出すのはお前の名と、本来たどるべき運命。
 魂に刻まれた因果と、最初の名前。

 そんなもので釣り合うのか。

 男は素直に尋ねました。

 そんなものがすべてさ。
 そんなものが魂の行き先を決める。

 差し出すならば、望む縁をやろう。

 どんな世に生まれても、生まれたことを祝福されることは二度とないが。
 代わりに、その女につながる縁をやろう。

 会えると保障するものではない。
 話せる生き物に生まれる保証もない。
 今抱くその思いもすべてぬぐわれる。
 思い出すわけではない。

 縁は温かいものではなく。
 おおよその場合、冷たく遠回り。

 その行き先で、多くを取りこぼす。
 行きつく前に死ぬこともあるだろう。

 それでも望むなら。
 今回の、その恵まれた生の最後で、唯一願ったものがその細い縁ならば。
 ただ一言、名を差し出せばいい。


 確かに、と男は思いました。
 恵まれた生だった、と。

 多少の不幸があり、それ以上に幸運に恵まれ、最後にたった一人を選んだ。
 幸福な生だった。

 たった一人が手を握り返してくれた。
 この上なくしあわせだった。

 たった一人が泣いてくれた。
 泣かせたことが、狂おしく悲しくとも。傍にいてくれたのはしあわせだった。

 一人で逝かずにすんで、しあわせだった。

 だから、余計に悲しかった。
 長く、長くさまよったという最愛が、たった一人で最後を迎えるかもしれない可能性が。

 あなたはなんですか、と男は尋ねました。
 私は悪魔さ、と声は笑いました。

 男は神が大嫌いでした。到底信じらない程度には。
 だから思いました。

 神でないならば信じてもいいのかもしれない。
 死に際の夢だ、好きにしよう。

 決めた男は、笑います。
 楽しそうに、挑むように。たった一人にもう一度会えるように。

「俺が差し出せるものなら、なんなりと。つり合いがとれてるように思えませんけどね」

 そうだな。
 釣り合わない。

 釣り合いは、これからのお前がとる。

 ゆがめた分だけ死にやすい。細い道を歩く。

「そうですか。…これからの俺ならいいでしょう。理由覚えていられなくても、感謝してほしいくらいだ」

 汝の名は。

「…譲治」

 そうだな、差し出せるのはそれだけだ。
 お前は元から家と縁が薄い。
 人との関係性が薄い。
 だから人外に巡り合った。
 その身は人のままだというのに。

 ああ、本当に釣り合わない。
 人の身以上の時間が欲しい。
 人外に寄り添う縁が欲しい。

 身の程に合わない、大それた願いだ。

 後のお前は、さぞや積まれる業が多かろう!

 愉快そうな声を聴きながら、男はふと思いました。
 人であるかもわからない。虫や鳥かもしれない。

 ああ、それでも。
 相まみえるなら、どうか。彼女を傷つけぬものでありたい、と。

 どうか、次は。
 本当に次が、あるというなら。


 ―――今度はあなたを守れますように。



「お兄さん、どこかで会いました?」
「いえ、初対面だと思いますけど」
「うーん。…そうですね」
「…そんなことより、この怪しい場所から出ますよ…。お嬢さん、お名前は」
「そうですね。うちの名前は―――」


「落ち着いた?」
「はい。だから、ほうっておいてください。出ます、…服と靴、ちゃんと返しにきますから」
「この吹雪にフラフラしてる人出せるわけないでしょ!?
 ほらちゃんと寝る。…君、名前は?」
「名前? それは無、……あなたには関係ないでしょう。…むしろあなたのお名前は? 親切な、…エルフ?」
「そうだよ、エルフ」
「エルフは筋力に劣る種族でしょう…?」
「うん。ほら、そんなエルフに抑えられてる。これはもう療養しなきゃってことだ。…うちの名前はね」


 これはいつかどこかで実を結ぶ、とある長い時間のお話。

 蛇人間の所為で死ねない(IF)とただの人。
 蛇人間(の要素が薄く何も知らず探索者してた頃の姿)とイグ信者の被害者。(探索者の姿)
 エルフとナイトメア。
 システム変わるのを前世としてみる話。
 そしてどの世界でもたぶん五割くらいの確率で死に別れる。たぶんどちらも運が悪い。

 御厨さんは守る必要がないから素直に隣にいればいいと気づけると死亡率が1割ほどにまで下がる模様。守るは得てして独りよがりになりがちだからね。仕方ないね。
 

色々あって新婚になったけどこの後数日〜数か月後失踪される

*R12くらいの割と下世話な話。

 ぼんやりと通りを見る。
 あまり柄が良くない通りだ。しかも夜だ。早く帰った方が良い。
 突っ立って楽しい場所ではない。

 けれど一人帰るわけにはいかない。待ち人がいる。背中にした、なんかイマイチ素性が知れない薬屋の中に。
 依頼主の関係者だから仕方ない。
 ついでに、フードを脱げないデカいのもいないほうがいい。
 冒険者に依頼してるんだから、ナイトメアが脇にいようが気にしないかもしれないけど。

 ぼんやりとそんなことを思う。
 思っていると、袖を引かれた。

 視線を向ける。誰もいなかった。
 ああと思い、下を見た。

 小さな女の子が袖をひいていた。  
 小さいのはサイズであり、たぶん成人だ。というかドワーフだ。
 あとものすごく酒臭い。

「暇?」
「暇ではないですね」
「暇そうじゃない。ちょっと私のところ寄っててよぉ」

 くいくいと袖を引かれる。袖が引かれつつ、身を寄せられる。手にやわらかいものが当たる。
 彼女の視線の先をたどってみた。たぶん売春宿だろう。

「暇ではありませんし、持ち合わせがありませんし、待ち人がいますから。
 頑張ってください、営業」
「あっそ」

 あっさりとした言葉とともに、手が離れる。そのままふらふら歩いていく。
 …あんなに泥酔してそんなことしようとして危ない目に合わないんだろうか。吐いたら余計ひどい目にあわされる。…あわされないのかな。安全なんだな。
 それとも、酒臭いだけで大して酔ってないのだろうか。死にそうになったら逃げれるんだろうか。
 まあ、いいか。どちらでも。関係ないことだし。
 関係ないけど、なんだか楽しそうだった。頑張って楽しく生きていた方がいいと思うけど、いろんな人が。
 ……他人のしあわせを祈れるようになるなんて、一年前は思わなかった。

「ジョージ君」
「はい」

 呼ばれたので少し斜め下を見た。
 声の主はなんだか一瞬だけ眉を寄せていた気がしたけれど、すぐにわずかに笑った。

「終わったから、あとは報酬受け取り行こうか」
「そうですね」

 手を差し出されたので繋いでみた。
 …なんで急に手を繋ぐんだろう。

「スミエさん」
「なに?」
「なにか嫌なことありましたか?」
「…別に?」
「じゃあ、なにか怖いこととか」
「まって。薬屋さんを睨まないで?」
「店をにらむくらいならいいじゃないですか。バレないし」
「なにもなかったから。…早く帰ろうよ」

 じゃあなんで手なんて繋ぐんですか。
 聞こうと思ってやめた。
 暗くて寒いところに、このヒトをいつまでもおいていたくない。
 話は後でいいだろう。なにもないは、嘘だと思うけど。

***

 報告を終えて帰路につく。
 やっぱり手を繋いできた。
 …これでなにもなかったらビックリする。
 ……それともなにもなくても手を繋ぐのかな。夫婦って。

「ジョージ君」
「はい」
「さっき待ってる間…、じゃなくて。断ってたけど。断るだろうと思ってたけど。…したいとか思う…?」
「なにをですか?」
「…そういうことというか、さっきみたいなこと」
「さっき…?」
「ほら、あの………えっちなこと」

 申し訳なさそうな顔をしたり、顔が赤くなったり忙しい。
 すぐにいつもの感じにもどったけれど。
 けれど、手はがっちりとつかまれたままだった。

「いえ。別に、誰かをつき合せなくても。処理くらい一人でできますよ?」
「そうなの…」

 え、なんでそんなに悲しげなんだ。

「…あなたはしたいんですか?」
「………うん」

 じっと見つめてくるということは、俺がされるんだろうか。男買いに行くから送ってくれとかではなく。…物好きだ。
 夜伽の相手は見目がいい方が喜ばれる。それは男女共通なのと思っていたけど。でも、お金は節約するに越したことはないか。

 そんなにためらわなくても、その程度のことを頼まれても気にならない。
 俺のいた場所の労働体型がゆがんでただけで、普通の店ならしないんだろう。怪我するようなこととか、死にそうなこととか。

 そもそも買うとも限らないんだろうか。買わなくたって、畑があれば野菜は作れる。竃があればパンは作れる。それと同じ感じで。近くに人がいればそっちとすることなのかもしれない。

「あなたがしたいならそのくらい、…大丈夫ですけど」
「ジョージ君がしたくないならしないよ? 一人ですることじゃないし」
「……? したいかしたくないかで言えば…、あなたが喜ぶならしますけど」

 なんだかとても不思議そうな顔をされた。不安そうな顔に見える。
 …なにかがかみ合っていない気がする。
 ……ああ、そうか。縛ったりしないと最中無防備だしな。
 無防備なのいいことになにかされると思ってるんだろうか。

「大丈夫ですよ、俺はしたくないですよ。
 好いた相手犯すわけないじゃないですか」
「……」

 あ。間違えた。
 絶対間違えた。
 暮らし始めて初めのころ、よくこういう顔をされた。
 色々なことが分からなくて、色々なものが使えないことに気づかれるたびに、こういう顔をされた。

 最近はなくなっていたのに、間違えた。

「…スミエさ」
「ジョージ君」

「…さっき誘われてたようなところでなにしてるかはわかるよね?」
「……え、…性行為」
「うん。どういう人達がしてると思ってる?」
「どういう、って…。…従業員とお客でしょう?」
「……うん。
 じゃあ、同じことを好いたもの同士が子供作るために行ってるのは…わかる…?」

 今知った。正確に言うと、先ほど彼女が言って、初めて思い立った。店以外でもするという選択肢を。
 子供は子供が欲しい夫婦が店で子種買うか、女を買って産ませてるものだとばかり思ってた。
 それか売り手のミスだと思っていた。体だけの予定だったのに、孕んでしまうのはよく聞いた。

 それを絶対言ってはいけない。
 絶対言っていけないけれど、うまい言葉が出てこない。
 黙って頷くと、やっぱり痛そうな顔をされた。
 たぶんバレてるんだろう。こちらのズレに気づくたび、彼女はこういう顔をするから。

「あとは愛を確かめ合うためにやったりする…?」
「…愛」

 そんな形にないもの確かめられるんだろうか。
 ああ、でも。最近読んだ物語にそうと読める一説があったような。そうか、なにかの比喩表現かと思い深く気にしなかったけど…そうか。
 ……そうか。もっと読んでおくべきだった。
 愛かどうかの自信はないけど、彼女のこんな顔は見たくない。

「でも世の中には好きや人とやる訳じゃなくて、ただただ性欲処理するためにそういうことする人もいるからなあ」

 握られた手が強くなる。
 それでもちっとも痛くない。
 エルフのわりに妙に力が強い女だけど、痛かった試しがない。

 そうですか、としか返せないことは少しどこかが痛む気がした。

***

 帰ってから、その話が続くことはなかった。
 いつも通りに装備をしまって、いつも通りに体を温めて、食事をとって、話して、寝た。

 横になったけれど、寝る気になれない。
 傷つけた気がする。子供作るためでも愛とやらを確かめるためでもなく「別にいい」っていってしまったわけだし。
 …見損なわれたと思っていたらどうしよう。

 男とか女とか買ってた客と一緒にしたわけじゃないんだけど。
 なにしろ全員嫌そうだった。自分も嫌だった。だからそういうのと一緒にしたわけではないんだけど。
 そうか、外なら痛めつけたりしない方向にそういうことするのかというか。そう、マッサージしますよくらいの気持ちだったのだけれども。
 ああ、でも今思うとなんかこう、ギルドとかで一緒にいる理由聞かれた時とか、似たようなことがあった。どこまで進んでいるとか聞かれた。意味が分からなくて聞いたけど、変にウケられてた。いや、ニヤニヤしないで説明してくれよ。といっても、そんな義理はないか。仕方ない。
 ……イライラする。
 知らないことは聞けるが、知らないことに気づかないと間違える。…ギルトに出入りするようになってそういうことが少なくなったと思ったけれど。まだ知らないことが多い。
 自分にイライラする。

 ごろりと寝がえりを打つ。
 隣のベッドが空だった。

「………」

 足音を立てないように気を配って床を踏む。
 よく見ると食事をとっている方の部屋からうっすらと明かりが見える。
 ドアに近づくと、苦しそうな声がした。

「具合悪いんですか!?」
「ひゃっ!?」

 声の主は扉を開け、下を見てようやくいた。
 毛布にくるまれ、なんか…、…服? …俺の? なんで。
 いや、どうでもいいか。

「具合悪いのになんで床に転がるんだ馬鹿か! 戻りま、」
「待ってこないで!」

 ますます毛布をかぶられた。
 何を言っているんだ。意味が分からない。
 ……いや、違う。
 隣にいるのも嫌になったんだろうか。
 勝手に疑ったから、嫌になったのだろうか。

「…どこも悪くないんですか?」
「うん」
「…そちらにいってもいいですか」
「それは困る」
「嫌ではないんですね」
「…うん」
「…ところでなんで俺の服握り締めてるんですか」
「……っ、……いい匂いだから…」

 それがなんの理由になるというのか。
 よくわからない。

「…触られたくないなら触りませんし、寄りません。
 暖炉に火だけ入れますよ。風邪ひくんでしょう。床で寝ると」

 毛布の塊が頷いた。
 そのまま暖炉に近づく。
 ふりをして毛布をはいだ。

「ひゃっ!?」

 転がって頭を打たれては困るので、すぐに抑えた。
 ころりと仰向けになった彼女の顔は真っ赤だった。
 毛布なんてかぶってたから息苦しかったんだろうか。

 全身を確認すると、他におかしな点はない。特に怪我をした様子はない。
 ただ、寝間着が妙にシワになってる。

「……触らないし寄らないんじゃなかったの」
「触ったのは毛布です」
「寄ってはいるよね」
「寄られるの、嫌ですか」
「…見ないでほしいだけだけど」

 もじもじと身をよじられた。
 やけに端切れが悪いし、まだ顔が赤い。

「…だって、嫌なことあったんでしょ? じゃあ手出しするわけにいかないし……」

 嫌なこと。
 手出し。
 そして今日あったこと。
 さっきから擦りあわされている脚。

「……。お邪魔して申し訳ありませんでした」

 見たことある自慰とはずいぶん様子が違ったので、気づきませんでした。
 …などというわけにもいかないので、目をそらしておいた。

 聞いたことないような感じにうめかれた。

「……ひいた?」
「どこに?」
「どこに、っていうか。嫌なこと思い出すんでしょ…?」
「……」

 どう答えればいいだろう。

 俺は3、4回くらいしか買われてないのでさほど怖い思いをしていません。
 だいぶ昔のことなのでよく覚えてないです。
 女性は一人だけだったから思い出さないと思います。もっぱら首締められた記憶しかないし。
 同室にされるほど小さくもなかったので大丈夫です。

 …だめだ。絶対どれももダメだ。
 けれどやっぱり浮かばない。傷つけない言葉が見つからない。
 違う、昔のことなど言わなければいい。

「…正しい作法が分からないだけで、教えてもらえば大丈夫ですよ」
「正しい作法って」
「…正しいじゃなくて。……愛の確認?」

 最近覚えた言葉はうまく声になじまない。
 けれど、彼女は乱れていた寝間着を直して、毛布を床にしく。
 ぺしぺしと隣を叩いているので、座れと言うことなんだろう。

 …このまま気まずく寝るのは回避されたようなので、安心した。

***

「…何をするかは大体わかりました」
「そっか」
「あなたにそういう話をさせると、顔がおもしろくてちょっと楽しいこともわかりました」
「…趣味が悪い…」
「…面白いというか……かわいい?」
「……今の流れでは喜べないって」

 微妙に不満げな顔をされた。
 別に嘘をついたわけではないのだけれど。確かに、面白いは誉め言葉ではない気がする。気を付けよう。
 ああ、でも。悲しそうだったり、寂しそうだったりされるよりはいい。
 こんな風に眉を寄せられてるほうがいい。

 ほっとして、自然に笑えた。立ち上がれた。
 そのまま抱えると、え、と声をあげられた。

「え、って。なんですか。
 とりあえずベッドですることなんでしょう?」
「えっと!?別に実践して欲しい訳じゃなくてね!?」
「でもそのままじゃ辛いんでしょう?」
「確かに辛いと言われれば辛いけど…」
「じゃあ、ちょうどいいじゃないですか。覚えたことは早く実践したほうがいいですし」
「えー…」

 ものすごく赤い顔をされた。
 …やっぱり面白いと思った。
 口に出すとひんしゅくを買うようなので、ひとまず笑っておいた。

 信じて送り出した妻がエロ同人みたいな鎧着てるんですがこの二人そういうことやってる暇あったんですかねってDMしたらそういうことしようとして「え?あんなの好きあってる人とするんですか?」って当然のように言ってしまいそうだねと言う話になって。
 そうか嫌な思いをするなら誘ったら可哀そうだなと遠慮するスミエさんと全然その辺の機微が分からないのでなんかユカイなことになりそうだねって話になったから。
 大体そんな感じの話です。
 こんなん書いといてなんですが手を出してない方が色々と美味しい気がしなくもないよね。いろんな意味で。