雨唄ネタバレSS
一人帰路について、がたごとと電車に揺られる。もうすぐ家のある駅だ。
…それにしても、色々ある旅行だったな。
別れ際の彼女は、とても切なそうだし、涙ぐんでいたけれど。きっとそれでよかったのだろう。
…というか、他にどうしろという話だよね。多分あの人はきっといい人なんだろうけど。幽霊だもんなあ。
幽霊に。すっかり驚かなくなっちゃったなあ。だって、彼に誰かを傷つける意思なんてなかっただろうし。
だってほらこの間は…………止めよう。
痛む頭に手を添えて、じっと目を閉じる。
出張というか品物の引き取りのためにこちらに来た時、ふっと思った。ひととか、テレビとか。そういうのがあまりないところでしばらくゆっくりしようか、と。
ゆっくりかは微妙だけれども、いいんじゃないだろうか。ご飯おいしかったし。良いものをみれた、と、言えなくも。…ないような。
そう、いいものだろう。少なくとも、誰も死んでいない。怪我をしていない。……ああ。でも。
少し、耳は痛かったかな。目が痛いというべきかな。
そうか、親友の恋路に口を出す人間というのは、ああいう風に見えるんだね。というか。から回ってるな。結局本人が決めるのにね、というか。
うん、でも親友に悪い虫がつくと心配だなあ。よくわかるよ。他人ごとには聞こえない。他人事なのにね。
彼女達とのあれこれと、私の悩みはまったくの他人事。…そもそも、優奈ちゃん。あなたにとっても、あなたの親友の恋路なんて、他人事だよ。口出しちゃいけないことだよ。…どれだけ仲が良くとも他人だもの。
傷ついている時とか、悩んでいる時とかに、力になれるなんて思いあがると痛い目見みる。…ソースは私。もっとも、私の親友が襲われたのは物理的な傷だったけれども。
ああ、でも。少なくとも日和ちゃんにとっては。彼女のお節介はいいことなのかな。背中を教えてもらえたから、よかったのかな。
まっとうに、健全に。背中を押してあげられたなら、別に。いいのかな。
「私には無理だな」
小さなつぶやきは、がたごとという電車の動く音で消える。
ぼんやりと、頭の中に大事な親友の顔が浮かぶ。ついでに悪い虫、もとい…悪いんだか悪くないんだかひたすらに微妙な虫、…いえ、虫ではなく人の顔も浮かび。ちょっと頭が痛い。虫に失礼だよね。ミミズだってオケラだってアメンボだってみんなみんな生きているんだ友達なんだというやつで。間違っても友達じゃない。あの人友達じゃない。友達じゃない。白アリとかよりは友達かもしれない。
…おかしな職についている影さえ見えなきゃ、友達というか、別に。思うところがない人で。あんだけ優しくて世話焼きでいまいち自分のこと優先してくれない親友に春がきたなら、もうものすごく喜べたのに。以前話したことを思いだすと、ともちゃんの美貌にひっぱられた感じでもない。すばらしい。職さえまともなら。
「…あの子は強い子ね」
よくもまあ、信じて背中を押せたこと。
なまじ両想いになっちゃった所為で、日和ちゃんの気が弱くなってふらふら彼についていってしまうとか。
古川さんにもう一度会いたさに道を踏み外しちゃうとか、考えないんだね。
あの子が間違えないと、信じていられるんだね。
ああ。でも私もそういうところは親友を信じているな。親友が恋とか愛とかで道踏み外すとは思っていない。私が怖がっているのは、そうじゃないのか。もっと即物的に、あの男の身辺物騒で嫌だというあれだし。
というより……彼女たちを見て、思いだしたのは。私の親友ではないのか。
ある人へ手を差し伸べて、それが届かなかった人。私達が何の力にもなれなかった―――あの人。
「……前提条件が、まずなにもかも違うのに」
それなのに、妙にかぶってみえるなど。…重症だ。
あの人と日和ちゃんの共通点なんて。そうだな。まぶしいくらいにいい子だったということくらいだ。きっと。
―――それなのに。
なぜ、彼女達には、ハッピーエンドがあったのに、などと。
あの子にはなぜ、それがなかったのか、などと。
「…やっぱり後悔なんて少ない方がいいものだよ」
後悔しないように、真実を知りなさいと。日和ちゃんに言った言葉は、私のエゴだ。
…真実に。きっと真実にたどり着き損ねた私の、エゴ。
日和ちゃん達のこの先を、私は知らないけれども。
与えた真実が、それによって起こった行動が、彼女が味わうはずだった後悔を消してくれるものだったらいい。
ああしていれば。こうしていれば。あるいは。もしかして。などと。
考えれば考えるほど目が曇る。頭が痛い。泣きそうだ。
気が、狂いそうだ。
「……まぁ、いいけど」
少なくとも、雨宮日和は死んでいない。夏葵優奈も死んでいない。元から死んでいたものが、元の場所に戻っただけ。
じゃあ、きっと。あの二人はちゃんと、支え合っていけるでしょう。
支え合って……一人にならなければ。
周囲の人と、手をとっていけるのならば。
きっと辛くても人間大丈夫だと、そのくらいは。それだけは。
今の私にも、信じられることである。
なんとなく息をつくと、電車の止まる音がする。
ひとまずは、家に帰ろう。
家に帰って、そうだな。とりあえず。
せっかく仕入れた本、売りに出さないとね。
古川さんずるい。リア充!女子高生に好かれるなんて!事案!一族総出リア充!とPLは大変萌えていましたが。探索者がやたらと冷たい反応いうか、トゲトゲしていたのはこう、人生色々あった所為ですというあれ。
かつてとてもいい人を助けられなかった彼女は、きっと誰も傷つかない結果にものすごく幸せな気持ちになったと思いますよ。
古川さんのことだって別に嫌っていたわけじゃないよ。最後に幸せそうで救われたと思いますよ。顔みちゃったから年の差察して「…事案」っては思っていたかもしれませんが。彼女も。
そういえば、私、古川さんに随分きついこと言ってしまったな。
未練がましい幽霊だなあ、と思ったりするけど。人間死ねば後悔があるのは当たり前だ。未練で幽霊になちゃったら、そりゃあ第二の生を楽しんだりするだろう。そのうえ日和ちゃんみたいないい子に会っちゃったら、好きになるものなのかもしれない。私に男女関係の機微はよくわかんないけれど。
うん、当たり前だし、別に。それこそ取り殺そうとしていたわけでもないのに。なんで古川さんにつっかかってしまったのかな。
礼儀正しく接してくれた人に、あんまりな対応をしてしまった気がする。
最初に日和ちゃんが古川さんの危機とやらの所為で泣いていたせいかな。
…うん、そうだなあ。そう。どうやら古川さんの危機で彼女が泣いているというのに、妙に冷静に。
基本的に礼儀正しく。むしろ物静か、いっそ謙虚っぽく。
マイペースにすら見える反応を他人にし。
あの最後みたいに、好きな相手にだけやけに優しいいうか積極的な態度を…………
「………三鷹さんがちらちらちらちらするからか畜生」
私、やっぱり。諸々の事情差し置いても。親友と距離をおくべきかもしれない。離れるべきかもしれない。
最終的に決断するのは彼女なわけだし。
人の恋路を黙って見守る大人さは、どうやら私には備わっていないらしい。
いやまあ、私の探索者が古川さんへ態度がツンツンしてた理由は「他の探索者がやさしいから一人くらい塩対応でもいいよね!いらいらするかな!どういう反応するかな!」ってPLの好奇心だったのですが。
中崎さんにはそれはそれは大事な親友がいまして。その親友とちょっといい感じな人を微妙に思い出す態度をされたのが腹立ったんじゃないですかね。後付けだけど。あというほど似てない。彼女は心から「優奈ちゃんは偉いね…大人だね…」と思っていました。はは。
死んでもいいか、と思い提案を蹴った。
蹴る瞬間、怒られるなと思ったけれども。大事な人が怒る顔は、さすがに浮かんだのだけれども。
どうせあの子を殺したら、私は生きていられない。
だって死んでもいいから、どうしても。あの子を信じていたかった。
…その結果。
よくわからないことになって、気が付いたらことは終わってた。
『あんた見てたんでしょう!? できるわけないでしょう!』
だから、気づいたときには、そう叫んだ人の腕の中にあの子がいた。
あの子はひどく憔悴して、それでも息をしていてくれたことが。
泣きたい程にうれしくて。
ここで死んでもいいから、どうか。と。そうやって望んだ未来が、そこにあるのがしばらく信じられなかった。
***
死んでもいいか、と思った。
開けたら死ぬかもしれない扉を開ける時、そう思った。
別に、死にたくなんてなかったけれど。
でも、人を死なせてしまった。
違う、私は見殺しにした。手を下したのが、別の人でも。同じことだ。
助けてくれた人も見殺しにした。
どんなつもりで助けてくれたのか、まったく理解できないし。あの人のことは、本当に嫌いだけれども。
…囮も同然の形で見殺しにした。
だから、別に、死んでも良かった。
あの子の助けになれるなら、別に。それでよくて。
だから、扉を開けて―――…………
その先でやったすべてのことに、結局、何の意味もなく。
助けになりたいと願った強い人は、一人無残に死んでいった。
***
あれから数度、似たようなことがあった。
形はそれぞれ違うけれども。
不自然に、冒涜的に。
あり得ぬ形で、人が死んだ。
だから、なんだろう。
まだ自分が生きているのが不思議で。
自分のやったことが意味を成すことも、うまく想像できなかった。
うまく想像できなかったけど――…目の前に広がっているのだから、信じていいのだろう。
***
こよりちゃんにはイチゴを。
陽菜さんには…うん、イチゴでいいか。あとお茶。
五十鈴さんもいるかな。じゃあ、やっぱりイチゴかなあ、っていうか、イチゴをたくさん持っていけば間違いないだろう。イチゴは美味しい。見目も綺麗。お土産としてはやりやすい。
足が速いのはたまにキズだけど、なにしろ人数が多いから、すぐにどうにかできるだろう。
あとなんだっけ、陽菜さんちは誰がいるんだっけ?
鳥とフェレットと小学生だっけか。
……にぎやかだなあ。
なんだっけ。なんだか、こういう風にたくさんお土産を買うの、随分久しぶりな気が―――……
『…段々土産雑になってくるな』
『おいしいじゃないですか。カントリーマーム』
『うん、おいしい。けど飽きないね。同じ話題で』
『いやだって…重要なことですし……!三鷹さんの弱みを握ることは!』
………ああ。そうか。それもそうか。
もう、あの探偵事務所には。一人しかいないから。いや、井野さんの上司はいるけど。一人いなくなったから。
何か知らないけど、やたらとお金がなくて。そうめんとゼリーに大喜びして依頼人(私)の情報を敵(と当時は思っていた)人に渡す人が、いないから。
………井野さんはムッとするようなことめったにいわないから、つっこみいれなくていいし。喉も乾かない。
だから、買うお土産は少なくていい。そもそも人にものをあまり買わなくて良くなった。
最近は、たまに顔色悪い親友に配給もといお土産を持っていかなくても良くなったし。なにしろ結婚後顔色がいい。三食ちゃんととっている。素晴らしい。うっかり三鷹さんに感謝をしてしまいそうだ。…しても、いいのかも、しれない、し。
井野さんには、仕事で遠出をしたときに、おいしそうなものをみかけたら遊びに行く程度だ。
そもそも、当時あの事務所に足を運んでいたのは、病院の帰りのついでだ。アレから数度、おかしなことに巻き込まれたけれど。あそこまで追い詰められた気持ちになることは、ない。
目をつぶって、軽く頭をふる。
瞬きをして幻を消すのにも、耳鳴りをやり過ごすのも随分と慣れた。
どうしてなんで、一体どうすれば。あの時。―――誰も死なずにすんだのか。
付きまとう自分の泣き言を、やり過ごすことも。気づけば随分と慣れてしまった。
カゴに新鮮なイチゴを放る。
ついでに、練乳も買ってみる。
成長期だからカルシウムが必要なんじゃないだろうか。練乳にカルシウムがあるかは、よくわからないけれども。
うん、でも成長期だからね。これからどんどんと大きくなってほしい。
―――未来が、あるのだから。
『私、名前を思い出したの』
ああ、なら。彼女はちゃんと本当の名前で呼んでおこう。
彼女が彼女のまま、ずっとあのまま。
あの優しい人の元で笑っていられるように。
……あれ以上、あの子になにもつらいことがないように、と。
「……また祈るだけなのか」
喉が奇妙に鳴って、日差しが少し目に染みる。
少し泣きたいのかもしれないけれど、止めておこう。
例えやれたことがあの日と同じだったとしても、私の意識の外でおこったことで―――たまたま運に、なにかに味方されただけだとしても。
陽菜さんの手は、あの子に届いた。
あの子が生きている事実は、覆されることはないのだから。
***
ある日、ふらりと訪れるとそこに陽菜さんはいなかった。
代わりに、初めて会った時と同じ顔をした彼女がいた。
空っぽで、虚ろで。お人形さんみたいで。
―――ああ。
またか。
タイミングが良かったというべきか。
事務所の奥から現れた五十鈴さんは、彼女の知る限りのいきさつを教えてくれた。
けれど、そんなものなくたって。
そんなものなくたって、もう。彼女の顔を見るだけで十分だ。
彼女に近づき、膝を折る。目線を合わせるためではなく、ただ砕けた。
ぎゅうと抱きしめた彼女は、何の反応も示さない。
―――祈りは届かない。
そんなものは、届いたことなんてない。
少なくとも、私のものは一度も届かなかった。
「……っぁ」
みっともなく喉が鳴る。
泣き続けて、抱きしめて。やがて重なる嗚咽に、余計に泣いた。
人を殺さなくても人を見捨てなくとも絶望的な状況でも、諦めずにいれば助けられたことがありました。ああそういうこともあるんだなああきらめなくて良かったなあと探索者になってしまってから始めて救われた気持ちになりました。
それからほどなく、その時一緒にいた人が死んだけれども。
それはおいといて、白地の少女はいいぞー! とてもよいぞー!
―――いつのことだっただろう。
学校で山に登った時だったから…小3か、4だったか。5だったかな。
…そんなことはどうでもいいことだ。
私は何度か同じようなことをしたし、彼女はそのたびに怒ったり心配したりしてたから。…どうでもいいことだ、いつだったかは。
なにかの行事で山に登った時のことだった。
同じ班の子が足をひねって、ずっと肩を貸していた―――まではいいのだけど。
子供というのは短慮なものだ。後ろを省みはしない。無事な子はどんどんと歩いていった。…そのケガしてた子、あんまり好かれてもいなかったし。
子供は短慮で惨酷だ。…大人だからそれが直るわけではないけれど。子供は…大人より体力がないし、足が短いという話だ。
どんどん暗くなる周囲に、おいていかれたその子と私はどうやら順路を外れてしまったらしい。
気づいたらすっかり夜で、迷子だった。
夏とはいえそこそこ寒くて。その子はいつからか泣き出して。
大丈夫だよ、と言ってみた。
べつに嘘をついたつもりはない。待っていれば大丈夫だと思った。
というより、待っているのこそが必要だ。
そう深い山じゃないからそのうち迎えがくるだろうし、おかしなところにいるとも思わない。歩き回るのが一番危ない。落ち着いて待っているのが最善だ。…私は祖父に山につれられいかれる度、そう聞いていた。
けれどその子は山自体慣れてないし。暗いし。怖かったのだろう。
適当なことをいわないで、だったかな。よく覚えてない。
ともかく、彼女は怒って。
怒って、とっくみあいみたいなことになって。
私はふらついてというか、転んだ拍子に額を切った。
綺麗にきったせいで、傷も残らなかったけど。
近くまで来てた迎えを呼び寄せたのは、彼女の叫びと泣き声だったそうだ。
迎えに来た教師陣にはそれはそれは怒られた。班員全員それはそれは怒られた。
教師とは大変な仕事だなと思った。
一応場所が場所だから病院につれていかれた。
迎えに来た父と母はひたすらほっとしたように笑って、本当に良かったと繰り返して。少し怒って、ともかく休みなさいと穏やかに言った。
後日祖父に会っときは怒られた。鍛え方が足りないと。その後マラソンが一周増えた覚えがある。それがおわったら、くしゃくしゃと頭を撫でて、えらくうれしそうに笑っていた。…祖父は昔からそういう人だ。
……ああ、でも、それより早く、クラスメイト一同のところに戻るなりぎゅうと抱きしめられた。
私の記憶の中で、三鷹巴…、…篠塚巴はよく怒ってる。
あの時も彼女は怒った。私にも怒ったし、周りにも怒った。そんなに言わなくていいと頼まなきゃいけない程度には。本当は私がしなきゃいけないことだったんだろう。今思えば。
いや、あの時もさすがに思ったんだ。
おいていくなら地図くらいおいてけとか、せめてそのくらいは。…でも。
ともちゃんが、泣くから。
ひとしきり怒った彼女が、そっと泣いて、静かに泣いて。
心配したのだと、何度も言うから。
他のことはどうでもよかった。
ともちゃんが泣いているのを見たなんて、はじめてだった。
だからとても悲しくて。
本当に悲しくて、悪いことをしたのだと思って…約束をした。
―――ともちゃん、私、もうしない。
ごめんね。
もう、ケガするようなこと、しない……
だから……
―――そんな夢を見て、目が覚めた。
病院の白い天井と、消毒液の香りがする。…私、どうしたんだっけ。
うん、今、何時だろう。
と、時計を探しかけて、気づく。
手があたたかい。
視線をずらす。
ともちゃんがいた。
ただえさえ白いのに真っ白になって、眠ってる。
時刻は夕方で、面会時間ぎりぎりだ。
伏せた顔の目元だけ赤い。荒れている。
…泣かせてしまったからだなぁ、と思い出す間もなく覚えてる。
………ともちゃんは怒ると思ったけど、泣くんだね。
あの夢の…あの時もそう思ったっけ。
―――ともちゃん、私、もうしない。
ごめんね。
もう、ケガするようなこと、しない……
「…『だから泣かないで』…」
昔。遠い昔、自分が言った言葉をなぞる。
いつも私には頼ってはくれない彼女が見せた弱さだから。
守りたかった。
約束を守りたかった。
彼女のことを、守りたかった。
今だって、守りたいけど。
……でも。あの約束、結局何回破ったかな。
危ないこととか、変なのに首つっこまないとか言わないあたり、我ながら正直だけど。
そんな約束すら、守ってなかったのか。
…嘘つきだなあ。私も。
約束したのに、なんて。あの子のことを責められない。
一人で背負わないって。
次は声をかけるって。約束したのにどうして、なんて。どうして一人でいってしまったの、なんて。
なんだか無性に泣きたくなって、少し前を思い出す。
こういうときは泣いておけと言ってくれた人を思い出す。
…同時に、こんなことでは泣けないとも。
だって……
「やっぱり私は優しくないし、嘘つきでしたよ」
うなだれて彼女の手を握る。
今度は傷一つない、最近は丁寧に手入れされている手。
それがあたたかいことにこそ、泣きたいほどに安心する。
「……ともちゃん、あのね」
約束はできない。
もう、できない。…無理だ。
でも、本当に。
「私、ちゃんと、帰ってくるから…」
…最後まで帰ってこようとは、するから。
あなたが悲しむのが、一番嫌だから。
幸せでいてほしいから。
……泣かないで。
胸の奥がひどく痛い。
体の痛みがかすむほど、痛くて痛くてしたかなかった。
こんなことがあったのかもなあこの人達。とふと思って。
顔も覚えていないクラスメイトと大事な人の話。
思えば遠くに来たものです。
この後即ルカ君の見舞いにいきそうだし巴さんの戦いこれからすぎない?とも思う。
「確かに反省はしますが! 今回不可抗力じゃないですか! 誰も迂闊なことしてないですよ今回は! 私今回は廃墟にふらふら入っていってないし、変な招待状にふらふらついていってないし、くそ怪しい男のことを調べたりもしてないし、おかしな案件の人探しとかにもいってません! 不可抗力です! 夜抜け出したのは…こう、虫の知らせで! 無事に帰ってきたからいいじゃないですか! 結果オーライですよ!」
『いや、夜に抜け出すのはどうかと思うぞ』
「あれは結局なにもなかったからいいんです。
ともかく、たまたま行ったところがたまたま変だっただけですもん! 私今回はわるくない!」
『ああ、(話聞く気ないのが)分かったから、落ち着け』
「それはさておき、とりあえず退院したら武器新調したいんですよね。昔買いにいったところには…あまり、行きたくないですし…」
『なあ、中崎。お前、そういうところじゃないか』
「……。……。……。ノーコメントで」
『そういうところじゃないのか?』
「…冬樹さんには分かりません! 身長190には! なんですかみんな当たり前のように80とか90超えて! 首が痛い…!」
『話がずれていってるな?』
「一撃はいったらこっちはおしまいなんだからすぐにやらなきゃって話です! 私だって…、私だって、もっと体力腕力身長が欲しかった! 規則正しく食べても牛乳飲んでもバランスよい食生活心がけても伸びないものは伸びないんです、今さら!」
『いや、だから…。……分かった。退院したら買いたいんだな…』
「なに笑ってるんですか。皆上から目線ですよ、物理的に。…、…第一、それこそ今回一緒にいた人はともかく、あなたに笑われたり怒られたりする謂われないです。あんな状況であった時点で、同類のアホですからね」
『それはそうなのかもしれないがなぁ…』
いや、タクティカルバトンもう一撃受けたら壊れるから買い替えなきゃな、と思って。持ってる人いたな、って思って。
あと周囲が驚きの身長格差で目線が合わない(物理)だな、って思って。
ダメボが欲しい中崎さんの話。
謝ろうと思った。
だって、結局いたずらに状況をかき乱しただけだったし。何の力にもなれなかったし。……嫌な役目をさせてしまったし。
謝ろうと、あるいはきちんと礼を言おうと。
助けてもらったのだから…その手段が気に入らないなんてことで、何かを言うのは理不尽だ。……それこそ、人を殺して笑っているわけでもあるまいし。
本当に――――本当に、そう思ってきたのだけど。
「お見舞いなど良かったのに。どうぞおかけください」
綺麗に、本当に綺麗に微笑まれて。なにか切れてはいけないものがきれる音がした。
「…嫌だっていってたじゃないですか」
椅子に座る気にもなれない。
寝台の上のルカさんの顔は白い。
心情だの感傷だのの理由じゃないことを知っている。血が足りていない。どれだけボロボロになったか、この目で見ている。……少なからず私の所為も、入ってる。
もう少し力があったら、この人はここまでボロボロにならなかったかもしれない。…いや。それよりも。
「……男に性的な目で見られるの嫌っていったじゃないですか」
絞り出した声が恨み言に似る。…自分がどれだけ理不尽で勝手なことを言っているか、自覚はある。
「自分が酷い目にあうか、女性が傷つくか」
それなのに、彼は笑う。困ったように眉を下げて、宥めるような顔をして。
「どちらがいやか、なんて。にほんでは、なんていうんでしたっけ、あー? 団栗の背比べ?」
まだ辛いだろうに、軽く半身を起こして。こちらにをじっと見てくる。
「だったらより早く収集がつく行動をした方がいいでしょう? 手間もそうかかりませんから」
ああ、確かに。道理はそちらにある。
そりゃああの場でもめ続けるより、それが早くて合理的だ。……じゃあ、あなたの嫌悪はどこにいくの?
合理の前ではどうでもいいの? 嫌だと言ったのに。減るものじゃないと私は言ったのに。―――それをするのは犠牲になることだと、誰よりあなたが早く肯定したのに。
「なんですかそれは…女性なら男性より傷つくの? それともあのクズの言葉借りますか? 汚れるの? 勝手な言い分ですね、同意ない行為が暴力以外のなに? その理屈なら彼女が汚れてることになりますね、思うんですか? …なんにせよ! あんなにボロボロなのに誰か守ろうとなんてしないでよ!」
違う、言いたいのはそれじゃない。…別に、起こってしまったことは仕方ない。
「汚されたと、思ったから。
許せなかったんじゃ、ないんですか?」
目が合う。ゆるっと視線があって、こちらをじっと見て、目の前の人は笑う。
…汚されたというのは嫌だな。色々な意味で。暴力にさらされた人は『汚れた』じゃなく『傷ついた』だ。…けれど。そんなことではなく。
「これが最小限の被害ですよ。
同意しましたよ、だからあれは、暴力ではなく、あーーー……コミュニケーション?ですよ。はは、いてて、笑うとまだ痛いな……」
なんで笑うの、楽しい要素がどこにあるの。
「目の前にボロがひとつ増えるより、綺麗なドレスは2つそのままで、元々のボロが少しほつれる位がいいじゃないですか」
―――この人の言動には、どことなく違和感がある。違和感。違う、なんだろう。外国人だから、なんて理由では納得できない手並みを見た。それこそ三鷹棗がかすむくらいに、なにかが血なまぐさい。
……それでボロなんていうのなら、ああ、確かに客観的に見て、彼が自分を見て自分をボロに例える理由は、きっと相応にあるのだろう。
こちらの主張はさぞや薄ら甘い絵空事に聞こえるだろう。
でも、なら、余計に。…そうだと、言うなら。傷ついているのならば。もう、止めてほしい。
「勝手にボロにならないでよ! ボロだつーならちっとはこれ以上傷つかない努力してよ!」
叫んで空しくなる。ああ、本当にこちらには道理がない。
あんなの見なかったことにして、水に流した方がよほど優しさだ。
……でも、それを言うなら、優しさなんてあの場にあっただろうか。
「…こちらの意見はどうでもいいんでしょう? あなたの勝手でしょ? …ならもうこちらも勝手する…!」
誰も彼もが勝手だっただけじゃないだろうか。
今この人に八つ当たりをしている私も、抗うよりもアレについていくのを選んだこの人も。
憤りのまま吐き捨てて、背中を向けようとした。
だって、この人に優しい言葉を言えない。…お礼は、言えない。……また同じことをされそうで、怖い。
けれど、足を動かすよりも早く笑い声が聞こえる。
はは、と困ったような笑い声だと思った。
「……でも、それもそれで困るんだよなあ……」
つかまれた腕は痛くない。
痛くないだけで、振り払えない。
「ね? 無茶しようとしてるのは……どっちですか? 自らの無力を知らないわけじゃないでしょう? あの時貴女があのままもし彼と2人になったらどうなったか想像つきますか?」
クスクスと笑う声が冷たい。困るんですよね、と囁く声も。強くなる腕の力も。
段々と痛いし、声はどこまでも冷たいけれど―――怖いとは思えない。この状況では。悔しいと思いたいところなのに…ただ、悲しい。
だって、たぶん、分かっていないのだろう。彼の言う通りに。
代わりになれば処理することにになったんだろうなということくらいで。あの後具体的になにがあったかも、それで自分がどんな風に傷つくのかも。…この人がそれを見てどれだけ傷つくかも。私には。
「…手じゃすまなかったかもしれないし、私抵抗するからなんなら殺されました?」
抵抗、というか。せっかく密室で二人きりになれるなら握って全体重かける予定だったから、まあ、ありとあらゆる意味で無事では済まないだろう。それで首尾よく折れるかもよくわかんないし。
分かっていてもあの時確実にやっただろうし、………それこそ無力だったのだろうけれども。
…けれど、そこではない。
そもそも前提条件が、かみ合っていない。
「でも何事もなく無力化できたかもしれない。
もしもに意味はありません。あなたが、一人で、諦めて。…抵抗する前から諦めたのが悲しいの」
一人で諦めないで、助けてと言ってほしかった。
もしかしたらそちらの方がひどいことになるからとあきらめないで欲しかった。
私一人では―――…奇跡でも起きぬ限り、無理だろう。……朱雀野連のことは全く分からないが。か弱い優男と長く組むあの人を想像できない。
満身創痍のこの人でも、無理だったんだろう。
でも、二人ならどうにかなったかもしれないじゃない。
どうせ誰かが損をするなら、ギリギリまでもがいてもいいじゃない。
「もしもに意味は無い? ではその言葉そのままお返ししますね。
"もしかしたら彼を抑え込めたかもしれない"そんな言葉に意味はありません。怪我をしてからでは、傷付いてからでは、それこそ死んでからでは何もかも遅いんです。
諦めるっていうのはね、自分を守る為に最も必要な逃げ道ですよ」
そうですね。一度すべてを諦めて、流されて。おかげで私はなにも失わずにすんだんです。
ああ、もう、無力化だの話し合いだのいっている場合じゃないと、諦めて。
あの時も人任せにして、それで死ぬほど後悔したんです。今もなお。
「私だけじゃ無理でも、手伝ってくれたらいいじゃないですか。
…二人であのクズどうにかして、あの女子大生に出口探してもらえば良かったじゃないですか。…逃げる前に、こっちみてくれたらいいじゃないですか」
本当に、ただの我がままだ。
もう後悔したくないから。だから嫌だと。
…子供以下の我がままだ。
「……ああいうのって実際ヤるよりも、視線と声で執拗に迫り続けられる方がキツいんですよ。ま、人によるんで僕だけかもしんないんですけど。
人によっては数分で終わりますしね。言ってしまえばあの場では誰がどの程度損をするかでしかありませんでした。
納得して頂けない気持ちも分かりますがね」
冷静な声がじわじわ染みる。ひたすらに痛い。
感情に任せた我がままが、誰かの心を動かすことはあるまい。…動くとしたら苛立ちか。
…ああ、苛立たせて嫌われたらいいのかな、この人に。
そうしたら少なくともこの人は二度と私を守らないかな?
…それとも彼女のために守るのかな。
ああ、本当、つくづく。…なにも分からないなぁ。
「…かみあわないということが良くわかったので、一つお願いきいてくれます?」
分かるのは、最高に卑怯な頼み方だ。
人の言葉尻をとらえた、最低の交渉だ。
あるいはあのクズに劣るのかもしれない、この人の心を抉るための言葉だ。きっと。
「…なにか違うかたちで次があってしまったら、少しはこちらを頼ってくれない?
友人だというなら、お願いくらい聞いてくれません?」
「えっ、あ、ンン……」
手が離れる。
パチパチと瞬きする顔から、ようやく笑顔が消えて。少しためらうような顔をする。
…律儀な人だなぁ。
前言を撤回してしまえばいいのに。
「……わかりました。僕も勝手をして、申し訳ありませんでした。不快にさせてしまって」
私の愉快も不愉快も、あなたが気にすることなんてないのに。
「ただ、貴女もですよ。1人で突っ走るのは……やめてください。僕も、……ええ、友人、の、為ならいつだって尽力します」
そんなに苦しそうに言うなら、止めてしまえばいいのに。
ようやくあった気がする視線は、力強い。その先にあるのは私だけではないのだろう。彼女か、それ以外かは分からないけれども。
その言葉によほど思い入れがあるのだろう。…私が見て分かってしまう程度に。
あの男は人の弱みとかに敏感そうだったから、さぞや分かっていたんだろうなぁ。
……もう、どうでもいいけど。
もう…なにもかもが、どうしよもない話だ。
「…努力目標でいいから」
にっこりと笑うと、彼の顔が微妙に引きつる。
「えっ結局僕からの約束は守ってもらえるんですか……?」
言われればさすがにすぐに気づく。そうか、一人でつっぱしらない、か。…それはさすがにちょっと誤解だ。
「いやですね、ルカさん。私は夜間に一人でふらふらする趣味は特にないですし。あれは…気の迷いです。ごめんなさい。もうしません」
…本当は。
本当は『どうしても探りたいことがなければ』とか『それが誰かの安全にかかわることじゃないのなら』がつくけれど。
「いやまあ、なんかもう……はー、いいか」
……そして、なんかこちらを見る目がこう、それを見透かしていそうではあるけれど。
「つっかれたなあ……」
言って伸びをする彼は、とりあえず今生きている。
傷だらけで。見ていると無性に泣きたくなるけど、生きている。
…ならいいの。
生きててくれたらいい。傷がなく、安らかならもっといい。
そのためになにかできると…まだ信じていたいだけなんだろう、私は。
「そうだ。喉乾きませんか? リンゴお見舞いでいただいたんです。食べていってください」
「む、むかなくていいです! 怪我人は休むのが仕事です! そうだ私ジュース持ってきたんです。…が。高級品ってどうしてこう瓶詰めが多いのかな…。…開ける時力入れて傷開いたら大変ですし、看護師さん呼んでくださいね。今は私が開けますけど。ルカさん飲めます?気持ち悪くないですか?」
「飲むことに問題はありませんが、そんなことのために呼べませんよ」
「…それもそうかもしれません。じゃあ、こう、ご飯の時とかにお願いしてください。そのくらいなら他の人も困りません、すぐ開きますから」
「いえ、ビンくらい一人で開けれますよ」
「…傷開くかもしれないじゃないですか…」
「えー…あー…。…はいはい」
ルカ君と彼女本当相性悪い気がするので嫌われていた方が安らかだったんじゃないだろうか彼にとっては。と思うのですがもう既に割と好いてしまったので諦めて好かれてください。
この面倒くさい女を育てたのは巴さんです。友人の不始末だと思って頑張って下さい。
本当相性悪いだろ。自分を優先して友達失くしたと思ってる人と!一人きりにしたせいで友達死んだんだと憑りつかれてる人だよ!? あと生きてる世界が違いすぎて致命的にかみ合わないね! 仲良くする必要はないんだろうけど少しでもルカ君がなんでもいいから安らかに生きるといいと思うよ!