鳥の羽音が聞こえる。
―――気の所為だと、幻だと、もう知っているけれど。
***
あの時。
鎌束さんを止める皆が。とても不思議だった。
自然に反している?
―――ああ。確かにそうだ。
彼女を化け物にするつもりか?
―――ああ。確かにそういうこともあるだろう。
今よみがえらせたら、また危ないかもしれない。
―――それはどうだろう。
次があるならそれは私だ。
だって。ずっと。
ずっと、鳥が。そこに。
ばさりばさりと、ずっと。ずっと。
ああ。でも。不思議。
なんでその人を止めなきゃいけないの?
自然に逆らっても。
化け物になったとしても。
再び失うことになっても。
それでもいいって。この人、言ってるのに。
じゃあ。いいじゃない。
好きにすればいいじゃない。
今度は自分が守るというなら。
それで、好きにすればいいじゃない。
ハナさんが受け入れるかどうかなんて。一葉さんも鎌束さんも分からないじゃない。
ハナさんしか分からないじゃない。
ハナさんはもういないなら、生きてる人が好きなようにすればいい。
鎌束さんのいいように、すればいい。
…ああ。でも。
一葉さんは、他人じゃないなあ。
一葉さんも彼女が大事だったんだから。
止めたいのも、当たり前か。
でも、やっぱり。止めなくてもいいじゃない。
だって。もう。死んでいるんだから。
いないんだから。
いないんだから―――…
彼女の気持ちが根拠なら、あの人の好きにした方がいいじゃない。
彼女の気持ちなんてもうどこにもないじゃない。
彼女の気持ちは―――……
……興梠君の気持ちは。
死人の気持ちなど、どこにもないんだから。
だから彼女の気持ちなど知ったことか。
行け、と遺した彼がどこに行ってほしかったのかも知ったことか。
もう、なにもかも―――分からないわよ、そんなもの。
***
ばさりばさりと。鳥の羽音が聞こえる。
もう、鳥はいないのに。
アレは帰っていったのに。
ばさりばさりと。
ばさりばさり。
ずっと、ずっと。音が。姿が。
暗い部屋に、響いてる。
これはアレではない。
違う化け物だ。
後悔とか無力感とか―――絶望とか。
そんなものが形作る、私の中の化け物だ。
この幻は、いつかこの身体を裂くのだろうか。
……。
………それなら、それで。
別に―――……構わない、かな。
***
鎌束さんが一葉さんを刺したあの時、治療をほどこしたのは別に、彼女に賛同したわけじゃない。
別に、鎌束さんのやることを邪魔したくなかっただけで。
一葉さんが死んでしまうのは嫌だ。
鎌束さんを蹴った時に少し躊躇したのもやっぱり当然のことだ。
だって、あの人が気絶したら、一葉さんはハナさんの遺体を持っていっただろうから。
そうしたら、自分が一葉さんを殴ったりけったりしなきゃいけないから、嫌だなぁ。と。それだけで。
……。
…死人が出るのが嫌だった。
……もうこれ以上人が死ぬのが嫌だった。
…それだけだったのに。
あの人が本当に戻ってきて。
…何も変わらないように見えて。
だから―――……
……興梠君を呼び戻した。
その理由は、別に。愛とか恋じゃない。
きっと友情ですらない。
…興梠君にもう一度会いたいとか。そんな理由ですらなかった。
ただ、なかったことにしたくて。
あの結末を、どうしても変えたくて。
それ以外のことは、考えていなくて。
ばさりばさりと羽ばたきが。
ばさりばさりと。ずっと。羽の音が。あの時も、今も。ずっとずっと、ずっと。
………。
………ああ。だから。
もう、誰の声も。
自分の声すら、聞こえない。
ばさりばさりと。
灯りを落とした部屋に、幻の音が響いてる。
あのシーン鎌束さんが刃物持ち出さなきゃ静観しているつもりだったんですけどね。
刃物出されるととめなきゃいけないんだよ! だって誰にもケガしてほしくないし! どっちにもついていないといえばついていないんだよ! 心が弱い。
ふわ、と土の香りがした。
窓をぼんやりと見ると、なにやらどこかの部活がグラウンドで走ってる。
熱心だな。と思ってのびをする。
とかいう私も、部活にいくけど。空手に。でも別に、幼少にしこまれただけの惰性だ。熱心ではない。祖父がたまに顔出せと連行しに来るから、その時は必死にするけれど。
なんだろう、だから。
寂しいな。と思った。
…部活に限らず、私はこうだ。
なんとなく、なんとなくずっと寂しい。
別に。なにか、辛いことがあるわけじゃない。
誰とでも適当に話すし、なにごとも適当にすごしてる。
我ながら、芯がないのかもしれない。
なぜ笑っているかわからないって、前、誰かに言われたっけ。
なぜって言われてもな。不機嫌にする理由がない。
そのわりにお節介でよくわからない言われたこともあった気がする。
それこそなんとなくだ。気分が悪い人とか、困ってる人とか。見てて気分良くはない。
それだけだけど…
それだけだな。
…だから、なにか寂しいのかな。
そんなある日だった。
美しい一冊の本に出会った。
英語教師の課題で、冒頭だけ読んだ英国の小説。
それが、とても美しいと思った。
その日から、世界がきらきらして見えるようになった。
***
ふらり、仕事帰りに図書館に寄る。
ここの図書館は雑誌が豊富だし、快適でいい。
その時…
「あれ?中崎さん」
名を呼ばれ、振り返る。
そこにいる男性の名前は、なぜかするりと出た。
「興梠君?」
倫花さんはそこはかとないぼっち。人の頼みに弱く、流されやすい。要はとても利用されやすい。
彼女のぽへーっとしてるのはそんな自分を自覚してるからの処世術です。適当に見られて、適当な位置につきたい。誰の特別にもなりたくない。誰も特別にできない。やんわりと寂しい。
しわに覆われた分厚い手のひらは、いつも少し湿っていた。
否。
主に夏に会う父方の祖父は、かさついた肌を汗で湿らせ、いつも頭なり頬なりを撫でてきた。
優しい…慈しみに満ちた手だった。
「なあ、倫花」
だが。
「ちょっとでかけないか?そう、四合目まで」
その言葉は、いつも体に対する慈しみが欠けていた。祖父は脳が筋肉でできているタイプの馬鹿とも言う。
孫は数人いるけれど。アレに付き合えたのは、純粋にものすごく運動神経が良かった従兄弟と、祖父にものすごくなついていたというか。育てられていた従姉妹だけだ。
山って。合って。半分近く登っているというのに、配慮しているといいたげなのはなんなの。そう思っていた。
確かに私の体力のなさは、そう深刻がるほどでもないのだけど。
なんていうか、無理。
いや、本当。無理。
「おじいちゃん、あのね、山、遠いよ」
「きれいなんだがなあ、夕陽が」
「…おうちで見てもきれいでしょ?」
午前中のさんさんとした日差しを浴びて、祖父は残念そうに息をついていた。
「そりゃそうだが。知らんのか、可愛い子にはいっとう綺麗なもんを見せたいもんだ」
「はぁ」
「ばーちゃんはそれで口説かれてくれたし。まあ、それは関係なくお前が可愛い。なので見せたい。簡単な話だな」
「は、はぁ…?」
なにやら遠い目をする祖父は、そのままぐしゃぐしゃと頭を撫でてきた。
短い髪が少し絡んで、あまり心地よい感覚ではなかった。
けれど、別に。嫌ではなかった。
結局縁側で見た夕日も、それなりにキレイだなあ、と思った。
―――みるみる沈んでいく真っ赤な夕日をみながら、そんなことを思い出した。
「どうかした?」
落ち着いた声が耳を打つ。
ううん、別に、と答えると、そう、と静かな相槌が返る。
グランドからは、どこかの部活の喧騒が聞こえる。廊下からも同様に、色々な音が聞こえる。
だから、余計に静かに響く声だ。
ジジくさいともいうのかもしれない。
別に私は老けているとは思わないけれど。友人が言っていた。
「…ありがとう、興梠君。でも、部活行かなくていいの?」
海原君が授業終わりダッシュで行ってた気がするんだけど。いのかな。こんなところで人の手伝いしていて。
「中崎さんも、部活、あるんじゃないの?」
「私、別に熱入れてもいないし…レギュラーもいらないし」
なんならやめても惜しくない。
全員加入が原則だから、なんとなく入っているけれど。
「僕は―――少し人を手伝うくらいなら、大丈夫だよ」
いい人だなあ、と思う。
私が脚立に登って手を届かせている棚にトサトサ教材を仕舞う姿に、心底そう思う。
本当はもう少し大人数で仕舞うことになっていた、今日の授業の教材。
一緒に頼まれた数人が大会が近い―――先輩が恐ろしいと涙ながら訴えてきたので、つい一人で片づけていた絵巻物などなど(古典で使った)。
繰り返すが、私は別に先輩もゆるい相手にはゆるいからいいのだ。無理なら無理と、友人を引き留めた。むしろのんびりと片付けていると、廊下から声が聞こえた。
『大丈夫?』
『大変なら、手伝うけど』
大変に見えたのは身長の所為だと思う。
私も平均は超えているけど。興梠君に比べると、大抵小さい。それこそ海原君も小さい。びっくりだ。
…なんて。適当にあほなことを言ってもよかったのだけれども。
なんとなく頷いて、こうして手伝ってもらっている。
この分なら五分もかからないだろう。
…本当に、助かっているのだけれども。
なんというか、ちょっと。困る。
……むずむずする。
なんとなく落ち着かないのも、なんとなく頷いてしまったのも、おんなじ理由なので困る。
「興梠君……、人がいいよね……」
「そう?」
少し困ったように言う姿に、小さく頷く。
…本当は。誰にでも優しいね。と言おうかと思ったのだけれども。
あんまり褒め言葉じゃない気がするし。少なくとも私は、言われて――…嬉しくはない。
困るんだよなぁ。
優しくしているつもりじゃない時に、このくらい普通じゃない、って時にそういうこと言われると。いい格好をしているようで、とてもいたたまれなくなる。
人にいい格好をしたいのは事実なのだけれども。なんていうか、本当…それにどう返せと、というか。
いや、いや。そうじゃなくて。
「自分が忙しいなら、人のこと手伝うことないと思うけど…。…でも、ありがとう。本当に」
「そんなに感謝されることじゃないけど。そう。なら良かったよ」
困ったように最後の一冊をしまう姿は、やっぱり穏やかだ。
人目を引く長身に、夕日に照らされて映えるそれなりに整った容色。
それとこの声がそろえば、女子人気はそれなりだ。
きゃいきゃいと囲まれたところを見たことはないけれど。それなりだ。
それなりで、でも熱狂的なファンとかはつかないので。
『好きな人はー?』なんて話題になった時、都合のいい相手でもある。
ソースは私。
あの手の話題になった時、別にいないかなあ、と答えた時のなんともいえない微妙な空気と、じゃあコイツがいいんじゃなーい?と勝手に見繕われる居心地の悪さ、本当に微妙。
そう。
それから逃れたい一身で数日前に『気になってるのは興梠君』とか適当なことを言った身としては、なんというか。優しくされるといたたまれない。
…誰かにそう言ったことをバラされたのかと思った。
けどまあ、ここは興梠君の微妙な人気が功を奏したのかもしれない。
この人は、特にそういうの関係なくなんか手伝ってくれたのだろう。
ライバル(適当にでっちあげただけど)に塩を送る人はいなかった。良かった良かった。
…本当に、好きだと言ったことを知られたら困ってしまう。
好意的に見ているのは嘘じゃないけど。付き合いたいとかは思わない。告白したいなどと、もっと思わない。
友達のままでいたい、ではなく。
なんというか―――…面倒だ。
フラせたら、微妙に気まずくなりそうだ。
特別に仲がいいわけではないけれど、こうして片づけをしている間、世間話をできる程度には仲がいい。
ならば卒業まではこのままがいいなあ、と思う程度には、好きだからだろう。
付き合いたいとは思わない。知らせるほど強い思いではない。けれど―――…あと一年程度。キレイな思い出のままとっておきたい。
「お礼、っていうのもおかしいけど。食べる? ほし梅」
「…渋いね」
「ハチミツたっぷりの甘いバージョンだけど? ほら、パッケージもこんなに可愛い」
「あ、うん。そうだけど。…そうだね。じゃあもらっておく」
「…体を動かす時は塩分とか大事だし。疲労回復にいいんだよ、酸味。医者志望の人に言っても釈迦にアレだろうけど」
「説法だね。…じゃあ、あとで食べるね」
少し困ったように、それでも笑う彼が、やっぱり少しだけ好きだなあ、と思った。
別に進展なんて望まない。
きっと卒業と同時に連絡だってとらなくなるのだろう。
それでも――……
夕日を背負った彼の顔が、キレイだと思ったこととか。
少し触れた手に、あったかい気持ちになったこととか。
この思い出が、ずっとキレイなものであればいいな、と。
当時、そんなことを思う程度には―――あれは恋だったのだろう。
「…………ぜんぶ、昔の話だけれど」
目を閉じると、ぐるぐると色んな光景が浮かぶ。
治療により一時よりよくなった―――けれど、鮮明な光景。
赤く、赤く、赤く――――次第に黒く。
人にはこんなに血があるのかと、覆いかぶさりながら、そんなことを、ぼんやりと。
ああ。こんなにも血があるのに、こんなにも流れてしまったのだから。もう、この人の中には残ってはいないのだと――――………
気が狂いそうなほどに。
かき集めるように。
ひたすらうつむいたときのこと。
「……もう、昔の話」
彼と会わなかった10年よりも遠く感じる、3か月前のこと。
「もう…すぎたこと」
だから。
後悔しても。どうしよもないのにね。
あなたの隣でみる赤色が穏やかに見えていたころのお話というやつ。
やる気がない、けれど穏やかな思いでした。
現在好きかと聞かれたら首をかしげるし別に興梠君以外でもあんな感じに壊れたんでしょうけどね。はははは。という話でもある。
目次
「ああ、先輩。先輩も文化祭見に来るんですね」
「いや。教授に用があっただけだ。お前は出店側か?」
「いえ、ただちょっとだけ手伝いをね。もう帰るところでした。…しかし」
「なんだ?」
「先輩もたまには目立つことをしてもいいんじゃないでしょうか。例えば、ほら、このポスター…、…はないですね」
「女装大会だからな」
「もっと穏便な大会なら出てもいいのではないかと思ったんですよ」
「なんで俺を目立たせたいんだ」
「尊敬しているからでしょう?」
にっこりと笑う後輩に、八月十五日は静かに顎をひく。
肯定するでもなく、否定するでもなく。ただ淡々と歩いていく姿に、興梠は小さく笑った。
みたいな微妙な学生生活を送ってほしいです。
とある日。
「おー。興梠ー。お前そんなところでなにしてんだよ」
「うん、帰ろうかなと思って」
「これから打ち上げ行くけど?」
「今日、ちょっと。外せない用事がね」
「そっか。じゃあこれ持ってけよ」
「? ポカリ…だね」
「向こうにあと何本かあるから、持ってけよ。残り物押し付けるみたいでアレだが。打ち上げ、多少部費使うしさ。お前になにもないんじゃなんだろ」
「…ありがとう」
「おう、気にすんな」
違う日。
「中崎、今帰りか、…って。パンク?」
「うん、古くなってたからね。仕方ないからおしながら帰るよ。途中で自転車屋さんあるし」
「暇だし持っていこうか?」
「テスト期間を暇っていっちゃうんだね?」
「あはは。ともかく、自転車屋なら俺も知ってるよ。すぐだろ。持ってくよ」
「んー……。…明日ジュースおごるね。ありがとう」
「そりゃなににするかなぁ」
みたいなことをしていてほしいんです。海原君に。
「い、ち……一葉さん、お…はよう……」
「おはよう…、どうしたんですか? 朝から走ってましたけど」
「締め切りギリギリまで粘って受け取ってもらった原稿…一枚忘れられて…ダッシュを…」
「…そういうのって、データでやりとりしないの?」
「……。…してたけど。…してるんだけど。渡したんだけど! てんぱって! ダッシュでタクシーおいかけちゃった帰り、ごほ」
「分かりました、無理しなくて喋らなくていいでしょ」
「う、うう…ですね…。…一葉さんは?」
「これからバス停に」
「そっか。気をつけてね」
「ええ、そうするけど…あなたこそ大丈夫?」
「だいぶ落ち着いてきたかなぁ…」
「そう。…膝、笑ってるから。少し休んでからの方がいいわよ」
「そっか。…そうするねえ…」
みたいなことをしていた頃もあったのかなあ、って。戻りたい、友人同士に。
しかし仲悪い(?)ロールってPLさんと仲良くないと逆にできないところあるのである意味楽しいしあのままでもまあ。探索に差し支えなきゃまあ。って気持ちがなくもない。けどみちかさん友達少ないからすごいしゅーんとはしていそう。…だけどアレの後友人に戻るの至難のわざすぎるね、とも思うよ!
とあるドラックストアにて、賑々しい声が響く。周囲を慮る程度の大きさの、ささやかな声ではあったけれど。
「こっちはね、つけた時にあんまり嫌な香りがしない。化粧下地のノリもよく…は興梠君関係ないね」
「化粧はしないからね」
「こっちは肌が弱い人にもお勧めらしいよ。ぬってみたけど、確かに徹夜明けでも染みる感じがない、すごく高そうな使い心地だった。というか、高い…」
「それは普段遣いし辛いね。…あと、徹夜は良くないよ」
「めったにしないし最近はちゃんと寝てるよ…。そ、そんなことより。こっちはね。値段の割に防御力が高いんだよ。もういっそ惜しみなく使えていいよね。案外汗かいても流れないし」
「そっか。…色々とありがとう」
「…別に、私も使うし。…人に聞いてるのもあるから、気にしないで」
穏やかに微笑む男に、女も同じように笑う。ただし、女の方には「困ったように」と頭につく。
―――商品を棚に並べつつ、そんな会話を聞いてしまった店員は思う。
なんか女子高生みたいな会話をしてる、成人男女だなあ、と。
みっちゃんのメンタル色々と手遅れ感あるけど楽しくも暮らしていくと思うんだよ。って思って。どんな時に楽しいかな、って思ったらふっと浮かんだ会話がこれだった。きゃっきゃうふふしてるね!
網の上でじゅうじゅうと肉が焼けていく。
その音を聞きつつ、軽く火を通したレバーにアサツキとニンニクをまいてかみしめつつ、倫花はしみじみと呟く。
同じものをもきゅもきゅとほおばる、興梠に向けて。
「日光もだけど…ニンニクも、平気なんだね」
「そうだね。日光はあの一件以来、よくなったし。ニンニクは元々平気だったね。これは。…僕ビビンバ追加するけど、倫花さんはなにか追加する?」
「私はそろそろお腹いっぱいというか、見てるとお腹いっぱいになる…。あ、ロース焼けてるよ。はい、あげる」
「ありがとう」
「…あとなんだっけね。よく聞く弱点は、銀とか十字架も大丈夫。川とか渡れないっていうのも聞くけど。平気だったね」
「そうだね」
「鏡にも映るし、招かれないとどこかに入れない、ってこともないよね。…良かった」
「そうだね」
「他には…あるけど、胸を杭でつかれたらもう大抵の生物は死ぬよね」
「…そうだね」
―――たぶん、それだけでは死なない。死にきらない。
しみじみとスマートフォンの画面を眺める倫花に、彼は浮かんだ言葉を告げなかった。
代わりに、残り僅かになった豚トロを網に乗せ、ゆらめく炎を見る。
「あとは、バラが」
「バラ?」
「…っ、豚バラが食べたい、もやしと炒めてるこれ」
「…そう。じゃあ、追加しようか」
不自然な沈黙の後、笑顔でメニューを示す倫花にも、彼はなにも言わなかった。
タブレットを操作し、豚バラとモヤシの鉄板焼きを注文し。ついでにカルビも追加する。
「…興梠君、食いしん坊だねぇ」
「うん、おいしいね。ここのお店」
「そっか、良かった」
くすりと笑った倫花は、焼けた肉の一切れを向かいの皿に、もう一切れを己の皿に乗せる。
そろそろ胸やけはしてきたけれど、確かに美味しい。
―――美味しいというより、嬉しいのだろうけど。
向かいの席で肉で白米を包む姿に、浮かぶ感情はいつもそれだ。
この食事が彼の命を保つものには成りえぬと知っている。
白い、やや白すぎるともいえる肌。
見た目が変わらぬまま、腕力だけが変わった腕。
やけに器用に動く指に、素早い挙動。
見るものが見れば人らしからぬと分かるその身体を保つのは、血だ。
目の前いるのは悼ましい吸血鬼だ。
―――倫花の脳裏によぎるのは、先ほどネットの海で見つけた、吸血鬼の弱点。
伝承として、というよりは。有名な漫画か、あるいはかのカミーラの伝説からとられているといわれる弱点の一つ。
愛の象徴である薔薇を、吸血鬼は苦手とする。
けれど。
愛を知ったのならば、その精気は吸血鬼を傷付けない。
どころか、その薔薇が―――愛があれば、血はいらない。
似た話を有沢の家で見たが、それより素晴らしいのはただ生きていけるということだろう。
二人永遠を得るより、ただ血を求めなくなる方が良い。
永遠は、きっと。手に入れてしまえば寂しいだろう。
だから……その俗説が本当なら、良かったのかな。
胸の内で呟いた言葉は、じんわりと痛みを広げる。
例えその体がなんであろうと、彼は人だと……愛情に値する人だと、彼女は信じている。
だから、そのうち。なにか縁が巡って……きっと、誰かを愛したり、愛されたりするのだろうな。と。
そんな風に思っている。
その時に少し寂しくなってしまいそうな自分が彼に向けているのは、たぶん。愛情なんてキレイなものではないのだろう。
一抹の暗さをよく噛んで呑み込んで、彼女はふっと笑った。
薔薇と吸血鬼うんぬんはポーの一族が元ネタだとか。
興梠君は好きな人いるんだから好きとか言ったら困らすよね、うん。って思いながらみっちゃん今後生きていくんだろうなと思います。その人のこと整理するもよし、なんなら結ばれるのももっとよし。応援する!と思ってる。胸。めっちゃ、痛いけど。みたいな。もう生き様がマゾいよ。
「慧香ちゃん、なにか古い本ある?」
「なにか古い本って。アバウトだね。…そりゃあ古書が本業だから、山ほどあるけど」
久々に。 数か月前にお見舞いに行って以来、初めて顔を合わせたイトコは。その時より随分と血色の良い頬で笑った。
「ファンタジーとか、オカルトとかの古いのが欲しいんだよね」
「…倫花ちゃん、そんなの好きだっけ?」
「うん。最近。はまってるの」
「…オカルトに…?」
「そんな変な宗教にはまっている人みたいに言わないで欲しいなぁ…」
二つ上のイトコは、なんだか曖昧に笑った。 …確かに。別に。おかしな注文をされているわけでは、ないんだけど。
「普通の本は本屋で買えるから、専門っぽいのをって思ったんだけど。えっと、ない?」
「……少々お待ちください」
短く答えて、倉庫にひっこむ。
…せっかく訪ねてきてくれたんだから、無下にするのもね。 でも、品物の取り寄せだけなら電話でするのに。話があると思ったのにな。
「…この辺、民族伝承とか乗ってて…比較的読みやすい奴。…だけど、これ、全部コレクター向けだから。内容が欲しいなら普通の書店の方がいいよ」
「そっか。……あ、でもこの辺は欲しいな、ゆっくり読みたい」
彼女が手に取ったのは、結局あまり古くはない洋書だ。
本と一緒に持ってきた目録を見る。内容は悪名高い魔女裁判だ。希少な本ではない。
ただ、地名が少し詳しく。臨場感はある。
…英語の表紙が、翻訳家をしている彼女に読めぬはずがない。読みたくて選んだのだろう、そんなもの。
「…売るけど」
「けど?」
「気持ちいい本じゃないよ、それ」
「そりゃあ魔女裁判だしね。…仕事で使うの。
ということで、おいくらですか?」
数か月前に会った時、ひどく衰弱していた従姉妹はにこりと笑う。
…笑っているのなんて、嬉しいはずなんだけど。なんだろう、この気持ち。
「…じゃ、いきなり来てごめんね。久々にこっちに来たから、顔見たくて」
「そんなのは気にしなくていいけど。泊っていかなくていいの? うちは今ちょっとダメだけど、おじいちゃん喜ぶし…夜間バス、疲れるよ? 倫花ちゃん身体も弱いのに」
「やだな、そこまで弱かったのは昔だけだよ。」
くすり、とやけに嬉しそうに彼女が笑う。
「こっちに一緒にきてる人がいるから、予定急に変えるわけにはいかないしね」
「…そう」
紙袋を抱えてひらひらと手を振る彼女に、同じように手をふる。
…一緒にきている人、か。 曖昧な言い方だなあ、と。少しだけ気になるけど、仕事に戻る。
なにかが気になるけれど、どうにも言葉にできない。
なら今はとりあえず、自分のことをやっておこう。 迎えいく時間遅れると、あの子が心配するかもしれないし。
そうして、帰り道。 夕暮れ時、あの子を待たせた図書館に向かいながら、ふと道の向こう側が目についた。
行きかう車でよく見えないけど、あれは倫花ちゃんだ。
それと、もう一人。 背の高い男の人が、少し先にいる。
少し先にいるけえど、どうやら話かけているから。あの人が一緒に来た人なのだろう。
行きかう車が邪魔で、よく見えないけど。
距離はそれなりに近いから、私にはその二人の顔が見えた。一瞬だけど。
一瞬。 一瞬だけど、やけに穏やかに笑っているのが見えた。
「……?」
よくわからないけれど、一瞬ゾクリとしたような。……美形アレルギー? いやでも、顔で人を判断するのは良くない。人の顔と内面は反比例しない。関係ない。
「……」
遠くなっていく背中に、声をかけようとして、止めた。
一瞬だけだけど見えた彼女は、穏やかに笑っていたので。
…その笑顔はたぶん。悪いものじゃないだろうと、そう思うことにした。
なにしろ、急いでいかなきゃいきたいところもあることだし。 詳しく話を聞くのは―――…しないのだろうなあ、たぶん。
神話技能の高いイトコとそこまで高くもないみっちゃんの話。たぶんみっちゃんは今後幸せに生きていきます。
木の上で少女が泣いている。
どうやら上ったはいいが、降りられなくなったらしい。
泣いて、ガクガクと震える姿はどうにも危うい。
周囲の人間がどうしようかとあたふたと慌てる程度に。
―――と。
日傘をさした色の白い男性が、少女をふっと見上げる。
「…大丈夫。『動かないで』待ってて」
穏やかな、それでもしんと強い言葉に、少女の動きが止まる。
男性はそれを確かめ、日傘を置き、周囲に協力を仰ぎながら木に登り、少女に手を伸ばした。
「頑張ったね。…おいで」
言葉とともに抱え込まれた少女は、わずかに頬を染め男を見つめる。
魂の抜けたようなその様子に、男はわずかに苦笑した。
―――無事に保護者に引き渡たされた少女は、後にこう語る。
『おにいちゃん、さみしそうな顔をしてた』
***
「おら、来い。遠慮なく来い!」
「三人目だ…」
「すげえ、にーちゃんすげえ…!」
ざわざわと、園児たちはささやきあう。
その中心で子供になつかれた―――肩に一人、右腕に一人、左腕に一人抱えることになった男は涼しく笑う。
さすがに涼しくとは言わない重量ではあったが、静かに笑う。
「鍛えてるからな」
「鍛えるとできるの!?」
「ああ、現にできてるだろ」
「すげえ…!」
きらきらと。
きらきらとした眼差しを右側に抱えた子供から受け取り、男はわずかに胸を張る。
得意げに、というよりは。それもまた子供を喜ばせるためのポーズとして、わずかに格好をつけて。
「今から鍛えりゃ楽勝だ。頑張れよ、坊主」
「じゃあさ、あっちのおっちゃんは? あっちのおっちゃんは鍛えなかったから座り込んでるの?」
「あー…、…あのお兄さんはあのお兄さんですげえかっこいいんだぞ。いつも冷静で」
「日に当たると死ぬって言ってたけど」
「…肉体の強さだけが強さじゃねえってことだよ」
「タックルしたら『うぐ』って言ったんだけど」
「…あ、そうか。…いや、でもそのうちわかるよ」
なだめるように笑う男に、子供は小さく首を傾げた。
***
女は困っていた。
とある知人との待ち合わせの場所に、少し早くついてしまった。
少し早くたどり着き、ふと声を聴いてしまったのだ。にゃあ、と。
無意識に目線を巡らせると、木の上に猫がいた。
猫だというのに哀れにプルプルと震える、実に小さな猫が。
どう見ても降りられないらしい。
猫なのに。どうして。
否、猫なのだ。ほうっておけばじきに降りてくるに違いない。
そうして気にしていなかったのだけれど―――…
どうにも様子が変わらない。にゃあ、みゃあ。哀れな鳴き声が耳につく。あるいはケガでもしているのかもしれない。
女は振り向き、そっと手を広げる。
近くにあったベンチに上り、猫に近づき、そっと。
「………おいで」
猫は降りてこない。
警戒しているのかもしれないし、高さが足りないのかもしれない。あるいは両方か。
やはりほうっておこうか。柄でもない。
そう思いベンチから降りようと振り向くと。
待ち合わせの相手と目が合った。
「ごめんね、待たせて。ところで、なにしてるの?」
「……猫がうるさいんです」
「猫?」
この後めっちゃ人命ならぬ猫命救助した。
上から興梠君。真ん中は海原君と八月十五日先輩。最後みっちゃんと一葉さん(島以前の姿)
割と全部どういう状況だという話ですがあれです。私の萌えを追及しただけだよ!
抱っこ、とねだってみた。
見たことないくらいに困った顔をされた。
興梠君も人から頼まれて困ることがあるんだなあ。
ああ、でもこちらにはよく困った顔をしているような気も、する。
いやいややっぱりよくわからない。他人の気持ちなど、口にしてもらわなきゃわからない。
だから。
「抱っこして、興梠くん」
わかりづらかったのかと思い、はっきりと言ってみた。
やっぱり困った顔をされた。
よそってもらった分を食べ終え、向い側にじりじりと移動する。
何か言われる前に、べったりともたれてみた。
…だっこじゃない。
「冷たい」
「あ、うん」
「素面だから…?」
「まあそれはあるけど。…いや、いいよ。というより倫花さんが暑いんだよ」
「興梠君」
「うん?」
「ぐいっと。どうぞ」
「うん。それお冷だから倫花さんが飲もう?」
差し出したグラスをやんわりと押し返されて、もたれていた肩もそっとはがされる。
やっぱり困った顔をしているから、悪いことをしているな、という気がする。
…もっときっちりとひきはがせばいいのに、丁寧というよりは曖昧な手の力もあわせて、そう思う。困らせていると、分かる。
「…こおろぎくん」
「なに?」
「だっこ」
「倫花さん、飲みづらかったらストローでももらおうか?」
ならせめていやとかやめろとかいえばいいのになぁ。
「興梠君」
私の肩を支える手に手を重ねる。
冷たい。いっそぞっとするほどに。
けれど細いままだ。再会したときと、おんなじだ。
変わったのは―――思い出したのは。こちらだけだ。
「興梠君。抱いて」
「ん!?」
「うそだよ」
「そっか」
「抱っこ」
「いや、だから……」
困った顔で彼は言う。繰り返す。
その唇も冷たいのだろうなぁ、触れたら、と。
そんなことを思い、ただ一言を繰り返してみた。
「ねえ、抱っこ」
***
なんだかとてもいい夢を見ていたような気がする。
けど、ずいぶんとあたまが痛い。
そう、まるで二日酔い……
……二日酔い?
「…………うっわぁ………」
うめいて布団に顔をうずめる。
残念ながら、きっちりと覚えている。
あの後一緒にタクシーに乗ってもらった記憶も、むにゃむにゃと鍵を差し出した記憶も、その前の醜態もまざまざと。
だからここは自室で、彼は案の定いないわけだけど。いや、いたら困るけど。
けれど、なんだろう。
飲みにいったときのままとおんなじ服装が、肩に重くのしかかった。
この人たちどこに向かうんだろうと思うしどこにもいけないよなと思うしいや別に普通に幸せになるかもしれないなあとも思う。
とりあえずみっちーはきちんと告白しないとダメだと思うというか。なにをやらせても心気くさくてびっくりする。
ふと、数年間会っていない従姉妹のことを思い出した。
きゃらきゃらとよく笑い、よくため息をついて困り顔をし、よく知りもしない他人のために眉を寄せる子供だった。
一年に2度か4度。それしか会わない従姉妹の前でさえ、そんな顔をする子供だった。
長じてからも―――その印象はさほど変わらなかった。
くすくすとよく笑い、祖父の門下生に対してため息をつき、よく知りもしない他人の頼みごとを嬉々として聞いていることを、人から伝え聞いた。
中崎倫花は知っている。
その生き方は報われない。
笑われ、いいように使われる。
よく知っている。―――いたいけな幼女であったころ、自分も似たようなことをしていたから。
そう。
よく知りもしない他人に手を伸ばして、なんになるのか。
困惑されるし、いいかっこをしていると蔑まれる方が多い。少なくとも彼女はそのほうが多かった。感謝をされたのは、たまに。奇跡のような確率だ。
多かったから、ぽっきりと折れた。
折れて、折り合いをつけて。大人でも子供でもない時分に、一人の少年に会った。
よく笑い、たまに困ったように眉を寄せ、医者になるために勉強をしている少年だった。
キレイだなあ、と思った。
キレイだなあ、と思ったものは。
馬鹿みたいに、ともすればあの頃よりもキレイになって、目の前に現れた。
現れて、すぐに消えた。
真っ赤な血が広がるさまを覚えている。
―――体中の血を全部流してしまったかのように、その人は真っ白い化け物になった。
死んだのは彼の決断―――よく知りもしない人間を助けようとした結果であり、化け物にしたのは彼女のエゴだった。
死んでほしくない、と。
―――もう一度、会いたい、と。
あの時あの場所に正道があるとしたら、それは彼を眠らせることだったのであろう。
彼女は今でもそう思っている。
いつまでもきっと、そう思っている。
キレイな生き物に誤った道を選ばせたと、ずっと。
ずっと、そう思っている
だから彼女は今日もそう思いながら、そっと扉に手をかけた。
暗い、陽の光がおぼろな部屋だ。その部屋の中央、椅子に縛り付けた青年をぼんやりと見つめた。
***
その部屋には明かりがない。小さな窓から差し込む光が唯一の光源だ。
だから彼女に、彼の顔はよく見えない。
けれど彼には、彼女の顔がよく見える。
困ったように眉を下げ、曖昧に笑う顔がよく見える。
「…おはよう」
困ったような、いつも通りの顔だ。
とても人ひとり、椅子に縛り付けてそのままにしている人間の顔ではない。
―――もっとも、僕は人ではないけど、と。
そう告げれば悲しそうな顔をする人間の顔でもない。
「気、変わった?」
余計な言葉を言わないようにと、縛り付けた相手の口にさるぐつわをかませた女の顔でもない。
「血、いる?」
いつも通りの。
少し困って、少し悲しげな顔で、血を吸ってほしいとこう声に、興梠はゆるく首をふった。
予想通り首を横に振る思い人を見ながら、倫花は小さく息をつく。
困ったようにため息をついて、その向かいにぺたりと座り込んだ。
「…興梠君は、我慢強いねぇ。おなか減らない?」
問いかければ、悲しい顔をされた。
何を悲しまれているのか正確に理解した上で、彼女はさらに深く息をつく。
「我慢強いし、嘘つき。……ううん、嘘つき、というよりは。…なんだろうねえ。興梠君は…言葉が軽いよ。何でも言うこと聞くっていうのに、聞いてくれないし……
全部くれるなんて、あなたには無理」
いつかの言葉をなぞれば、首を横にふられる。
嘘ではないと言いたげな仕草に、彼女はすっと手を伸ばす。
両手で彼の頬を挟んで、不思議そうに首をかしげる。
「…だって。すぐに人にあげようとするじゃない」
語りながら思い出す。やはり彼女の従姉妹のことだ。
別に彼とは似ていない。子供時代とほぼ変わらぬまま大人になった女が少女であった頃のことだ。
倫花が珍しく道場に訪れたときのこと。そこにはその従姉妹がいて、やっぱり大した縁のない門下生のためにせっせとおにぎりをこしらえて、大皿に盛り終わった後、迎えが来た。
従姉妹の両親ではない。従姉妹の友人だった。
少しビックリするほどキレイな顔をした少女で、絶えず水で冷やしたり、熱々の米を握ったりを繰り返した結果、真っ赤な手をしたイトコに顔をしかめた。
こんなに冷えてダメじゃない。
もっと楽にできる道具あるでしょ、使いなさいよ。
咎めるような声色にイトコは笑っていた。ともちゃんは心配性だなあ、と。やけに嬉しそうに。
台所で卵焼きを焼きながら、そんな光景を見た倫花は思った。
―――報われないなぁ。
なぜそう思ったのかはわからない。当時、ちっともわからなかった。
けれど、今ならわかる。
あの日、美しい少女が宝物のように包んだ手のひらに、おそらくイトコは価値を見出していない。
分かっていないわけではないだろうけれど―――きっと、伝わり切ってはいまい。
献身は美しいけれど……見ている側としては、とてもさみしい。
そう、ずっと。ずっとさみしかった。
「東西南北、献身が報われる物語なんて少数でしょうに。現実ならなおさらだ。…ほら、有名なところなら、ツバメと銅像の話、とかねえ」
なにもなくなった銅像は、焼かれて溶かされてしまうのに。
結局銅像が報われるのは、死んでからだ。天の国とやらに召し上げられて、永遠に幸福になる。
―――そんなもの、残された人間には見えない。
その死後が安らかだったとしても、少なくとも彼女にとってはちっとも救いではなかった。
確かに、頼ってくれた。助けを求めてくれた。
けれど結局―――最後は何も言わずに、一人で落ちていったのだし。
「なんでもかんでも…すぐに人にあげちゃうのに。欲しがってはくれないね。興梠君は」
口の戒めを解きながら、縛ったままの肩に腕を回す。
縛り付けた体にもたれる。抱き着く。
ぎゅうと体を押し付けて、ぐいと首元を開ける。
「……おなか、減ったでしょ? 食べるって、いってよ」
「…人からは、食べないよ」
「…食べてほしいのに」
「それでも、しない」
「……悪い子になったのに」
「あ、だから縛られてるんだ…?」
なにか怒らせているのだとばかり思っていたよ。とささやく声は少しかすれている。
自由を奪った時間の分だけ少しかすれて、それでもきっとすぐに元通りだ。
―――こんな縄だって、その気になればほどけそうなのに。
きっとなんでこんなことをしたのと聞くためだけに、ここで待っていたのだろう。
暗い部屋の中、彼女に彼の表情はよく見えない。
仕草が見え、声が届く。それだけで。
明るいところで見ても、彼のことなどちっともわからない。
ただ、わかるとしたら、一つだけ。
「……ひどい人」
ほら、あなたはやっぱり人で。
私の方が、外道じゃない。
暗い部屋の中、彼女には彼が見えない。
けれど彼は、とんでもなく夜目がきく。
だから、笑った女がポロポロと涙を流すさまが、彼にはよく見えた。
TLに雪降る作者様の縛る縛らないのはなしが流れてきてふと縛ってみたくなったけどそういう関係じゃないのでちょっと病んでみた。興梠君は危ないことするからなあ置いて行かれるのかなあはははは。みたいな方向にヤンデレてみた。
みっちー、器用なマゾだから勉強すればきっと縛れるよ。
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