ざあ、と風が吹いている。
さやさやと木々が鳴いている。
かつて自室にしていた場所の窓の外から見える景色は変らない。二世代で暮らすには小さな家に、不釣り合いな大きな倉。
そのわきにたつ、カエデの木。
…祖父曰く。俺の曾祖父が愛したものだったらしい。
そして。
「先日はありがとうございますというべきかしら。それとも、あなたの大事な人を巻き込んでごめんなさいというべきなのかしら。私は」
「別に気にしなくていいだろ。…年下の身内から金巻きあげるほど困っていない。君の過失なら勉強料にとったが。さけようもなかったようだからな」
今は母が使っているらしいこの部屋のちゃぶだいを挟んで、なにやら羊羹を差し出してくるイトコの姿も、記憶の中とさして変わりない。
…そもそも記憶の中で薄いが。
それを後ろめたいとも思わない。
この子とて、俺の記憶は薄かろう。
なんなら、この羊羹の値段の方が記憶に色濃い。いつぞや周ちゃんにおごらされた。…バイトする暇もない勤勉な医学生には辛かろうに。律儀な子だ。
「…衛太郎君は私の過失がどうか確かめるために探してくれたの?」
「…え、俺そんなに性悪く見えているのか? 頼まれ…はしてないが。どうにも嫌な予感がしたから、こちらから関わった」
「……。………冗談、というか。…嫌味、というか。こういうときはもう少し言い方が…。ないのね。あなた。…ああ、そうよ。別に分かっていた。飛竜君と朱鳥ちゃんは心配してくれたでしょう?」
「……八神帷君、もいれとけ」
「……心配、してたの?」
つぶやいた顔は、悲し気に見える。
もっと別の感情があるのかもしれない。
なにしろ俺が刀の柄で殴られた時、この子は随分怒っていたから。
…間違いなく、俺ではないもののために怒っていたのだろう。
「…心配じゃなきゃ関われないんじゃないか。俺は刀向けて脅したぞ。これ持って刺したり刺されたリする覚悟がないならとっとと帰れと」
「え、だから飛竜君私、いえ、おじいちゃんの刀持ってたの…?そう…脅したの…」
「……」
別に君のものにしたきゃ君のものでいいが。祖父は欲しがってる孫に遺せた方が喜ぶぞ。いや、あれは実のところ祖父ではなく。曾祖父の弟のもので…うちの事務所のものだが。
少し不機嫌な顔をする彼女に、訂正する気はない。と、いうよりは。
「…なあ、俺は察しとか交渉力が低いらしいんだ。聞きたいことはきちんと聞いてくれ。答えられるか分からんが」
「……八神君は、最初から、……犯人分かる前から、殺そうとしてたのかしら」
「すまない。知らない」
「少しは悩んでよ」
「自分で聞け。…少なくとも君に恋人ができたかもと聞いたと聞き彼らは祝福ムードだったからある程度の交流はあるだろう」
「ちょっと待って。なにがどうしてそうなったの?」
「いや、しかし。あの鹿島君あたりは微妙に懐疑的だったか…?あと君が天然だのなんだのと、割とぼろくそに」
「…、ああ。なんでその話題になったのか分からないけど、その光景は目に浮かぶわ…」
ずっと堅かった表情が少し柔くなる。穏やかだ。
その程度しか、俺はこの子のことを知らない。
「…俺はあの時仕事といったがな。別に彼らはこちらに依頼をしていたわけじゃない。そして、俺が彼らに頼んだわけでもない。彼らは彼らで君を心配していたんだろうし。俺は俺で勝手に君が心配だった。…最初は本当に、大したことないだろうと思っていたが。途中からは―――」
最悪あの学生たちを置いて焼くなり銃弾ばらまいてもらうなりするつもりだった。近衛君ではないが、それこそいつものように。
「……本当に心配になったな。俺は色々あったし、あの子達、いや。君たちにも色々あったんだろう。鹿島君が言っていたな。友人がおかしなことにまきこまれたと。なら心配にもなるんじゃないのか。また友人がいなくなったら」
『友人』の響きに彼女は笑う。
どういう意味の笑顔なのかは知らない。
「…私は八神君を友達だと思っているわ。イトコを殴った男にそう思って、悪いけど」
「そうか」
「…大事な友人なの」
「それを俺に言われてもな。本人にいってあげたらどうだ」
「いうけど。…こういう時は黙って聞き流してくれない…?」
なんだろう。この手の目線は覚えがある。
センパイはホント、女心が分かってへんなぁ。とかどこかしらから聞こえる気がする。
…イトコもバイトも女扱いするものではない。仕方ないだろう。うん。
「…まあ、いいわ。ともかくお礼をと思っただけだから…。他のお二人にも伝えておいてください。東京に行く暇は、中々ね」
「ああ、伝えておく。…そもそも、周ちゃんはうちのバイトだし、近衛君は俺が勝手に巻き込んだから、君が気にすることはないよ」
「……仕事のつもりはなかったとさっき聞いた気がするけど?」
「さすがにイトコの危機知らんふりで東京に帰るほどアレじゃないぞ、俺は」
「いえ、だから。あなたは身内への好意だし、あの二人はあなたへの好意で手伝ってくれたんじゃないの? そんな人達危ない目に合わせて、ごめんなさいという話よ」
「……ああ」
三人分の羊羹をカバンにしまって、ようやく納得する。
「…いや、いいんだ。それも俺の責任、というか。…俺の約束と、弱気の話だ」
仕事、というか。事件があり、彼女が傍にいるならおいていくことはしない。
そういう約束を、昔した。
銃が出てこようが。化け物が出てこようが。なにが出てこようが。今更例外などない。
とはいえ、俺は今も自分を信じてなどいない。
…だから彼もいた方が、心強いという話だ。
いやまったく、今回も梅雨利君には申し訳ないことをした。三本とも彼に渡そうか。ダメだ「晴太の安全を羊羹三本で売れと?」みたいな視線が目に浮かぶ。胃が痛い。
だが初手でともかく帰れいますぐ帰れと言ってもなんとなく巡り合ったんじゃないか。なにしろ近衛一味なそうだから。
「……衛太郎君は」
「?」
「…ゆるんだ顔、するようになったのね。私が知らなかっただけかもしれないけど」
「……笑っていたつもりだったけどな。この家でも」
「旭ちゃんに正座させられてるとことか、おじいちゃんに怒られてるところとか、最近は馬になっている姿の方が、印象深いから」
「…そっか」
この子はそれなりにこの家に来ていたが、俺は習い事の多いガキだったし、外遊びも好きだった。だから会うのは季節の節目節目。親戚の集まりだ。俺はそういうの、嫌いだったからなぁ。
そのたびに姉と祖父にたしなめられた。最近は、もっぱら甥と姪の子守だ。そりゃそうか。
「…色々、あったんだよ」
君が彼の色々になればいい、とは別に言わない。言うまでもないだろう。
女心が分からないし、色々と鈍感らしいが。
その程度のことは、分かっているつもりだから。
次回葵美子さん特に何も言わないけど内心八神君にめっちゃ「人の話を聞かない…」「第一訳が分からない…」と大層ぶちぎれた気持ちで接します。口にするかどうかは、セッションの流れ次第。
きっとなにごともなかったようにはじまるでしょうからね!なによりおそらく次回は朱鳥さんが大変なことになるからね!
ちなみに身を守るための過失ならともかく、明らか無力化されているものに刀を向けるってそれは傲慢じゃないの? あなたは神様にでもなるつもりなの? みたいな怒りですね。
とある春の日のこと。
京都の食堂の一角で、憂いを帯びた声が響いた。
「人が食べてるものってどうしてこうおいしそうに見えるのかしら…」
「分かる分かる。おいしそうだよね、メンチカツ」
「…やらないぞ」
友人二人の目線を受けて、飛竜はそっと自分の皿に手をかざす。
朱鳥はぷうと頬を膨らませた。
「えー、ケチ」
「飛竜君、半分あげるわよ、代わりに。ほら。真ん中のおいしいところ」
「いや、俺はメンチカツが食べたいんだよ」
「えー。こういう時三ツ木ちゃんならくれるのに」
「そうね。朱鳥ちゃんならくれるのに。二人で別のを頼むべきだったわ」
「あ、じゃあ八神は? ねー、八神ー。半分こ。半分頂戴」
「うるさい。黙って食え」
笑顔で告げる友人に、帷はさめた目線を送る。
本当に黙ってほしいのだと語る眼差しに、朱鳥はひるまない。
「黙るから。ちょーだい」
「…ほら」
パチン、と新しい割りばしを割って、彼女の皿のわきに手付かずのエビフライをよそう帷。
きらきらと目を輝かせ、サンキュー、と声が響く。
「ん、じゃあおすそ分け」
「お前の食いさしなんて嫌だ」
「それは個人の自由だけど、もう少し言い方あるでしょう、八神君…」
「…人が口をつけたものを共有したくない」
「…まあ、それならいいわね。仕方ないことだし」
聞き分けのない子供を見るようなまなざしに、帷は深く息をつく。
疲れ切ったその反応を、彼女は気にしなかった。
食堂には、なんともいえぬよい香りと、穏やかな喧噪が流れている。
とある春の日のことである。
ツイッターの診断から。そしてツイッターのをちょっと追記した。いうて飛竜君はわけてくれるような気もする。くれない気もする。とても微妙。
朱鳥ちゃんと葵美子さんはパフェ半分こしてワッフル半分こしてケーキ半分こして「結局どんだけ食うんだよ」ってつっこまれてほしいんだ。
天路尋ネタバレ
天命
1.身に備わって、変えようにも変えられない運命。
2.天から与えられた寿命。天寿。
辞書の記述をそっとなぞる。
私の天命は11年だという。
その時、34歳か。
とても足りない。とうていたりない。2年よりはマシだけれども。
とても変えられない運命。あるいは寿命。
……。
……ああ、死ぬのは、怖い。
幾度か死にかけたからこそ、思う。
まだやりたいことがたくさんある。
まだ…別れたくない縁がたくさんある。
いくら生きてもきっと欲は尽きないけれど。
とても足りない。到底足りない。ああ、本当に…………
「……高槻君は、怖いのでしょうね」
今でさえ、私は彼に向けるべき言葉がわからない。
…ただ。
やっぱり朱鳥ちゃんがガケから飛び降りたことの責任とかは感じてほしい、とは。思うようになったな。
錯乱も、恐怖も。仕方ないけれど。
でも、やっぱり。
それでもないがしろにしてはいけないものって、あると思うから。自分を心配してくれるものをないがしろにするのは良くない。
『11年』
『13年』
『22年』
『44年』
告げられた天命が、耳に残る。
あの時は、信じないと言ったものの。
……本当は、どこかで納得している。そういうこともあるだろう、と。
そう思わざるを得ないことが、たくさんあったから。
ああ、それでも……
「………本当なら、ずいぶん先にいってしまうのね」
彼女が健やかであることは喜ばしいが、それは実に―――…やるせない話だ。
***
「……これが、今まで私が…私たちが巻き込まれてきたことの顛末。…蒼護と由菊恵にも話すつもりだけれど、おとぎ話だと思ってしまうでしょうし」
「で、俺は信じると思うわけだなぁ…」
「八神君は話しかけてもしゃべらないけれど。…あの件については、飛龍君にもあまり聞きたくないのだけど。私と朱鳥ちゃんは仲良しなの。きちんと聞いたわ。色々と。…一番おかしな現象は私だって見たもの。あなたはアレが一度目ではないのでしょう」
「……まあ、そうだな。そうだな。俺は君の話を信じるよ。…で、なにかコメントが必要か…?」
悪いが、うまい言葉が見つからない。
きまり悪げに呟くイトコに、なんとなくため息がもれる。…これはこれで、仕方ない人だ。色々と。
「…あの時、私は八神君を大事な友人だといったでしょう?」
「ああ」
「飛龍君と朱鳥ちゃんも大事だったわ。三人とも、同じくらい」
「そりゃさすがに見ればわかるぞ」
「…ええ、ええ。だから。だから私は…今回も、みんなで生きて帰れたから、それで満足といえば満足だわ…」
「そうか」
そう、今。今まさに生きている。カミサマなんてものに喧嘩を売って生きている。
そのこと以上に望むことがあるだろうか。否、ありはしない。
声に出すと、その結論はすとんと胸に落ちてくる。静かにしみる。
「…ねえ、衛太郎君」
「ああ」
「死よりも名が残らないことが怖い、と。八神君はそういったの」
「…そうか」
「私は、名とは残そうとして残るものではないと思う。人が必死に生きて、…その人のやれることを、精いっぱいやって。そのあとについてくるものだと思う」
「そうか」
「…偉大なことなど為さずとも。…ただ生きているだけで、私は彼を覚えている。
名を遺すとは、人に残るとはそういうことではないの? …でもそれじゃあ、ダメなのでしょう。八神君の抱えているものにはなんの慰めにもならない。それも私は、分かっているつもりで……
……それでもやっぱり、生きてほしい。彼には生きてほしい。…武士の名誉のためではなく、もっと。彼自身のために。…でも、きっと彼のやりたいことはそれ。…堂々巡りよね。本当に」
「…そうか」
「…私は、そう思ったの」
「ああ」
「そう思って…そう思えただけでいいと思ったわ。ただそれだけの話よ」
「…そうか」
うなづくイトコは、コーヒーを啜る。私も同じように啜る。
安物のドリップでも、入れたてはそれなりにおいしい。
おいしい、と息をつく間に―――彼の声色が変わる。
「なあ、葵美子」
ひどく静かな口調で名を呼ばれ、目を合わせる。
体格はずいぶんと違うが。少し釣り気味の目元が、似ているといえば似ている。同じ系統の顔だ。……血縁でもなければ、おそらく仲良くはならない相手だ。
「なぜそれを今。俺に話した。話に来た」
「…聞いてほしかったから」
「信じるのか。天命11年」
あの時。あの夏の一件の後。
彼があんなにも穏やかに笑うのをはじめてみた気がするし、こんなにも強い目をするのも初めて見た気がする。
…それに対する私は今、どんな顔をしているのだろう。
とっさにうつむいた顔が、黒い液体の中でゆれる。かすかすぎて、よくわからなかった。
「……信じる」
「…そうか」
「寿命かもしれないし…どちらかといえば、避けようのない運命として。そういうことがあるのではないかと、信じるわ」
「…そうか」
「…とはいえ、この帰りに事故にあい死ぬ可能性は常にある」
「ああ」
「寿命とはその程度のものね。……けど、怖い」
この話をしている今も、嫌な汗が出てくる程度には。
「この後、いくら努力しても。…体に時間が残っていても。11年後に確実に事故にあう、とか。殺される、とか。…そういうものかと思うと、とても怖い」
「ああ」
「天命は覆るかもしれないとも思う。…彼らといえば覆るような気もする」
「ああ」
「でも。怖い。死にたくない」
「…うん、怖がれよ」
言葉とともに、空いたカップへお湯が注がれる。
…懐かしい仕草だ。
おそらく自覚はあるまいが、一つ一つが旭ちゃん…ひいては父方の祖父母に似ているのだ、この人は。真面目な話をしていると、なおさら。
…よく覚えていないけれど、お茶とかの後に、よく白湯を飲む人だった、父方の祖父は。
お茶もいいけど、たくさんしゃべったから水分をとらないとね、と。そんな風に笑う人だった。「京都のおじいちゃん」は。
枯れるように…それこそおそらく、天寿を全うするように。穏やかに死んだ私の名付け親は。
「…人は死を嫌がるように…苦しがるように、痛がるようにできている。これは本能であり、恥じるつもりはないわ。
死は尊く、避けがたく。それでも恐ろしいものであるべきよ。恐ろしくないなら、それを上回る意志があるからであるべき」
それは例えば、わずか一時の春の中に消えた。聖母の名を授けられた彼女のように。
短い冬よりも、刹那の春を望んだ彼女のように。
恐怖に背を向けるのではなく、それより渇望するものを以て克服した―――彼女のように。
「そうか」
「でも、怖くて縮こまるのは違うでしょう。私はやりたいことがたくさんある。…天命が事実でも、変わっても」
「知ってるよ」
「…だから、知ろうと思ったの」
「……なにを?」
イトコの声が低くなる。顔が険しい。
「…神様の、知識」
言葉にすると、ほとんど睨むような顔をされた。
「…結局、だから俺なんだな。君の話を信じるであろう朝生家のご祖父ではなく、鹿島君たちでもなく。俺か」
「ええ。…別に寿命を延ばしたいとか、そういうのではない。ただ知りたい。この体を支配するのが運命というものなら、それを知りたい」
「知ってどうする」
「……わからないの」
口に出したけれど、わからない。
「…天命が本当にあるならば。それに従うべきだとも思う。無理にまげたら、きっと代償がある。…それがあの呪いに定められたものなら、覆したい。そのために知りたい。…違う」
話しているうちに、気持ちが焦る。
怖い。
怖くて怖くて、仕方がない。
なにもかもを投げ出して、どこにでも逃げてしまいたい。
…高槻君のように。
「…怖くて落ち着かないから、少しでも知りたいだけ。…私が本当になりたいのは医者だから、それをおろそかにする気はないし…少なくとも八神君にいったら最後、軽蔑されそうだから言わないけど」
「……つまりあれか。本当に決まっているならあきらめがつくけど、鹿とやらに決められた気がして不愉快だ、と」
「…それもあるけど、もう一つ」
「…聞いてるから、ゆっくり言って大丈夫だよ」
気づかいの言葉が耳を通り過ぎる。
高槻君のように―――
何もかもをなげうって逃げたら、その時。
彼女は今度、どんなふうに苦しんでしまうのか。怒って…悲しい思いをさせてしまうのか。
ああ、本当に。
死ぬのが怖いし、そのあとのことを知らないのが、怖いのだ。
「本当なら、朱鳥ちゃんが一人ぼっちになってしまう。…いえ、彼女はきっと、一人ぼっちにはならないけれど。…11年後に私が死んだら、本当に天命があるとわかったら。2年間八神君が死ぬのを怖がるのかと思って。鹿島君はしばらくあくけど、やっぱり朱鳥ちゃんよりずいぶん早くて…。だから。……自分が生きているうちに、できることをしたいの……」
「…止めづらいことを言うなよ」
「…止めるのね。やっぱり」
止めるよ、とイトコは居住まいをただした。
背筋をただして、表情を引き締めるその様は。彼の姉にとても似ていた。
「神様の知識を知りたい。…つまりは君が数度遭遇し、八神君が数冊所有する魔術書の類を、似たような経験をしたであろう俺のもとに求めにきた。…この認識に間違いはないか」
「…ええ」
「…ならば、俺は渡せない。関わったものは大抵焼いたから持っていないし、渡せない」
冷たく、厳しく。
おのれのやるべきことを譲らないかの店主に似ていた。
「魔術書に関わった一度目。バイトと友人が撃ち殺されかけた。…そして殺したよ、魔術書ごと。人」
「…そう」
「二度目。殺されかけた。とちくるった野郎が魔術書を得る、そのためだけに」
「……そう」
「三度目。…書物はなかったが。やはり道を誤ったものに出会った。ほかは―――…シンプルに化け物に会ったな。……君たちと会った少し前は、宗教団体相手にドンパチする羽目になった。今思い出しても肝が冷える。優秀なバイトがいなきゃ、二度は死んだな」
「………そう」
「俺はあれを劇薬の類だと思う。触れれば肌が焼ける。体がただれる。どんなものであれ、正気でいられない」
「……私も、そうは思う」
「呪いならば解きたいと言うが、まずそこから躓く。君の元の天命など、誰にも分らない。それこそきっと神様でなければな」
「…ええ」
「…ええ、ええって。オイ、なあ葵美子」
何度もうなづくと、厳しかった声が崩れる。
困ったように、困っているのであろう彼は言う。
「…俺でもさすがにわかるぞ。…本当に、コメントに困る」
いつのまにかうつむいていた頭がポン、と撫でられる。
ポン、ポン、と。懐かしいリズムだ。
「君は、本当はそんなものを求めにきたんじゃないよ。…欲しがらないように、弱音を吐きに来ただけだ」
「…………」
その通りよ、とつぶやく言葉は。
ほとんど泣いているようにぐしゃぐしゃだった。
「…陽並さんに言いづらいなら、鹿島君あたりにいえばいいんじゃないのか。あの子たぶん君を姉ポジションとは認めてないぞ」
「……別に私は彼の姉だなんて思ってない。友人だから心配なの」
「…同じことを言われるだろう。『友人だから心配だ』『きちんと吐き出せ』とか」
「いつもなら言うけど。…飛龍君は魔術書…、…おかしな宗教にかぶれた連中のせいで、大切な人がいまだに眠っているのよ。…今弱っているし、言いたくないわ…」
「……そっか」
ぽん、と一度強く頭をなでられる。
それでしまいだと言わんばかり態度に、顔を上げる。
イトコは困ったように笑っている。
…本当に、やさしい顔をするようになったのだなと思った。
「……依頼を、一つ。一つお願いします。衛太郎君」
「魔術書が欲しいは聞かないぞ」
「いらないわ。でも…もし私が事実、11年で死んだのならば」
息が詰まる。
その仮定を認めたくない。
やっぱり短い。やっぱり怖い。
けれど恐怖の本質は、そこではないのだ。
死が苦しいのは、体がそんな風にできているから。
死が悲しいのは、たくさんのお別れをつれてくるから。
「あの三人のこと、たまに気にかけて? みんなきっと平気って、私、そう信じているけど…。…とても心配してた、って。伝えて」
お別れをお別れのままにしないため、私は人の世で生きて、死にたい。
私を覚えてくれる人達の間に、いたい。
「…俺が言うまでもないだろ、んなもん」
「わかっていても。きちんと言葉にするのとは違うでしょう」
「そういうもんか」
「そういうものよ」
注いでもらった白湯を飲む。
コーヒーの残りもにじんで、おいしいとは言えない。…それでもやっぱり、少しだけ。少しだけ懐かしい味がした。
「……言葉は呪いよ、衛太郎君」
「…おそろしいことをいうな、君は」
「神様じゃなくても、人を呪うのなんて簡単よ。…まじなうのも、簡単よ」
「すまんが意味が分からん」
のろうとまじなうは同じ文字、と続けようとしてやめた。
すごく、しょぼくれている。
ものすごく、納得してない顔だ。
…もっとわかりやすく言えば、長所と短所は紙一重という。ただそれだけの話だ。
「飛龍君のプライドがエベレストなところが心配だし、朱鳥ちゃんのたまにカッとなるところが心配だし、八神君のもうすべてが心配だし。…本当に愛しているから、そのままで、と。自分で伝えていくつもりだけど、伝え損ねたらお願いね」
「……君、八神君になにかされたのか。実は」
「別に。どちらかといえば助けてもらっている立場の、趣味友よ」
ダイス降ったから「天命を決められた」感あるけど当事者目線で見てみれば別に受け入れられない話でもないんだよなあ。と思ったあれやこれです。
シナリオ的にはダイスで決めた。でも物語的には本当に「決まっていたこと」をいっただけなんだろうしね。あの場面。という。
だから今のところ、ただ怖いというだけです。
おかしなことをして正気を失う人たちを、彼女もそれなりにみてきたので。変なことしようとは思わないなあ、今のところ。
四年後も思わないなあ、たぶん。よほどおかしな死に方でもしなければ。
とはいえこういう話をすればもし自分に有益なことがあった時このイトコは伝えてくれると思っているし、事実伝える。
言葉は呪いです。まずは呪っても罪悪感がわかない相手から呪いにきた葵美子さんの話。
話をふられれば死ぬのが怖いとはあっさり言うし。今後魔術書にちょっと引かれ始めるのを隠しはしませんが。
代償を以て生きるのはまっぴらごめんなので、基本ルルブ系のものは使わないけど。
都合のいい奇跡があったらすがるかもしれないなあ。葵美子さんは臆病でさみしがりやだから。
ああ、夢だ、と思った。
夢に決まっている。
懐かしい光景を俯瞰してみている。
大切な人に会った時のことを思い出してる。
最初に顔を合わせたのは、図書館だった気がする。
ほかのところでも会っていたのかもしれないけれど、認識したのはきっとそこだ。
「この本を探してるんだが、どこか知らないか」
「…ああ、この間読んだわ」
そう、だからすぐ案内できると思ったのだ。
けれど実際は、なかなかたどり着けなかった。
ついでに、迷っているうちに彼が見つけた。
特に嫌味を言われることも、疲れた様子を見せられたわけでもないけれど。
踵を返し貸し出しに向かう背中に、なんとなしに声をかけた。
ねえ、迷っている間見つけたこの本。この本も読んだことあるんだけど。それと一緒に読むと、おもしろいわよ。たぶん。
素直に礼を言われた。
否、あの時は「礼儀正しく礼を言われた」と思った。
後に思い返して、気づいただけだ。
あの時の礼は、八神君にしては素直だったな、と。
***
最初に言葉を交わしたのは、確かサークルの飲み会だったはずだ。
あまり酒が得意ではないから、ぼんやりとしていた。
「飲んでるー?」
「…ええ、飲んでるわよ。それに食べてる。あなたもどう?」
から揚げがおいしかったのでおすそ分けをしてみた。
長い髪がきれいな少女はとてもうれしそうにありがとうと言って、隣に座る。
それからどうでもいいよう話をしたのが、最初。
どうでもいいような、他愛のない話がとても楽しかったのが最初。
彼女を通して八神君と再会するのも、少し先。
ただ、その日。周囲の喧噪の中でケラケラと笑う彼女は、見て居ているとこちらが元気になるような様子で。とてもまぶしくて。
後に思い返して、いつも思う。
朱鳥ちゃんは、いつでも笑顔が似合うな、と。
***
顔を合わせたのは、当時通っていた道場だったはずだ。
そのころから飛龍君は妙に堂々としていて、礼儀正しく礼をした。
「―――鹿島飛龍だ。よろしくお願いします」
なにかに追いつめられているように、道場に通っている子だった。
そのくせ、言葉遣いも立ち振る舞いも、同世代の中では頭ひとつとびぬけてた。大人びてた。
それもそのはず。彼は有名な子役で、有名な俳優の息子で。たぶん、見ている世界が少し違った。
同じ道場にいるよしみで、話すようになった。
家の方向が近かったことも、その理由だ。
彼の上達ぶりといったら、すぐに追い抜かれてしまうほどにひたむきで。
そのことに覚えた感情を、今なら私はわかるのだ。
そう、今思い返せば、わかる。
いつも大人びた顔をして、周囲のいろんなものを気にする彼は、あんまり子供らしくなかったものだから。
私はあの子を、子供扱いしたいんだった、と。
いつのまにか背も心持も追い抜かれて、もうあの子なんていえなくなって。
それでも彼には、たまに…たまに。
あなたはまだ子供でしょう、と。
無性に声をかけたくなることが、最近は………増えて……。
……。
…………。
***
「……ん」
車の揺れ…というか、車が止まった拍子に目が覚めたらしい。
その車に乗った時に感じた、ハッカのような香りが鼻孔をかすめる。
…乗った時にはなかったはずの、ふかふかとしたクッションの心地よさも、頭に感じる。
体にはこれまたふかふかのブランケットがかけられて、明らかに寝かしつけられている。
「おはよう。ちょうどよかったな」
「…おはよう、じゃなくて」
運転席からの声に、体を起こして答える。
体を起こせばわかる。
ここは京都だ。
「…私、新幹線に乗るって言ったと思うんだけど…」
「駅ついても寝てたからな。心配で送りに来た。切符のことはあきらめろ。いいだろ、ついたんだし。…で、俺、君の家はうろ覚えだから案内頼むよ」
「……ありがとう」
明らかに運転手の趣味ではないふかふかとしたものをたたみながら礼を言う。
…心配。
それはまあ、するだろう。
ついでに、読みに来た先祖の書記は量のわりに解読に疲労感を伴った。
汚いから、読みたくない。
それは衛太郎君の怠慢ではなく、本当に読む気が失せる文字のことだったのだな、とよくわかった。
…字が汚い、というよりは。
故意に読ませないように崩しているような、あまり人目にふれてほしくないような印象を、ところどころに受けた。
…スワコさんとやらの発言を思い出し、ふとなにかの手がかりにならないかと思いあさってみた書記だけれども。
結局、わかったのはあの事務所が鹿島太一なる人物に恩があるということだ。牛鍋に感動する書記は、とても読みやすい文字で書いてあったのが印象深い。あと重田という方のご飯がおいしかったらしい。…はじめてアイスを食べたときの記述もやたらと長く……幸内さんという方と食べたかったなと、残されたりもしていた。
…話には聞いていた。
三ツ木家は祖父母…正確に言えば、その父親の代で詐欺にあい、それはそれは苦労したらしい。具体的に言えば、おじいちゃんの幼少期は親の顔をほとんど見たことがないと言っていた。そういう時代だったのもあるけれど、ともかくせわしくあちらこちらに頭を下げて回っていた、と。…たまに珍しい土産をもってきてくれるおじさんがいた、とも聞いている。
その叔父が、今衛太郎君が継いでいる事務所の一代目だ。
……。まあ、事実その人が…あるいは違う人が彼らと縁があったからといって、それがなに、という話だ。……今の私の悩みには、役に立つまい。
けれど、気になって。気になったから確かめる。そういうものだ、学生とは。
「…あなたはこれからどうするの? おばあちゃんちにいかないなら、どこかでご飯ごちそうしましょうか。お礼に」
「…確かにいかねえが、いいよ。学生にたかるほど困ってねえ。君送ったら少し休んで、そのまま帰る」
「…長距離の運転はもっと休んだ方がいいわよ?」
「休み休み行くから、気にするなよ」
会話の合間の案内に従い、車は進む。
「…礼ならあれだな。次来る時の土産、あれを頼む。店の名前が出てこないが、じいさんが好きだったせんべいがあるだろう。あれなら俺も食える。君が覚えていないなら、ばあちゃん聞いてくれ。あと同じ店の栗きんとんが欲しい」
「…栗系のお菓子、苦手じゃなかったけ?」
「それがあることで、俺はせんべいを独り占めできる」
困ったようなつぶやきは、それでもやけに楽しそうだ。
楽しいのだろう、おそらくこのブランケットの持ち主と日々を重ねることが。
……少し、気持ちがなごむ。
いつも気難しい顔をしている人だったから、良かったな、と思った。
「…わかった。買っていくわ。…だから、またね」
「ああ。いつでも…とはいかないが、呼べ。……大事なイトコだからな」
共犯者に引き込もうとした探偵は、穏やかに笑い、家の前で車を止めた。
ドアを開けて降りれば、3月の夜の風があたたまったからだを少し冷たくなぜていった。
以前投稿した後日談と続きとねつ造ターボババア班出会い編。
…ターボババアにはしゃいでいたころ、こんなことになるなんて思っていなかったな……
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