昔の職場が縁で繋がった友人には、度々聞かれる。
「なんでお前本城さんと付き合ってんだ?」
面白そうに興味深そうにあるいは訝しげにたまに悔しげに。時には気遣わしげにまで問いかけられたが、答えなど一つ。
「顔が好みだったから」
それ以外の理由など、別にいらないと思っている。
だから。
そう言うたびに喉がちりちりとするのは、きっと。気のせいだ。
飲みこんで重なって
それは、ある春近い日のこと。
がしがしとタオルで髪をかきながら、リビングの扉に手をかける。
「おい、風呂…」
あいたぞ、と言おうとして気付く。規則正しい寝息とソファにこしかけたまま上下する肩。
無言で回りこんで、顔をのぞけば、やっぱりその目はとじられている。
ああ。そういえば、今週。忙しいと言っていたな。たまに無計画に仕事増やしてるからな、この女。計画を立てるのが面倒とか言いそうだが、…そこはめんどうくさがるな。俺も人のことなんて言えないが。
「……」
がりがりと頭をかくと、僅かに水気が飛ぶ。じっと見つめていても、すぅすうと寝息が答えるばかり。…ならこのまま寝かせてやろう。
風呂に一晩くらい入らなくとも、まぁ、問題はないだろう。朝に入ればいいだけだ。着替え…は………さすがに俺にはできない。できるが。どうかと思う。
なんとなく気まずい思いになりながら、膝下に手を入れて抱え上げる。
意識のない人間の身体はぐったりと重い。こいつは今でもそれなりに鍛えてもいるから、なおさら。ああ、それでも軽い。自分と比べると、笑えてしまうくらいに。
ゆっくりとベッドに下ろしても呼吸以外の身動ぎ一つみせないみせない身体はどちらかといえば小柄な部類に入る。ついでに顔も口も小さい。今はとじられた瞳ばかりが大きい。アンバランスな顔だと思うのに、受ける印象は冷たく整って。
ああ綺麗だなあ、と、性懲りもなく思ってしまう。
綺麗だな、と。思ってはいるけれど。
こうも静かに眠りこまれると、なんとなく落ち着かない。
全体的に小作りの身体。色素の薄い肌。やはり細い首にかかる髪が、どこか頼りなく見えて。あまりに軽く思えてしまう重みが甦って、ざわざわと。
白くてどこかに溶けていきそうだなんて。
図太い女だと思っているのに、どうして。
落ち着かない心地のまま、手を伸ばす。触れた頬は熱くも冷たくもない。さらさらとした皮膚。けれど、少しだけかさついた気がするのは、風呂から上がりたての手で触れている所為か。それとも疲れの所為なのか。
「…祐絵」
痩せるほどのことなんてやるな。と思った瞬間、口が開いた。
ぴく、と僅かに瞼が震える。一緒になって睫毛が僅かに震える様に、なぜか一層どこかがざわめく。
手の平が動く。頬から、手の平に。僅かに開いた指先を、意識するわけではなく握りこんだ。
ん、と小さな声が漏れたのは、それと同時。
「………。拓登?」
半身を起しながら、そう呼ばれた。焦点のあやしい目が、徐々に澄んでいく。
そうして真っ直ぐに見つめられると、なんとも言えない気まずさがこみ上げた。…なにを言えばいいんだ。この状況。
「……わたしの手、どうかした?」
「…いや」
「ならどうして握りしめてるの」
「…………お前そういう答え辛いことを聞くなよ………」
「じゃあどう流せというの?」
「いや流せないだろうけどな! 流せないだろうけどな!?」
思わず叫んでばっと手を放す。顔が熱い。
「…お前やせてんじゃねーよ。それ以上」
「……? 痩せてないわ」
誤魔化すようにつぶやいた言葉に、心底不思議そうな声が返る。
…まぁ、いまは本当に痩せてはいないようだが。仮にやつれても全く頓着しなそうで嫌だ。この女は。
「…見た目しかとりえないんだからやつれるなよ」
「最近はやつれる要素なんてないでしょう。…拓登」
淡々とこちらを見ていただけの瞳が、すっと細くなる。
つい先ほどまで触れていたその手に、そっと触れられる。
冷たい。
それはまるで、胸の内の差に思えて。喉の奥がつまる。
「あなたになにされても気にならない。変に気を回さなくてもいいわよ」
―――別になにされたっていいわよ。あなたが相手だし。
それは。いつかの夜に聞いた言葉。
あれから何度か同じように過ごして、まるで変らないその言葉。
「…別にそういうつもりで触ってたんじゃないけどな」
「そうなの」
「寝てる女襲うのってどうよ…」
「悪いことなの?」
きょとんとした様子で尋ねられて、喉の奥の息苦しさが増す。
なにをしても頓着しないこいつがこういう聞き方する時は、大抵。
「……常々思うがお前の過去の男ってろくなのいねーな」
「別にわたしが選んだものじゃなかったもの。適当にしていたのだから、そんなものじゃない?」
ああ、ここでじゃあ今はどうなんだとでも聞ければいいのだろうか。
答えなど分かっているけれど。
こんな気持ちにならなくてもいいかもしれない。
それは、耳の奥を痛ませる言葉を聞いた日から、何度か繰り返した問答。
「……」
けれど結局、なにも言わぬまま再度手を握る。
ついでに、軽く力をこめれば、別に抵抗なく転がられた。
「寝てる女にするのは趣味と違うんじゃなかったの?」
「…お前今起きてるだろ」
ベッドに手をついて、不思議そうな顔を見下ろす。不思議そうで、何も分かっていなそうで。それなのに拒むことのない顔を。
「…それもそうね」
小さく言って、当たり前のように閉じられた瞼に、僅かに唇で触れる。
その一言だけで全てを放りだす女に感じる感覚が、落胆なのか安堵なのかはもう分からない。
分からないままに浮かされる自分が、滑稽だと思うだけだった。
ことが終わると、そのままうとうととまどろまれた。
そのまま寝かせてやりたい気もするが、せめてなにか羽織れ。そろそろ春だが、そのままは寒い。
口に出すのは何か億劫で、とりあえず寝巻だけ羽織らせれば、寝起きとはまた違ったぼんやりとした目がこちらを見つめる。
「…拓登は優しいわよね案外」
「案外で悪かったな」
反射で言い返して、なんとなく溜息が洩れる。なぜなら。
「…お前がそう言うこと言うとなんか泣けてくるよ。今までが変なのに当たりすぎだつーな…」
こうなってからちょくちょく耳にする、耳にしたくもない過去の男のお話。
伝わってくるのは相手がどうこう言うより、ああこいつは本当に誰とも付き合う気なんてなかったんだなあというそれだけのことだ。
断るのが面倒だから断らなくて。そのままずるずる続いた関係も、勝手に消えていく。で、繰り返すうちに断らないのも面倒だと。そう思っただけだ。
断らないこいつがわりと全面的に悪いが、それに付け込むようなマネをする方もする方だ。ああ本当に空しくなる。何が空しいって、そいつらと俺のやってることは、自己満足と言う点では大差ない。
ひそかに落ち込んでいると、静かに首をふられた。そして。
「別に誰かと比べて言ってるわけじゃないわ。仕事先の子にあなたの話をしたら、みんな口をそろえて」
ふぅんそりゃよかった………ん?
「……ちょっと待てなにを話した?」
「なにって…こういう時のこと?」
「聞くなよそして話すなよ」
案の上な言葉に思わず肩を掴む。結構な力をこめているのに顔色一つ変えない辺り本当なんていうかあれだよなこの場合ありがたいがやりすぎそーでこえーよ。
「女の子だけでお酒を飲むとそんなものよ」
「そんなものでもいいから喋ってくれるな!」
「…怒ることなの?
わたしは拓登が褒められても嬉しくないけど。あなたは自分が褒められて嬉しいかと思ったのだけど」
「いやいやいやいや。んなこと話されて嬉しくねーよ! お前逆…気にしねーよなお前は!」
こいつの気遣いのポイントは色々おかしい。せめて、せめてそれを黙っていてくれればこんな反応しなくていいものを。
思わず叫んだ所為で、少し咳こむ。ちょっと目の前がかすむのは、その所為ではないけど。
「…拓登。水いる?」
「……いらねえ」
背中をさすられて一層涙が出る。なんか色々苦しい。
「…あなたが嫌ならもう言わないわよ?」
「…お前が余所でなにいっても干渉はしねーよ。ただいちいち報告すんなよ。俺どうすればいいんだよ」
「…喜べば?」
「喜べない」
「それは仕方ないわね」
言って祐絵は素直に頷く。素直、というか。どうでもいいと思っているんだろうけれど。
口の中に苦い感覚が広がる。いちいちそんなことを考える自分こそが、ひどく苦い。
「…それにしても、お前さ。ほんっとう無防備だよな…。寝入るなよ。抱えたら起きろよ」
「…いいじゃない。今あなたしかいないし」
「…いや。それでこうなったんだからちっとは学習とかしろよ」
「別に嫌じゃないもの」
「よくもないんだろ」
どうせなにをしても同じのくせに。
口に出せない言葉の代わりに刺々しくなる言葉に、やはり素直に頷かれた。
「そうね。今までなかったことだけど、だからどうってわけではないし」
でも。
「ないのか」
「ないわよ。だって人を部屋にあげていないもの」
「…ああ。寮だもんな」
そうだ。そうだった。それをいえば俺だって女を連れ込んだことはない。寮には同僚で行き来する程度だ。
4人部屋だったし、泊らせることはできないのだから、外に出ていく方が楽だった。色々と。
「自室でもないところで寝る気にはなれない」
「…そーか?」
「転がれば寝れるけれど、転寝はしない」
転がるどころか必要があればどこでも寝れるようになっている。
かつてのこいつもそうだったけれど、まぁ、そこはノーカウントだろう。お互い職業病だったのだから。…こいつは誰が隣にいるかなんて気にしてないと思っていたけれど。
「……部屋が落ち着かないのか? 他の奴がいるのが落ち着かないのか?」
「…部屋、かしら。深く考えたことはなかったけれど。
昔は大勢で寝ていたし、寮は4人だったし…あなたの部屋はもう行き慣れたからそのまま寝れるし」
「ふぅん」
元から深い意味があってきいたわけじゃない。
出てくるのは気の抜けたよう吐息に似た相槌。
そんなものを吐いていると、俺もとろとろと眠くなってくる。
「……拓登?」
寝ぼけたふりで、髪を撫でてみる。
温度などないさらさらとした感覚。けれど絡ませてみれば、なぜかぼんやりと温い。心地よい。
「…嫌か?」
好きだとは言わない。返ってくる言葉が分かりきっているから。それを聞いた時が最後になると、分かっているから。
代わりに紡ぐのは、それに似た言葉。気付かれても構わないから。元より隠せてなどいないから。それでも口に出すことができない、から。
「…いいえ。別に」
ああ、本当に―――不毛で卑屈で趣味じゃない。
「…なら、いい」
けれど隣で僅かに笑う顔は、今日も憎らしいほど好みそのもので。
もうそれだけでいいと思っている。
それだけでいいと―――…どうか。
おもわせてほしい。
飲みこんだ言葉は数知れず。
徐々に首を絞めていく。
まぁお互いうじうじ色々言ってますがもう拓登の好意は手出した時点でただ漏れいうか手を出さない段階からただ洩れてたんですけどね。
好きも付き合ってもなくあれこれ手を出す男と好意持たれてんの承知で色々投げやりな女。酷いのはどっちだ。ぶっちゃけお互いお互いを酷いとは思ってないけど。
別に裏持ってくる必要もない描写だけどなんとなく裏に持ってきた。ラブいんだからぶくないんだかよくわからない的な意味で