4.鎖骨
鎖骨をたどっていた唇が、にんまりと笑みの形に歪むのが分かった。
うす暗い部屋の中、こちらに覆いかぶさる彼の表情は見えにくい。けれど、空気の動きが肌に触れた。
「むかーし昔、ある国でねえ、囚人はここに穴開けて鎖で繋いでたらしいよ。ま、ホントかどうかは分からないらしいけど、だから『鎖骨』なんだって」
…それほどに近くにいても、彼のことは分からない。………分かりたくない。どうせ、ろくでないのだし。
「…あなたはなぜ、今この瞬間にそんな恐ろしいことを話すのでしょうか」
そのまま穴開けたいなあとか言いそうで嫌だ。
なぜそこまで繋ぐことにこだわるのだと、強くなじりたい。
自分の部屋を掃除していたらベッド下に見覚えのない首輪とかを見つけた私の恐怖を少しでも分かってほしい。私は動物全般が好きな方だけれど。既に大きな動物で手いっぱいなので、飼う気はない。犯人は「いまいち飼う意義が分からない」とか言っている彼であろうことは、色々と状況証拠があって。なにに使う気だったのと聞くに聞けない。藪から蛇が出てきそうで。
………というよりは、聞くまでもない。
しかし、繋いでも、何も満足しないくせに。恐ろしい趣味に目覚めないでほしい。付き合えないというより、身がもたない。
「やだなあ、その顔。
なに、俺がぶすっていくって思った? 君に?」
大事な恋人にそんなひどいことしないのに。嘯いて服を脱がす指をひっぺがして、どの口がそんなことをと問い詰めたい。
ぶすっとはいかないけれどギュッといくでしょうあなたは。少し弱るとすぐに人縛ったりするでしょう。穴開けたいと思っても、別に私は驚かない。
少し弱った時、人を縛らなければ。自分の手をぶすっとさくっと切る人だから、逃げるに逃げれない。…本当に、なんでそう。生きるか死ぬかの方向に行ってしまうのだろう。理由など知っているけれど、問い詰めたい。
などと思っている所為で、よほど疑わしげな顔でもしていたのだろう。彼はさらに言葉を続ける。鎖骨をなぞる指が、くすぐったい。
「だって。君。俺には対してはなんも悪いことしてないじゃない」
はっきりとそれと分かるほどに近づかれた笑顔を見た。
やけに無邪気で、毒気の抜かれそうな顔に思わず顔をそむけようとすれば、顎を捉えられる。
そのまま口づけられて、顔を動かすことはできなくなった。
……くらくらする。
「大体折角綺麗なのに勿体ないじゃない」
霞みがかかったような意識で、くすくすと笑う声を聞く。鎖骨から離れ、あちらこちらに触れる手の感覚と共に、楽しげな笑みを見た。
何か言い返そうとすれば、また口をふさがれる。
かと思うと、僅かに耳を噛まれる。そういうことをするから、怖いというのに。怖いというに、背に走る感覚は恐怖ではなくて。
文句を言うことも、上がる呼吸ではできそうになかった。
再びまともな呼吸を取り戻したのは、浮かんだ文句を言う気力も失せた頃。
私の横でそれはもうすっきりと清々しげな笑顔の彼は、表情にふさわしい声色で言う。
「そりゃあ君がホントに浮気とかしたら、物理的につなぐけど。君は俺につれないし冷たいけど、こういう風にあったかく傍にいてくれるから。そんなおそろしいことしないよ。…仕事でもあるまいし」
いえ、あなたは私が浮気をしたら、鎖骨じゃなくて心臓に色々繋ぐと思います。穴をあけて。
よっぽど口に出してやろうかと思ったけれど、止める。身体がだるい。それに、それこそ口に出したくはないけれど、戯れのように髪を撫でる指は心地よい。
もう、このまま眠ってしまおうか。
目をとじた時、ひょいと腰を抱かれる。そのまま、少しだけ身体をずらされる。ちょうど、彼の顔が鎖骨にあるような位置に。
今寝ているベッドは、私のものだけれど。基準となっている長さは、やはり言いたくないけれど、遥霞の身長だ。元々余裕がある上に、半端な位置で寝ていたせいで、頭が落ちることはない。ただ、顎をくすぐる髪がくすぐったい。
「…なんですか」
「俺、君の首からこの辺りまでのラインがものすごく好き」
そんなことを言われても、何を返せばいいのやら……。
戸惑っていると、きつく吸われる。骨の細い部分がぴりとひきつる。
「…こういうことすると、すごくかわいい反応するから」
…確かに。
ぞくりと走る感覚は、たぶん、浅ましい種類のものだ。
そんなもの自分自身が一番分かるのだから、口に出さないでほしい。羞恥よりも苦しさで、胸の奥が苦しい。
「だから、そうだね。さっきの戯言、撤回するね。
俺は君が離れていっても、こんなところはつながない」
がり、と軽くかじられたのは、浮き出た骨の部分。
「そんなものがあったら、キスするのに邪魔だね」
くすり、と笑みをこぼす彼の髪に手をいれて、ゆるく撫でる。
「…そうですか」
―――そんなものがなくても傍にいますよ。
そんな言葉を信じはしない彼だから、ただ触れる。近くにいる。
それ以上の言葉はなく、くすくすと笑う声は。ただもどかしく肌を撫でた。
(疾うの昔に繋がれてるのに)