1.額

『巫女ですから。祈るのは誰かのためではありません。里のため。里全体の、全てのため』
 髪の毛から爪先まで、私はそうあるべきのものでした。
 泣きはらした目で、生きのこった己を責めながら。いつか子供がそう言った。
 細い肩で、棒きれのような手脚で。目に見える全てを背負うための存在だったと、そんな風に。
『………そんなこと。誰にも。誰にもできないから、私、達、は』
 こうしてなにもかもを失ったのだと、泣きながら。
 泣きながら、それでもなにも恨まない子供を、ひどく眩しいと思った。

 そんなことを、不意に思い出すのは。いつも触れた後であり、触れている最中ではない。
 軽く額にキスしただけで真っ赤になってる顔を見ているような、今。
「……」
 黙っているのがつまらなくて、髪の生え際に息を吹きかけてみる。ううと唸る声がなんというかこう。面白い。もっと色々したくなる。これ以上すると照れ隠しで殴られるけど。…そう、殴られる。すぐに謝られるが、何度も何度も殴られて嬉しいものではないから、このくらいで離れておく。
「……あ、あの」
 少し離れてみると、おずおずと声をかけられる。おずおず、というか。わたわた、というか。照れをたっぷり含んだ声だ、とりあえず。
 ちり、と胸のあたりに感じる不快感が、いっそ苛立ちだったらどれだけ良いか。
 そのままもっと困らせたいのは山々だが、静かに聞き返す。
「なんだ?」
「………呆れて、ません?」
 …好きだ愛してるといって早一年。キスで硬直それ以上はぶんなぐって我に帰ってなくなんてことをされれば、
「そりゃ呆れてるけど」
 素直に答えれば、悲しげな顔をされる。
 このままネチネチ文句を言えば、わりとあっさり最後までコトができそうな気がする。
 …いや、まあ、無理か。
 がたがた震えながら大泣きする女にたつほど落ちぶれてない、さすがに。
 内心の言葉を隠して、頬をつねる。笑みの形に、無理やりに変える。
「面白いよな、こんなに嫌がられると、逆に」
「………う、嘘でも優しさで待っていると言ってくださいよそこは!?」
 手を離して、冗談めかした言葉を送れば、すぐに膨れた。……子供っぽい。
「優しさで待てないぜー。おれ、お前のこと超愛してるから待ってるだけ」
「…あいって」
   真っ赤になってそれを繰り返す顔はそれはしっかり女だと、女にしか見えないのだけれども。悩ましいことだ。ホントに。本気で。
「……散々待ったんだから、今更どーってことねえよ。無理して途中で泣かれる方がやだ」
「そんなこと……、…するかもしれないけど…」
 ほら見ろ、想像して青くなるうちはそんなことできるか。
 ―――巫女として育った子供は、すこぶる貞操観念が強かった。それこそ、守るためなら死ねと教育されているくらいに。身を守るためか、この町に来てから吹き込まれたことか。それなりになにをやるのかは理解していたけれど、しみついた意識が消えるわけではない。
 …だから。
「だから、いーんだよ。お前は黙って照れて大暴れしてればそれで」
 ぐしゃぐしゃと髪をかき混ぜて、溜息混じりに呟く。溜息どころか泣いてしまいたいけれど、我慢。
「慰めているのかからかってるのかどっちかにしてください…!」
「愛でてる。」
 告げながら、額に触れる。つい先ほどしたのと同じように、静かに。
 真っ赤になったのは同じく、それでも、なにかモノ言いたげな目線が来るのが、先ほどとの違い。
 ああそれに、もうひとつ。
 僅かに答えるように握られた手が、やけに熱い。
「分かったら。寝ろ。…おやすみ、セレナ」
「…おやすみなさい」
 からまった手を離して、軽く肩を押す。
 ぱたぱたと自室に戻る背中に手を伸ばしかけて、きつく握った。

「…………ホント」
 …おれは日々すごく我慢の日々を送っていると思う。一つ屋根の下、邪魔するものはいない環境で。惚れた女と二人きり。で、このくらいで我慢って。
「…可愛い奴だよな」
 今なら悟れそうだ。なにかを。なんだろうな。男気かな。まぞっけかな。もう本当に…
 やりたいやら罪悪感やらで、わりと死にそう。

 誰かのために泣く子供を守りたかった。誰かのために泣く女は、手放したくなかった。
 そう、女だと、そう思ったから。色々と出しているけれど。
 なんというかこう。子供を騙している感がぬぐえないのはどうしてだ。
 抱き寄せたら照れるようになった。照れて大暴れされるようになった。大暴れして、落ち着くようになった。
 キスをしても殴られないようになった。ただ固くなって、怯えるように目をつぶるから。それ以上などできないけれど。
 …けれど、慣れていっては、いるんだろう。
 少しずつ、少しずつ。
 慣れていく先にあるものを、きっと正しく知らない子供は、それでも。
「……ずっと子供だと思えりゃよかったのになぁ」
 誰かのために泣いていた子供が、今や憎らしい。
 そんなんだから手が出せないと、それはもう。
 そうじゃなければ、惚れることなどありえなかったのだろうけれども、じりじりと痛い。
「……ホントにさあ」
 おれだけのものにと願う劣情が、痛くて苦くて仕方ない。
「…泣いちまいたい」
 ずっとあれを守るものであれると、信じていたんだから。



(口に出すのは簡単だけど、手を出すことは難しい)



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