緋月慶は、喫煙者だ。
その昔、彼の食欲に途方にくれた名付け親が、これでも食ってろとつっこんだのがきっかけでもあるし、彼が消えた時に唯一の「餞別」だったのが止められなくなった原因かもしれない。
けれど彼は、あまり煙草を吸わない。持ち歩くことさえ、最近は稀だ。
その理由は―――…いくつかある。
事情
それは、緋月慶が今行動を共にする彼らと出会って、間もない話。
あてもなく空を眺めて、あてもなく生き倒れかけていた自分を拾った上司に、彼は尋ねた。
「あんた、なにも聞かないのか」
慶の知識はひどく偏っている。
世の中になじんで機を伺い仕事をするのではなく、ただ闇に潜んで標的を仕留めることが仕事だった所為だ。
それでも、彼は知っていた。自分は、警戒されるべきものだ。この容姿は、人の警戒を煽るはずのものだ。
けれど、新しい上司たる黒髪の少年は、あくまで朗らかに笑った。
「君が過去になにやらかしてようと関係ないし、訊いても言ってくれなそうじゃない?」
無意味なまでな笑顔と共に、遥霞は続ける。
「それより、未来の話をしようよ、慶」
その笑顔をぼうっと見つめながら、慶は頷いた。銜えた煙草から、紫煙が僅かに漂う。
「俺個人としては別に煙草も酒も賭博もどーでもいいけど。
俺の愛しい愛しい恋人がが煙草嫌いなんだよね」
にこにこと、どこまでも笑顔で、遥霞は言う。
それが? と問い返そうとして、彼は言葉を失った。
銜えていた煙草を無造作に折られたからだ。
「ということで、彼女の前でそれ吸ったらうっかり人為的でわりと不幸な事故にあうかも。
あと俺の傍でも吸わないでね? 智華に嫌われるし」
折り曲げた煙草を指の間でもてあそびながら、遥霞は笑顔をぴくりとも崩さずに告げた。
いやそんなことなくてもアンタわりとアイツに嫌われてね?
とか彼がつっこめるようになるのは、少し先の話。
その時は、ただ釈然としない思いを抱えながらも、彼は素直に首をふった。
日常生活ではすこぶる素直な性質だった慶は、上司との約束を素直に守っていた。
けれど、それ以外では、自然に煙草をくゆらせていた。まるで、常に紫煙の向こうへいた誰かを探すように、日常的にそうしていた。
そうして、ある日。
傍らの銀髪が、ごほと咳こんだ。
「…あんた、煙草駄目?」
「え? …いや、そうでもねぇよ。最近縁なかったからむせただけだ」
答える間にも、彼は咳こむのを止めない。苦しそうだ。
自分の吸っている銘柄は、どうやら重い種類らしい、とは知っている。
だから、吸わないものにはキツく思えるのだろうか。
咳こむのを止めてもわずかに顔色の悪い達臣に、慶はそんなことを思った。
…その顔色の悪さの原因は、主に上司の嫌がらせ半分の仕事の所為だったりするのだけれど。
煙草のせいかなぁ、と勘違いをして、ほんのりと心を痛めた慶は、少しだけ煙草の本数を減らし始めた。
そんな風に少しずつ減らしても、完璧に止めるのは至らない。
習慣になっていたし、それで及ぼされる悪影響にも、彼はまったく理解がなかったし、興味がなかったからだ。
けれど、ある日。
ある日出会い、仕事を共にするようになった黒髪の少女は、唐突に言った。
「ああ、そうそう。慶。一ついいかしら」
「あ?」
呼びとめられて、ふりむく。勿論、口に銜えた煙草と一緒だ。
そして、次の瞬間。
煙草の先端と、髪の数本が、綺麗に薙がれた。
「私、それ、大っきらい」
抜き身の剣を引っ提げたまま、言う希羅。
その剣がなにに使われたかは、考えるまでもない。
「だから、私の前で吸わないで。…それに、大体吸っててもいいことなんてないのよ。身体鈍るし頭も鈍る。体力はありあまってるでしょうけど、それ以上馬鹿になったらどうするつもりなの」
「……」
勝手なことをして、勝手なことを言う彼女に、彼は2本目の煙草に手をつけることはしなかった。
そうして、こっそりと思った。
間違って鼻とかもっていかれる前に、煙草、頑張って控えよう―――と。
それから、また、数年たって。
彼女と同じように出会い、仕事を共にするようになった赤い髪の青年は、慶へにっこりと言った。
「ああ、そうだ。慶」
「ん?」
煙草を揉み消しながら、彼は答えた。
その仕草に少しだけ満足げな顔をした流は、それでも静かに告げた。
「煙草は身体に悪いんだよ。吸ってる本人の身体より、その周りの人間の」
ぽん、と肩に手が置かれる。
「だから、雅の前で吸ったらぶっ飛ばすv」
「………」
笑顔で告げられたどっかの誰かにちょっと似てる一言に、彼はこくこくと首を振りまくる。
肩に置かれた手が、ぎりぎりと肩を圧迫していたからだ。
ひたすらこくこく頷きまくる彼に満足したように、流はくるりと踵を返した。
そんなことがあった後。
「……」
もう、いらねぇかなーこれ。
封の切られていない煙草の箱に、慶は寂しく息をついた。