怪我をしたといっても本当に軽症で、ついでにいえばきったのは瞳などでなく瞼だ。
 けれど、数日間眼帯などというものですごさなければならなくなって。
 感じたことはただ一つ
「不便だわ…」
 小さく呟く希羅は、深く溜息をついた。

眼帯

 希羅は自分が鈍いなどと思ったことはない。
 けれど、本日3度目に打ちつけた額を抑え、その認識に自信がなくなってきた。
 後ろ手で扉を閉めながら、バタンと響いた音にすら舌打ちが漏れた。
 ひたすらに不便で不快だった。
 視界はせまいくなることがここまで大変だと思わなかった。ついでに、塗られた薬が途方もなく痒くて、つい手が伸びそうになる。そうならないための眼帯なのだけれど。
 何度目か分からない溜息が洩れる。なんだか、なにをする気にもなれずにぼんやりとすごしているのだが…それも辛い。苛々する。黙っていることはそこまで苦痛でもないはずなのに、今日に限って苛々だってしかたない。
 鬱々と沈む頭が考えるのは、このままだったらどうしようと言う暗い未来。
 長くとも1週間ですよ、と言われたのに、これだ。
「…だらしない」
 己にここまで堪え性が欠けているとは思っていなかった。
 荒事商売をしているのだ、体のどこかがかけることだって、考えていなかったわけではないというのに。
 それとも、本当に潰れてしまっていれば、こんなことを考えずにひたすらリハビリに費やしていただろうか。
 そうすれば、案外慣れてしまったのだろうか。
 そう、例えば、彼のように―――
「希ぃ羅ぁー。なんか廊下の壁にぶつかってから拗ねてひきこもったって聞いたけど平気かー?」
 胸の奥の独自を読んだように現れた同僚に、希羅は軽く目を瞠る。
 けれど、すぐに半身を起し、じとりと瞳を坐らせた。
「人の部屋はいる時はノックくらいしたらどう?」
「あ、ごめん」
 あっけらかんと頭を下げる慶は、希羅が出会った時には既に左目が眼帯で覆われていた。
 その理由は知らないけれど、生来のものではなく、怪我の所為で失ったのだということだけは聞いている。
 彼が話したがらないから、それ以上のことを訊かない。
 彼女にも、詮索する趣味はない。今までその目のことを気にしたことなどなかった。けれど、今は少しだけ気になる。
 それでも、口から洩れたのは疑問ではなく、文句のような言葉。
「…それと、誰が誰がすねてるって?」
「あんたが拗ねてるって、竜臣が」
「……」
 誰が拗ねてるのよ、と脳裏に浮かんだ童顔に毒づいて、溜息をつく。溜息をついたことに気づいて、一層落ち込んだ。
「別に拗ねてるわけじゃない。…じっとしてた方が、楽なの」
「…希羅…実はなんか変な病気にかかったりしたのか…?」
「私がじっとしているのはそこまで不自然なの」
「かなり」
 こくりと頷く慶に、そっと手を伸ばす。
 そして、思い切り腕をねじりあげた。
「なら元気にあんたをしばこうかしらー。ストレス発散に」
「…こうゆーことするから黙ってんのが似合わないんだってば…」
「なにか文句でもあるのかしら?」
「腕ねじられて文句ない奴はいねえだろ!」
 言いながら、ぶんと腕をふりほどく慶。
 別にそれほど本気でねじっていたわけでもないので、あっさりと振りほどける。
 否、全力でねじったところで、彼は容易に抜けるだろう。
「折角差し入れ持ってきたのにさぁ…!」
 ぶつくさと呟きながら、慶はずいと小さな容器を差し出す。
「なに、これ」
「ブルーベリージャム」
「あんたから食べ物を貰うって、不思議な感覚だわ…」
「ホントは瓶いっぱいにくれたんだけどさ。食っちゃった」
「……それでこそあんただわ」
 その瓶がどれだけの大きさだったのか知らないが、彼ならやる。きっとやる。小さな容器といえど、残った方が奇跡だ。
「なんでブルーベリーなの? …そもそも、貰って、誰に?」
「ブルーベリーって目にいいって言うじゃん。で、智華に頼んだらくれた」
「別に私は目が悪くてこうしてるわけじゃないわよ?
 ちょっと壁の破片が瞼かすったの。本当軽くだから他の場所だったらバンソーコもいらないくらいよ」
「そうなの?」
 きょとりと瞬く慶は、すぐに軽く唇を尖らせる。
 残して損した、とでも言いたげな顔だ。
「なんだ、じゃあたいしたことねえじゃん」
「…あんたが言うと、説得力があるわね」
 呟くと、微かな悔しさがこみ上げる。
 なにに対しての悔しさなのかは、よく分からない。
「…あんたはいつもこんなに不便な思いしてるのよね」
「別に? こうなって結構長いからな。
 慣れちまえば不便でもねえよ」
 なんてことのないような口調で慶は答える。
 その声にも、表情にも、現状を憂う色は一切伺えない。
 その反応は、予想していたことだ。
 けれど、なぜか少し予想外の感情が胸をかすめる。
 希羅はその感情の名前を探ることはせず、もはや貴重品になってしまったはずのジャムの蓋をあけ、なめようとする慶に、軽くチョップをいれた。
「見舞いの品を食ってるんじゃないわよ」
「だって、大したことないって言ったじゃん…」
「食べていいとはいってないわよ!」

 ―――慣れてちまえば、不便でも何でもない。
 その声を聞いた時、なぜか違う言葉が聞こえた気がした。
 ―――慣れてちまえば、不便でも何でもない―――戦うことに、支障はなかったから、と。
 あまりに当たり前すぎる口調に、どうしよもない溝を感じた気がした。
 希羅はそっと眼帯を抑える。
 白いそれは、あと数日もすればとれるだろう。
 それでも、今、彼と自分が見ている世界は、同じはずなのに。





あとがき
 幸い両目とも健常なので、片目だけの視界を体験したことはありません。ので、実際どう見えてるかは良く分かりませんが。まあ、慣れるまでは不便という話を聞くよな、と。
 …いや、慣れたら支障ない、っていうのも違うと思いますけどね。そう言った方はそう言った方で、支障ないように、分かりえない努力というか…なんというかがあるのだろうから。勿論「だから大変なんだな」と思いすぎることはある意味侮辱な気がするんで、しませんけど。
 でも、まあ、これはフィクションなんで。軽い気持ちで読んでください。
 2009/09/07