執務室に入ると、そこはかき氷屋だった。
「…また怒られるぞ、そういうことしてると」
 漏れたのは、なぜ、という問いかけではなく、呆れた声だった。



 呆れた顔をしてみせる僕に、武行は必要以上に偉そうに笑った。
 そして、書類を押しのけた机の上に置いたかき氷機、そのハンドルをごりごりと動かし始める。
「ふっ。人に怒られるのが怖くて厄介事の下請けなどと言う職業ができるものか」
「それと同列にするなよ。何度も何度も同じネタで怒られてるんだからいい加減飽きるか懲りるかしろ。そのうち明乃だって愛想つかすぞ」
「紅也…。愛想を尽かす、というのは、まずそれなりに好意を持ってないとできないことだろう…?」
「なんだ、その、もうとっくに嫌われてるし、俺みたいな顔…」
「まさにそう思ってるんだが」
 大真面目な顔で情けないこと言う親友に、僕は溜息をつく。
 暑い部屋(クーラーなんてそんなものつけてる財政的余裕は武行にはない。ついでに僕にもない)響くゴリゴリと言う音、中身のない会話。憂鬱になるには十分な条件だろう。
「…なんか口うるさく言うの疲れた。僕にもくれ」
「最初から素直にそう言っていればいいものを」
「その馬鹿でかい氷で頭ぶん殴るっていうのも疲れを忘れるにはよさそうだよな」
「俺はとどめさされるじゃないか…」
 言って、椅子ごと一歩引く武行。
 その腕の中には、こんもりともられたかき氷。そこにどばどばとかかった練乳に関しては、もうなにも言わない。ただ、ガタイのいい男が赤いシロップのかかったかき氷持ってる、というのは中々笑える状況だと思う。笑わないけどな。
「で、どれがいい? 色々あるぞ、シロップ。イチゴ、レモン、黒糖、コーヒー、紅茶、手作りだ」
「手作り…」
 それはまた暇でもないくせに暇なことを。
「…どれも食べたことがないから君のお勧めでかまわな―――いや、それは甘すぎるからやめる。
 レモン頼む。練乳は抜きで」
「食べたことがない?」
 赤い容器を手に取りながら、武行は不思議そうに言う。
 僕は黙って頷いた。
「お前の家は金持ちという表現も馬鹿らしいほど金持ちだろうが。なんで氷一つ食わないんだ」
「…どうしてと、言われてもねえ…」
 素直に答えてもいいのだが、あまりしたくない。思い出したくないのだ、そのあたりのことは。
 けれど、その程度のことを隠しだてするのはするので嫌だ。くだらなくて情けない。
「…貴方はこんな不自然な色をしてるもの食べてはいけない、何が入ってるか分からないだろうて…言われててな。こっそり食べたらばれて怒られる怒られる」
「…誰に?」
 僕は嫌々続ける。思い出すと気が重い―――というより、思い出すのが面倒だ。
「母親。貴方一人の体じゃないって、僕は妊婦かって話だ…」
 事実、あの家にいた頃、この身体は僕一人のものではなかった。
 くだえらない家の存続とやらに必要なものだった。くだらない家の誇りだの確執だので随分と神経が張り詰めさせられていた母親にとってさえ、それは例外ではない。
 贅沢に暮らした自覚はある。恵まれていたという確信もある。けれど、小さなこと、当たり前のことが禁じられていたという不満も、確かな真実。
 それでも―――
 思う間に、武行はかき氷を差し出してくる。透明なレモンシロップは、確かにレモンの清々しい香りがした。
 軽く頭を下げると、母親か、と呟く声が聞こえた。僕は無言を貫く。
「…それは最悪だな」
「ああ、そうだな」
 誰が、とは聞かない。そんなことは、ちゃんと分かっている。
「お前、そんな状態の母親捨てて家でてきたのか」
「そうだ」
 自分が楽になりたくて、全て捨てた。
 家も、家族も。たぶん、誇りとかそんなものも。
 すべてを捨てた僕を拾ったのは、目の前の男の父だった。
 …別に、善意で拾ったわけじゃないけどな。
「けど、最悪というのは君にも当てはまる。なにが最悪というわけではないが、まんべんなく最悪だからな」
「そうだな」
 気を悪くした風でもなく頷いた武行は、スプーンですくった氷を咀嚼し、口元をほころばせる。
 心底幸せそうなその顔を見て、僕も同じ行動をなぞってみる。
 舌先でとけた氷は、やはり甘ったるい。…作る時自分の基準で作ったな、この甘党。
 既にうんざりとしてきたものの、その冷たさは暑さにばてた体を慰めるのには最適だろう。
 などと思っていると、コンコンとノックの音が響いた。誰だ、と思う間もなく、扉が開く。
「ああああ! 武! ずるい! また一人でそんなもの食べて!」
「騒ぐな、ちゃんと作ってやる」
「ホント?」
 突然の乱入者ことりおは、ぱぁっと目を輝かせる。それでも無表情っぽいのがすごいと思う。
「ああ。そのくらい簡単―――」
「簡単―――だけど、時間はかかるわよねえ?」
 武行の言葉と表情が凍る。
 振り返れば、予想通りの顔。怒りで顔を凍りつかせた明乃。
「そんな暇が今まさにさぼっていた風情のあなたのどこにあるのかしら…?」
「…そう睨むな。ほら、久々に兄ちゃんが作ってやるから。お前の好きないちごを」
「二時間も同じ言葉聞いたわよどこが久々だ!」
「俺にとっては久々だ」
 始まった馬鹿騒ぎをみながら、かき氷を口に運ぶ。
 先ほどと寸分たがわぬ甘ったるい味。けれど、少しだけ思いだす。
 ―――武行にはああ言ったが、その昔、家に隠れてこっそりと食べたことがある。
 その時食べたあれは、味わう間もなく溶けていって、味気なかった。なにより、そんなにこそこそするのが馬鹿らしくなって、それっきりだ。
 けれど、もしかしたら、味気ないと感じたのは―――
 再びかき氷を口に運ぶ。一人で食べるのではないそれは、かつてより美味しく感じた。





あとがき
男2人でかき氷って相当寂しい光景かもしれない。
ああ、ちなみにこの後。妹に兄さんが頭からかき氷かぶることになるのは様式美です。(様式美って)
2009/09/12