警軍からの事情聴取とか親族からの労わりの言葉と事情聴取とか色々切り抜け、一段落した私はゆっくりと呟いた。
「終わったわねぇ」
 向かい側の椅子に座った鈴は、静かに頷いて、湯気を立てるカップを差し出してくる。
 受け取って、ありがとうと言おうとした。なのに、まるで違う言葉が漏れた。
「ごめんね」
「…聞きあきたよ」
 なにが、とも、どうして、とも訊かずに、彼女はただ苦笑した。
 困ったような、でも優しい表情。
「でも、言わなきゃ。…悪いことしたもの」
「ならば、態度で表わして欲しいものだな…もう、無茶、しないな?」
 それを言われてしまうと、今度は私が曖昧に笑うしかない。
 だって、たぶん、私は、また似たようなことをしてしまう気がする。
 そうして、彼女をまた困らせてしまう気がする。
 …甘やかされてるなぁ。こんなにべたべたに甘やかされたこと、それこそ両親にすらなかったんだけど、私。
 …このまま甘やかされたら、駄目になっちゃうかもなぁ。…鈴も、駄目にしちゃうかもなぁ。
 それは、ほんの少しだけ怖い。けど、今は、もう少し。もう少し、浸っていたいとも、思ってしまう。それに。
「…ねぇ、鈴ー」
 彼女に守られ、好き勝手をして、分かったことが、一つだけあった。
「なんだ?」
 静かに答える相棒に、私はしっかり微笑んでみる。
 それはたぶん、これから言うことに、反した表情だけど。
「あの犯人の気持ち、ちょっとだけ、わかる気がするわ」
 それは、新聞に書かれていた動機を読んだゆえではなく。
 あの時、一瞬だけかち合った目に、感じずにはいられなかったこと。
「あいつ、悲しかったのね。…勝てなかったのね」
 彼になにがあったのか、新聞を読むまではわからなかったけど。深い悲しみと、絶望が漂っていたあの男は。きっと自分とでも言うべきものに勝てないでいた。
 過去と言う、自分。切り離したら駄目になってしまうけど…振り返りすぎては、行き詰ってしまうそれに。囚われた姿に見えた。
 だから、弱いと。
 あの時、どうしよもなくそうなじった。
「……そうなのだろうな」
 鈴は小さく頷いて、目を閉じた。悲しそうだと、そう思った。
 その心など、分からない方が良いと言った彼女。
 そんな彼女は、もしかしたら、その心を分かっていたのかもしれない。
 分かっていてから―――私を遠ざけようとしたのかもしれない。
 憎悪とか、そんなものから、私を引き離そうとしてくれる彼女だから。そうだったのかもしれない。
 …けど、それじゃあ、駄目だよ、鈴。
 だって私は…どこまで行っても、魔物への憎悪を捨てることなど、できないだろうから。そんなことをできたなら、彼女に出会っていないのだから。
 ……でも。
「私は、大丈夫よ。…だから、鈴も大丈夫でいてね」
 なにが大丈夫なのか、と彼女はやはり訊かなかった。
 尽きない憎悪の中で死にかけた私を掬いあげてくれた彼女は。そして今も、それに飲まれぬ枷となってくれる相棒は。
 藍色の目を柔らかく細めて、小さく頷いた。
 静かなその顔に笑いかけて、お茶を飲みこむ。
 鈴の淹れてくれたそれは、香り高く美味しかった。

 弟が喫茶店『みなと』を訪ねてきたのは、数日に及ぶ事情聴取の嵐を乗り切って、店を開店させた日だった。
 …ちなみに、復活してからの客第一号。
 ……きゅ、休業がちょっと長引いちまったから、だよな?
 悲しさと怯えを押さえて、コーヒーを出す。
 甘党ではないはずだというのに砂糖とミルクをがばがばと入れつつ、成冶はそっと口を開いた。
「新聞、見た?」
「新聞とれないほど財政緊迫してねーからな」
「…どう思った?」
「…分からんな。あれが動機なら、警軍を襲いそうなもんだが」
 呟きながら、思い出す。鮮やかに紙面を飾っていた、あの男と。その動機。
『魔物に妹を殺された』から『妹を守りきらなかった警軍が憎かった』
 だから、そこに痛手さえ与えられれば、それでよかったのだと言う、あの男。
 昔…俺だって、そういう感情をぶつけられることは、少なくなかったけど。なぜそれが他でもない妹と同世代の娘を襲う理由になるのかは謎だ。確かに、警軍はいつまでも凶行を許した責任を責められているけど…、それでも。もっと。違う方法がなかったのか。……あの男には、なかった、のか。
 黙っていると、成冶がぽつりと呟く。
「逆恨みだな」
「逆恨みだよ。その妹が死んだ事件だって、警軍の対応に不備はなかったらしいしな。…けどまぁ、恨みはいつだって、正当な感情じゃないんでしょ」
 やけに投げやりな口調でそう言って、弟はぐいと乱暴にカップの中身を煽った。…もっと味わって飲め、コーヒーっていうものは。
「…っていうか、動機なんて、どうでもいいんだよ。そんな感傷的な話、しにきたんじゃないよ。ちゃんと記事読みな…?
 それより問題なのは、協力者いたっぽいってこと」
「え? あれ、マジなのか?」
「残念ながら、確定、かな…。じゃなきゃあんないい加減なこと、書かせるもんか。まだ終わってないから…それを隠して事件続いた時のリスクと天秤かけて、そっちをとったんだよ。
 だって、足りないんだよ。あいつ魔力と技術とじゃ、あんなもの作れない。…あの男、妹養う金欲しさに辺境で流れの荒事専門の魔術師してたみたいだけど。腕はあんまり良くなかったみたいでね。…そもそも、合成魔物作る金なんて、身を寄せ合うように生きてた兄妹にはないよ。
 それに…」
 苦い口調で、成冶は続ける。静かに、俺を見据えながら。
「最初から、疑問視はされてたんだよね。…アレは、面白いくらい警軍の警護の裏をかき続けた。まるで、情報の漏洩でも起きてるみたいに」
「…ふぅん」
 ああ、確かに。巡回のコースを把握しきっていれば、追跡されることはない。
 舞華の前に姿を現したことこそ例外中の例外で―――…それまでは、一切姿を見せていなかったのだし。しかし。
「『オレには関係ない』?」
 言おうとした言葉は、弟にとられる。俺は静かに頷いた。
「…ないな」
「結局神宮舞華に付き合ったくせに?」
「あの年頃見ると、お前と重なって駄目だよな…」
 わざと神妙に言ってやると、成冶は露骨に顔をしかめる。
 …長じるに従って、いつも嘘くさくニコニコするようになった弟としては、珍しい表情だ。
「…オレ、最近は兄貴にそこまで世話焼かれてないけどね」
「最近は、な」
 昔は、色々一緒にこいつの壊したもの直したり、謝りに行ったりしたけど。
 内心の言葉が顔に出ていたのか、成冶ははぁー…と長く息をついた後、唐突に話題を変えた。
「…まぁ、関係ない方がいいよ。…っていうか、また余計なことに首突っ込まないように釘さし来たんだしさ、オレ」
「…お前、実は俺のこと全力で心配してる?」
「だってもう父さんがいないし。他に親族らしい親族いないから…兄貴の葬式することになったら色々手続きすることになるの、オレだもん。
 あ…でも」
 にんまりと、成冶が笑う。
 ちらり、と窓の外へ視線をよこして。
 自然とその視線を追った俺は、僅かに驚く。
「でも、あんたがどこかの誰かと身を固めてくれたら、それは妻の役割になるんだよね」
「…いらぬ心配してないで、お前こそ落ち着いて相手探したらどうだ。一緒に暮らしてその微妙にひねくれた性根を正してくれるような子を」
 カランコロン、とドアベルが鳴る。
 楽しそうに笑う成冶を見て、祐絵は小さく首を傾げた。

 じゃ、お邪魔虫は退散するから、とか言って、成冶はとっとと帰って行った。…あいつも忙しいだろうから、呼びとめたりしない。けど、どうせ呼ぶならもっと違うのが良かった。もっとこう、店の売り上げに貢献してくれるようなの。あいつ知り合いにコーヒー中毒とかいたらいいんだけどな。味は不問だとかだともっと良い。
 祐絵なら……変に気を回されなくとも……自分で会いに、行ったのだから。そちらの方が、よほど良かった。
「…お前、今日仕事ないのかよ」
「曜日の感覚を忘れるほど災難だったの? 今日は何もない日よ。薬の注文もない」
「…そーか」
 別に忘れてたわけではないけれど。…そうじゃなきゃ、俺のところになんて来ないのも経験で知っているけど。
 いや、こう、心配してくれて来たんなら幸せ……でもないな。こいつがそんなことをする姿など、想像できなすぎていっそ怖い。
 ふ、と笑って、「注文は?」と訊いてみた。「紅茶」と言われてお湯を沸かす。…喫茶店ではコーヒーを飲んで欲しいものなのだが。
 しゅんしゅんと鳴く薬缶を眺めていると、珍しく祐絵の方から口を開いた。
「…成冶君、相変わらずあなたに懐いてるのね」
「…なぁ、あれのどこが? めっちゃオレのこと馬鹿にするんだけど、あいつ」
「だって事実あなたは彼より馬鹿よ」
「否定はしないがもっと言葉包め」
「どうして? …ともかく、喧嘩するほど仲が良いんでしょう」
 まぁ、そうだろう。そんな自覚くらいはあるし、一時口きかなくかった時とかもあるから、経験もしているわけだ。けど、面と向かって言われて、これ以上落ち着かない言葉はあるまい。
 いつまでたっても仲良い兄弟とか、それはそれでどうよ。
「また変な顔してるわね」
「お前が変なこと言うからだろう」
「本当のことは変なことなの?」
 そちらの方が変ね、と続ける祐絵とは、そういえばロクに喧嘩したことがない。
 俺が一方的に腹を立てたことは数あれど、こいつが怒った顔は、見たことがない。
 そうしてみると…仲良くすらねーのかなー…こいつから見たら。
 はぁ、と息をついて、思考を打ち切る。
 けれど、胸に去来するのも、また湿っぽい思い。
 弟の言うとおり、まだ、あの夜が終わっていないと言うのなら。
 まだ、あのような異形が、街をうろつく日が来る。
 胸がずしりと重くなる。その時、自分はどうするのかと、考えてしまう。
「拓登」
「……ん?」
 名を呼ばれて我に返る。
「なんだ?」
 いつのまにか伏せていた顔を上げる俺に、祐絵はどこか朴訥とした表情のまま、言う。
「とりあえず、お疲れ様」
 自分が軽く目を瞠るのが分かった。
 淡々としすぎたそれは、それでも確かにいたわりの言葉。
 そんな言葉が出てくるのなら。もしかしたら。
 ちょっとは心配してくれていたのだろうか。少しは…俺のことを考えてくれていたのか。それなら、そこまで卑屈になる必要も、ないのか。
「…だな」
 それだけで、滑稽なほど胸が満たされる。…まったく、お手軽な幸せだ。
 それがおかしくて、くすり、と笑う。
 このまま明日が続く保証は、どこにもなくて。どうなっていくかも、なにもわからないけど。
 傍らには、不本意とはいえ惚れた女。窓からのぞいた空は、清々しく青い。
 心の中の重荷は、少し晴れた気がした。

- 幕 -

目次




言い訳あとがき
 こんな微妙なものをここまでご覧いただき感謝です。お疲れさまでした。
 これ、元々「螺旋の日々」ってタイトルで、4話くらいで終わるはずだったんですよね。で、あと六話くらい続きがあって、一個の長編でした。
 結果は見ての通り、約10話まで含まり。じゃあもう独立させて仕切りなおそうと相成りました。だから終わり方中途半端。そんなしょっぱなからぐだぐだのお話です。
 ちなみに元々は昔部活で出した作品のリメイク。設定はかなり変えたけどキャラの性格は変えてない。昔はもう少し真面目に西洋っぽさをかもしだそうと頑張ってるファンタジーもどきでした。 ですが、青月の三大疾患(その1。黒髪長髪出したい症候群。その2。展開が王道という名のぱくりっぽい茶番)の一つ、五文字以上のカタカナの名前の名前覚えられないという深刻な病が悪化していたため、漢字名になりました。…昔も名前間違ってて四枚くらい印刷しなおしたっけ。授業中手で直したところもある…
   まぁ、そんな感じのかなり適当なファンタジーです。書きたいところだけを書きました。(開き直った)
 反省点はキリがないけどアレですね。一番は、拓登、主人公じゃなくても、良かったな…。…この後に書く後半部分は、彼が主人公じゃなきゃ座りが悪いのですが。こっちは舞華主人公で進めた方が綺麗だった気がしますねー…(後の祭りだけど)
 書きやすいんですよねー。彼女。私のオリキャラで一番年季入ってますから。元は逆ハーヒロインでしたが。呪われた男雲から解放されてちょっと幸せそうです。あと性格が2割ほど悪くなりました。
 ちなみに彼女の相棒はそんな彼女に言い寄る男をちぎっては投げちぎっては投げその割に自分は怪しいホスト系のにーちゃんに惚れこんでふられるというある意味とても波乱万丈な人生を歩んでました。とりあえず昔から相棒ラブが彼女の存在意義だったんですよね…損な人です。ちなみに決して百合要因ではないです。
 ここまで見たら分かるように主人公っぽくないぼーっとした兄貴と目の前の敵が切れればそれでよしの危ないねーちゃんと危ないねーちゃんが良ければその他はどうでもいいと思ってる親ばか18歳では進む話も進まないので、苦労性の弟こと成冶がいるのです。部活で書いてた頃の脳内呼称は「説明係」「赤いほうのブラコン」だったりしましたが。晴れて漢字の名前になったので忘れないで済みそうです。そしてこれからも微妙にずれた兄の隣で苦労する。……話がずれたので戻します。
 作品の言い訳でしたね。そう、なんというか色々説明不足な気がしますが、ノリで読んでください(無茶)
 あ、でも、一番わけわからん『影』については、後日書く続きで説明します。そのタイトルは…今回月夜に集うだったし、あれじゃないですか。「日の出に散る」とか。……特攻モノみたいだ。…まぁ、タイトルはともかく、書きます。次の長期休暇とかに(忘れてるよ、きっと)
 あー。もう少し続けるなら、あれですね。作品テーマは中2病設定キャラ萌え話ですけど。強いて言うなら、なになくしても世の中続いていくのですよねという話です。きっと。それを乗り越えるには好きな人とか生きがいとかそういうのあるといいですよね。それが絶望する理由になったりするから人間面白いですけど。…こーゆーこと、現代物で書くと、死ぬほどはずいんで、私はファンタジーが好き。
 その辺は置いといて、あとがきの果てまで長々と失礼しましたっ。お付き合いくださったあなたに、改めて感謝です。
 2010/02/21