「拓登さんっ、聞いてくださいっ」
「無理」
 言い切ると、カウンター席に座るなりまくしたてた彼女は硬直した。
「…なんで内容も聞いてくれないんですか」
 鳶色をした瞳がうるうるとうるみ、細い肩がしゅんと下がる。愛らしい顔立ちと相まって、非常に保護欲をそそるかもしれない。一部の人間には。
 けれど、この少女の性格を知ってしまった俺は、再度静かに首を振る。
「無理」
「せめて障りだけでも聞いてくれてもよくないですか」
「嫌だよ…喫茶店で静かにできない奴は客じゃないから」
 お前の相談はたぶんろくでもないから、と言う代わりに、営業スマイルと一緒にそう言えば、彼女…神宮舞華は小さく溜息をつく。
 そして、少しばかり落ち着いた様で、ケーキセット、と呟いた。
「…で、静かにするから、相談してもいいですか」
「……聞くだけなら、な」
 どうせ、こんな朝早くに、他に客はいないんだ。
 それに、どうもこの年頃を見てると、弟を思い出して邪険にし辛い。むしろ弟は邪険にできるけどな。心理というのは複雑だ。
「明日一日、私と退治屋してくれません?」
「…は?」
 か弱そうな少女でも、彼女は立派に退治屋だ。魔物を狩る専門家だ。そして、俺も同じく退治屋(本業は喫茶店店主だけど)だから、不思議な話ではない。けれど。
「君と俺だけで?」
「はい」
「…君には相棒がいるだろう。鈴はどうかしたのか?」
 彼女の公私ともに相棒と言ってもいいのであろう少女の名を出すと、その瞳が明らかに泳いだ。
 気まずげな表情をさらした後、はぁ、と息をついた。
「…実は、彼女には言えないお金がいるので」
「…言えない金、ねぇ」
「やましいことには使いませんよ。鈴の部屋、掃除してたら。…魔術道具、がしゃーん、ぱりーん、と行きまして」
「…なるほど」
 あれ、魔術に関わりない俺みたいなのにはガラクタにしか見えなくとも、びっくりするくらい高いんだよな…成冶が家にいた頃、壊して命がけの兄弟喧嘩へ発展したこと、あったっけ…
「まだ気付いてないみたいですけど…だからと言って、ごまかすわけには行きません。だから、お金がいるんですよ」
「ならそう説明すればいいだろう。君にあの子がそんなに怒るわけない」
「だからなんですよっ。まぁいいよ、で済まされちゃいそうですもん! お願いしますよ、拓登さん、どうせはやってない喫茶店なんだから、ちょっとくらいいいじゃないですか!」
「お前人にモノ頼むのに喧嘩売るなよ!」
 思わずムキになって言い返す。
 それに誰も苦情を言わないという事実がまた痛い。…どうせはやってないよ。
「事実を言うことは喧嘩売るとは言わないと思いますけど…、分け前4:6でいいですし」
 少し心動かされる言葉に、ちょっと臨時休業を考えてしまう。
 いつもは俺だけでこなしているが、ごくたまに人と組めば、基本5割。…なにより、この少女と組むのなら、そう面倒をかけられることもないだろう。私生活はともかく、退治屋としては有能な娘なのだから。
「拓登さんくらいしか頼む人いないんです」
 がし、と手のひらを握られる。伝わる温もりに、思わず頬が赤く…はならない。むしろ自分が青ざめるのが分かる。手、痛っ。折れる!
「お願いします!」
 骨折の危機を感じた俺が、彼女に向い頷いたのは、言うまでもないだろう。


 その日、オレは、扱っていた研究が一段落して、久々にゆったりとした気持ちで町を歩いていた。
 上実木街の中央通りは、露店でにぎわっている。
 ああ、日の高いうちにこういうとこ出てこれるの、本気で久々だな…
 なんて思いつつ冷たいコーヒーをすすっていると、背中から声をかけられた。
「成冶」
 名を呼ばれ、振り向く。目に入るのは、見知った少女。艶やかな黒い髪を長く伸ばした少女は、凛々しい顔に微笑をたたえ、軽く手を挙げた。
 輝く太陽。爽やかな美少女。…うーん、絵になるなぁ。これで雄々しく米の袋かついでいなきゃ、そりゃあもう絵になるだろうけど。
「鈴ちゃん、久しぶりだね」
 内心の評価を隠して、オレはにこりと笑う。
 鈴…須堂鈴は静かに頷き、立ち止まる。オレも共に、道の端へ寄る。ついで、自然と周りを見回してしまう。
「あれ、今日は1人?」
「…別に私と舞華はいつでもセット、ってわけじゃないんだけどな…」
 鈴は僅かに困ったような顔で、彼女の相棒の名前を紡ぐ。
「今日は、あいつは友人と買い物、だそうだよ。朝から張り切って出かけて行った」
「ふぅん」
 それは、顔を合わせることがなくてありがたい。
 とは言わない。彼女はあの小煩い相棒をけなされることが嫌いだ。オレは彼女が嫌いだが。だから別に貶してもいいけど、本人がいないのに無駄に喧嘩を売ることもない。
「だから仕事も入れられないしな…、ちょうど色々いるところだったから、私も買い物してる」
「色々…って、もしかしてまだなにか買うわけ?」
「ああ。買いだめしとくと楽そうなものは、一通り」
 一通り、ですか。…まだ増やすつもりなんだ、荷物。
「…よく持つ気になるね、そんなにいっきに」
「肉体強化の魔術って、便利だよな」
 米を運ぶために使われるのはなんか違う気がするけど。とは言わない。言っても無駄だ。
 ああ。才能の無駄遣い。魔術組合が躍起になってスカウトしようとした稀代の魔術師がこれか。
「…ああそうだ、全部買ったら、お前の兄のところにでも行こうかな」
「…その時は、お願いだから、いったん荷物、家に置いていってあげてね…」
 怪力女のいる喫茶店って、また客足遠のきそうなフレーズだから。
 苦笑しながら言うオレ。すると、彼女は不思議そうな顔をした。そして。
「…舞華?」
「は?」
 セットじゃないとか言った傍から何言ってるんだ、この女。
 思いつつも、なんとなく彼女の目線を追ってしまう。
 身体ごと振り向いて、そうして目に入ったのは、確かに彼女の相棒。焦げ茶色の髪を肩のやや下ほどまで伸ばした、中背の少女。そして。見間違いでなければ。その傍の金髪の長身は。
「…兄貴?」
「だ、よな。やっぱり」
 訝しげな口調で、鈴が問いかけてくる。頷こうにも頷けずに、首をかしげる。
 兄は17年間見てきた人間だが、顔も見えないから言い切りかねる。…夏のわりにあつそーな青いジャケットは、兄のよく着ているものに見える。ちらりと見ただけで人ごみに紛れてしまったけれど、腰にさした刀も、よく見知ったものだった。気がする。
「……友達は拓登なのか」
「…まぁ、友達でも間違いないんじゃない?」
 以前色々あって知り合ってから、兄と彼女は、まぁ、仲が悪いわけじゃない。単細胞同士気が合うのだろう、きっと。
「…私には、わざわざ女友達だって、言ってたのになぁ…」
 なに、その「舞華も大人になって…」とか続けそうな生温かい目線と台詞は。
 相棒というか、過保護な親みたいだよな、こいつ…。
 何とも言えない気持ちで彼女を見つめてみる。すると、その顔にすっと影が落ちた。
「ちょっと待て。拓登って、恋人いるんじゃなかったか?」
「ああ…まぁ、いるね。一応」
 一応としか言えないような人だけど。胸のうちだけでそう呟きつつ首肯すると、鈴はますます難しい顔をした。
「…じゃああれは浮気か?」
「そう決めつけるのは早いと思うよ」
 ただ歩いているだけで、それは、ねぇ。
 けれど、わざわざ相手を隠して出かけようとするのは、怪しいのかもしれない。隠しごとの嫌いそうな彼女にしては。
「…だが、もしも」
 もしも、そういう変なのに舞華が引っ掛かったら…とでも言いたそうなその顔に、密かに溜息をつく。
 普段はポーカーフェイスの才女だと言うのに、あの子がからむとこれだ。見ている分には面白いけれど…
「なぁ、成冶」
「…なに」
 あんまり関わりたくはないんだけどな、なんて思いながら返す。…いや、返すなという話なんだろうけど。一度かぶった一辺りのいい奴の顔が、自然と答えていた。
「ちょっと、付き合ってくれないか?」
「……ま、いいよ」
 面倒だけど、面白そうだし。
 にっこり笑って、オレは兄と彼女の消えた方へと歩き出した。

 朝いちで出かけた仕事は、昼をまわる前に終わった。そう遠くにいる魔物ではなく、近場で出たのだったのが楽だった原因である。
 ということで、温まった懐を持って向かった先は、オープンカフェだった。
「ホント、助かりました」
 にこにこと機嫌よい舞華は、出されたピラフをぱくぱくと口に運ぶ。
 同じく、注文したホットドックかじりつつ、俺は答える。
「…ま、君はわりと通ってくれるから、たまには、な」
「拓登さん、本当そういうとこ親切ですよね…同じ兄弟なのに、性格違いませんか、あれと」
 ナチュラルに弟がアレ扱いされた。…まぁ、会うたびにいがみ合っているようだから、仕方ないだろう。
「あれもあれなりにいいところがある…とは、言い難いが。まぁ…性格は違うな」
「いつも人を馬鹿にした感じで、すっごく腹立つんですけど」
「そんなことを俺に言われてもな…」
 気付いた時には嫌みな性格に仕上がってたからなぁ、あいつ。
 なんて思いつつコーヒーをすする。…あ、うちのよりうまい。
 思わず溜息をついた、その瞬間、通りで悲鳴が上がった。
 向かいに座っていた舞華が、がたりと席を立つ。かと思うと、止める間もなく駈け出した。
 …血の気の多い娘だな、相変わらず。
 追うべきか、と少しだけ考えて、すぐに首を振る。
 彼女と違い道側に面していた俺は、すれ違いざまに突き飛ばされる女性を見た。怪我をした様子ではないから、恐らくひったくりかなにかだ。となると、心配すべきはむしろ舞華より、彼女にしばかれることになるであろう、ひったくりの怪我の方だろう。
 …ま、いいか。せこい犯罪する方が悪い。
 見知らぬひったくり犯に小さく十字を切って、俺は二個目のホットドックに手を伸ばした。

 二人の消えた方へ歩いていると、不自然にかけてくる男がいた。なにが不自然かって、にあいもしない女性ものとしか思えないバッグを持っている辺りが。
「―――成冶さん、それ、ひったくり!」
 嫌々ながら聞き覚えが出来てしまった声に、オレは思わず納得した。
 そして、ひったくりの進行方向へそっと足を出す。
 男は、フッ、と馬鹿にしたような顔をした。だれがひっかかるか、とでも言いたげに。…甘いなぁ。
 すれ違う一瞬、口の中で唱えた呪文を解放する。
 男が風で作った不可視の壁に激突するのと、聞き覚えが出来てしまった声の主こと舞華の蹴りがその後頭部に食い込むのはほぼ同時だった。

 そんなこんなで、ひったくりを警軍に突き出した後。
 舞華にひっついて彼女のいたオープンカフェに腰を落ち着けて、ボケコンビもとい舞華と鈴は、綺麗に和解していた。…いや、そもそも喧嘩してねえけどな。
「…そうか、壊していたのか…気付かなかった」
「うん…ごめんなさい」
 頭を下げる彼女に、鈴はふっと笑う。
「…言ってくれればよかったのに」
「そしたら別にいいとか言いそうだから、嫌だったのよ」
「しかし、壊されて困るようなものは、お前の身長で届くところへ置いていない。やはり、気にするなとしか言えないな」
「…鈴、やっぱり甘いわ、あんた…」
「正論だと思うが」
 どこまでも続きそうな不毛なやりとりに、オレは溜息をつく。
 と、ぽん、と向かい側の兄貴が肩をたたく。どこか苛立ちを含んだ表情で。
「…なんで俺達追おうとしたんだ。成冶」
 ちょ、肩痛っ。馬鹿力なのになにするんだ、この人…。言ってやろうかと思ったが、涼しい顔をしてみる。
「いや、とうとう兄貴があの恋人捨ててロリコンに走ったのかな、とか思ったら、いてもたってもいられなくなってね」
「別れてねぇし。だとしても弟と同じくらい年離れてるのはなえるな…」
 まぁ、疑ってはいなかったけど。
 …だって、本気で心変わり起こしたというのなら。どんな些細なトラブルだろうが、ついていくはずだ。この人は。…もしも、ひったくりを追ったのが兄の思い人のあの人なら、きっと、ついていった。
 それでも、本音を隠して微笑んでみる。無論、親愛なる兄とのコミュニケーションだ。
「そうかなぁ、あの人、年の割に幼い顔してるし、てっきりそういう趣味なんだと…」
「…てめぇ兄を何だと思ってるんだ」
「ロリ顔巨乳好き?」
「わけわからん濡れ衣かぶせんな! そもそもあいつと俺は年変わらねぇよ!」
 ムキになって言い返す兄に、曖昧な笑みを返してやる。
 そういう風にムキになるから、余計怪しいんだけどな。
 なにやらくどくどと説教を始めた兄に、胸の内だけでそう呟く。
 久々にとった休日に、会って予定もなかった者達へ会ってしまう辺り…何とも言えない気持ちになりながら。
 見上げた空は、高くて青かった。

目次

あとがき
なんかしょっぱなからそこそこ長い話っていうのも、読む側に不親切かもなぁ、と。導入部っぽいお話でした。
後日アップする予定の本編の後日談。主要4人を出すことだけが役割(笑)
こんな感じの4人+アルファで繰り広げるえせファンタジー、お付き合いいただければ幸いです。
2010/02/12