最近、娘は少し明るくなった。
 …拾って…保護した時は噛みつくはあばれるわ寝たと思ったら起きないで衰弱していくわ花瓶割ったかと思えば破片自分の喉につきつけていた娘が、喜ばしいと思う。
 その原因が、1人の少女であり。
 その少女の出自を想うと、複雑な心地だが。

「…なぁ、神宮」
 数年ぶりに尋ねた墓石に、語りかけてみる。
 騒がしかった女と、よくしゃべる男の眠る場所。
 返る声など、あるはずもない。
 彼らはもう、死んだのだから。
「……」
 その時既に警軍を止めていたので、詳しくは知らない。ただ、むごい死にざまだったとだけ、聞いた。……珍しくもないことだ。
「…神宮」
 再度、そう呼んでみる。
 手を添えて石は、どこまでも冷たかった。

 休業中、の札を眺めながら、自宅兼店の扉を開く。
 奥の階段を上り、生活スペースへと入ると。
「あら。おかえりなさい」
 お盆を片手の妻がそう言った。
 どこか嬉しそうな顔をして、くい、と首をかしげる。
「もう良いの?」
「長々と墓を詣でてなにになる」
 答えつつすれ違う、と、露骨に拗ねたような声が背中にかかる。
「…あなた私が死んでも同じこと言うのね…」
「……」
 思わず振り返ると、ころりと微笑まれる。やけに満足げな顔だ。…冗談だったんだな。
「そんな変な顔しないでください。冗談です」
 案の定名台詞を吐き、柔らかな紅茶色の髪をゆらした。
 ―――その時はもう少し参ると思うけどな。どうせ頻繁にはいけないだろうし、家に帰りがいもない。
 浮かんだ言葉を口にしないまま、そっと脱いだコートをかける。
 こぽこぽと手早く取り出したカップへお茶を注ぐ咲子の向かいに腰を落とした。
「ああそうです。あなたが出かけている間、鈴が来たわよ」
「そうか」
「ひきとめていなくてごめんなさいね。でも、忙しそうだったの」
 言って、彼女はひどく悲しげな顔をした。
 悲しげ、なのは。恐らく、その忙しい理由のせいだろう。
 彼女は争いに関係なく、平和に育った。少しでも傷つけば、大仰に悲しむ。
 悲しむくせに、止めさせようとはしないのだから、…本当に、平和な女だ。
「…忙しそうだが、よく笑うようになった」
「ああ…そうですね。…本当に、そうですね」
 くす、と笑う姿を眺めて、黙ってカップを傾ける。鼻孔をふわとくすぐる、甘い香り。砂糖とは違う、自然な甘さ。
 こんな上品なモノを飲むようになったのは、こいつと一緒になってからか。
 警軍にいた頃は、同じお茶でも適当に飲んでいた。まだ付き合いたての頃、手間をかければたかがお茶でも化けるのよとやけに満足げに語られたことを覚えている。
「鈴は、どうだった?」
「忙しそうですけど、楽しそうでした。同居人と仲良くしてるそうですよ」
「そうか」
「そうそう。嬉しいことも言ってくれたのよ? 『料理上達した気はするけど咲子さんの方が美味しい気がする』とか言ってくれちゃって…可愛いと思わない? もう」
「そうか」
「仕事がない日は主に料理と…なんだか難しいことしてるらしいけど、暇が出来たらご飯食べにくる、って言ってたわ」
「そうか」
「…赤カブが歩き出し池に落ちた」
「いきなりなんだ」
「自分から聞いたくせにそうかそうかとくりかえすから苛々したのよ」
「…そ」
「そうか、は無し」
「…それは悪かった」
 言いなおすと、満足げに胸を張られる。
 …子供か。こいつは。
「…けど、本当に楽しそうでした」
「…良いことだ」
「ええ。あの子、あなたに似て根暗だもの」
 でも、と小さく呟く声。
「舞華ちゃんのお陰、なんですね」
「……そうだな」
 以前より少し笑うようになった娘は、その名前をよく口にする。
 …あの日、俺がけしかけて、出会わせた娘の名前を口にする。
「…あなた」
「なんだ」
「眉間に皺が寄りました」
「そうか」
「舞華ちゃんの話をするといつもそんな顔になります」
「…前、いっただろう。お前には」
「ええ、亡くなったご友人の娘なのでしょう」
「ああ」
 数度、鈴と共にここを訪ねた娘は、両親によく似ている
 その顔立ちが学友だった母親に。むやみに明るく楽しげな様子が同僚だった父親に。
 幼くして死に別れたにしては鮮明なほど、よく似ている。
 私が止めた後も共に警軍の第一線で働いていた二人は、1人娘を残して逝った。
 その後母方の叔母に引き取られた娘は、健やかに育ち…―――けれど、両親を奪った存在を憎むようになったらしい。
 憎み、それを狩る仕事についたらしい。
 そのことを、つい最近知った。
 仕事を止めてから、彼らはすぐ亡くなって。疎遠になってしまったから、知らなかった。
 けれど。
『姉さんは昔から言っていたの。私も旦那もいつ死ぬか分からない、って。…もしどちらも死んでしまったら、よろしくって。
 困った時どうすればいいかも、考えてくれていた。…もしもの時頼る要因として、あなたの名前がありました』
 けれど、ごく最近の、ある日。彼女…神宮の妹だという女が、店を訪ねてきた。
 泣きそうな顔で、笑いながら。尋ねてきた。
『でも、会わせたくなかったんですよ。士官学校のご友人なのでしょう? 警軍にいた人なのでしょう? あなたはきっと良い人だけれど…そんな人といたのでは、あの子まで姉さんのようになってしまうのが、怖かった』
 初めて見たその女は、かつての学友にどこか似た顔を、まるで似ていない表情に歪ませた。
 ああ、これも同じ側の人間だ、とそう思った。
 妻と同じ、平和の中で生きた人間。
 俺やアイツが守りたいと思い…それゆえに顧みなかった、日常の象徴。
『あの子はせめて、姉さんやお義兄さんの分まで、健やかに幸せに――…願っていたけれど、駄目でした。そうですよね、姉さんだって、昔から。…昔から、無茶ばかりで。すぐ1人で、いなくなってしまったもの』
 俺たちは、なにかを守っている気で、なにか大切なモノを忘れていた。
『私達には、舞華を止められません。守ることも、できません』
 ぼろぼろと恥じることなく泣く女は、ぐいと胸元を掴んでくる。
『だからどうかお願い。あなたが…!』
 守ってください。あの子を。
 必死な懇願を聞きながら。
 俺の考えたことは、違うことだった。
「亡くなったご友人なのに、なんでそんな嫌な顔をするんですか」
 少し前の過去に沈んだ思考を、僅かに常より高い声が引き戻す。
 なんで、と問われても。答えようがない。…複雑、なのだ。
「前から思っていたのだけれど」
 ぱん、と手をとられる。笑い皺の目立ってきた目元が、今、妙に…拗ねて、いるように見える。
「あなたは好きだったのかしら」
 …なぜこいつはいつまでも気持ちが若いのだろう。
 この辺だけをとるなら、鈴よりよほど若い。…いや、言うまい。鈴のその辺りがずれているのは俺のせいだと言われる。
「その優哉さんを」
「なんだその地獄絵図は」
 想像して嫌な汗が出た。
 何が悲しくて、ほれ…
「あら、じゃあやはりその美華さんが好きだったのね」
 なにが悲しくて、惚れた女を横からかっさらっていった男に懸想するというのか。
 浮かんだ独自を読んだかのように、眉が下がる。…子供か、こいつは。
「…やはりというほど疑っていたのか」
「だって。分かってしまいますよ。そういうものは。疑ってないんていないけど楽しくはありません」
 さらにしょげたような顔をされ、さすがに溜息が出る。
「…お前が想像してるような楽しい関係じゃあなかった」
 今思えば、学生時代は迷惑ばかりかけられた。警軍に入ってからも、なにかと迷惑をかけられた。口は悪いは手は早いは考えなしだわ。それなのに腕だけは立っていたから始末が悪い。…確かに長生きはできない種類の人間だったのだろう。
「それに、きっぱり断られてる。お前に会うずっと前だ」
「……やだ。そんな真剣な顔されると照れますね」
 ころりと顔色を変えて、なにやら恥じらうように目線を逸らされた。…なぜ。
 釈然としない心地で黙る。と、にこにこと微笑まれた。
「ねぇ、あなた。わたしに誤解されているのは、嫌ですか?」
「…まぁな」
 『お前に』まだ未練があると誤解されていることではなく、引きずっていると思われることなど、誰からでも嫌なのだが。黙っておこう。
 満足げに笑っているのだから、水を差すことはない。
 うふふ、とひとしきり楽しげに笑った咲子は、静かにカップを傾ける。
 ふわと立ち上る湯気で、一瞬その顔が歪んだ。
「…話を、そらしてしまったけれど」
 傾けたカップで口元を隠したまま、声は続く。
「鈴は、あの子のお陰で、楽しそう。だけど……」
 大丈夫かしら、と言いたかったのであろう声は、続かない。
 ゆるく首をふって、ごめんなさい、と呟かれる。
 こいつがあの娘の選んだ職業に反対なのは知っている。なぜ稽古などつけたのだとなじられたこともある。
 死んでしまうかもしれないのに。
 泣きながら何度も言ったくせに、それが鈴の選んだことならば、と止めようとはしない。
 俺もまた、止めようとは思わない。
 あの娘は、平和に生きてなどいたら、潰れてしまう。
 俺達が引き取る前の記憶に、潰される。

 あの娘を災禍の兆しと言っていたあの里は、ある意味正しい。強すぎる魔力は、災いを呼ぶ。鈴の前にもいたというそれは、確かに災禍を呼んだのだろう。
 自分の意思で引き起こしたものも、いるだろう。しかしそれより多かったのはきっと―――…それを利用された人間。
 鈴の逃げてきた里は、社会からはずれ、独自の文化を築いていた。
 それだけならいいが、目を覆うような実験も、繰り返していたと知れた。
 鈴にしていたことだけではなく、ただ魔力を高めるという目的の中、行われていた儀式の数々は違法だと裁けた。
 その中で、鈴とその養い親だという女を、追ってきた集団とやらの死骸も見つかったが。
 それが幼い娘のやったことと、信じるものなど、いやしない。直接殺めたわけではなく、鈴の魔力に当たられた魔物が彼女に従った結果なのだから、なおさら。
 …そんなこと、あの娘は理解できてはいなかったであろうし、理解しても同じ後悔を味わうだろうが。
 あの娘の中には、消せない後悔がある。
 だから、今のままでは、まだ。きっと、自分を痛めつけていないと、耐えられない。…けれど。
「大丈夫だろう」
 そう簡単に死ぬような鍛え方などしてはいない。どうせそちらの道にいってしまうと思ったから、殺す気で鍛えた。
 元からそういう道しか選べない人間も、世の中にいるのだ。
 かつての俺のように。かつての学友のように。馬鹿みたいに、そんなことばかりを選んでいく。
 黙り込んだままの妻を、ちらりと見つめる。
 あの感覚を伝える術など、恐らくないのだろう。
「…戦う道を、選んでしまうと」
 それでも、少しだけ聞かせておく。
 俺が、鈴にあの娘を引き合わせた理由。
 初仕事に選んだ場所を知らされて、無理やりに送り込んだ理由。
「自分を顧みなくなるものは、多い」
 これからも嫌なモノを見ることになるであろう娘を、多少無理を通して引き取って育てた。
 真っ当に生きていけるように、育てたが。その後悔までは、親にどうできるものではない。
「だから、未練は多い方がよい。
 父親と母親で足りないのならば、足せばよい」
 生きていたくなるような理由を与えてやればよい。
 大切だと思うものを多くしてやればよい。
 それを無視できるような娘ではないのだから、そうして枷を作ってしまおうと思った。
 死にたい、と、そう思わないように、枷を。
「…帰ってきたいと思う場所を、増やせば、あの娘はそう簡単には死なない。…あれで運の強い子でもある」
「…ああ、そうですね」
 くす、と咲子は笑った。
 しめっぽかった笑声は、やがておかしくてたまらないというような明るいものへ変わる。
「あの子、やっぱりあなたに似てるわ」
「…そうでもないと思うが」
「いいえ。似ているわ。似てなきゃ困るの」
 きっぱりと言い切って、ぐいと手をとられる。
 いつまでも子供のように熱い手は、やけに真剣に握りしめてきた。
「あなたに似ているから、大丈夫。…あなたは、いつも帰ってきてくれたもの」
「…そうか」
 ならば良いな、と小さくごちる。
 ふっと口元が緩むのが分かった。

目次

 ということで。鈴と舞華の出会い編あなざー。…このおとーさんが舞華を見たのは、出産祝いの時とまだ小さい頃と、葬式の時だけなので、舞華はまったく覚えてませんが(写真とかもとってないだろうしなぁ、須堂父)。実は両親と仲良し。舞華は知らなくともことあるごとにうちの娘超可愛いみたいな話を聞いていたので、こっちはわりと知っています。
 ちなみに神宮さんちは婿をとった形なので、呼びかけてるのはお母さんの方なんですよね。両親の名前は神宮美華と三瀬(←旧姓)優哉。ついでに舞華は叔母夫婦に引き取られてるけど養子というわけではないから姓は変わってない。
 さらに仲がいいついでにとってもあっさりふられた仲です。それから彼は気にしてないいいつつちょっと荒れ、落ち着いてから2,3人と付き合っては別れ。今の奥さんに出会って一年ほど付き合い。色々心境の変化があって警軍抜け。修行して店ついで結婚しました。…正確に言うなら結婚するために店継ぎました。(ぼそ)
 で、変な子供を拾って、わりと強引に養子にとったりしているわけですが。なんだかとっても幸せそうな夫婦になりましたよ書いたら。
 2010/05/22